昔は図書館、今インターネット ー ソフィアの図書館で回想

ソフィアのブルガリア国立図書館(聖キリル・メトディウス図書館)。国会議事堂にも近く日本でいえばさしずめ国会図書館だろう。

ソフィアに来たので、なつかしいブルガリア国立博物館に出向いてみた。1981年1月初め、ヨーロッパの旅の途中にここに寄り、いろいろ勉強させて頂いたのだ。何か「デジャブ」することがあるかと思い、建物の周りをまわったが、特に新しい記憶が蘇ることはなかった。

40年前にインターネットはなかった

40年以上前のあの頃、インターネットはなかった。旅先でいろいろ調べたくなっても、本屋か図書館に行く他なかった。本屋でも日本語の本はまずないので英書。関心に応じていちいち買うわけにもいかず、勢い、旅先で図書館に行くことになった。どこの国の図書館に行っても、少なくとも英語の百科事典(ブリタニカやアメリカーナ)はあるので、これで大体の用を足した。

図書館の旅も意外に面白い。その国の文化や事情がよくわかる。イタリアのブリンディジ(古代ローマ・アッピア街道の終点)では、市立図書館が古い修道院の中にあり、尼さんのような図書館員が求めた書物を引っ張り出してきてくれた。イスタンブールでは、市立図書館をさんざん探しまわって、最後にモスク建築物の一角にそれを見つけた時には深く感じ入った。

社会主義圏の図書館

ソフィアのブルガリア国立図書館は手続きが恐ろしく煩雑だったので思い出深い。正式の入館証がないと入れない、と言われた。外国人訪問者が持っているはずがない。どこの国でも「外国から来たが、本が読みたい」と言えば、便宜をはかってすぐ入れてくれた。当時、ブルガリアは(東欧全体も)社会主義だった。その官僚主義がその辺の融通をきかせないのだ。

じゃあ、その入館証をつくってくれ。いや、旅行者にそんなものは出せない、という押し問答。が、やはり最後は、ブルガリア人の情のあったかさが勝った。入口で右往左往するうちに助けが現れた。何と片言の日本語を話す図書館員が出てきたのだ。日本語を勉強中だという。一人では突破できそうもない面倒な手続きを手伝ってくれた。

少額の料金を払い「事典・総記」室にのみ入れる入館証をつくり、奥の偉い人の所に連れていかれて許可をもらい、入口受付でできた入館証を受け取り、クロークカウンターで荷物と上着を預け、また何かのカードをもらい、それから「総記室」に案内される。 出る時は、そのカードに総記室の係員からサインをしてもらい、荷物類を取る時に見せ、図書館を出る時に受け付けに渡すのだそうだ。

かなりの手間だが、日本語を話す館員は親切で、質問に応じてトイレや食堂の場所も教えてくれた。そして一旦中に入ってしまえば、その書籍類の豊富さに驚かされる。「西側」の本も随分そろっていて、アメリカの大学図書館で見かけていただけの年鑑や事典類がずらりと並んでいる。開館時間も朝8時から夜9時までと充分だ。アテネのギリシャ国立図書館のように朝9時から午後1時まで(!)などということはない。社会主義の宣伝通り、「公的施設は充分整い、勉強した ければいくらでもできます」。知的自由はともかく、物質的条件は整っているということだな、と納得した。

(ずっと後のことだが、中国の公共図書館に入って「外国人はコピーできない」と言われ愕然としたことがある。現在の同国「反スパイ法」でも、図書館で調べ物をするだけでスパイ罪に問われる可能性もあるそうだ。社会主義国では図書館で書を読むことも微妙な行為であることに気を付けなければならない。)

巨大な図書館を抱えて旅する

今はもう、図書館に入ることはない。疑問があればすぐネットを調べて勉強できる。インターネットという巨大な図書館をかかえて旅しているようなものだ。時代も変わった、と感慨深い。あの日本語勉強中のソフィアの図書館員は今頃どうしてるか。もうおばあさんになったろうか。そんなことを考えながら図書館の周りを一巡し帰ってきた。

