アゼルバイジャンには、ジョージアからを含め、陸路で入国できないが、そこから出る場合は、陸路・海路もOKだ。私は2025年9月23日、陸路でアゼルからジョージアに入った(後掲に体験談)。
バクーからは1時間おきくらいに国境までのバスが出ている(新バスターミナルから。19.50マナト(1700円)、9時間の旅とされているが、実質7時間程度)。出発の際に乗客が少ないとキャンセルされ、次の便にいっしょに乗せられるので注意。国境近くの街ガザフでも、別のバスに移動させられ他の乗客と合流した。逆に言うと、バスはあまり混んでいない。また客も、かなりが国境に行く前の諸都市で降りてしまう。陸路入国禁止でアゼルバイジャンの国境交通は停滞しているようだ。


今年初めに、5月28日からアゼル・ジョージア間の国際列車を再開させるとの発表があったが、9月現在、まだ再開されていない。国境を渡ってジョージア側に出ると、タクシー客引き攻勢が待っている。「バスはない」「トビリシまで40ドルだ」と(ドルで提示してくる)。断ると35ドルにまけてきた。それも断り歩き出したが、途中で私を見つけたタクシードライバーが20ドルを提示してきた。結局ヒッチハイクで8ドルで、トビリシ近くの街まで行った(決してマネしてはいけないが、以下、体験記)。

暗闇を走るヒッチハイクの車
私は、車の中から、灯りのまったくない周囲を眺めていた。集落さえないらしい。野山があると感じることはできるが、すべてを夜のとばりがおおっている。ドライバーの男は、先ほどからスマホを取り出し、片手で操作している。目もどちらかというとスマホに向いているようだ。時々センターラインをはみ出すと、別の片手のハンドルを動かし、右に戻す(コーカサスも中央アジアも車右側通行)。ということは、ある程度は前も見ているということだ。
日本なら完全に交通違反だが、こちらの習慣では普通だ。私は、下に置いたバックパックを膝に載せ、何かあっても衝撃を避けるエアバッグのように抱え込んだ。
陽気な男だった。8ドルでトビリシの近くの街まで乗せると言った(ように聞こえた)。英語での会話が適切に成立しないので、私の旅はいつもジェスチャーと大声でのコミュニケーションになる。この日は、「バスはない」「トビリシまで40ドルだ」というタクシードライバー集団の攻撃の中で怒り出し、「だったら歩いて行く!」と夕闇の中を歩きだしていたのだ。トビリシまで25キロある(勘違い。実際は60キロ)。暗くなる上に、大型トレーラーがスピードを出して走る辺境街道だ。トビリシまで歩けるとは思っていない。しかし、途中でヒッチハイクができるかも知れないし、歩いて近くの街まで行けば、バスがあるかも知れないし、安宿があれば泊まってもいい。
私の旅はいつもこんな風に、無鉄砲かつ無計画だ。常にいくつか展開の可能性を頭に描きながら進む。この日は、アゼルバイジャンの出国審査で係官ともめたので、なおのこと気持ちが高ぶりやけっぱちになっていた。普段はさすがに「25キロ」を歩き出そうとはしない。しかし、25キロなら5時間の歩き、などと計算し、普段から1日に歩く距離だぞ、とも考えているところがあった。
1時間ほど歩いて、さすがに頭を冷やし、ヒッチハイクを試みたのだが、意外とすぐ車が停まり、この陽気な男が交渉に乗ってきたのだ。言語不全のコミュニケーションで、彼は途中の街(ルスタヴィだと後でわかった)まで行くがどうか、と言っているようだ。私は残りの持ち金5ドルを提示したが、彼は私の出した財布に手を入れ他に1ドル札3枚があるのを見つけ、これで(8ドル)手を打とう、と言ってきた。国境付近にはATMもなかったのでジョージア・ラリも持っていない。めんどうだ。やけっぱちで手を打った。
本当に途中の街までなのか、あるいはトビリシまで行ってくれるのか実は定かでなく、暗闇を見つめながら私の心も少し暗闇だった。ヒッチハイクは危険も伴う。なるようにしかならんさ、と開き直った。この男に賭けた。いつもこんな先のわからない賭けをしてしまう。悪い癖だと反省するが直らない。(山登りだったら確実に遭難する。だから私は登山はしない。)
