ポドゴリツァ印象

ポドゴリツァ2日目朝に歯医者に行き、その後、一日観光。前日に続いてまたもや街を一回りしてきた。首都と言っても大きな街ではない(人口15万人)。ユーゴスラビアでは単なる地方都市だったのだろう。私の故郷(の近く)宇都宮の方がにぎやかなくらいだ。博物館に行ったら月曜で休み。もうこれ以上見るとこない、と帰ってきたのが午後1時だった。その後何をしたらいい?

イスラム教

バルカン半島をここまで南下してくると、イスラム教の影響が出てくるのが面白い。古そうな庶民街に、少なくとも2つのミナレット(円柱の尖塔)があるのを確認した。モスクだ。この地域は長くオスマン・トルコの影響下にあり、今でもモンテネグロ人口の18%はイスラム教徒だ。南隣のアルバニア、東隣のコソボは共にイスラム教徒がマジョリティになる。

丸い尖塔は意外と近代的だ。ずい分前の旅で、ヨーロッパから初めてトルコに入ったとき、林立するモスク尖塔が未来都市のように見えたことを思い出した。

住所表記で苦労

歯科医に行く際、場所を探すのに苦労した。グーグルマップでdentistを探し一番近いところに行ったのだが、道路に住所表示があまりない。昨日宿を探すときにも同じ苦労をした。ストリート番号は書いてあるが、道路名はまず書いてない。たまに書いてあってもロシア文字(クリル文字)で、わからない。番号が途中で切れたり、大きく飛ぶ場合もある。道路の両側で番号がまったく異なったりもする。地図で見ると、道路名自体が途中で変わる。今居る道路が正しいのかどうかわからなくなる。

住所を見せて人に聞いても意外と分からない人が多い。かなり近くまで行って、ようやく「ああ、あそこだよ」と言って、分かれば親切にもその場所まで連れていってくれる。歯医者は道路の後ろ側にあった。ストリート番地が建物裏の広場スペースまで続くらしい。

宿の場合は、小さい路地だったので、よほど近い所の人でないと分からなかった。近くの市一番の目抜き通りがあるので、その通り名を見せたが、それもわからないと言われたときには、私は来る街を間違えたか、と真剣に心配した。何日か前まで宿の予約をとるので別の街の予約と取り違えたか。

グーグルマップにはPete Proleteriske Brigadeという通り名が大きく書いてあるのだが、後で入手した市街地図を見るとまったく別名になっている。プロレタリア何とかという通り名は民主化後、没になって改称されたのかも知れない。それで若者は知らなかったのか。

結局、駅のすぐ近くにその小路地はあった。距離感を間違えていたらしい。見つければ、非常に便利なところにある宿だった。

地方都市というのは住所表示が徹底していない。大都会で多くのよそ者が入ってくるところは相対的に住所表示がしっかりする。東京は路地が入り組んでわかりにくい過密都市だが、細かい住居表示が几帳面に奥まで設置され、場所を見つけやすい。それに比べ、例えば名古屋は住所表示が少ない。近くでも番地だけでは場所がわからなくて困る。地元の人間しか居ないと観念されている街では住所表示など必要ないのだ。

ポドゴリツァ市の中心、独立広場。
街中心にある公園が「王の公園」で、そこにモンテネグロ王ニコラ1世(1841-1921)の像が立つ。オスマン帝国治下のモンテネグロ公国を継承したが、1876年にオスマン軍を破りベルリン会議で独立国として国際的に承認された。1905年に憲法を制定しモンテカルロ国となった(ニコラ1世が国王に)。しかし、1916年にオーストリア=ハンガリー帝国の侵攻を受け、王は亡命。その後2006年まで完全独立は達成されなかったが、ニコラ1世はモンテネグロ独立の象徴と受け止められている。銅像は、市のメイン通りをはさんで議会、政府ビルを見据えている(そちらは写真撮影を失念した)。

 

ポドリツァ市役所。
市博物館。 
市の中心部を流れるモラチャー川。上流から下流方向を見ている。リブニツァ川(左手の小さい川)が合流する地点にポドゴリツァの街が形成された。
川の合流点周辺にオスマン・トルコのものと思われる城壁の跡が残っていた。放置されたままだが、整備して観光に生かせば、経済発展に資するところがあるのではないか。
庶民的な旧市街と思われる地域(道路が入り組んでいる)を歩いた。オットマン・トルコ時代の文化が残っている。これはそのシンボル的な時計塔。1667年に建てられ、第二次大戦中の激しい爆撃にも残った。
いくつかモスクを見ることができた。
2010年に大規模なショッピングモール「モンテネグロ・モール」もできた。かつての青空市場を撤去して建設された。看板の文字がここだけ皆英語なのはどういうわけか。日本などでも同じだが。
隣接して昔ながらの市場スペースも確保されている。
中央駅前のメイン通りで、こんなお店を見たのが気になった。真空管ラジオの中古店と思われる。このようなものが売れるのか。骨董品としての扱いでもなさそうだ。なぜか気遅れして中に入れなかった。写真もこっそり撮った。