サンフランシスコはバイデン票85%

サンフランシスコの街並み。右手、湾をはさんで対岸のビル街がオークランドで、その左一帯が大学町バークレー。いずれも、バイデン陣営の圧倒的勝利だった。

アメリカ大統領選については日本でも詳報されたので、ここではどちらかというとトリビアな情報を記す。しかし、この地域出身のカマラ・ハリスが副大統領に(もしかしたら次期大統領にも?)なるからには、今後これは重要情報になるかも知れない。

カリフォルニアは必ず民主党が勝つ

激戦区で共和党現職トランプと民主党バイデンがつばぜりあいを展開し、大統領選はどこでも大接戦だったと思ったかも知れない。実際、バイデン8128万票(51%)、トランプ7422万票(47%)と、ともに史上最多得票で、敗れたといえ、トランプも相当支持を集めたのは事実だ(12月12日段階の確定得票数。他に二大政党以外の独立系候補がいる。)。

だが、西海岸カリフォルニア州のサンフランシスコ市(人口89万人)を見るとバイデン票38万(85.3%)、トランプ6万票(12.7%)で、圧倒的なバイデン勝利だった(以下は、12月11日に確定した州政府の最終集計による。)。

サンフランシスコ都市圏9郡を「ベイエリア」(人口777万人)と呼ぶが、この都市圏全体でもバイデン283万票(77.7%)、トランプ81万票(22.3%)だった。
それどころではない。カリフォルニア州全体(人口全米最多の3,950万人)でも、バイデン63.5%、トランプ34.3%。同州に割り当てられた大口55人の選挙人を獲得した。集計が進む中のある時期、日本のヤフー・ニュースを見ていると「最大票田カリフォルニアでバイデン当確」というニュースが大々的に出た時があった。まあ、確かに最大州での勝利だから、大ニュースと思われるのは仕方がないが、私は「おいおい、そんなのニュースじゃないよ」と苦笑いした。

カリフォルニアを始め、オレゴン、ワシントンなど西海岸諸州で革新派・民主党が席巻するのはもはや既定路線で、だれも驚かない。この地域では保守派が出て来る余地はまずない。だから、カリフォルニア州の有権者としては、投票意欲が湧かないという面もある。投票しようがしまいが、カリフォルニアではバイデンが勝つに決まっている…。そして勝てば、僅差でも、割り当てられた州選挙人全てを獲得できる、というのが米大統領選の仕組みだ。本当に結果を左右できる投票をしようと思ったら、勝敗のわからない激戦州に引っ越して投票しなければならない。

バークレーはトランプ票が3%

サンフランシスコはしばしば「サンフランシスコ共和国」と呼ばれる。リベラル派が多い西海岸でも特に急進的で、米国の主流に従わない独立共和国というわけだ。レフトコーストの首都とも揶揄される。ウェストコースト(西海岸)でなく、地図の左にあることに引っ掛けレフトコースト(左翼海岸)だ。

しかし、上には上がある。サンフランシスコ湾をはさんだ対岸のバークレー市(人口12万人)は「バークレー人民共和国」と言われる。副大統領になるカマラ・ハリスの育った街だが、ここはさらに強烈にリベラルな街で、2016年大統領選挙ではクリントン90.4%に対してトランプは、たったの3.2%しか得票できなかった(Berkeley Daily Planet, Nov. 25, 2016)。

今回はどれくらの得票になったか調べたのだが、どうにも数字が出て来ない。ただでさえ90対3になる街なのに、地元出身のカマラがバイデンと組んで出ているので、それ以上の差になったことは推測できる。しかし、そういうミーハー的な興味があるだけで、圧倒的勝利なのは当然なのだからだれも数字を調べていない。

カリフォルニア州では、大統領選の得票数は郡ごとにしか発表されない。サンフランシスコは市と郡が一体化しているので市の得票数がわかる。だが、バークレーはオークランドなど多数の自治体とともにアラメダ郡の一部だ。同郡の得票はバイデン82.4%、トランプ16.2%になっているが、各市ごとの集計は出ない。市の選挙結果としては、市議会議員、市住民投票などの純粋に市選挙の得票結果が発表されるだけだ。2016年選挙の時には地元紙がわざわざ調べてくれたから90対3という市内の大統領選得票率がわかった。今回はまだどこも調べてくれていない、ということだ。