男は途中で、ガソリンスタンドに寄ったり、何かの届け物を置きに行ったり、そして友人らしい男たちの店に行って、楽しそうに談笑した。
「いい友達がいるが、あんた本当にアゼルバイジャンから来たのか。」
戻ってきた男に聞いた。そう、彼はアゼルバイジャン人だ、バークに住んでいると言っていた。
「ジョージアもアゼルバイジャンだ、わっはっは。」
ジェスチャーで大声で、言葉としては意味不明なことを言う。要するに、ジョージアだってアゼルバイジャンと同じさ、どこにだっておんなじように友達がいるんだ、というようなことだろう。結構なことではある。
そして、ルスタヴィの街に着いた。私はバス停のようなところで降ろされた。
……と小説風に書き始めてしまった。やはり面倒。散文で行こう。小説でも書きたくなるほど、この種のサバイバル生活に飽きが来ている。次から次に、どこに行くか、どう行くか、どう食うか、泊まるかの課題に追われている。小説にでもしたくなるほど、疲れてきたということだ。
反省:国境の先のことをあまり考えていなかった
アゼルバイジャンで、国境までどう行くかに腐心していたが、国境を越えた先のことにほとんど気を払ってなかったことを認めなければならない。これまで、国境を越えればバスや安価な乗り合いタクシーが待っているということが多かった。しかも、ジョージアは開放的な国で1年間ビザなし滞在ができ働くこともできるという、これまでの国からしたら天国のようなところだ。国境からトビリシまでも遠くはない。「国境を越えさえすれば」と思ってしまっていた。しかし、実際には国境付近は、貨物運搬のトレーラー、トラックはにぎわっていても、人の交通は少なく、公共交通機関もない。
ぼられるかも知れないタクシーに乗るか、トビリシに行くトラックや車のヒッチハイクをする2択だろう。国境近くの宿に泊まり夜の移動を避ける選択もある。検問所を出てすぐの売店が宿もやっていた。1泊30マナト(約2600円)と聞いた。
歩こうなどとは決して思ってはいけない。私はグーグルマップをちらっと見てトビリシまで25キロ、と即断してしまったが、実際は行程として60キロある。「国境近くの街」はないし、途中のある程度の街ルスタヴィまでも35キロある。ヒッチした車が暗闇の中を相当の時間走るので、これを歩こうとしたのか、と改めて愕然とした。荷物かついで暗闇を、大型トレーラーの疾走する山道を、、、狼さえ出るかも知れない。
車から降ろされたルスタヴィ(人口13万)は、大きくは首都トビリシ(人口135万)の近郊都市圏で、実際、丘を越えてトビリシを含めた広大な街の灯が見えてきたときには、もう大丈夫、と思ってしまった。これなら歩いたって、、、(だめ。実際にはまだ25キロはあった。バスが高速道路を飛ばして相当時間走るので、また深く反省させられた。)。
バス便とクレカ・タッチ決済があり、スマホが使えれば…
しかし、やはり街は街だ。ATMもあったし、トビリシに行く路線バスもあった。入手が難しい交通カードがないのが問題だったが、乗ると、クレジットカードのタッチ決済が使えた。中央アジアの大都市でも普及していた決済方法で、着いたばかりの外国人でも市バスが自由に使える。トビリシには2年半前にも来ているがこんなものはなく、苦労したのを覚えている。
さらに、バスの中にスマホに給電できるUSB電源もあった。これは鬼に金棒。私の中古スマホはすぐにバッテリーが切れるので、ちょびちょびしか使えない。しかし電源さえあればつけっぱなしで、夜でもバスがどの位置でどう動いているか確認できる。普通はこれがあたりまえだが、私の貧乏旅生活では例外的な状況だ。(ウーム、私もスマホくらいにはきちんと投資しなけりゃな、とこれまた反省した。)
このGPSとグーグルマップで、首尾よくトビリシの予約宿近くで降りられた。すでに10時を過ぎていたが、宿までも、充電されたスマホに道案内され、難なくたどりつけた。Art Palaceの先にHostel Violetの小さい看板を見つけたとき、「見よ、あれがパリの灯だ」の気分になった。


