ドバイの裕福と貧困

入国審査で無料SIMカードをもらった

9月27日、ドバイに着いた。空港の入国審査官が「Welcome to Dubai」と言って何かくれた。出国エリアを出てから見たらで1日無料のSIMカードだった。さすがドバイだ。空港のキオスクがキャンペーンで無料SIMを配っていることはあるが、政府のお役人がこれをくれるというのは初めてだ。私もそうだが、ドバイはトランスファー客が多い。1日無料SIMでも大いに役立つだろう。

ドバイ市(人口394万)はペルシャ湾入り口近くの首長国都市国家で、アブダビなど他の首長国とともに連邦(アラブ首長国連邦、UAE、人口1100万)を形成している。首都はアブダビ市(人口151万)だが、UAEの最大都市はドバイ。

空港近くの安宿へ、なかなか行けない

クウェートの21時間乗り換え滞在に続き、ドバイで32時間滞在する。クウェートでの経験から、宿は空港近くに取ることにした。宿に入るためだけに長距離移動してはもったいない。幸いドバイの場合、空港は街に隣接し、そこに安いドーミトリー宿もあった。空港にすぐ行ける所に泊まり、産油国経済のあだ花的に咲いたこの裕福都市を見に行けばいい。妥当な作戦であり、これでうまくいくはずだった。だが…。

まず、第一の誤算。近くの街(住宅街)になかなか出られない。空港から2キロ程度の1泊1024円の宿だ。地下鉄、バスなど使わず、歩いた方が速いと、バックパックかついでターミナルからそのまま歩き出した。ところが歩道というものがない。いやどこかにはあるのだろうが、空港からの道はだいたい高速道路で、人が歩けない。さらに空港関連施設など立ち入り禁止の敷地が多く、どう行っても街に出らず、行きつ戻りつしながら、結局かなりの大廻りで宿のあるところまで2時間かかった。夕方でも30度の猛暑だ。「だれか空港まで歩いて行くルートを解明して、公開してくれ」と思いながら懸命に歩いた。

教訓:少なくともドバイでは、空港から歩くなどと思わず、まず地下鉄、バスで街の中に出てから歩け。

空港はこのような高速道路に至る所囲まれ、なかなか街に出られない。

あるべき宿がそこにない

2時間でくだんの場所に着いてから第二の問題。そこに宿がない。予約サイト(この場合はbooking.com)の地図に宿の場所が表示されている。しかし、そこに行ってもあるべき宿がないのだ。あたりは倉庫・工場地帯で、あまり安全な場所でもない。グルグル回り、現地の人にも聞くがわからない。予約サイトには、Calicut kalayiというレストランのあるビルの中だ、という説明はあるが、そのレストランもない。やがて現地住民の一人が、スマホ情報を調べ、「あの通りを右に行き、それから信号を左に曲がってまっすぐ行くとそのレストランがあるぞ」と言い出した。そんな全然違うところに宿があるものか。益々不安になりながら、そこに向かう。

結局、booking.comの地図情報は間違っていた。安宿ではよくあることだ。意図的か不作為かはともかく、民泊施設などの場合、正確な住所を提示ないことがある。そのため地図上の位置も間違っている。記憶をたどれば、特に中東地域でそういうことが何度かあった。(だからその街で最初に入る宿というのはアパート内一室のような民泊施設でなく、ドーミトリー形式のホステルを選ぶようにしている。そういうところなら、少なくとも看板を出し昼でも夜でも営業している。見つけるのが容易だし、いちいちオーナーに電話して来てもらうこともない。)

実際の宿は、地図指定場所から約1キロ離れたところにあった。確かにそこにくだんのレストランがあり、そのビルの4階の一室がホステルだった。3LDKアパートの各寝室をタコ部屋にして「ホステル」にしていた。各部屋に2段ベッド3つ、全体で2 x 3 x 3 =18ベッド。当然看板も出ていない。予約サイトのメッセージやeMailでも何の案内もなかった。こちらから電話をかけてようやく場所を特定し、そこに入ることができた。

