コロンビア、エクアドルの旅

風邪と時間とのたたかい

2017年5月13日、アマゾンのうだるような暑さからコロンビアの首都ボゴタ(標高2640メートルで)に飛ぶと、肌寒い。次々に変わる気候で私は風邪を引いた。その上、ニューヨーク出発の際に帰りの飛行機を無理やり予約させられた関係上、リマ発ニューヨーク便があと6日に迫っていた。ゆっくり観光するどころではない。南米縦断北半分の旅は、「とにかく前に進め」の旅行になった。ボゴタからリマまで何日かかるのか、そもそもバス便があるのか。まあ、こういう意味の挑戦も、たまにはいい。

風邪でゆっくり寝たい時なのに、ボゴタでは安宿を見つけるのが難しかった。空港近くに安宿はなく、夜は街まで行く市バスもないという。夜と言ってもまだ9時半だ。よし、それなら街まで歩いてやる、とむかっ腹を立てたが、あいにくたたきつけるような雨だ。仕方なく、ボラれるので普段使わないタクシーに乗り、予想通りボラれながらバスターミナルまで行く。バスターミナルなら近くに安宿がたくさんあるはず。しかし、ボゴタではこの南米の常識が通じなかった。新築されたらしいターミナル周辺は閑散として宿も店もなく、市バスも来てない。激しい雨も止まない。タクシーは案の定「ホテルまで30ドルだ」と吹っかけてくる。つくずくこの街がいやになった。コロンビア南西部カリ行きの夜行バスが出るところだったので飛び乗った。ボゴタなどスキップしてやる、と怒りの決断。

窮地に陥って、まあ、適切な打開策が取れたと思う。宿に行けず、寒いバスターミナルで夜明かしというのは、特に体調が悪い時だとまずい。夜行バスで他の街へ、というのはなかなかしゃれた判断だった。

翌朝(14日)目覚めると、バスは、アンデス中央山脈を横断中。コロンビア付近ではアンデスは3つに分かれ、東方山脈近くにボゴタ、中央山脈を越え西方山脈との間に開けた高原地域に、第2の街メディジン、第3の街カリがある。

バスは険しい山肌を縫うように進むが、ペルーやチリの方とは違って、みずみずしい熱帯雨林に覆われていた(下記動画)。

カリ

10時頃に着いたカリ(サンティアゴ・デ・カリ)は印象がよかった。バスターミナルのそばには安宿がたくさんあり、歩いて5分で1200円の宿が見つかった。何とバスターミナルから空港直通の路線バスも頻繁に出ていた。偉い。中心街は数キロ離れていたが、行ってみると落ち着いたいい街だった。

カリは南米で最も古く築かれた都市の一つで(1532年設立)、スペインにとってはインカ領域外の拠点として重要だった。カリ川に沿って緑の公園が続き、17世紀初期に設立されたエルミタ教会が市中心部に立っている(下記動画)。

カリはまた「サルサの首都」で、観光客はナイトライフを求めて来るというが…。

エクアドル国境方面へのバス便調べでいろいろバス会社の人たちに相談したが、対応がよく、コロンビアへの信頼が回復されてきた。天気もいい。首都ボゴタは天気予報でもずっと雨。アマゾン方面からの湿気で雨が多い。カリはアンデスの中央山脈を超えるので乾燥している。

(ただし後で調べると、カリは、マフィア戦争で有名なコロンビアの中で最も犯罪率が高い地域だ。2011年に年間2000件以上の殺人があり、人口10万人当たり殺人被害者は71人(日本の240倍)。知らぬが仏だった。)

アンデス沿いにエクアドル

14日午前に着いたカリを同日夜のバスで発ち、翌朝、国境の町イピアレスに。そこからマイクロバスに乗り換え国境ゲートに。ここでもいろいろまごつく。現地の人は直接エクアドル側の入国管理事務所に行くが(バスも直接そこに行く)、外国人はまずコロンビアの出国審査を受けなければならない。私だけ戻って手続きをやり直す。国境通過後、別のマイクロバスに乗り、エクアドル側の街トゥルカンでさらにバスを乗り換えて首都キトに向かう。

