韓国ソウルでバスケをするには 安宿に近くて自由に使えるコート

ナイロビに引き続き、旅先でバスケをするための情報、ソウル版だ。(あくまでも私の個人的体験情報)

私が選んだバスケコート、後述の安宿「多冠ステイ(Dakwan Stay)」近くの鷺梁津(ノリャンジン)近隣公園バスケコート。

どうやってコートを探すか

ナイロビでと同じく、次のサイトを検索するのがまず手順だ。

Courts of the World

しかし、ナイロビの場合と同じく、学校内など一般向けでないコートが記されている場合が多いようだ。ソウルなら別に、例えば次のような有益なサイトがある。

Outdoor basketball court/list

なお、世界各地でバスケをして回っている日本人の方の下記ブログがあり、ソウルのコートも一つ紹介してくださっている。

世界でバスケ! & 日本でバスケ !!

また、ソウル在住の日本人が中心となるバスケ同好会があり、毎週土曜日に汗を流しておられるようだ。長期に滞在する方は入ってみたらどうだろう。

NBT(「なぜベストを尽くさない!?」の略とのこと)

安宿に近くて自由に使える野外コート

いろいろ情報を探ると、自由に使える野外バスケコートは、ソウルを横断する大河、漢江(ハンガン)の河岸地帯に多いようだ。特に新都心とも言える南東部、江南(カンナム)地区方面に多い。

しかし、貧乏旅行者がバスケをするには、コートはコートでも、安宿近くのコートでなければならない。残念ながら江南地区には高級宿しかないようだ。安宿があり、そこから歩いて行ける自由に使えるバスケコート、というと条件がかなり難しくなる。そもそも、ソウルは物価が高く、安宿がなかなかない。そこでまず、いくつか数少ない安宿に狙いを定め、その近くを歩き回ってコートを探す、という手順で探した。

グーグルマップの衛星写真で調べてもよい

特定宿の周りという形で地域を絞ると、グーグルマップの衛星写真で網羅的に調べることもできる。韓国の公園バスケコートはきれいに色塗りされたハードコートの場合が多い(日本は貧弱な土のコートが主)。衛星写真で見ると、これはバスケコートではないかと思われるようなものが視認できる。

結局、ソウル南西部、鷺梁津(ノリャンジン)地区の多冠ステイ(Dakwan Stay)という安宿と、その近くにある鷺梁津(ノリャンジン)近隣公園(노량진근린공원)のバスケコート(冒頭写真)に白羽の矢を立てた。これはウェブ上にはなかったコートで、自分で歩きまわているうちに見つけた。

団地の丘を登ると

経験の中で、ソウル(韓国?)でバスケコートを見つけるには、団地街の丘の上の公園を当たる、という作戦が有効との知見を得た。ソウルの団地というのはどこも10~20階の高層マンションで、そういうのが至る所にある。だいたい起伏のある土地に立地することが多く、そこを上の方に登っていくと頂上付近に公園があり、そこにバスケコートもあるというバターン。限られた経験からだが、少なくとも2つのケースでこれがうまくいき、隠れたバスケコートを探す一つのテクニックであると思われる。一つのケースはこの鷺梁津公園で、もう一つは、後述安宿1975 Yurim Inn近くの将軍峰(ジャングンブン)近隣公園だ。

韓国の安宿については別稿を参照してほしい

鷺梁津(ノリャンジン)近隣公園バスケコート

入った安宿、多冠ステイ(Dakwan Stay)の近くにある鷺梁津(ノリャンジン)近隣公園のバスケコートは、下記写真の通り、立派なフルコートだ。日本では、普通の公園にバスケコートがあるのは珍しいが、韓国(少なくともソウル)には多い。しかも、土のコートでなく、固いコートになっている。この公園の場合は、硬質ラバーだ。プロの方は、ラバーは不満のようだが、ボールのはずみもよく、草バスケする上では何の問題もない。