この電話をかけられたのも、入国審査お役人からもらった1日無料SIMが使えたからだ。確かに役立っている。

やれやれ、旅というのは本当に「想定外」が続くものだ。そのたび神経をすり減らし何とか突破して進む。最終的にはよかったものの、またもや危ない橋を渡ったな、と薄氷を踏んできた思いだ。(宿についてはさらに後述)

表情は中東、インフラはアメリカ型車社会

ドバイの街の印象は、クウェートと同じだ。表情に中東社会を感じるが、都市インフラはだだっ広いアメリカ型の車社会。クウェートよりさらに極端化している。広い道路が整備され、高速道路が至る所を走る。そして林立する高層ビル街。

飛行機から見たドバイの高速道路網。
そして、このような高層ビル街が至る所にある。
同上。

高層ビル群があちこちにある点は、アメリカ型都市と異なる。アメリカの高層ビル街はダウンタウン(中心街)に集中している(ニューヨークだけはダウンタウンとアップタウンの2つに別れているが)。ちょうど、東京、新宿、池袋、渋谷、六本木、品川、武蔵小杉…といろんなところにビル街がある東京圏に似ている。しかし、その「高層」がいずれも超高層ビル街だ。その極め付きが、もちろん世界一の高層ビル、2009年10月に完成したブルジュ・ハリファ(828m)だ。

私も、ミーハーではなく意識高い系を自認しているが、ドバイに来たからにはまずこの世界一高いビルを見なければならない、と行った。ただし、124、125階までで149ディルハム(6000円)、148階までで378ディルハム(1万5000円)かかるので、外から眺めるだけだ。(最上階は163階だが、部外者は行けない。)

地下鉄Burj Khalifa/Dubai Mall駅を降りるとそこは高層ビル街。ブルジュ・ハリファも、写真左手、後の方に見える。
駅から、世界最大のショッピングモール、ドバイモールまで、動く歩道付き屋内通路ができている。もちろん冷房で快適な空間だ。ブルジュ・ハリファはドバイモールに隣接しており、高層展望室へもモール内から入る。モール屋外にこの高層ビルを眺められるエリアも整備されている。
モールに行く通路から見たブルジュ・ハリファ。スマホ・カメラを縦に構えても入り切らない。
ドバイモールは、総面積111.5万平米(サッカー場約200個分)、屋内フロア55万平米、入居店舗1200軒で世界最大のショッピングモール。中に水族館、スケートリンク、映画館(22スクリーン)、水辺空間アトリウムなどもある。円形通路に沿って店が並んでいるので写真ではさほど広大には見えない。
巨大な水族館はモールのアトラクション。有料で水中トンネルの中も歩ける。
ドバイモールの庭?から見たブルジュ・ハリファ。
下を見ると、このような水辺の空間になっている。ブルジュ・ハリファを見る絶好の場所だ。  

 豊富な資金で、あらゆる「世界一」を目指す

中東産油国は、原油生産から上がる莫大な資金で、人類の達成できる「世界一」をことごとく達成しようとしているかのようだ。ドバイ自体の産油量は少ないようだが、周辺からの石油マネーを基礎にそれを集約する都市機能の役割を果たしているだろう。石油がなくなったらどうするのか。あるいはその価値が減じたら。あだ花のように咲いた文明と感じるところもあるが、世界の大都市も、何ほどかこうした面はある。ロサンゼルスも石油生産で発展し、起業家精神の発露で繁栄しているように見えるサンフランシスコも、その基礎は19世紀のゴールドラッシュで固められた。日本の都市も、多くは例えば武士の城下町から発展した。

中東産油国地域には他にもブルジュ・ハリファを超える高層ビルが計画されている。例えば、サウジアラビアのジェダに高さ1000m(1キロ)を超える高層ビル「ジェッダ・タワー」が建設中で、2028に完成する予定だ

そういう中で、日本の紀伊国屋書店がドバイモールに店舗を出しているのに感動した。駅からの通路から来ると、モール入口正面にでんと構えている。日本語書籍より英語など国際的書籍が中心で、あらゆる分野に相当数の書籍をそろえている。海外ではあまり見ない大型店舗だ。実に頼もしい。この倒錯しているかも知れない未来型都市の中に、確固として知の拠点、出版文明の砦を刻み込んで欲しい。
さて、地下鉄に乗ってさらに郊外に行ってみよう。ドバイメトロは郊外では地上を走る。

