6月4日、きょうはリビング・ミュージアムに出かけてみることにした。ツムクェから23キロ北、キャンプ場もあるらしいが、サン族民俗の展示もあり、いろいろ狩猟採集民の生活も体験できる「生きた博物館」(Living Museum)だという。歩いて行くには遠すぎる。やはりまた「有料ヒッチハイク」だろう。
まず、村の中にある地域振興の団体「ニャエニャエ保全区」(Nyae Nyae Conservancy)の事務所で情報を得ようと思った。あまり情報はなかった。入場料ということで30Nドルを徴収された。現地でプログラムに参加する費用とは別だという。たまたまこの事務所に行ったから払うことになったが、行かなければ払わずに行ってしまうのではないか。怪。
とりあえずは北への道を歩いていけばそのうち車が通るだろう、と歩き始めたが、村はずれまできたとき、いや村はずれといって小さな村だから歩きだしてすぐだが、木陰で休んでいる7、8人の人たちが居た。ん、これはくさい。
「あのー、もしかして、ハイクをしようとしているんじゃないですか。」
ナミビアではヒッチハイクのことをハイクという。街はずれである程度の人が固まって何かを待っているようだったら、ハイクのための車を待っている可能性が高い。
「そうだよ。あなたはどこに行くんの。」
ちょうど私がそこに着いたと同じくらいに、横方向から着いた男が答えた。皆サン族のようだが、彼は英語を話す。
「ほら、23キロ離れたリビングミュージアムに行くのさ。」
「おお、そうですか。私はそこで働いている。ちょうどそこに行くところだ。毎日4時間働いている。」
彼はキャオ(Kxao)君といって、40歳くらいの若者(そうさ、70代の私から見れば40歳は若者さ)。実はビレッジに2人居る通訳のうちの一人だという。彼はその通勤先を「ビレッジ」と呼んでいた。サン族の伝統的な村が設置されているし、その周囲に実際に人々が生活する現在の村もある。
そういう人とちょうどこの「ハイク」待機場所にほぼ同時に着いたわけだ。「こりゃ、かなりの偶然。運がいい。」
「そうだね、運がいい。何でも教えてあげるよ。ビレッジにいっしょに行こう。」
てなことで、いろいろ付き合うことになった。ツムクェの村に住むが、ミュージアム近くの「ビレッジ」にも拠点がある、子どもが5人居て、一番上の子はもう18歳になった、などと話を聞く。
サンの人たちと立ち話をすると、165センチの私が大男になって困る。上から見下ろすようにしゃべっては悪いだろうと腰をかがめたりする。こんな配慮、アメリカではもちろん、日本でもあまりしない。私の方がそういう配慮をされる方だったのかな、などと思う。
キャオ君は、通勤なのにやはり「ハイク」だ。しかし、北方向の道路はカウダム国立公園に行く道なのにあまり車が来ない。私がツムクェに来るとき通った「やや幹線」のC44号線でも250キロ走るうち10台程度しかすれ違わなかった。この北に向かう道はなおさらの地方道だ。
それから(私が方針転換するまで)1時間は待ったり近くの友人の家に行ったり、ブラブラして時間をつぶしていた。「通勤」なのに、来る車まかせ、運まかせの移動なのだ。
「別に勤務時間は決まってないから大丈夫なんだよ」と言いながら、キャオ君はまず、近くの友人の家に連れて行ってくれた。車が来れば遠くからでもわかるから別に待合場所に居なくてもいいらしい。友人の家の庭で世間話をしている。
「あなたはその辺にかけていて」と木の株のイスに座らせてくれた。近くに野外のいろりがあり、何か鍋で煮物をしている。庭、というより家の周りがサバンナなんだからみんな庭のようなものだが、そこで子どもたちが数人、手押し車に乗ったりして遊んでいる。友人の妻という女性と男たち数人が世間話に花が咲く。やや離れたところにイスをかけている初老の女性は、静かにウィスキーの小瓶に口をつけている。まだ午前中だというのに。サン族の間ではアルコール依存症が問題になっていると聞いた。彼女もそうなのだろうか。
しばらく時間をつぶした後、今度は村のお店に行った。私がいつも買い物をしている村一番の「ミニスーパー」だ。いつも店の前でサン族の人が腰かけてだべっているが、今は私もその中に座らされて時間をつぶしている。こうしてサン族の仲間に連れられてあちこち行くと、私も彼らの中に入れるからいい。外からの旅行者として奇異の目で見られず、彼らの日常を内側から眺めていられる。
クリック音(舌打ち音)が入るサン語
彼らの会話には「トン」とか「チャチャ」とかのコイサン族独特の舌打ち音(吸着音、クリック音)が入る。だから彼らの母語で話しているな、とわかる。一般の黒人の会話では聞かない。独自の文化が依然として継承されていることは素晴らしい。
