学界のハゲタカ学術ジャーナル需要

略奪的学術誌の登場

どんな論文でも掲載料を払って載せてくれる粗悪・略奪的学術誌を「ハゲタカ・ジャーナル」(predatory academic journal)と呼ぶ。最近、大手紙にも載るようになってて、一般にも知られるようになってきた。『毎日新聞』2018年10月15日2018年9月3日2018年4月3日

著名科学誌『サイエンス』の2013年10月4日号に「だれが査読を恐れるのか?」(Who’s Afraid of Virginia Woolf?という、私のような研究者がドキリとする題名の記事が載った。だが、そういう意味に受け取る時点ですでにへぼい研究者であることがばれている。実際は「だれが査読なんぞを恐れるか」という意味。俺たちゃ全く恐れてないぜ、というふてぶてしいニュアンスになる。(米国では、1932年のディズニーアニメ『三匹の子ぶた』で有名劇中歌「Who’s Afraid of the Big Bad Wolf?」が歌われてから、この洒落た言い方がいろいろなところで使われるようになった。曲の歌詞を日本人のだれかが「オオカミなんか怖くない」と訳し(名訳だと思う)、以後、他バージョン言い回しでも、その翻訳パターンが継承された。)

そこで、このサイエンス誌記事は「査読なんか怖くない」という意味。恐れることない、怖くないぞ。いやいや、それでもまぎらわしい。決して研究者に勇気を持つよう励ましているのではない。悪徳学術雑誌が査読なしでどんどん記事を出してくれるから怖がることなんかない、という意味だ。(いろんな意味をひっかけて、いい題名なのか悪い題名なのか…)

「学術誌」157誌がフェイク論文を採用

この記事の筆者、科学ジャーナリストのジョン・ボハノン(John Bohannon)は2013年1~8月、サイエンス誌と共同で、明確な欠陥が多数あるフェイク論文を、304のオンライン・オープンアクセス学術誌に投稿した。「おとり捜査」的な実験だ。すると何とそのうち157誌で受け付けられてしまった(その後、辞退する)。98誌が正当にも却下し、残る49誌からは取りまとめまでに返答がなかった。結果の出た255誌のうち62%が欠陥論文を受け付けたことになる。

論文を送りつけた対象は、1)オープンアクセス誌のディクトリーDOAJに登録されている学術誌のうち掲載料を取っていて、2)悪徳学術誌のブラックリストとして名高い「ビールズ・リスト」にも載っていて、3)英語で出されている科学一般もしくは生物・化学・医学分野の学術誌。これを選ぶと対象304誌になったということだ。

結果の出た255誌のうち106誌は査読手続きに入ったように伝達されたが、その中でも70%はフェイク論文を受け入れた。36誌だけがこれを却下した。メガジャーナルの雄PLOS ONEも却下してきた。これが最も徹底した査読報告を出してきたそうで、実験動物を倫理的に適正に扱ったかを示す文書がないなど、かなり細かいところまで踏み込んだ改善点を指摘し、その上で却下してきたという。さすがだ。

極め付きのハゲタカ

その他にもこのような「実験」はいろいろ行われたが、極め付きは 「国際先進コンピュータ技術ジャーナル」(International Journal of Advanced Computer Technology)のケースだろう。非常に権威ありそうな誌名だが、ここからの投稿勧誘メールがあまりにしつこいので、コンピュータ科学者のDavid MazièresとEddie Kohlerが、2005年、「Get me off your fucking mailing list」とだけ書き連ねたニセ論文を投稿した。するとこれが受け付けられてしまったというのだ。「お前のくそメーリングリストから俺を外せ」くらいのニュアンスだ。どんな「論文」だったかぜひ上記リンクを見て欲しい。論文題名からしてその一文だし、以下、ただただそれが延々と繰り返されている。しかし、一応「概要」や「図1、2…」などがあり、段組みも施されて、外見だけ見れば学術論文の体裁になっている。よく見ると、図の題名も、図の絵柄もすべて例の一文で、尋常な凝りようではない。珠玉の「論文」芸術作品だ。

これを受け付けるということは、見てもいないということだ。添付ファイルを開いてもいないかも知れない。匿名査読者から「優秀」という評価が付き、「掲載料150ドルを払って下さい」との自動メールが返信されてきたという。