パーム・ジュメイラ

下記のような写真をどこかで見たことがあるだろう。ドバイの海岸近くにつくられた人工島パーム・ジュメイラだ。ヤシの木をかたどった壮大な人工島で、世界中の富裕層を集める高級リゾート地として開発された。2001年に建設が始まり、2006年から宅地分譲が始まった。

富裕でない我々下々の者も、観光で見に行くことはできる。地下鉄Sobha Realty駅などで降りてトラム(路面電車)に乗り、Palm Jumeira停車所で降り、少し歩いてモノレール(地下鉄などの交通カードは使えない)に乗って、島内大型モールや人工島先端まで行ける(先端まで往復30ディルハム(1200円)、シニア割引で15ディルハム)。

空か見たパーム・ジュメイラ。2011年。中央のヤシの幹の部分を通るモノレールで、海に面した先端(写真手前)まで来れる。写真:giggelWikimedia Commons, CC BY 3.0
道路に沿ってトラム(市街電車)の駅がある。周囲は高層ビルの建設ラッシュだ。
次にモノレールに乗って、まず人工島への橋を渡る。遠くに見える帆船の帆のような形をしたビルは、世界で2つしかないとされる「7つ星ホテル」の一つ、ブルジュ・アル・アラブだ。(通常のホテル格付けでは5つ星が最高だが、非常に高級なので7つ星とされる。ただし、ホテル格付けはもともと厳密なものではなく、各種格付け機関がある意味勝手に出すものだ。7つ星も通称と理解される。なお、もう一つの7つ星ホテルとされるのはブルネイのエンパイア・ホテル。)
扇の骨のように展開する奇抜な形をした島の半島も、地上からはあまりはっきりとはわからない。海の切り込みがずっと中心部まで入ってきているのはわかる。
同上。各半島の突端まで行くのは大変なようだ。アクセス路が1本しかないので渋滞も起こるという。
椰子の木状に広がる島の外枠には、全体を囲い込むように円形の島がつくられている。そこに高級ホテルがいくつかあるが、写真遠方に見えるのは最も最近、2023年にオープンしたアトランティス・ザ・ロイヤル。「タワーブロックを解体したような建物」と表現されるユニークな建築デザインだ。
贅の限りをつくしたビーチ、公園、ホテル・エリアが広がる。
モノレール終点の先にはペルシャ湾が広がる。

世界の富豪が買いあさるパーム・ジュメイラの最高級物件は、しかし、実際に住むには不便な所もあり、空き家が多くなっているという報告もある。

人口の9割が外国人

ドバイの人口は2024年推計386万人で、1950年の2万人から200倍近くに増えた(以下、統計はGlobal Media Insight, Dubai Data and Statistics Establishment, World Population Reviewなどの分析を参照)。386万のうち本国人(アラブ首長国連邦国籍者)は30万人(7.8%)、外国人は356万人(92.2%)で、外国人が9割以上を占める。アラブ首長国連邦全体も同傾向で、本国人131万人(11.5%)、外国人1004万人(88.5%)だ。

世界中から裕福なプロフェッショナルが集まってくると同時に、建設業、サービス業で働く外国人労働者も多く、権利を制限された「現代の奴隷」とも表現される。しかし、外国人9割で成り立つ(かつ繁栄する)都市というのは、「自民族ファースト」を掲げる伝統的民族国家の人々には驚愕する事態だろう。

UAE全体の国籍別人口推計は下記の通りだ。最近のドバイだけの内訳は調べられていないようだが、これに準ずると考えられよう。

ここには2025年のドバイの外国人人口内訳とする数字が出されているが、これはUAE全体の数字と取り違えているようだ。2016年の数字としては、World Population Reviewが、ドバイの外国人人口は全体の85%で、その内85%が南アジア出身(インド51%、パキスタン17%、バングラデシュ9%)などだとする推計を出している。また。ここには、ドバイの外国人人口を80%としているが、何年の統計か明らかではない。)

