このほど電子本『アフリカ縦断の旅 43年越し』を出版した(アマゾンKDP、980円)。2024年のケープタウンからナイロビの旅、1981年のカイロからナイロビの旅を中心に「アフリカ大陸縦断の旅」をまとめたもの。下記が表紙だ。
必ずしも、最初から大陸縦断など大それたことを考えていたわけではない。本ブログで書いたように、2024年4月に、どうしてもアフリカ南部のコイサン族のことが気になり、ナミビア奥地の「サン族の首都」ツムクェを目指した。そこにサン族(ブッシュマン)の人たちがある程度の自治を行ないながら住んでいる。
ケープタウンから入って、そのカラハリ砂漠周辺を歩き、帰りはナイロビから日本に安便があるのを知り、少し足を延ばしザンビア、タンザニア、ケニアと北上した。ナイロビに着いて、若い頃、シナイ半島からナイロビまで旅したことを思い出した。結果的にアフリカを縦断したことになる。それで「アフリカ縦断の旅 43年越し」のタイトルで旅記録をまとめた。
1981年のカイロからナイロビの旅も、大きな意図があってのことではない。小田実『何でも見みてやろう』(1961年)を真似て、アメリカ留学の後、世界貧乏旅行に出ていた。しかし、アフリカに行かずには「世界旅行」とは言えないと思い、わずかでもこの大陸に入ろうとした。エジプトや地中海南岸を少し歩く、くらいに思っていたかも知れない。しかし、ビザや入国規制の関係で、エジプト隣のリビアに入るのは不可能だったし、大陸を横切ってアフリカ西部に出ることもできなかった。ビザ取得に1ヶ月かかるスーダンに入るのがやっとで、それならまあケニアまで行くかと、軽く考えたのが苦労の始まりだった。
しかし、とにかく結果的にアフリカを縦断したことになった。であれば、その貴重な体験をまとめて、同様の試みをもくろむ他の(精神的に)若い人たちの参考にできればいい。
アフリカを縦断したからってそれが何なの?という問いが私の頭の中に垂れている。わからない。すでに大きな影響を私に与えているかも知れないし、将来(あるか?)、思索や著述に影響を与えるかも知れない。しかし、とにかく今は体験したことを報告し、自分で反芻するとともに、皆さんの役にたてれば。
本書の構成は、
第1部(1章~9章)ケープタウンからナイロビ、2024年4月~8月
第2部(10章) カイロとアレキサンドリア、2023年2月~3月
同(11章~19章)シナイ半島からナイロビ、1981年1月~5月
である。
私の旅は、時々一カ所に長逗留して考え、勉強する旅だ。旅の実際のノウハウ、情報をできるだけ細かく入れるのを主眼にしたが(これをわずらわしいと思う人がいるかも知れない)、同時にそこの社会についての私なりの分析を適宜織り込んだ(これを小難しいと思う人がいるかも知れない)。さらに時折、なぜ旅をするのか考えることもあるので哲学的な旅論も入れ、あるいは現地若者との「草バスケ」体験も記した(これで内容が雑多と感じる人がいるかも知れない)。しかし、多様性こそ現代的価値のかなめ。私の自然な身体的動きをそのまま反映する旅行記になったということで了解されたい。
【目次】
第1部 ケープタウンからナイロビ(2024年)
第1章 アフリカへの旅立ち、2024年
第2章 南ア・ケープタウン
第3章 半砂漠の地ナミビア
第4章 「サン族の首都」ツムクェ村
第5章 ナミビアからザンビア
第6章 タンザン鉄道でタンザニアへ
第7章 湿潤熱暑のダルエスサラーム、モンバサ
第8章 キリマンジャロの麓で
第9章 終着ナイロビ
第2部 カイロからナイロビ(2023年、1981年)
第10章 エジプト、2023年
第11章 シナイ半島から入るエジプト(以下1981年)
第12章 ナイルに沿って:カイロからカルツームへ
第13章 4日4晩の列車の旅
第14章 終着駅の町ワウ
第15章 南部スーダン:奴隷船の記憶
第16章 ジュバ:南部スーダンの中心都市
第17章 ジュバからケニアに進路を取る
第18章 トルカナ:飢餓地帯を行く
第19章 ナイロビへの道