ダンバートン橋からスタンフォード大学 サイクリング

フェイスブック(Facebook)本社。ダンバートン橋を降りてすぐ、湿地帯に隣接する。スタンフォード大方面に向かう途上の注目スポット。自由に敷地内に入れる。広大な駐車場に囲まれており、これを一周すれば少なくとも外見は全部見られる。

サンフランシスコ湾にかかる橋:自転車通行可と不可

5月16日(土)、きょうは、サンフランシスコ湾南部にかかるダンバートン橋(Dumbarton Bridge)を渡りシリコンバレーのフェイスブック本社、スタンフォード大学などへのサイクリングをする。家を出たのが午後1時と、比較的早い。しかし、BARTの南ヘイワード駅に着いたのは2時半をまわっていた。

コヨーテ・ヒルズ:広大な湿地帯にせり出した小山

「ダンバートン橋からシリコンバレー方面に」と思っていた。が、橋に着くまで思いのほか時間がかかってしまった。まず、最寄りBARTユニオン・シティ駅で降りるべきところ、線路工事中で一つ前の南ヘイワード駅で降ろされてしまった。BARTではよくあることなので事前に調べておかなくてはいけなかった。

ピストン輸送の代替バスに乗れるが、トイレに行っている間にバスが出てしまう。一駅だ、自転車で行けばいい、とこぎ出したが、これが意外に遠い。いや、いっそダンバートン橋に直接行ってしまおうと海辺を目指したので道がわからなくなった。いつの間にか、コヨーテ・ヒルズ広域公園付近に迷い込んでしまった。しかし、それでよい。サンフランシスコ湾の広大な湿地帯が広がる中に特異に盛り上がる小山が奇観だ。

コヨーテ・ヒルズの北を流れるアラメダ・クリーク。ユニオンシティ大通りの橋のたもとから西方向を見たところ。こちら側がユニオンシティで対岸がフリーモント市域。川の両側に歩行者・自転車道が続いている。コヨーテ・ヒルズの主要部に行くには向こう岸を行った方がいいのだが、残念ながらこちらの右岸を進んでしまった。
すぐに広い湿地帯になる。サンフランシスコ湾岸の南部(つまりシリコンバレー周辺の海浜)は、このような湿地帯が発達。一時塩田や牧場にされていていたが、現在復元が図られている。
砂利道のトレイルは、クリーク上流から河口まで20キロ続いている。湾水域に至るのはもっと先。
遠くに、湾にかかる橋が見えてきた。お、あれがダンバートン橋か、と思ったが、よく調べると、それより北側のサンマテオ橋だった。
アラメダ・クリークの対岸(南岸)にコヨーテ・ヒルズ(標高68m)が盛り上がる。広大な湿地帯にここだけ丘陵がある。恐竜の居たジュラ紀に海底で形成された地層が地殻変動で上昇し、カリフォルニア沿岸地域の岩石層がつくられた(以下、サンフランシスコ湾国立野生生物保護区ニュースレター参照)。サンフランシスコ湾はかつて内陸平野だっていたが氷河期終了と海水面上昇で1万2000年ほど前から湾に。コヨーテ・ヒルズはその中の島だったが、周囲に沖積層が堆積し陸続きとなった。この地に1万年前から先住民が暮らしていた痕跡もある。コヨーテ・ヒルズの地名は、かつて近くを通る鉄道からの汽笛に呼応してコヨーテが遠吠えをしていたことから来るという。
周辺の住宅街間近に、今でも牧場が広がる。内モンゴルと間違うような風景だが、ここはまぎれもなくシリコンバレーの一角です。
【参考】中国・内モンゴルの黄河河岸で。2015年10月撮影。

自転車で行くダンバートン橋

ダンバートン橋の料金徴収所。内側から見ている。すぐ橋がはじまるわけでなく、湿地帯の中を約5キロのアクセス路が続く。この道路(州道84号線)はカリフォルニア内陸から来てシリコンバレーを経て太平洋岸まで続く。
ダンバートン橋には自転車専用路があるはずだが、間違えた、橋の左側(南側)を通らねばならなかった。高速をビュンビュン飛ばす車と並走するはめに。
右手には先ほどのコヨーテ・ヒルズの丘陵地帯。
橋本体が近づいてきた。ダンバートン橋は全長2,621m、1982年完成。幸い、橋のたもとの下をくぐり、向こう側の自転車道に出られそうだ。対岸はシリコンバレー中枢部だが、その背後の山に厚い霧がかかっているのがわかる。春から夏にかけて太平洋からの冷たい霧が出る。シリコンバレーは山でそれから守られている。(半島突端のサンフランシスコはもろに影響を受けるので霧の街になる。)
橋の南側に旧橋の一部が残る。1927年完成の旧橋は、サンフランシスコ湾にかかる初の自動車用橋梁だった。1982年に新橋が完成してからも、旧橋の東側部分が70mほど残され、散歩や釣りなどリクリエーション利用されている(その突端から振り返って見たところ)。これを自転車道と間違えて進んで来ないように。
アクセス路南側には、旧橋跡までこのような道路が走る。途中のこの個所で右に入り橋上左側の自転車専用路に出る。
ダンバートン橋の自転車専用路。橋の左側(南側)のみにしかないことをお忘れなく。
同上。振り返って東方向を見たところ。
橋の南側一体にシリコンバレー心臓部が広がる。右の尖った特徴的な建物が円形劇場(アンフィセアター)。その裏から右にかけて、建設中のグーグル新本社、現本社がある。また中央付近には元海軍飛行場・現NASA施設のモフェットフィールド。大きな格納庫などが見える。手前の橋は、今は使われていない鉄道橋(Dumbarton Rail Bridge)。1910年完成のサンフランシスコ湾にかかる最も古い橋。1982年から使用停止。
対岸が見えてきた。再び湿地帯が始まる。その先右手にフェイスブック本社があるはず。
西側(シリコンバレー側)から振り返るダンバートン橋。