図書館の周りをめぐってきた。特に新しく呼び起こされる記憶はなかった。後ろに大きな公園があったのは意外だった。40年前は気づかなかった。
国立図書館の前に立つのは聖キリル(826–869)と聖メトディウス(815–885)の像。現在ロシアや旧ソビエト圏で使われているキリル文字の原型をつくった兄弟だ。キリル文字は決して「ロシア文字」ではなく、起源はむしろブルガリアの方にある。中欧モラビア王国の要請で東ローマ皇帝が、正教会宣教師のキリル・メトディウス兄弟を派遣しスラブ人へのキリスト教伝道活動をさせた。その布教目的で同兄弟がスラブ語表記のためキリル文字の原型(グラゴル文字)をつくった。その弟子たちは、弾圧を避けてブルガリア帝国へ移り、そこでの布教活動でキリル文字が大いに広まった。そういう事情で、聖キリル・メトディウス兄弟はスラブ系の学問の神様になった。その銅像が、ブルガリア国立図書館の前に立つことになったというわけだ。
国立図書館の近くには「バルカン半島で最も美しい教会」と言われるブルガリア正教のアレクサンダル・ネフスキー大聖堂がある。収容人員5000人、高さ50.5メートル、12の黄金ドーム。1882年に建設が開始され1912年に完成。ブルガリア独立のきっかけとなった露土戦争(1877~1878年)で戦死したロシア人兵士の慰霊のため建てられた。大聖堂の名称になったアレクサンドル・ネフスキー(1220年~1263年)は、ノヴゴロド公国の公を経てウラジーミル大公国大公となった中世ロシアの英雄。ブルガリア人は伝統的に同じスラブ系のロシアに親近感をもち、オスマン・トルコの支配から脱する上で連携した歴史的経緯もあるため、きずながさらに強まった。第2次大戦後の社会主義政権下では「ソ連16番目の共和国」と言われるほどの親ソ政策をとった。 (ただしブルガリア人の祖先は中央アジア西部に居たテュルク系の遊牧民ブルガール人(プロト・ブルガール人)で、7世紀ごろから12世紀頃まで「大ブルガリア」や「ヴォルガ・ブルガール」などの部族国家を形成していたこともある。バルカン半島に移動した一派ドナウ・ブルガールが680年に第一次ブルガリア帝国を建国。9世紀頃にはキリスト教を受け入れ、次第に現地のスラヴ人に同化し、今日のブルガリア人が形成された。)
ソフィアで最も古い教会、聖ゲオルギ教会。ソフィアがセルディカとしてローマ属州「ダキア地中海」の州都だった4世紀に建てられた。現役ホテルの中庭にひっそりと残る。皇帝コンスタンティヌス1世(キリスト教公認、コンスタンティノープル建設などで知られる)が居住した「コンスタンティヌス地区」にあり、周囲にローマ都市遺跡が広がる。
古代ローマ、セルディカの都市遺跡。地下鉄主要駅セルディカ(左手)の建設途上で発見された。すぐ近くには旧共産党本部もあり、現在のソフィアは古代都市セルディカ周辺を中心としていることがわかる。やや後方に、オスマン朝時代の16世紀にたてられたモスク、アーニャ・ジャーミヤが見える。
かつての権力中枢、ブルガリア共産党本部ビル(Largoと呼ばれる)。交通の要衝、地下鉄セルディカ駅のすぐ前にある。1955年完成。民主化後、鉄塔上の星マークがブルガリア共和国国旗に替えられるなど改装が行われた。2020~2021年に国会の議事堂として使われたが、そぐわないというのでやめたようだ。正面前の独立広場をローマ遺跡と有機的に結びつけるなど、観光地化が進んでいる。
ソフィアの街の遠景。市の南西、国立歴史博物館から。