キルギスを南下 スーサミール山脈越え、トクトグル湖を経てオシへ

再び、ビシュケクから山の国キルギスを南下することになった。今度は西のタラスでなく、南のキルギス第二の都市オシに向かう。4000m級の東キリギス・アラタウ山脈を越えるのは前回と同じだが、スーサミール盆地に降りてから再び険しいスーサミール山脈を越え、ナルイン川水系開発でつくられたトクトグル湖をめぐり、フェルガナ盆地ほぼ東端のオシに行く。

キルギスは2つの国分かれていると言われ、首都ビシュケク(人口114万)を中心とする北万と、オシ(45万)を中心とする南部が、文化も民族構成もかなり違った形で存在している。オシは「南部の首都」とも称される。その間には4000m級の山脈が2つも立ちはだかり、行き来するのも容易でない。かなり整備されたと言われる山道をあえぎあえぎ走り、それでも今回、乗り合いタクシーで計12時間以上かかった。ソ連邦分裂の後に、以前の自治共和国国境がそのまま残り、かなり無理な国の形になってしまったらしい。

前回のタラスまでの旅は、マイクロバス(マシュルートカ)だったが、今回は乗り合いタクシーだ。3列シートで、乗客6人程度が乗れる。オシまで12時間600キロで1500ソム(2600円)。私たちは途中のトクトグル村までなのだが、通常、途中下車も同じ料金だ、タラスまでのミニバスが500ソムだったので少し高いと思うが、こっちはタクシーだ、こんなものだろう。8月18日、車はビシュケクの平原を走った後、前回同様、4000m級の東キルギス・アラタウ山脈越えに入る。いろは坂的なヘアピンカーブに入るあたりに、日本とキルギスの国旗の標識が(上記写真)。この辺の急な山道の建設に日本が協力したらしい。
狭いトンネルを抜けると雪国だった、ではなく、前回と同じく広大なピースミール盆地が眼下に広がった。周囲の標高は3500mを越えている。(標高はグーグルアース、及びキルギス・アルペン・クラブのサイトを参考にした。)
盆地の底に降りる。波打つ野原、周辺の山々が美しい。南には、これから超えるスーサミール山脈の峰々がそびえる。今越えてきた東タラス・アラタウ山脈は高いところで5000mに迫るが、こちらは最高で4000m前半台のようだ。
タラス方面行きとオシ方面行の分岐点。かろうじてシャッターを押せた。ミニバスの時には盆地内でトイレ休憩があったのだが、このタクシーは休憩なし。車から撮る他ない。トクトグルに近い山中まで4時間走りづめだった。写真でゲートのある方がタラス方面。今回は左に曲がる。
再び山道に入っていく。タラスに向かう道に比べて交通量が多い。それはそうだろう、キリギス首都と第二の都市を結ぶ紛れもない幹線道路なのだから。しかしその幹線道路がこの険しい山岳地帯を細々と600キロ続く山道でしかないことがキルギスの不幸だ。
途中、このような高山風景も見られた。この辺の峠は3000mを越えている。
しかし、山道は、最初に越えた東タラス・アラタウ山脈ほど険しくはなく、写真程度のなだらかな道になった。
山間の村トクトグルに着く。私たちはここで降りた。12時間ぶっ通しの乗り合いタクシーでオシに行くのはきつい。特に今回はかみさんもいっしょだ。中間地点で1泊するのが得策だろう。トクトグル村近くには人工湖のトクトグル湖があり、付近の山登りなどの拠点ともなってある程度観光客も多い。
私たちは幹線道に面したこの宿に泊まった。急な梯子階段を登る屋根裏部屋で、下のトイレに行くのが大変だったが、眺望がよく満足。地方の街だと、バスを降りて近くを探すと簡単に安宿を見つけられるのでありがたい(小ぎれいなペンション風宿などは中心から外れたところにあるらしい)。大都市だと、駅やバスターミナルの近くに必ずしも安宿があるわけではなく、ネット上で検索しないといけない(中央アジアでの経験)。 /この宿のオーナーがトルコ出身だというのが印象的だった。どおりで英語も少し話す。熟年になってからこの地のキルギス人と結婚し住み着いたという。キルギス語はあまり話せない。宿の切り回しは奥さんが主体になっているが、英語でのコミュニケーション、料理などで役立っているようだ。イスタンブールに滞在した頃、トルコが中央アジアとの関係を強めていることを感じたが、その具体例をここで見させて頂いた。

トクトグルからはヒッチハイク

さて、トクトグルからオシへはどう行くか。マシュルートカや乗り合いタクシーは大都市から乗るのが簡単だ。人が集まるまで待つが、乗ってしまえば一挙に目的地に行ける。中途の街で、そういうのを停めて乗るのも可能だが、いつ来るかわからないし、来ても満員で停まらなかったりする。

大通りから1ブロック離れて、廃屋のようになったバスターミナルがあった。一応使われていて、通りかかった高校生に聞くと、1日1本、朝6時にオシ行きのミニバスが来るという。一方、宿の主人に聞くと、オシ行きのマシュルートカなど何本も来るから大丈夫だ、ゆっくりしていけ、と。

どちらを信じるか。早起きは嫌なので宿の主人を信じたが、はずれ。マシュルートカが停まると言われた店の界隈に行ってもそんなものは来ないと言う。

で、ヒッチハイクがはじまった。大通りに約1時間以上立ち、次々来る乗り合いタクシー的な車やミニバスに合図を送る。全然停まらない。カミさんは路肩にへ垂れ込んだ。立ちっぱなしの私も疲れてきた。こんなことやって本当に来るのか。かなり不安になったその時、小型トラックが停まった。気のよさそうなおじさんが、乗れ、と言う。カネを払うつもりだ。聞いて2人で400ソム(だったかな?)と言うところ300ソム(500円)にまけてもらった。