湿地帯のそばにフェイスブック本社

フェイスブックの本社。入口左側(写真右手)に「いいね」のマーク。
フェイスブック本社正門横に立つ「いいね」マーク。住所も1 Hacker Wayと書いてある。本社建物群の中を走る道路がHacker Wayだ。この本社建物群は、もともとサン・マイクロシステムズ(現在はオラクルに吸収)の本社だったが、その時は1 Network Driveという住所を使っていた。法的に正式な住所は1601 Willow Roadのようだ。この本社前で終わっている道路がWillow Road。敷地内の道路には自由に名前をつけていいということか。クパチーノにあるアップル本社の住所は1 Infinite Loop(無限ループ)、南サンフランシスコにあるバイオテク大手ジェネンテックの住所は1 DNA Wayだ。
正門から自由に中に入って行ける。フェイスブック本社建物群は、広大な駐車場に囲まれており、これを一周すれば、少なくとも外から全体を見られる。一応、警備の車が巡回していた。写真は西側。
東側にも広い駐車場。この外縁道路がハッカー・ウェイだ。
サンフランシスコ都市圏は土地に余裕がない。大企業が本格的な本社建物をつくろうとすると、どうしても海沿いの湿地帯近くになりがちだ。グーグルもそうだ。フェイスブック本社もキャンパスのすぐ外は、このような湿地帯。遠くにダンバートン橋が見える。
フェイスブック本社キャンパスのすぐ外側に湿地帯沿いの自転車道が走る。ベンチがあったのでここでお弁当。この地は遠隔なので、近くにレストランその他アメニティに乏しい。サンマイクロシステムズの本社だった時代、似たような「サン」に引っ掛けてこの地を「サンクエンティン」と呼ぶ自虐があった。サンフランシスコ北方にある凶悪犯の入る州刑務所の名前だ。遠隔地に本社を建てるIT大企業は、自社の中にレストラン、茶店、売店その他多彩な店も中につくることが多いが、その背景にこうした事情がある。フェイスブックが現在周囲につくりつつある新社屋も、一つの街をつくりだすような壮大な計画だ。
建物群の南側。これでほぼ一周した。土曜日で人がほとんど居ないが、地元の方らしい女性が乳母車を押していた。
フェイスブックの本社前からはじまる大通りWillow Roadをずっと行くと、パロアルトやメンロパークの中心部付近に出られる。手前左右に走るのはダンバートン橋にもつながるベイフロント・エクスプレスウェイ(州道84号線)。フェイスブックはこの右方面に新社屋MPK 20、MPK 21をつくり、さらに左側一帯に新しい街と言えるようなWillow Villageを計画している。

【参考】フェイスブックの現社屋・新社屋計画

 

イースト・パロアルトとパロアルト

フェイスブックがWillow Villageを計画しているすぐ隣に、ヒスパニック、黒人の人たちの街イースト・パロアルト(人口3万人)が広がる。シリコンバレーの中にあって、ここだけは低所得層が多く、1992年に人口当たり全米最悪の殺人率を記録し「殺人首都」の汚名を着せられたこともある。フェイスブック従業員が入ってくることで家賃が高くなることが危惧されている。私も2年前サンフランシスコ都市圏に移動してきた際、サンフランシスコ市内があまりに高くて住めないので、このイースト・パルアルトなら、と安アパートを探したことがある。
イースト・パロアルトも外見上は郊外型の一戸建て住宅が多く、単身者用アパートがあまりない。やっと見つけたそれらしい低家賃住宅(写真、2019年7月撮影)で家賃を聞くと、1Kで月1800ドル。一遍でこの地に見切りをつけることになった。
全長2500キロ・米西海岸の幹線高速道路、国道101号線。イースト・パロアルトからこの高速を越えると裕福な街パロアルト(人口6万7000人)がはじまる。
パロアルトの典型的な街並み。緑が多く、裕福なミドルクラス層の街。スタンフォード大学のお膝元でもあり、シリコンバレーの中心的な街の一つと言える。
その住宅街の一角に、シリコンバレーで最重要とも言うべき場所がある。1938年、スタンフォード大を卒業したばかりのビル・ヒューレットとデイブ・パッカードが、この家(367 Addison Ave., Palo Alto)の奥にあるガレージでオーディオ発振器を開発した。以後のヒューレット・パッカード社発展がここからはじまる。それがシリコンバレーの走りともなった。現在このガレージは国及び州の史跡に指定されている。入口右の碑に「シリコンバレー発祥の地」の説明がある。
その「発祥の地」周辺はごく普通のパロアルト住宅街だ。
パロアルト市中心部。夕刻の人出もある程度戻ってきたようだ。
カルトレインのパロアルト駅を越えると、スタンフォード大学の敷地が始まる。門から真っすぐな通りの先にキャンパス主要部(スペイン風の回廊建築メイン・クアッド)が見える。
スタンフォード大学のキャンパス主要部。詳しくはこちら参照
大学キャンパスの北西側を走るサンドヒル・ロード(右上に道路標示)を登っていく。この先辺りからベンチャーピタルの集積地が始まるのだが、もう限界。BARTの最終に遅れないようカルトレイン駅の方に帰る。残りはお後のお楽しみに、ということで。