60年代学生運動を生んだ町

バークレーはカリフォルニア大学のある大学町。1964年に大規模な大学闘争「フリースピーチ運動」があったことで知られる。1950年代から南部での黒人公民権運動が始まり、そこに北部からも多くの学生が支援に出かけていた。それが全米的な学生運動につがっていくきっかけとなったのがこの64年のバークレー闘争だった。10月1日、学内で公民権運動情宣活動を行っていた学生が逮捕されると、数千人の学生がパトカーを32時間にわたって取り囲み学内での言論の自由を求めた。以後、全学ストや大学管理棟(スプロール・ホール)の占拠なども行われ、同州史上最多の800人の学生が逮捕されるという事態にも。

1960年代の世界的な対抗文化の流れはここから始まったとされる。その後、学生運動は、映画「いちご白書」(1970年)に描かれたニューヨークのコロンビア大学闘争(1968年)など全米に広がり、黒人公民権運動、ベトナム反戦運動、ヒッピー文化などともつながって「怒れる若者の60年代」が生まれた。1968年には「パリ五月革命」が起こることで流れは世界化し、1960年代末にその波が日本にも押し寄せてきた。

カリフォルニア大学バークレー校。現在までに110人のノーベル賞受賞者を出した研究志向の大学だが、1964年に世界的な学生運動の先駆けとなる「フリースピーチ運動」を刻んだことでも知られる。
大学町バークレーの雰囲気。テレグラフ通り。

バークレー出身のカマラ・ハリス

これから副大統領に就任し、次期大統領候補とも言われるカマラ・ハリスは、このバークレー地域の出身だ。生まれたのは隣接するオークランド市だが、バークレー市海側の黒人地域で育った。ジャマイカ系経済学者の父と南インド出身の生物学者の母は、当時カリフォルニア大学バークレー校の大学院生で、学生運動に積極的に参加していた。カマラが生まれた1964年は、フリースピーチ運動が起こった年だ。以後も続く公民権、ベトナム反戦など多くの集会、デモにカマラも、親の押す乳母車に乗って顔を見せていた。

小学校までバークレーで過ごし、以後、母親の研究職の都合でカナダ・モントリオールに移り、大学は黒人の教育機関として名高いホワード大学(ワシントンDC)に進んだ。大学院進学で再びサンフランシスコ都市域に戻り、カリフォルニア大学ヘイスティング・ロースクール(サンフランシスコ)で法律を学ぶ。卒業後最初の就職先は、バークレー、オークランドのあるアラメダ郡地方検事局。その後サンフランシスコ市検事局を経て、2004年にサンフランシスコ地方検事、2010年にカリフォルニア州司法長官に選出された。アメリカでは、こうした地方役職も公選されるのが普通だ。

その彼女が、2016年に連邦上院議員に選出された。トランプが大統領に選出されるのと同時で、彼女は以後、上院内で最もリベラルな議員として、政権批判の急先鋒に立った。

検事など法務局関係のお堅いキャリアを積み、自身でも「警察のトップだ」と自虐的に語っていた。しかし、出身はこのリベラルな地域で、地域活動にも積極的に参加していた。私の友人からも、ミーティングで彼女と同席していたことがある、などと聞いている。

今後のカマラさんには大いに期待したい。しかし、アメリカには、今回の選挙が示す通りトランプ支持者が体現する旧守勢力が根強いことも明らかだ。カマラさんは、サンフランシスコ、バークレーといった革新地域で頭角を現す上で相当リベラルが姿勢が求められた。が、今度の舞台は全米。ある程度中道への妥協も視野に入れ慎重に進んでくれることを願う。

副大統領に就任する民主党カマラ・ハリス氏。Photo by Gage Skidmore, Wikipedia Commons, CC BY-SA 2.0