(これも後で知ったが、日本の外務省はコロンビア南部にレベル3の「渡航中止勧告」を出している。反政府武装勢力や麻薬関係で危険度が高く、「主要都市間の陸路での移動は、これらの犯罪等に巻き込まれる恐れがあるので止めて下さい」とある。)

エクアドルはスペイン語で赤道(英語はイクウェーター)の意味だという。知らなかった。この国の北部を赤道が通っている。コロンビアからエクアドルまで、周りの風景は熱帯雨林の緑。ボゴタからカリまで急峻な坂道が続いたが、その後は高原地帯が多かった(下記動画)。所々で優美な火山が顔を出す。

エクアドルの首都キト

15日夕、エクアドルの首都キト着。アンデスの山々に囲まれた盆地の街(人口180万、標高2850メートル)だ。長距離バスターミナルはまるで空港を思わせる巨大な建物で、まわりは工場や高速道路。しかも、また大雨が降っている。いやな予感。しかし、ボゴタと違い市街地と結ぶ公共交通機関(バス)がたくさんあった。というより、長距離バスターミナルと市バス・ターミナルがつながっていた。かつ英語が通じる懇切丁寧な案内所があって完璧な情報を得られた。市街地図、エクアドルの地図も立派なものをもらった。ボゴタとはまったく違う。

宿は、市バスで新市街まで行った方がいいと言われたが、私はやはりバスターミナル近くに泊まりたい。ガラス張りのターミナル・ロビーを一周すると、西方向にだけごちゃごちゃした民家地域があり、そこに2軒、ホスタルとホテルの看板が見えた。自分の感覚を信じ、小雨になってからそこに向かう。当たり。1800円で日本の通常ホテルと変わらない立派な宿にありついた。

産業道路に面した殺伐とした場所と思ったが、意外と裏側は中学校で、一般の市民が暮らす落ち着いた地域だった。夕方の屋台で串刺し焼肉をほうばっていると、帰りがけの生徒らが好奇の目で私を見ては、恥ずかし笑いを浮かべる。エクアドルの人たちはなかなか人情深い。

キトは旧市街全体が1978年登録の世界最初の世界遺産のひとつで、見どころがたくさんあった。パネシージョの丘に登ると、アンデスの山々と街が一望でき、絶景だった。

下記は旧市街中心部にある独立広場。真ん中に1830年の独立を記念した塔が立っている。右手(西)に大統領府、左手(南)にカテドラル。

下記は、「アンデスのエル・エスコリアル宮殿」と言われるサン・フランシスコ教会・修道院だ(エスコリアル宮殿はマドリッド郊外の有名な修道院)。広場への石段に鳩がたくさん群れていた。

キトの象徴、パネシージョの丘。高台から街が一望できる。アンデスの山々に囲まれている。

リマまでの国際バスがあった

キトからリマまで直通バスがあった。ナスカからチリに行ったのと同じペルーのバス会社クルツ・デル・サル(南十字星)だ。コロンビア方面まで国際ルートを伸ばしているらしい。16日夜にキトを出て2日後の18日朝にリマに着くから19日夜のニューヨーク行き便に余裕で間に合う。安全圏に入った。

バスターミナルの英語の案内スタッフはここでも威力を発揮。国際バスは一般的でなく、しかも外国(ペルー)のバス会社だ。情報が不足している。案内所スタッフは電話をかけまくり、39、40番窓口のトランス・エズメラルダス社がクルツ・デル・サル社と提携しており、その従業員が正午には出社するという情報を得る。そしてこの従業員が午後6時頃まで私を窓口近くに待たせ、バスが来ると私を巨大ターミナル内の乗り場まで的確に案内してくれた。乗車したのは私一人。彼らの協力がなかったら乗れなかった。

下記はキトのバスターミナル内。待ち時間をこの近代的なバスターミナルの中ですごしたが、そこに犬たちが堂々と暮らしているのに感心した。この国の文化の中で犬がどういう立場に居るのかよくわかる。(この犬は死んでいるのでも病気なのでもない。しばらくするとひょいと起きて別の場所に行ってしまった。)