ヒッチハイクなんてめったにしない。それでも結構停まるもんだな、と後になってから感心するやら胸をなでおろすやら。おじさんはオシから何か荷物を運んでくる仕事のようで、往きはただ行くだけなので臨時収入に入りまんざらでもなさそうだ。「日本人とキルギス人、顔似てるなあ、がははは」と上機嫌だ。

(10時から昼頃までオシ便探しに右往左往したが、もう少し待てば、ビシェケクを早朝に発ったマシュルートカなどが、トクトグル付近に着くはずで、そうすればより簡単にオシ行き便をつかまえられたかも知れない。)

オシに向けて小型トラックに。

トクトグルの盆地を東側を回るように南下。前方にまた別の山脈がそそりたつ頃、その右手にナルイン川やトクトグル湖が見えてくる。
右手に平原。その先にトクトグル湖。
ナルイン川を渡った。ナルイン川は大河シルダリアの主要支流で、事実上、シルダリアの本流と言ってもよい川だ。下流のフェルガナ盆地でカラダリア川と合流して正式にシルダリア川となる。ナルイン川水系には多くのダムがつくられ水資源開発が進む。その中でトクトグル湖は最大のダム湖だ。
トクトグル湖が見え始める。
青い水をたたえたトクトグル湖。1976年に完成したトクトグル・ダムでつくられた人造湖で、面積284平方キロ(琵琶湖の5分の2)、最大深度120m、貯水容量19.5立方キロ。人造湖としては面積で中央アジア最大。ダムは、沿岸を走る国道A363からは見えないが、高さ215 m、幅292.5m。その水力発電能力は1,260 MWでキルギス最大となる。
同上。
ナルイン川水系は水資源開発が進み、トクトグル湖が過ぎても、次々と人造湖が現れる。
奇妙な丸い生け簀のようなものは、何か養魚でもしているのだろうか。
ナルイン水系では2番目に大きいダムであるクルプセイ・ダム(1981年完成、高さ110m)。水力発電容量は800MWで、かなり大きい。
その他にも多くのダムが。
徐々に平地が近づいてきた。民家も増える。
ついにフェルガナ盆地に出た。盆地と言っても関東平野の2倍程度はある。周囲の山は容易には見えない。シルクロードにあこがれる人は「フェルガナ」の言葉に強いロマンの響きを感じるはずだ。急峻な天山山脈、乾いた岩肌の風土が終わり、突然肥沃な緑の平原が現れる。ここは大河シルダリア(ナルインもその一部)に潤わされる豊饒の大地なのだ。
しかし、この豊かな盆地平原は、歴史的な経緯から複雑な国境線を抱え込み、一体的な経済発展をはばまれている。むしろ他地域より貧困化し、民族紛争も絶えない。「あの道路わきの柵の向こう側はウズベキスタンなんだ」と乗り合いタクシーの運転手が教えてくれた(写真)。農耕民のウズベク人は平原地域、遊牧民のキルギス人は山側、とソ連時代の自治共和国の境界が引かれたらしい。ソ連としてまとまっていた時代には往来は自由で問題なかったが、それぞれ独立してからは問題が深刻化した。ウズベキスタン領の方も、「本土」の方途うまくつながっていない。盆地下流側約3分の1はタジキスタン領で、平野部を通じた一体的な地域統合は不可能。盆地から大きく離れた山岳地帯をつたって「本土」から盆地に到達する他ない。
いくつかキルギス側国境近くの大きな街を通った。
基本的には山がはじまる付近から左(東)がキルギス領だ。平原部はウズベキスタン。
キルギス領がフェルガナ盆地の平原に食い込む部分もある(写真)。キルギス側の国道は盆地の東端を大きく迂回する。はるかかなたに盆地の南側の山脈(アライ山脈山系)が見えている。キルギス第二の都市オシは、ウズベク領を突っ切って行けば近いし、実際通過できる国境もあるのだが、オシに行ってからウズベキスタンに入った方が無難だ(最もポピュラーな国境通過点)。この辺の国境地帯は意外と政情が安定せず、1999年にはイスラム過激派による日本人4人の誘拐事件も起こっている。外務省の安全情報サイトも、この地域を「レベル2 不要不急の渡航中止」としている。
徐々に、盆地南の山地が近づいてきた。しかし、キルギス第二の都市オシは遠い。盆地平原にでてから何時間も走っている。
沿道の風景。。
同上。
右手にケンピルアバッド(アンディジャン)貯水池が見えてきた。国境地帯に位置するアンディジャン・ダムによってつくられた人工湖。カラダリア川の水をせき止めている。カラダリア川はさらに下流(フェルガナ盆地内のアマンガン付近)でナルイン川と合流し、シルダリア川となる。
カラダリア川(アムダリアの主要支流)を渡る。この辺が国道A363がフェルガナ盆地の最も東端を通る地点。
そしてそこからさらに1時間。最終コーナーを回ってから、増々目的地が遠く感じる。やっとオシの街が見えてきた。特徴的なスライマン山(左)が遠くからでも目立つ。この小高い聖山の麓にオシの街が形成された。ウィキペディア日本語版によると、「民族構成の点からも地理の点からも、オシはウズベクの都市となるのが自然であったが、遊牧民族のキルギスには都市が必要という社会主義の論理からキルギス領とされた」とのことである。