再びペルー・リマ、さらば南米

熱帯雨林から砂漠地帯へ

コロンビアの首都ボゴタから南西部の都市カリ、エクアドルの首都キト、そしてペルーの国境まで、アンデスの山々は緑の熱帯樹林に包まれていた。しかし、ペルーに入ったとたん、地中海のような乾燥気候になった。ブルーの海が美しく、空は快晴。しばらく行くと、さらに広大な半砂漠地帯、セチュラ砂漠に入った。

不思議な風景だ。乾燥してほとんど草木が生えていないが、所々沼地がある。乾地と湿地が交錯する。この近辺の東部太平洋はエルニーニョ現象の起こる海域で、通常は乾燥しているが、海水温が上昇するエルニーニョ時に大雨が降り、洪水に見舞われるという。

ペルーの太平洋岸はこのセチュラ砂漠以南ずっと乾燥地帯で、それがチリ北部のアタカマ砂漠まで続いている。キトから乗ったリマ行き国際バスはこの砂漠の風景を走り続け、2晩目の夜になった。

ペルー北部の乾燥した海岸部。
ペルーに入ると、緑が少なくなり、空も青く乾燥度が高まる。海も青く、まるで地中海沿岸に来たかのようだ。前方右の壁にKeikoの文字が見える。フジモリ元大統領の娘、ケイコ・フジモリ氏が2016年大統領選に出馬したとき、支持者らが書いたもの。ペルー全土でよく見る
セチュラ砂漠。
やがて砂漠になる。ところが不思議なことに、このセチュラ砂漠は、ところどころ沼地もあり、乾燥と湿潤が同居している。

バス内映画で名作

バス内のテレビは何とリメイク版「ハチ公物語」をやっていた。リチャード・ギア主演の「Hachi: A Dog’s Tale」。忠犬ハチ公のけなげな姿にほろりとさせられる。

南米の長距離バスがアジアの長距離バスと違う点の一つは、この車内映画の質だ。アジアではハリウッド製、自国製の「ボガンボガン、バキーン」の活劇ばかり。南米もその傾向はあるが、名作も確実に重要な位置を占めている。クスコから(インカ天孫降臨伝説で有名な)プーノへのバスで初めて見た車内映画が、19世紀米国黒人奴隷制の非条理を描いた「12 Years a Slave」だったのにはぶっ飛んだ。画面から「名作である」という雰囲気がびんびん伝わってくる。「ボガンボガン」映画も困るが、名作も別の意味で困る。ストーリーが気になって車窓外の美しい風景に集中できなくなる。

幸い忠犬ハチ公の映画は夜だった。「ハチ」が亡くなって映画が終わると、乗客の間から静かな拍手が起こった。皆見ていたのだ。

リマ空港近くのお勧め安宿

夜が明けて18日、3度目となるリマに到着。まだ降りたことのない北バスターミナル(プラザ・ノルテ)で下車。新しい立派なターミナルで、まわりに安宿がたくさんあった。そこから空港までは市バス1本で行ける。

今回は泊まらなかったが、リマ空港周辺にも安宿がいくつかある。南米の代表とも言える観光ハイライトが詰まったペルーだが、その玄関口となる首都空港付近に安宿があることを、日本のバックパッカーにぜひ伝えておきたい。

普通、空港周辺は高速道路に囲まれた高級ホテルしかない。しかし、リマ空港(ホルヘ・チャベス国際空港)は歩いてすぐのところに昔ながらの庶民の街があり、そこにシャワー・トイレ付き個室1000円台で泊まれる安宿がいくつかあるのだ。そして、こうした宿はオンライン予約サイトでは出てこない。私のお薦めはHostal Victoria。

空港ターミナルを出て右端から空港前のファウセット大通り(Expresa Faucett)に出る。人がたくさん空港出口の方に歩いているのですぐわかるだろう。歩道橋を渡ると鉄柵に囲まれた商業施設Centro Aereo Commercialがあり(銀行や旅行代理店などが立地)、その裏一帯が庶民の街だ。商業施設の左側、トマス・バッジェ大通り(Tomas Valle)に入り、一つ目の路地で右手を見ると写真のような看板が見える。大通り沿いにも安宿はあるが、路地に入った方が静かでいい。治安がいいというわけではないが、一般の住宅地域で、庶民向けの雑貨屋や食堂が結構ある。少し歩くと小さい街頭市場もある。

空港対岸の商業施設。
リマ空港出口対岸のこの商業センターの前を左に迂回していくと、庶民の街がある。
Hostalの看板。
トマス・バッジェ大通りに入り、一つ目の路地で右手を見るとHostalの大きな看板が目に入る。

さらば、リマよ

リマにに3回立ち寄ったうち2回はこの界隈に泊まった。3回目も、ニューヨーク便まで時間があったので、空港を出てこの辺で食事をした。空港内は何でも高いが、15分歩けば半額で食べられる店がたくさんある。両替できない現地通貨コインを使いつくすという貧乏根性も手伝って、よく行っていた中華料理屋(Chifa)で、10ソル(300円)の焼きそばを食べた。南米で食べた料理で一番うまかったのではないか。出た後、メガネを忘れたのに気付き取りに行くと、中国人の奥さんが保管していて返却してくれた。立派だ。

まだコインがある。雑貨屋の入り口鉄格子越しにおばちゃんからヨーグルトを買って飲んだ。まだ残っている。アイスクリーム屋台でおばちゃんからチョコレート・アイスクリームを買ってなめた。

夕暮れの空港近くの庶民の街。一角では新しい商業施設の建設工事もはじまっている。この街も風前のともしびか。そこで残りコインを使い切るため屋台をあさるじいさんも風前のともしびなのだろう。

格安航空会社(LCC)のニューヨーク便は5キロまでの厳しい荷物制限があった。荷物のかなりを宿のお兄さんにあげてきたが、まだ重い。空港に戻る街路で、赤ん坊を抱いた女性が物乞いをしていた。いつもは素通りするものを、この時は、真新しい東北ボランティアのTシャツを瞬間的に渡してしまった。「小渕浜」と漢字で書いてある。津波被害の街のTシャツは南米の街角を行く母子に羽織られ再生するだろう。