年末年始だが、部屋にこもり難解論文にとっくんでいる。ふとリビングに出ると「紅白」が終わって、2025年がはじまるところだった。
なんと、2025年だという。21世紀の4分の1に来てしまったのか。いや、2024の次は2025だということは知っていた。だが、本当にこの21世紀第2四半期に突入する、などなったことが信じられない。
1960年代に「2001年宇宙の旅」という映画があった。「2001年」というのは「遠い未来」の代名詞だったと思う。昭和30年代に少年期だった私は、2001年などどんな世界か想像もできなかった。ましてや2025年など夢のまた夢。
だが、今や2025年で、2001年などかなりの昔になった。
かの映画には、これでもかというほど空想的な未来が描かれていた。空港のようなところに乗客が行くと、そこから宇宙ステーション行きの飛行便(スペースプレーン)が出るのだ。地球をまわる軌道まで定期便があるらしい。そこから乗り換えて月に行く。月には人間が暮らせる基地がつくられている。地球と同じような立派な会議室があり、人々が日常服で暮らしている。そこからさらに有人探査船が木星に向けて出発し、物語のクライマックス、人工知能HALの反逆とのたたかいがはじまる。
そうか、2001年はそういう時代なのか。昭和30年代を生きていた少年はそう思った。そしたら2025年などどういう世界だ。想像もできなかった。
が、今はその2025年。なのに人類は今だに裏金問題で騒ぎ、各種不祥事での頭下げ謝罪をテレビが連発し、だれとだれがくっついた、離れたというニュースを我々はヤフーで一生懸命見ている。
地球周回宇宙ステーション行きのパンナム飛行便は今だにない。木星への有人飛行など無理。月面基地どころか、月への有人飛行自体、アポロ宇宙船以来50年以上出てない。
思えば1960年代は偉大な時代だった。若者があばれて、かつてのフランス革命の時代がそうであったように、人類が最も遠いところまで行った時代だった。実際、人類は当時、物理的にも最も遠いところに行った。1969年12月、アポロ11号が月面に到達し、それが今に至るまで最遠記録だ。
おっと、これは宇宙開発の話ではなかった。「時間の感覚」だ。
昭和30年代に少年期で、父母から太平洋戦争時の苦しい話をたくさん聞かされて育った。私は1950年生まれなので、少年期だと戦争は十数年前。遠い昔の話を聞いているように思った。今考えて15年前(2010年)はつい最近のことなのだが。(そうだろ。だって2010年は小惑星探査機「はやぶさ」が7年ぶりに地球に帰還した年で、米国では若いオバマ大統領が活躍していたし、2001年同時多発テロは10年も前の話になっていた。)
昭和30年代の少年にとって、さらに昔の日清戦争(65年前)、日露戦争など完全に歴史教科書の世界だった。だが、考えてみい。今から65年前と言ったら1970年だ。我らが青春時代、栄光の60年代は、今の若者たちから見れば、日清・日露戦争の世界なのだ。
昭和は遠くなりにけり。我々の青春もはるかなる昔か。「まるで昭和だ」。書類まみれの会社の仕事や、根性もののスポーツや、女を殴る男の昔のドラマシーンを見て人々がそううめく。
…と悲観していたのだが、喜べ。何とこの2025年、シリコンバレー開発の不老薬が世に出て、人々の寿命が一挙に200歳に伸びるらしい。寿命200歳なら70代は青春だ。「2001年宇宙の旅」も想像できなかったような時代がここに始まる。
という初夢を見た。