前述のキリマンジャロ眺望のよい宿に2週間泊ることにした。定点観測で引き続きこの山の眺望記録を続けたい。
7月16日
前述の通り、午後、ロイトッキトクに着いたが、キリマンジャロは雲に隠れ、見えなかった。
7月17日
前述の通り、日の出の後、30分ほど見えたが、以後1日中見えない。それどころか霧雨になった。
7月18日
朝から雲に隠れ日が暮れるまでンジャロ様全く顔を出さなかった。午前中は霧雨が続いた。乾季で、今、一年中で最も雨が少ない時期なのに変だ。雨が降ると、砂のように乾いていた土が泥んこになる。外を歩くと靴が汚れ、土足で入り込む家屋の床もどろだらけになる。これまでの乾ききったサバンナ地域では経験しなかった問題。外出を控えるようんさえなる。
これも前述の通り、キリマンジャKilimanjaroの語源について諸説ある中で、現地の古スワヒリ語で「輝く山」(Kilima山 njaro輝く)の意だとする見解がある。意味はともかく単語としてはKilima-njaroという区切りになることは確からしいので、時々キリマンジャロを「ンジャロ様」と呼ばせて頂く。しかし、「ん」で始まる単語あるとはスワヒリ語もなかなか面白い言語だ。
7月19日
その翌日、7月19日は朝7時前にわずかに見えたが、すぐ雲に隠れた。
7月20日
1日中雲に隠れまったく見えなかった。霧雨にはならなかったのが救い。
7月21日
午前6時半に起きると、すでに薄明るくなっていた窓の外に、ンジャロ様がはっきりと見えた。この日のロイトッキトクの日の出は6時37分。まだ山に日の光が当たっておらず暗い。
不思議だ。なぜ山は早朝のみ見えやすいのだろう。想像するに、日が照りだすと、山体の地表から水分が蒸発し、さらに地表付近の温度が上がるので上昇気流が発生し、山体に雲(霧)が発生していく。夕暮れになるとこれが収まるので比較的眺望が開ける(ンジャロ様は今のところ夕暮れ時でも姿を見せないが)。夜になれば、我々が見えないだけで、実は霧は晴れているのだろう。日の出前がもっとも眺望が開けている。そして、日が昇ってわずかの間は見えているが、すぐに上記過程がはじまって雲(霧)に覆われて行く。と、こういうことなのか、と想像したが、どうだろう。
7月22日
朝から一日中、雲に隠れている。まだほとんど暗い午前6時過ぎでも何も見えなかった。
しかし、夕刻、午後5時半くらいになって少し晴れてきて、山体の一部が見え始めた。ロイトッキトクの村にも陽光が差してきた。ずっと曇りか霧の天気が続いていたので非常に珍しい。日が傾くにつれて見える範囲が広がり、下記は、最もよく見えたと思われる午後6時34分頃の状態。ある程度夕焼けも反映している。
7月23日
7月24日
定石通り、早朝によく見えていたが、午前9時頃にはお隠れになる。夕方、低高度付近が少し晴れたが、基本的には一日中雲の中。
7月25日
早朝から雲に隠れて見えない。夕方になって徐々に顔を出し、私が子どもたちと公演バスケをしている間(午後6~7時頃)ンジャロ様がよく見えていた。
7月26日
定石と異なり、早朝から雲がかかって見えなかったが、午前8時半頃には晴れてきた。霞がかかったようであったが、一時的に全体が見えた。30分で雲がかかり、日中は見えなかった。
しかし、昨日同様、夕刻、午後5時半頃から顔を出した。子どもたちと公園バスケをする背景にずっと見えていた。でこぼこ土のコートで(ドリブルほぼ不能)、バレーボール球を使い、ダブルドリブルやトラベリングの反則ばかりの遊びバスケだが、ふと汗をぬぐうと背景に雄大なキリマンジャロが見える、という最高クラスのバスケだ。
7月27日
早朝から霧で何も見えなかったが、昨日と同じで8時頃に少し見えた。すぐ雲に隠れ1日中見えなかった。
7月28日
朝暗いうちから山影が見える。明るくなると、やや霞がっているが全体が見えた。しかし朝日が当たると否が応でもくっきりと輝く。午前7時半には霧に隠れ見えなくなった。夕刻も見えず。
7月29日
未明からよく見えていた。日の出から少しずつ雲がかかりはじめ、霞もでてきて、9時頃には見えなくなった。夕方も見えず。
7月30日
日の出時に見えていたが、徐々に雲と霞がかかり1時間で見えなくなった。1日中あまり見えなかったが、厚い雲ではないため、時々山体の裾野やマウエンジ峰が顔を出すこともあった。
7月31日
ロイトッキトクを出る日。バスの出る午前6時頃までキリマンジャロがよく見えていた。出てからは雲に隠れて見えなかった。
まとめ
ロイトッキトクに15日間居たが(14日+2半日)、1日中見えたのは1日のみ。朝見えたのが11日、夕方見えたのが4日(全日ではないが、朝・夕共に見えたのが1日)。まったく見えなかったのが14日のうち2日。早朝なら約7割の確率で見えることがわかる。