ウクライナの青年

暗くなってから、まだそこに居た若者をつかまえてバスケの1対1をやった。

恐ろしくロングシュート(3点シュート)が入るやつだった。必死にディフェンスし、こっちは抜き去りのレイアップシュートを決める。いい勝負だ。

耐久力でも勝負、と思っているので、こっちからはやめようとは言わない。相手が先にやめようと言ったら俺の勝ちだ、というゲームを自分の中で考えている。

と、「どっから来たんだ」とその若者が聞いてきた。

「日本から。」「おお、日本か。」

「君はモルドバだね。」「いや、僕はウクライナから来た。」

「え、ウクライナから! 戦争やってるだろ。」「そう。」

「何歳なの?」「19歳。」

何でここ(キシナウ)に居るんだろう。プライバシーには触れたくないが、バスケ対決の勢いだ、聞いてしまった。「戦争に行かなくていいのか。」

「秋になったら行く」とその青年は言った。学校に行くためモルドバに来ているらしい。「どこの街? キーウ? リビウ?」と聞くと、「オデッサから」と言った。「今、爆撃されているところじゃないか。」*

「そう、毎日爆撃がある。僕の妻はそのオデッサに居るんだ。心配で、毎日連絡取り合っている。」

何てことだ。19歳だけど結婚していて、妻がオデッサに居て、秋になったらそのオデッサに帰り、戦争に行くのだという。絶句していると、ボールを持ってまた1対1を仕掛けてきた。肉弾戦が再開する。

深い話はそれだけだった。30分は対決していただろうか。若者はだんだん走れなくなり、「あと2本で止めよう」と言った。私がレイアップを入れ、彼に3点シュートを決められた。まあ、いい勝負で終わった。握手の手を差し出してきた。

何て言ったらいいのか。「戦争がんばってこいよ」などとは言えるはずがない。「いいゲームだった、Good game!」とだけ言って別れた。

毎日若者とぶつかり肉弾戦を挑む。しかし、きょうの彼は、秋になったら本当に肉弾になって散ってしまうかも知れない。そういう相手とやったのは初めてだ。ぶつかり合いの感触が残る中、帰り道、複雑な気持ちになった。

あまり走れなくなった彼は、ちょっと耐久力が心配だ。戦場で大丈夫か。こんな元気な老人こそ、戦場でくたばるべきなのか。

*2023年7月17日のクリミア橋爆破の報復とみられる露のオデッサ攻撃が7月19日から始まっている。

** ウクライナでは、ロシア侵攻と同日に戒厳令と総動員令を発令。18~60歳の男性を動員対象にするとともに、その出国を禁じた。徴兵回避には厳しい罰則がある。学生、3人以上の子が居る親、障害者を扶養する者など特段の事情がある場合は対象外。(なおこの「総動員」は、18~25歳を対象とした平時の兵役とは別で、この場合は前線には送られない。逆に兵役に入ると本格動員ができなくなるので、この5月に兵役年齢を「27歳まで」から「25歳まで」に引き下げられた。) 戦前の日本の徴兵制度では20~40歳が対象で、戦争末期の総力戦段階でも19~45歳だったから、ウクライナの総動員はかなりの規模といえる。侵略に立ち向かうウクライナ国民のモチベーションは高いが、実際に戦場に行く若者たちの間には微妙な感情も走ることを、安楽なところでテレビを見ている私たちは云々する資格がないだろう。ロシアからの若者の脱出は大々的かつ好意的に報道されているが、ウクライナからも同じ問題があることはあまり触れらない。その中で例えばこれは貴重な報道。ウクライナからルーマニアに15カ月で動員対象男性6,200人が違法に出国しており、90人が渡河時溺死、凍死などで命を落としているとの報告もある。