明らかにおかしい。これはいつはじまったのか。確か、ドバイで、高層ビル、ブルジュ・ハリファと人工島パーム・ジュメイラの主要観光地に行き、帰りに安食堂で夕食を食べてからだ。これで難しい旅は全て終わった。後は地下鉄レッド線で空港に行くだけだ。地下鉄はターミナル1に直通のはずで、そこからニューデリー行きの飛行機に乗ればいい。バンコク、ホーチミンを経由するが、ほぼ自動的に日本に帰れる。ああ、危ない挑戦の旅はすべて終わった、そういう感慨が私の体にジワーと拡がって、それからだ。急にいろんな失敗が出てきた。
インドのビザはあるか
まず、ドバイ空港で飛行機に乗ろうとして、インドのビザをもっているかと問われ、度肝を抜かれた。「え、ビザは必要ないんじゃない、アライバルビザが取れる?」どぎまぎして応えていると、「あっちに行って」と搭乗拒否グループ数人の列に入れられてしまった。
すでに十分調べつくしていた。Air Indiaのニューデリー経由バンコク行きのフライトは、両接続便のPNRコードが同じで、トランスファー扱いになることがわかっていた。つまり入国・出国手続きなしですぐトランスファー・エリアにまわされるのでビザなど必要ない。しかし、「もう終わった」でボーとしていた私は、その辺の事情をきちんと説明して、理解不足のカウンター係員を納得させる準備が整ってなかった。航空会社係員も、機械的に目的地のビザ取得状況などを聞くだけなので、その顧客の接続便がどうなっているか確認しないことも多い。こちらからしっかり説明してあげなければならない。その辺の心の準備がなかったので、私はただただ慌ててしまったのだ。
「もう終わりだ」の安楽な旅に冷水がかぶせられた。しばらくしてようやく事情に気づいて係員に説明し、事なきを得たが、思えばこれが一連のポカの始まりだった。
現地時間を誤認
次に今度はニューデリーでの乗り換えの際、現地時間を間違えていた。ドバイとニューデリーの間には1時間半の時差がある。スマホの現地時間表示は、設定により自動的に変わってくれる場合もあれば、変わらない場合もある。完全に1時間半遅れで時間を認識し、ゲートから離れた待合席で寝ていた。ふと目覚めてたまたま電光掲示板を見たら、私の便が「Last Call」(最終呼び出し)と出ている。え、まだ時間あるだろう、あ、いや現地時間を間違えていたか!と気づいて、慌ててゲートに向かった。
これも何とか事なきを得て、飛行機に向かう最終バスの乗客十数人の中に紛れ込むことができた。もう危険を冒す挑戦的な旅は終わったはずのに、またしても危ない橋を渡ってぎりぎりセーフになったのか、と胸をなでおろした。
弁当をトイレに忘れる
バンコクまで来ると、食べ物の物価が安くなる。何しろセブン・イレブンがあった。そこで弁当やリンゴやヨーグルト・ドリンクを買った。弁当はチンしてもらうのが2~300円ほどで食べられる。辛ささえ除けば、日本あるいは東アジア的な味だ。腹が減っていたので2つ頼んだ。近くの空港座席に座り、まずリンゴをかじり、そして、よし待望の弁当だ、と手を伸ばすと、その弁当がない! 神隠しだ。突然なくなっている。座席の下、後、私のバックパック内をくまなく探したがない。こんなバカなこと、キツネにつままれるようなことがあるのか。近くでやはり何か入ったコンビニ袋をたずさえている人に聞く。「それ、もしかして私のじゃないですよね」。コンビニにも戻り、店員にも、もしかしてこの辺に私の忘れたのがなかったか聞く。ない。不審な顔をされる。
こんなに簡単にモノがなくなるのか。不安になる。私がなくしたとしたら、どうなくしたかもわからない自分に対しても不安になる。しばらくしてから気づいた。そうだ、座席に座る前、トイレでリンゴを洗った。あのときに弁当の袋を脇に置いたのではないか。
すぐトイレ直行。あった。十数分前だ、こんなものだれも取るわけない。よかったのはよかったが、この症状に愕然とした。こんなところに忘れ、しかも忘れたことさえ忘れ、まわりの人に聞きまわっていた。自分に自信がなくなる。こんな70代ぼけ老人が、よくこれまでのあの危ない橋を渡り続けてこれたものだ。
パスポート置き忘れ
続きがある。今度はパスポートを忘れた。これは致命的だ。旅でパスポートをなくす以上の致命傷はない。出がけにすべてをチェックする余裕がなくないとき、「パスポートはあるか」だけは最低限チェックする習慣をつけていた。帽子もメガネも、ガイドブックも地図も財布も大切に違いないが、これらを全部チェックするのは大変で、頭もオ-バーヒートする。そういうとき、パスポートを持ったかだけは常にチェックする。ところがこれを、空港のオンライン・チェックイン機械で使ってそこに忘れてきてしまったのだ。
宿ですでにオンライン・チェックインをしたので、ここで再度やる必要ないのだが、ボーディングパスのプリントアウトでもしてくれるかも、と思った。結局、そうではなく、スマホ画面の搭乗券を見せれば、空港のゲート側に入れて、(セキュリティチェック、出国審査の後)ゲートのカウンターで紙の搭乗券がもらえるという仕組みだった。
ゲート側(エア・サイド)に入るため、スマホ画面の搭乗券を機械にかざしたが、何らかの原因でそれがうまくいかなった。係員が、ちょっとお前のパスポートを見せてみろ、と言うので、ポケットに手を入れたら、ない!私のパスポートがない!となったのだ。あわてて直前に使ったオンライン・チェックイン機械に帰るが、パスポートはない。
弁当どころの騒ぎではない。パスポート紛失以上の致命的ダメージはなく、これまでそれに最大限の注意を払い、そして実際これまで一度もなくしたことはなかった。それがここに来て、旅の主要部分が終わった段階で、なくなった。青くなった。どうすればいいんだ、、、
と考える間もなく、近くに居た空港係員が、「パスポートを忘れましたか」と言って近づいてきた。「これじゃないですか。」
「そうだ、そうだ、これだ」「やっぱりここに忘れていたのか!」
大変な感動で、私は、その若い背の高いタイ青年を思わずハグしてしまった。相手はびっくりしたろう。近くに居た別の係員はニコニコ顔で見ている。「何たるストューピッド!」「恥ずかしい」「うれしい」。最大限の笑顔を振りまいて、私はゲート側入り口に舞い戻った。
何ということだ。何というとんでもない失敗を次々犯すのだ。もう何も新しいことをせず、ただひたすら飛行機に正しく乗り、ものをなくさない注意だけして日本に向かおう、と心した。自分の異常なよたよたに愕然として、ゲート待合室に入ってから、自分確認のためにこの一文を書き始めたのだ。

そのかいあってかその後、大きな失敗はせず、9月30日、何とか名古屋にたどり着いた。