300Nドルほど出して車をチャーターした方がいいんじゃないか、とキャオ君は言う。この通り、車はほとんど来ないから、向こうに行けてもきょうのうちに帰れるかどうかわからない。ビレッジにはキャンプ場もあり、テントや寝袋があれば泊まれるが、君はもっていないだろう、と。彼自身もこれからビレッジに行くが、帰るのは明日になる。ハイク待合所で待っていた人たちも皆親戚の家に泊まりに行くのだろう、とのことだ。
下手に道路を歩いていくと、ここから北の道にはビッグ・ファイブ(ライオン、ヒョウ、ゾウ、サイ、スイギュウ)も出るから、あぶないとも脅かされた。ここ数年で、象に殺された村人が2人居るという。
しばらくして、今度は、私のおじさんのところに行こう、と近くの飲み屋らしいところに連れて行かれる。やはりそこで私は座らされ、キャオ君らは友人たちとだべっている。鉄格子のついたカウンターの向こうに店員が居てビールなどを出す仕組み。さすがに昼間からの大酒飲みは居ないようで、もっぱら店内にあるパチンコのようなギャンブル・マシンで数人が遊んでいる。
さて、次はどこだ。キャオ君はまたさっきの店の近くに友人を見つけたようで、そこで数人との世間話を始めた。彼の通勤時間はこうやって、のんびりと村の付き合いの中で過ぎて行くのだ。話しているうちに、だれがあっちの方に車で行くらしい、などの情報もわかるようだ。
私も面白いから付き合っていてまったくいい。しかし、たまたま自転車に乗った若者がそこのだべりの輪に入ってきた。これをレンタ・バイクできないか、聞いてみた。間に通訳の君が入ってくれたので話がスムーズに進んだ。
「いいよ、1日150Nドルだ。」
「そこを何とか。100Nドルはどうだ。」
「OK。」
100Nドルでもおいしい話だったようだ。今100Nドルくれれば、明日の晩まで貸していい、ということになった。もう午後になっていたので、これから自転車で「ビレッジ」まで23キロ往復するのは難しい。明日、朝早く出てビレッジに行きたいという私の要望に応えてくれた。
早速、試乗サイクリング。きょうのうちにある程度慣れておく必要がある。まだ行っていない村の東の方(ボツワナ国境の方向)に向かって走り出した。明日行く北方向の道よりは車にとって走りやすい道。しかし、砂利と砂で、自転車にとって決して走りやすいとは言えない。
土の道でも、自動車のタイヤにつくられた筋道で、走りやすい筋と走りにくい筋がある。地面が比較的固く平らな筋を選び、頻繁にハンドルを左右に切って「レーン」を変える。そのノウハウを心得るのが最初の訓練。車はほとんど来ないから、左右に自転車を振っても大丈夫だ。
たまに車が来ると、埃がすごい。風の向きに常に注意して、埃が来ない方向に退避する。しかしこの悪路の中で、車は何たる猛スピードで走るのか。
休む際も、路肩の茂みに入らないようにする。とげのある植物が多い。タイヤがパンクしたら一貫の終わりだ。同じ半乾燥地帯のカリフォルニアでサイクリングしていた時にこれに苦しめられた。
借りた自転車はマウンテンバイクのようなものだった。タイヤの幅が広く丈夫そうだ。その点はいい。こんな砂利道・砂道でも、ある程度走れる。振動が激しくても耐えられる。アスファルトで快適に飛ばす細タイヤのツーリング車は不向きだ。日本の「ママチャリ」でもすぐダメになるだろう。
しかし、この自転車はかなりの中古で、サドルが安定しない。高くするとグラグラする。低くして後ろの荷台に接触させてやっと安定する。かなり無理な姿勢をとらなければならない。
そんなこんなで、走り方ノウハウと自転車調整にある程度慣れる。約8キロ行ったバオバブ・トレイルの分岐点まで行って戻ってきた。体力的には何とか行けそうだ。幸い今ナミビアは冬で、直射日光がきついと言ってもそんなに灼熱ではない。明日はその3倍の距離の往復。道路状況が不明なのが心配だが、私の通常のサイクリング距離は100キロだ。悪路でも往復46キロが絶対無理ということはないだろう。
猛獣と会ったらどうするか
キャオ君には「ビッグファイブ」も出ると脅かされた。万一、象など野生動物に出会ったらどうするか、宿に帰ってからいろいろ勉強した。とにかく近づかない、刺激しない、決して背を向けて逃げない、目を向けたままで後ずさりする、両手を頭の裏にかけたり衣類をかざしたりして自分を大きく見せる、早朝や夕暮れを避ける、道路から出ないようにする、などなど。ま、ライオン、チーターの類はほとんど遭遇することはないと言うが。