洗面所で不思議な経験

朝起きて不思議なことに気づいた。顔を洗うので洗面所に居たのだが、前に洗面台がある。そして何と、それを見ている「私」という物体の中に私が居るらしいのだ。地球上に何十億という人間がいることを知っている。なのに、そのたった一人のこの「私」の中になぜ私が居るのだ。実に不思議だ。

旅の中で目覚めてここはどこだろう、と不思議に思った経験を思い出した。よく考えれば、そこはキリマンジャロ麓の村の宿だ、ということにはすぐ気づいた。しかし、それではない。ここは本当はどこなのか。銀河系宇宙の、三次元の、多元宇宙の中の、…それでも不明だ。すでに70数年生きてきてしまったここは本当はどこだったのか。

「私」の中も、外も、何もわからないことだらけで、そのまま死んでいくよう運命づけられているらしい。どうすればいいのか。だから人は神に訴えたくなるのか。

で、昨日見たドキュメンタリーを思い出した。中国のがん病棟の取材。がんを患った男が「皆死ぬんでしょ。生まれてきただけ幸せだった」と笑い、立ち去っていった。中国の抑圧的な社会で一生を送り、しかもそこでがんで死んでいくのは、とても幸せとは思えない。が、この何もわからぬ世界で無から出現し、生きるという体験ができた。それが素晴らしかったことだけは確かだ。

悟りか。あの無名の庶民が何か教えてくれた。