ゴールには通常ネットも付いている(写真では一方のネットがなくなっているがすぐ取り付けられた)。夜なると照明がつく。夜11時までついているという。隣にテニスコートも併設されているが、テニスをする人はほとんどなく、フリスビーやバドミントンをする人が多い。それらのコートを囲んでランニング・コースがある。しかし、走る人より歩く人のが圧倒的に多い。多くの老若男女が黙々と一方向に歩いている様は、最初は異様に映った。韓国人の健康法であるらしい。地面は土で、裸足で歩く人が多いのも特徴だ。ひいやりとした感触が気持ちいいのか。公園内には、通常の水飲み場以外に、足を洗う水道がわざわざ特設されており、腰を下ろして裸足で歩いた足を洗っている。

最近日本でも増えてきたが、韓国の公園には、各種筋力体操のできる器具がたくさん置いてある。この公園にも多い。しかし、さほど使われているわけではない。

鷺梁津(ノリャンジン)近隣公園バスケコート。まわりが土のランニングコースになっている。向こう側のゴールはネットがなくなっているが、数日後にきちんと補修された。

夜、8時半頃から本格3対3

最初夕暮れ時に行っていたのだが、コートにほとんど人が居ない。子どもなどが遊びに来るのが中心のようだ。玉入れなど自主練にはいい。しばらくやっている内に、夜8時半頃から若者が集まりはじめることがわかった。人数がそろえば適当にチームをつくって3対3をやることになる。仕事が終わり夕飯を食べて食休みした後の時間帯ということか。土日も同じ傾向だが、人数が多く、3対3をやるにしても半面コート2つでは足りないくらいだ。

どこの近隣公園でも似たようなパターンかと推測できるのでご参考まで。

公園の一方の端にはゲートボール場がある。これもあまり使われず、子どもがサッカーをやっていたりする。そのわきに展望台があり、写真のような漢江とその向こうのソウル市内が見渡せる。そこのブランコに座りゆったりと景色を見られる。
ノリャンジン公園付近のマンション型団地。ソウルには高層マンションが多い。通常の団地がすべて10~20階の高層マンションになっている感じだ。造りも堅固そうだ。こうしたマンション型団地が至る所にあり、そこを上に登っていくと公園があり、そこにバスケコートが…。

近くの公園の各種コート

鷺梁津(ノリャンジン)近隣公園の少し東の丘の上にも立派なバスケコートやサッカーコートがあった。しかし、こちらは有料のようだ。
鷺梁津(ノリャンジン)駅のすぐ近くにこんな立派なサッカー場(当然有料)もあったが、バスケコートはなかった。このフィールドの向こうに「体育館」のような建物が見える。入ってみると意外にも水産市場だった。
観光客に人気がある鷺梁津水産市場。普通なら、まずこちらを訪れて、たまたま周囲を歩いたら安宿やバスケコートを見つけたという順番になるのだろうが、私の場合は逆だった。
宿西方の団地の丘の上にも公園があった(松鶴大学近隣公園)。しかし、この公園はちょっと小さく、ランニングコースやバドミントンコートはあったが、バスケコートはなかった。

最初に見つけた将軍峰(ジャングンブン)近隣公園バスケコート

鷺梁津(ノリャンジン)駅から南に約3キロのところにある将軍峰(ジャングンブン)近隣公園にもバスケコートがあった。実は最初にこちらを見つけた。地下鉄駅近くに1975 Yurim Innという安宿があり、その周辺を探ると、やはり団地の丘の上に公園があり、このコートがあった。しかし、地面のコートだ。さらにこちらの安宿があまりに評価が低く、「booking.comは現地調査もせずこんな宿をサイトに載せるのか」などという非難まで出てる始末。ぼろくそに言われてもさほど悪くもない安宿というのもあるので、試そうとは思ったが、前述の高評価宿と立派なコートを見つけてしまったのでそちらにした。