表:アラブ首長国連邦(UAE) 国籍別人口 2025年

 国籍  人口  %
本国人(UAE) 1,310,000 11.5%
インド 4,360,000 38.0%
パキスタン 1,900,000 16.7%
バングラデシュ 840,000 7.4%
フィリピン 780,000 6.9%
イラン 540,000 4.7%
エジプト 480,000 4.2%
ネパール 360,000 3.2%
スリランカ 360,000 3.2%
中国 250,000 2.2%
その他 190,000 2.2%
合計 11,370,000 100.0%

出典:Global Media Insight, UAE Population Statistics 2025

外国人労働者の低賃金と人権抑圧

2008年の調査(9,654世帯22,416人対象)では、本国人(UAE国籍者、調査対象4,754人)の年収は216,000ディルハム(同年レートで約6,048,000円)だったのに対し、インド、パキスタン、バングラデシュ、フィリピン国籍者(10,954人)25,200ディルハム(約705,600円)、サハラ以南アフリカ国籍者(1,059人)20,400ディルハム(約571,200円)だった(p.9)。外国人でも、例えば欧米国籍者(445人)の年収は312,000ディルハム(約8,736,000円)、他のGCC*諸国籍者(130人)78,000ディルハム(約2,184,000円)などだった。インドなど南アジア、サハラ以南アフリカからの移民労働者の収入が極端に低いことがわかる。

*GCCとは地域協力機構「湾岸協力理事会」(Gulf Cooperation Council)のこと。アラブ首長国連邦(UAE)の他、サウジアラビア、カタール、クウェート、オマーン、バーレーンが加盟している

2003年には、人権NGOのヒューマンライツ・ウォッチが、ドバイで世界銀行年次総会が開かれるのを機に、湾岸諸国で移民労働者の深刻な人権侵害が起こっているとの声明を出した。多くの国際的な報道機関から、年季奉公的な不自由労働を強いられるUAE移民労働者の状況がレポートされている。例えば米公共放送(NPR)は、ドバイの経済繁栄の影で、「典型的には1室に8人が暮らし、何年も帰国せず、自国家族への仕送りを続ける」移民労働者の窮状があることを報告している。また、特に家事労働に雇われる外国人女性への人権侵害が深刻になっていることも報告されている。

タコ部屋の移民労働者

贅を極めた高層マンションやビーチ・リゾートとは対照的に、移民労働者の多くは、狭いタコ部屋に住み、長年母国の家族と離れた生活を送っている。私がドバイで入った冒頭の安宿もそのような「ホステル」だった。インド人の家族が経営し、入っている客もインド人がほとんどだった。長期滞在者も多いようで、互いに親しくしていた。前述のように3LDKのアパートの3寝室にそれぞれ6台のベッドを置く狭い環境に暮らし、狭いキッチンで食事をつくっていた。トイレ・シャワー室は2つあった。

タコ部屋(ドーミトリー部屋)の写真を撮るのははばかれる。廊下の下駄箱付近を撮った。彼らの生活習慣なのだろう、この「アパート」に入るときに靴を脱ぐのだ。

正直なところ、安宿に泊まってきた私にはさほど悪い環境ではなかった。狭くて息苦しが、エアコンがあり扇風機も周り、外の熱暑からは守られていた。トイレもシャワーも機能したし、Wifiもよくつながった。ベッド周辺は狭いが、1晩寝るだけなら十分な環境だったが…。

移民労働者たちのバイタリティ

下記の動画が、ドバイの移民労働者が暮らすドーミトリー宿を「潜入取材」してくれている。この2段ベッド部屋が、私が撮影を控えたタコ部屋の様子そのものだ。この動画では、ドバイの生活はいいと快活に答える移民労働者たちの声を伝えている。

どんなに厳しい移民労働者の生活でも、本国に比べれば給料もよく満足できる面があることは本当だろうし、そこに母国の置かれたさらなる悲惨さを見ることもできる。だが、彼らの快活さこそ希望だ。厳しい状況ながらも国をまたいで生きる彼らのバイタリティがこれからの世界をつくる、と私は思っている。