自転車:マンハッタンからブロンクスへ

なぜか最近観光づいている。昨日(7月9日、土曜)はマンハッタンのミッドタウンをじっくり5時間歩いた。きょう(10日、日曜)は、自転車でセントラルパークの残り半周から初めて、ハーレム、ブロンクス、ランダルズ島界隈を探訪した。

昨日のマンハッタン歩き5時間はスポーツのようなもので、込み入ったミッドタウンの土地勘をつけるのが目的。一番の収穫は、ブックオフが意外に面白かったこと。日本の本がたくさんあって安く、これで日本の本は不自由しなくなると思った。また、ハードオフの機能も兼ねているらしく、パソコン、スマホ、各種部品など電子機器製品の中古もけっこう置いてあった。ここに売ることができる。今後かなり使えそうなお店だ。

それと、夜のタイムズスクエアって人出が尋常ではない、ということがわかった(下記写真)。

ニューヨーク:夜のタイムズスクエア
夜のタイムズスクエアはすさまじい人出。

しかし、ニューヨークも安全になった。タイムズスクエアだけでなく、夜でもミッドタウンの至る所人がたくさん歩いている。犯罪率や殺人率は昔の5分の1以下になったらしい。

NYの五番街。
有名店の並ぶ繁華街・五番街を歩く。
ニューヨーク公共図書館本館の正門。
ニューヨーク公共図書館本館も5番街に面している。
ニューヨークのブライアント公園で市民が憩う。
図書館本館の後に市民の憩いの場、ブライアント公園。
エンパイア・ステート・ビル。
5番街をさらに南下するとエンパイア・ステート・ビルがある。
ニューヨークのコリアタウン。
エンパイア・ステート・ビルからたった1ブロックしか離れていないところにコリアタウンがあった。

セントラルパークからサイクリング再開

きょうのマンハッタン・サイクリング第3部は、第2部でやり残したセントラルパーク半周から始めた。公園南端のコロンバス・サークルまで地下鉄。アメリカは地下鉄に自転車も載せられるからいい(NYではバスには載せられないのが不満)。

そしてまず、何よりも、セントラルパーク最大の名所、我ら世代のアイコン、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが住んでいたダコタ・アパートと、そのすぐ前のセントラル・パーク内のストロベリーフィールドに行ってきた。

ジョン・レノンらが住んでいたダコタ・アパート。
ダコタ・アパート。オノ・ヨーコはまだここに住んでいるという(未確認ウィキペディア情報)。セントラルパークの西側のコロンバス通り(8番街)を挟んですぐの古風なアパート。レノンは、左側(72番ストリート)ちょっと奥の入り口を入ったところで後から撃たれた。(写真の撮り方が悪い。建物全体が映っていない。)
ストロベリーフィールドの入り口。
ストロベリーフィールドの入り口。レノンの死後、ヨーコらの寄付でつくられた。今もたくさんの人が訪れている。
Imagineの文字が入った記念碑。
有名なImagineの文字が入った記念碑。

まわりで、ギターをかかえ一生懸命イマジンを歌っているおじさんが居た。この写真を撮るちょっと前、イマジン碑のそばに寄りそうように記念写真を撮る女性がいた。熱狂的なファンと見えた。おばあさんと言っていい人で、ああ、われわれの世代も年取ったな、と思わざるを得なかった。

その後、セントラルパーク内東側の自転車道を北上。何と、警察が普通車でパトロールしていて、歩行者横断用の赤信号で止まらない自転車(止まるのは私だけ)を次々、警告していた。警告して止まらないサイクリストは呼び止めてチケットを切る、のかと思ったがたぶん切ってはいないだろう。サイクリストの方が青ざめて運転免許証を出すしぐさをしていたが。やはり大勢に流されず、安全運転をするに越したことはない。

ジャクリーン・ケネディ・オナシス貯水池の東側歩道
おととい見た貯水池を逆方向から。周囲2.5キロは格好のジョッギングコースになっていて、ケネディ大統領の妻ジャクリーンさんもよくここを走っていた。それで、ジャクリーン・ケネディ・オナシス貯水池という名前が付いたという。クリントン大統領もよく走っていたという。

その後、セントラルパークを抜けてハーレムに。スラムという感じはしなかった。普通の品のよいニューヨークのアパート街。確かに黒人は多く、9割以上黒人だった。

ガイドブックを持っていかなかったので、ハーレムの中心街125番ストリートに行かないうちに、自転車レーンのある120番ストリートで右折してしまった。

マルコムX大通り。
この通りなどかなり立派。中世ヨーロッパの雰囲気。
マルコムX大通りの標識。
何とこれが「マルコムX大通り」だった。さすがハーレムだ。こんな道路名は他では付かない。まいった。
ハーレム・125番ストリートに面したアポロ・セアター。
ハーレム・125番ストリートにあるアポロ・セアター。黒人ミュージシャン、アーティストの登竜門となる有名なクラブ。(後日撮影)

公園で若者たちがバスケをやっていた。あまりうまくない。私でも勝てるかも。「黒人=バスケの達人」という一種のステレオタイプがあるかも知れない。

その後ウィリス・アベニュー橋を渡ってブロンクスに。なんかハーレムよりこっちの方が雑然とした雰囲気。看板がスペイン語なので気が付いたが、この辺は黒人というよりヒスパニックの人たちが多く住んでいるようだ。

次にランダルズ島に。地図を見ると自転車道がたくさん張り巡らされているので行ったのだが、寂しいところだった。野球場やサッカー場ばかりがたくさんあった。

ランダルズ島を通るアムトラックの高架線。
アムトラックの高架線が走っていた。
ランダルズ島の野球場やサッカー場とロバート・F・ケネディ橋。
広くて何もないところなので野球場やサッカー場など運動施設だけはたくさんある。その向こうに見えるのが、クイーンズ側とつなぐロバート・F・ケネディ橋。
セントラルパークの東側、イースト・ハーレム付近。
マンハッタンとを結ぶワーズ・アイランド橋からマンハッタン側を望む。セントラルパークの東側、イースト・ハーレム付近。
イーストリバー沿いの自転車道(兼歩道)。遠くにクイーンズボロ橋。
イーストリバーを越えてマンハッタン側に来る。再び川沿いの自転車道(兼歩道)を南下。左手に中州のルーズベルト島が見えてくる。ここにかかるクイーンズボロ橋(遠景)を渡ってクィーンズ側に行くつもりだったが、残念ながら工事で自転車レーンが閉鎖されていた。
クイーンズボロ橋並行して走るケーブルカー。
クイーンズボロ橋には、並行してケーブルカー(ロープウェイ)も走っていた。え、山でもないこんなところに? そんなに人数も運べないだろうし、都市交通機関としては力不足ではないか。

当初計画ではクィーンズ、ブルックリン側に入り、イーストリバー沿いを南下する予定だったが、前述の通り橋が渡れないので、マンハッタンをひたすら南下することになった。2番街に整備された自転車レーンがあり、これをこれまでもよく使ってきた。新ルート開拓の興奮はない。マンハッタンをひたすら走る感覚を味わうのみ。チャイナタウン付近でマンハッタン橋に入り、ブルックリンでいつもの帰宅ルートに入り、午後10時近くに帰着。サマータイム施行時の7月とは言え、さすがに暗くなってしまった。夜でもサイクリストの半数はライトをつけていなかった。ハンドルにゴム巻きしたような小型高性能LEDライト前後一式(電池付き)が3ドル50で買えるというのに。