漢江北岸のコート

私の入った宿の近くには漢江大橋がかかっている。1917年、漢江に最初にかけられた道路橋だ。昔はここにはしけがあり、ソウルに入る交通の要衝となっていた。その橋から南岸を見た時の丘の上がノリャンジン公園になる。
この漢江大橋を渡った左手にある「青少年広場」バスケコート。立派なコートが4面もあり(8ゴール)、この辺では文句なく最良のバスケコート。夜も電気がつき、明るい。宿に近い漢江南岸にはコートがなく、北岸に行くのは遠いと思っていたが、歩いて約40分だ。途中の橋の歩道や中ほどにあるノドォル島の景色もよく、ハイキング路としてもすばらしい。この橋周囲を再開発してさらに気持ちよい散歩スペースにする計画があるから楽しみだ。ただ、充実した施設であるにもかかわらず、プレーヤーが多くなく、8ゴールをそれぞれに1~2名がシュート練習をしている状況。皆個別のゴールで自主練していると、「じゃあ3対3やろうか」「1対1やろう」という形への展開が起きにくい。
漢江にかかる漢江大橋。対岸(北岸)から見たところ。かなたに後述の汝矣島(ヨイド)が見え、63ビル(左)、Parc.1(右)などの高層ビルが望める。
漢江大橋の上から見ると、漢江北岸に沿って公園が続いているのがわかる。この中にバスケコートもある。漢江河岸には高速道路になっているところもあるのだが、公園として整備されているところも多い。都市のど真ん中を流れる大河というのは、巨大な公園になることがわかった。何キロにもわたってオープンスペースが開ける。その広い両岸を公園にすると、これは相当の規模の都市公園だ。漢江両岸の公園は、全部合わせると、ニューヨークのセントラルパーク、サンフランシスコの金門公園より広いと思う。その上ど真ん中に大規模な水面(川)が用意されている。治安がよいため、夜になっても(というか、この熱暑の中なら夜にこそ)多くの散策者、家族連れ、カップル、スポーツするおじいちゃんなどでにぎわう。利用効率が極めてよい。
宿(南)から行って漢江大橋の左手にもバスケコートが1面だけある。すぐそばに上記4面(8ゴール)の新コートができていては、敢えてこちらに来ようとする人は居ないだろう。照明もつかず、プレイする人をほとんど見なかった。

国会議事堂近くのバスケコート

国会議事堂のある汝矣島(ヨイド)は漢江の中州島。私の宿から徒歩圏ではないが(歩くと約1時間)、そこにもバスケコートがある。正式なコートは1面だけだが、計10本のゴールがあり、かなりの人数に対応できる。
宿近く、前述漢江大橋付近から見た汝矣島(ヨイド)方面。東端部の黄金に輝く超高層ビル、63ビルがよく見える。1985年に完成、地上249メートル。当時としてはアジアで最も高いビルだった。2002年まで韓国で最も高いビルだったが、現在はロッテワールドタワー(555メートル、2017年完成)が最高。
宿から汝矣島(ヨイド)公園のバスケコートに行くには、少なくとも片道はバスで行った方がいい(帰りは汗だくになっているので歩く。約1時間)。鷺梁津(ノリャンジン)駅付近からだと360番のバスが汝矣島(ヨイド)方面に直通で行ってくれる。バスが汝矣島に入ってすぐ高層ビルマリオット・エギュゼプティブ・アパートメント前で降りるとバスケコートが近い。多くの人がどどっと降りるのは別の高層ビル「Parc.1」前で、バスケコートからはやや離れる。Parc.1低層階に巨大な現代(ヒョンデ)百貨店(The Hyundai Seoul、写真)が入る。
汝矣島西端に国会議事堂がある。これも、普通の観光客なら、国会議事堂を訪れて近くにバスケコートもあることに気付くのだろうが、私の場合逆になった。へえ、国会議事堂が安宿の近くにあったんだ、と。漢江の南(江南)には、東部に商業・エンタメ地域にして高級住宅街の(狭義の)江南地区があり、西部にはこの政府・企業ビル関連の汝矣島(ヨイド)地区があるという構図。漢江の北(江北)は徐々に「旧市街」になりつつあるのかも知れない。
汝矣島中央部を縦に走る汝矣島公園。その広場の両側にバスケゴールが林立する。周囲には超高層ビルが多数建ち、昔からの63ビルも影が薄れるくらいだ。公園中ほどにある巨大なボールは夜景を楽しむための気球「ソウルダル」。この広いスペースで体操したりバスケすると気持ちよい。ただし、広いスペースなので土日などに大規模イベントが開かれることがあり、その場合バスケコートは使えなくなる(隙あらば、でバスケしてる人もいるが、うるさいので顰蹙をかうだろう。)。
放課後の時間、高校生たちが練習を始めた。この日は小雨だったので人出は多くないが、通常だと、親子連れなどでにぎわう。ローラースケート、スケートボード、自転車などを楽しむ人も。仕事が終わった午後6時前後には、フルコートでバスケ試合を行う社会人たちが見られた。8時過ぎると若者が集まり、1対1、3対3などをやっている。

