「シンゾー・アベ」でもいいと思う

日本政府はこの9月6日の閣僚懇談会で、日本人の氏名の英語表記を英語式の「名ー性」でなく、日本語式の「性ー名」にすることを決定したという。すでに5月にこの方針が提起され調整が続いていた。政府の英語ホームページでも今後は「シンゾー・アベ」ではなく「アベ・シンゾー」と書き改めていくという。

中韓越など東アジア諸国の言語はどこも「性―名」方式で、英語にする場合も自国語どおりの順にしている。例えばXi Jinping (習近平)、Moon Jae-in(文在寅)のように。日本だけが英語(欧米語)方式に合わせているのは、自国文化を尊重ない姿勢だ、との厳しい意見もあるようだ。

なぜアメリカの日本レストランは和語名なのか

しかし、実は私は最近、まったく別の「自国文化尊重」事例のことを考えていた。アメリカで開店している日本レストランはかなり日本語の店名をかかげているのだ。「まるふく」「ひのでや」「わらく」「くいしんぼ」「やまだや」「すず」「べにはな」「むぎぞー」「くしつる」「たから」「にじや」(検索で出てきたサンフランシスコ日本町の和食店。順不同)などと。しかし、例えば中国系のレストランは、「インペリアル・ガーデン」「ラッキー・スター」「ドラゴン・ポンド」など英訳した店名を名乗っている(コンコードの中国レストラン名から。正式な中国語の店名があるのかどうかわからないが、それぞれ「皇帝の庭」「幸運の星」「龍の池」というような意味)。決して中国語通りの発音名にしていない。なぜなのか。「くいしんぼ」や「いざかや」などの言葉の意味を米国人がわかっているとも思えない。日本人は自文化にあくまで固執するからなのか、などと。

(ちなみに、お店紹介サイトYelpで私の住む街コンコードの日本レストラン、中国レストランを検索して出てきた上位10店の店名の性格は次の通り。日本レストラン10軒中9軒は日本語発音のみ。残る1店は日英語混合。中国レストランの場合は、2軒が中国語発音のみ、4軒が英語のみ、4軒が中英語混合。しかも中国語発音といってもシャンハイとかペキン、シチュワン(四川)など米国人にもわかる地名、あるいはMing’s Kitchenなど店主の名前と思われるものをかぶせたもの、などばかりだった。)

その言語の音韻が関係している

氏名の書き順という別系統の「英語への移し替え問題」を知らされて、ようやくこの事象の背景にある原因というか法則らしきものがわかってきた。つまり、その言語の音韻、発音の仕方で英語への移し替え方が変わるのだ。中国語は四声という美しい音韻をもつ。イントネーションのようなもので語を区別するのだ。しかし、これをそのまま英語に移しても伝わらない。四声は消え、その代わりに「香港(ホンコン)」「北京(ベイジン)」「上海(シャンハイ)」など、-ngや-nで終わる似たような言葉が増える。これじゃ、あまり意味がなく、インパクトの薄い店名になってしまう。それより英語に訳し替えて「グレーウォール(万里の長城)レストラン」「ゴールデンドラゴン(金龍)レストラン」「オーシャンスター(海洋の星)レストラン」などとやった方がよほど魅力的で、インパクトがある。

漢語より和語の方が好まれる

逆に日本語の方はそのままの発音を通した方がインパクトある語になる。店名でもそうだが、「ツナミ」「サムライ」「ハラキリ」「カミカゼ」などなど日本語をそのまま英語で発音するとエキゾチックだし、なんだかおもしろく響く、ということでそのまま「外来語」として導入されるのではないか。しかもその場合、だいたいが和語だ。中国語の流れを組む漢語はやはり、あまり面白くなく、わざわざ和語を取り入れる。普通我々は「腹切り」などとは言わず「切腹」と言う。しかし、英語に取り入れられるのは「ハラキーリ」の方だ。「武士」もおもしろくないので、わざわざ「サームライ」と言われる。神風特攻隊も「特攻隊」の方が事の本質を表わしているが、「カミカーゼ」の方が取られる。エキゾチックで不気味なニュアンスが出る。「ツナーミ」も恐ろしい響きがあるのだろう。「地震」や「火山」については和語にあたる言葉が日本語にないので、英語にはならなかったのではないかと思う。

中韓語の氏名は、語としての一体感が強いのでは

さて、そこで氏名だ。四声のある中国語、母音がたくさんあり子音止めの単語も多い韓国語などでは、氏名は上から下にあたかも一語のように一体化して発音される。それをぶつ切りにして中間で語順を逆にしてしまったら何か別の語のようになってしまう。それに対して日本語は英語などと異なり「ばばばば」「むむむむ」という子音と母音が交互に来る特徴的な音韻を持っている(Burogu、resutoranなどローマ字にしてみればよくわかるだろう)。フィリピン系やインドネシア系の言語に近い音韻だ。私は、日本語というのは文法や語彙は大陸系の影響を受けているが(文法は朝鮮語などアルタイ系、語彙は中国語)、より原初的な要素である音韻は南方系の要素を強くとどめている、という理解をしている。「ばば・むむむ」さんが、「むむむ・ばば」さんと呼ばれてもあまり違和感がない。氏名が逆に呼ばれたということはわかるが、氏名全体での一体的な語感を崩されたという感覚はあまりない。だからごく簡単に英語式の「名ー性」の語順に慣れた、慣れられたのだと思う。しかし、中国語、韓国語では、これはかなり抵抗がある。一体的に発音されている毛沢東(マオツォートン)、金日成(キミルソン)が「ツォートン・マオ」、「イルソン・キム」などになったら別の語、別の人のように感じるのではないか。

家の姓より名前を重視、は悪くはない

つまり、自国文化を大切にするか簡単に捨てるかという難しい問題ではない、ということだ。音韻など自国語の性格にあった自然な英語化方式を取ればよい。それに、現代の私たちは何も家制度の中に生きているのではないのだから、〇〇家のだれそれ、と言うより、最初に名前の方を言って、性よりも名前の方を何よりも覚えてもらうという欧米式のやり方には、好ましい面もある。結婚しているかどうかで女性をMissとMrs.に区別する習慣などは捨て去りたいが、名前の語順はさほど悪くはない。私自身も、これまで米国でAki Okabeで通してきて(語順だけでなく愛称方式も取り入れてしまった)、これをOkabe Akiに変えろと言われたら違和感がある。名前強調方式で通させて下さい。