断末魔の経済行動

カネを使い切らなければならない

国を出るまでに、その国の通貨を使い切らなければならない。いろんな国を渡り歩く場合、これは鉄則だ。ユーロのようにあちこちでまた使える通貨なら残しておいてもよいが、例えばルーマニアのレウのように、またこの国に来るかどうか(残りの人生で来れるかどうか)自信のない国の通貨の場合、残したらお土産くらいにしかならない。レウを約3000円分くらい残してしまった。セルビアに入ってから両替所で両替しようとしたら断られた。レウは決して他国で両替できないclosed currencyではないが、あまり強い通貨でもないので、彼らもあまり持ちたくないのだ。

100円でも使うかどうか悩む貧乏旅行者には3000円は大きい。放浪を再開したばかりだったのでこの辺の注意が欠如していた。大いに反省し、セルビアのディナールは出国前に完全に使い切ることに全力を尽くすことにした。

不思議だ。人は普通、できるだけおカネを節約しようとする。しかし、今は何がなんでも使わなければならない。残してはいけない、という逆のプレッシャーがのしかかる。

どんな通貨も冥土には持って行けない

人生たまにこういう時がある。引っ越しの際(特に外国への引っ越しの際)、財産をできるだけ処分する必要に駆られる。買うのは止め、売るのに徹する。売れない(カネに代えられない)ものは周囲にあげてしまう。捨てるより、そのモノを有効に活用して頂いた方がはるかにありがたい、気持ちいい。だから例えば衣類など、だれも着てくれないだろうと思うボロを引っ越しに持参し、真新しいものはあげてしまうという普通とは逆の行動をとる。

おそらく死が目前に迫った時もそうなるのだろう。(いや、すでに老境に入った私もその特異な経済条件の中に入ってきたということだ)。どんな財産もカネも冥土には持って行けない。子孫に美田を残さず。子どもたちには子どもたちのためにこそ、必要以上の財産を残してはいけない(私にそんな心配は要らない?)。ありあまる財はできるだけ寄付し、世のため人のため有効に活用して頂かねばならなない。決して札束を川や竹林などに捨ててはいけない。自暴自棄になるのは許されない。

旅である国を去る際も、その縮小版の行動が求められるということだ。ウーム、どうも話がいつもうんちくめいた方向に遠回りする。

セルビアの(ヨーロッパの?)コインランドリー

そうだ、洗濯しよう。宿の近くにコインラウンドリーがあった。洗濯とドライヤーで1000円程度かかり結構高い。しかし、これでゴミに化すかも知れないセルビア通貨が有効活用できるならありがたい、と普段とは異なる経済感覚が生まれる。

ベオグラードのコイン・ラウンドリー。まず1個200ディナール(240円)のコインを自販機で何枚か買う。洗濯機に3枚(720円分)を投入すると回り出す。乾燥機は1枚(240円)20分でほぼ乾く。そして設備がすごい。豪華な応接イスがあり、トイレがあり、無料Wifiも飛んでいる。

多くなく、しかし想定外に備えられる絶妙の高等技術

これが出国前日だ。まだ通貨が余っている。どうしよう。注意しなければならないのは全部使ってしまうと後で困るかも知れないということだ。時に想定外の出費がある。国境で通過料や入国ビザ代を取られることがある(ヨーロッパではまずない)。喉が渇いてドリンクを買う必要も出てくる。ヨーロッパがまさにそうだが、トイレに入るにも小銭が要る。ベオグラードでは、ネット購入したバス切符以外に、乗り場スペースに入るのに190ディナール(230円)取られるという想定外出費があった。ある程度予備を残してほとんど使うという絶妙の高等技術が必要になる。

当日、バスターミナルのお店で、はさみを売っているのに気づいた。よしこれを買おう。230ディナール。刃物類は航空機に持ち込めず(かつLCCは預け荷物は高くつくので)、現地に着いてから買うのが普通だ。サバイバルナイフやハサミなどは残り通貨減らしの定番品だ。その他、この先あってもいいようなかさばらない生活用品購入で残り通貨を調整する。

こうして首尾よく任務遂行。乗り場入場料を払って出国バスに乗ると残りは100ディナールほどになった。どうだ見たか。