韓国の草バスケ

韓国の草バスケは日本と似ている。つまりうまい。日本と同じように学校での部活が活発なのだろう。ケニヤの若者のようにフィジカルがすごいということはないが、技術が緻密だ。3点シュートを正確に決める者も多い。アフリカは一般にハードコートやゴールなど、カネのかかる設備が不足し、技術を磨く機会が限られているのだろう。

いろいろ異なる文化の中で草バスケをすることの面白さは、それぞれに特徴のあるバスケを体験できることだ。プロのバスケなら同じ方向を向いたバスケのたたかいだが、草バスケだと、様々な社会的文化的教育的環境の違いで差異がある。アメリカだって(プロのレベルはすごいが)草バスケは大したことない。アメリカには学校の部活というのはあまりない。技術が一般市民の間にまで普及しているとは言えない。それでバスケのメッカ、ニューヨークだって、草バスケのレベルは低く、私でも結構活躍できる。(もっとも、ほぼあらゆる公園にバスケコートが2、3面あり、多くの若者がやっているという事情だから、すそ野が広く熟度も薄まっているということなのかも知れない)。サンフランシスコ地域などに来るとバスケ自体があまり活発でなく、公園コートも少なく、かわりにテニスコートがやたらにある。まわりが皆テニスをやっているので、私もバスケでなくテニスにはまることになった。

日本同様草バスケのレベルが高い韓国は、したがって強化練習にはいいのだが、日本でやるのと同じで(つまり私は、走り回ってこぼれ球を拾ってシュートするぐらい)、これならわざわざ韓国でなくても、という気になる。少しさぼり気味になったかも知れない。

最後の日のバスケ

少なくとも3カ所をまわり練習に励んだ。丘の上の鷺梁津(ノリャンジン)公園では、高校生が多かったが、アイオア州立大学に留学経験のある40代のA君がなかなかうまかった(以下、名前を聞いていない)。いつもリーダーシップを発揮して3対3をやろうと皆を引っ張っていく好青年。英語ができて話もできたのでよかった(バスケ交流は何よりも体での交流なのだが)。最後、アイオアで再会しようぜ、と言って別れた。

高校生たちも快活だった。うまかったが、老人の私もそれなりにやるので面白がってくれた。小さい頃大阪に居たというB君が日本語を話した。他にも日本語を話す者が少し居た。話せない者は、私から日本語を習おうか、などと言っていた。「俺はあした帰る。代わりに1対1だ。」と理屈を言っては闘い続けた。

漢江北岸の立派なコートでは、それぞれのゴールでの自主練で終わり、ついに対戦の機会は生まれなかった。議事堂に近い汝矣島(ヨイド)公園には、なかなかユニークな社会人たちが来るようだった。67歳のCさんが来ていた。比較的高齢者で異色だったが、「私が勝ったぞ」と74歳が少し威張ってやった。Cさんは英語をよく話す。なぜだか聞いたら、マレーシア人難民の教育をしているとのことだ。残念ながら最後の日に彼は来てなかった。もう1回話したかったしぶつかりたかった。

ここでも、日本語を話す人が何人か居た。学校で勉強したのだが、今の仕事には生かせていない、と言う者。日本語がうまいのに、今はドイツに赴任していて休暇で帰ってきたところだと言う者。日本の漫画「スラムダンク」の聖地、鎌倉に行ったことがあるという者も。英語が滅法うまい青年、D君がいた。サンディエゴに留学していたという。バスケも段違いにうまい。かつリーダーシップがあり3対3の組織化を率先してやっていた。鷺梁津(ノリャンジン)公園のA君と同じような役割だ。(ウーム、やっぱりアメリカ帰りがバスケもうまいのか)。インドネシア人留学生のE君も来ていた。最初のうちは1対1で私が勝っていたのに、最後の対決では負けてしまった。「明日日本に帰る」と言って肩を叩きあって別れた。

日韓、いろいろ難しいことになっているが、まあ、公園の草バスケでぶつかり合っていれば、そのうち何とかなるだろう。