ナイロビに到達して
7月31日にナイロビに着き、これでアフリカ大陸を縦断したことになった。43年越しの達成。つまり1981年にカイロからスーダンを経てナイロビまで旅し、2024年の今回、ケープタウンからナイロビまでの南半分を旅し、43年越しでアフリカ大陸を縦断したということだ(前回3ヶ月、今回4ヵ月、計7カ月)。
なかなか感慨深い。ユーラシア大陸横断もやっていないのに、アフリカ大陸縦断をしてしまった。他よりも特にアフリカにこだわったというわけではない。43年前は、アフリカを旅しなければ「世界旅行」にならない、という信念から「義務としての旅」でアフリカに来た。今回はサン族(ブッシュマン)への関心から、「サン族の首都」ツムクェ(ナミビア)を目指した。そして、どうせなら帰りは安便のあるナイロビまで出よう、と結局、前回やり残したナイロビ以南ルートを走破することになった。
南米とオーストラリアの「ほぼ縦断」と北米横断はやったことがある。しかし達成感はなかった。とにかくバスに乗っていれば行ける行程だったからだろう。(ユーラシア縦断や北米縦断は、気候・交通事情的にそもそも無理なので、してない。)
カイロからケープタウンまで
カイロからケープタウンまでをつなげば「アフリカ大陸縦断」と言えるだろう。確かに、厳密にはアフリカ大陸の北端はチュニジア北端のアンジェラ岬だ。南端もケープタウンや喜望峰ではなく、百数十キロ東のアグラス岬だ。しかし、そう難しいことは言わず、カイロからケープタウンまでで縦断と言って叱られることはないだろう。(私の場合、地中海沿岸のアレキサンドリアまでも行ったし、シナイ半島のイスラエル国境からもアフリカに入っている。)
43年、隔世の感
43年前と比べて、アフリカ南半分の旅は楽だった。時代も違うし、南半分の方の開発度の違いもあったと思われる。ドラム缶の濁り水にヨーチン垂らして飲むこともなかった。道なきサバンナの道をトラックに乗って進み、砂や土の上に寝袋で寝ることもなかった。我々が野外炊飯で食事をすると地面にこぼれた残飯をついばむ飢えた現地の人々にも会わなかった。
43年後に来たナイロビにかつての面影はなかった。土地勘がまったく消えていたこともあるが、人口は当時から5倍に膨れ上がり、高層ビルが林立していた。どこで暮らしていたかまるで思い出せない。あの時は、詐欺的強盗にもあったし、部屋から荷物の一切がっさいも持っていかれた。パスポートが盗まれた経験は長い旅人生でもあのナイロビでの体験一度きりだ。しかし、今回のケープタウンからナイロビまでの旅で、犯罪にあうことは一度もなかった。
南スーダンは今でも厳しい
43年の時の流れは大きい。だが、現在でも、例えば南スーダンにはかつてと同じ、むしろそれより厳しい状況がある。私がかの地を旅した1981年から数年後、残酷なスーダン内戦がはじまり250万人もの人々が亡くなった。2011年に南スーダン共和国が独立したが、その後も政情不安が続き、内戦で2018年までに少なくとも38万人が死亡、ウガンダへの100万人超を含め周辺諸国への大量の難民が出ている。旅行者が行ける地ではなく、「縦断」を目指す人はエチオピア側を迂回するだろう。
アフリカを縦断したからって、それが何なのか。悪友からの、そういう問いにこれから答えて行かなければならないだろう。