900誌を越える粗悪学術誌

前出「ビールズ・リスト」(Beall’s List)は、コロラド大学のライブラリアン、ジェフリー・ビールが2008年につくり始めた悪徳学術誌のブラックリストだ。2016年末までに926の「略奪的出版社」がリストアップされていた。世界中の研究機関から重宝されていたが、どこまでがオープンアクセス学術誌でどこからハゲタカになるか区分けが難しい。前述サイエンス誌記事の調査では、対象となったビールズ・リスト内学術誌の82%がフェイク論文を受け付けた。逆に言うと、18%は正当にもこれを却下したということだ。

ビールは、ブラックリストに載せた学術誌から訴訟の脅しを受け、彼の勤めるコロラド大学にも圧力がかかり、2017年1月にリストを閉鎖した。気の毒なことだ。閉鎖を惜しんだ人たちが別のサイトでこれを再録、更新し続けている

学界にハゲタカの需要がある

「食うものと食われるものの関係ではない」とニューヨーク・タイズが吠える。「これは供給が需要を満たす古典的ケースだ。」

「ハゲタカ・ジャーナル」は英語のpredatory journalの訳。「捕食的・略奪的ジャーナル」の意味だ。この言葉から、純粋無垢な研究者が金儲け略奪者の餌食になる、という構図を想像しがちだが、そうではない。研究者側にそれを求める強い需要があり、そこにハゲタカが入ってきて必要なものを供給しているだけだ、と説く。識者のコメントを通してだが、「新しい醜い共生」とも表現する。むろんハゲタカに走る研究者の厳しい状況にも触れてくれている。「大学や短大、そしてコミュニティ・カレッジまでが、学術出版するよう教員に迫る。多く出版すれば出版するほどよい。それによって学者とその所属大学は名声を得ようとし、過剰化した博士号取得者も、目の前に垂れ下がる職とキャリアのために競い合う。」

同紙記事は、ハゲタカの全体像を説明する中で、「こうしたジャーナルは今や1万誌を越え、まともな学術誌の数に近くなっている」と書いているがこれは多すぎる。DOAJ登録のオープンアクセス誌数と混同しているのではないか。

カナダ・トーマスリバーズ大学のデレク・パイン教授にインタビューしているのはよい。同教授は、ハゲタカ・ジャーナルの利用で、大学がで実際にどのような報酬を学者たちに与えているか査読付き論文で分析した。ハゲタカ・ジャーナル批判の論文は多数あるが、学界の実際の利益構造に切り込んだ論文は初めてだ。それによると、信頼できる学術誌に論文を出すよりも、ハゲタカに出した時の方がメリットが大きいという結果が出た。パイン教授の大学では、半数以上の教員がハゲタカへの寄稿歴があり、それで業績水増しをした人が学内の賞を得たり、テニュア(終身教授職)を得たりしていたという。

記事はまた地元ニューヨークのクィーンズボロー・コミュニティー・カレッジを取材。学内で約10名の教員が連続してハゲタカに論文を出し、それで昇進しているという。懸念する同僚教員らが(連邦・市資金を使った研究であることから)州検事局に訴え出る事態にもなっている。

「学者は売るために書くのではない」

いきなり筆者の話で恐縮だが、昔、サンフランシスコでフリーライターをやっていた頃、「研究者は、売るために(論文を)書くのでない」という学界の方々の言説を聞くことがあった。だれかをさげすむために言うのではなかったろうが、当時、記事を売ることを飯のタネにしていた私は、それを見聞するたび心穏やかではなかった。フリーライターが書いて飯のタネにすることの弁明、というか市場の中で書くことのすばらしさについて私なりの見解はここに書いておいた

今回、オープンアクセスの資料をあさる中でまたそうした言説を頻繁に見た。何しろ、オープンアクセス運動の原点とも言えるスティーバン・ハーナッドの宣言書「転覆的提案」(1994年)の中にもそれが出てくる。学者、研究者の書くものを利益を目的としない「秘教的esoteric(非商業的、非市場的)な科学的・学問的発表」と表現し、次のように言う。

「これは、著者が決してその文章を売るSELL(強調有り)とは思わない研究成果群である。研究者は単に研究を発表PUBLISH(強調有り)したいだけで、世界中の研究仲間、秘教的科学者・学者の目にそれを届けることを求めている。知的探求の協働事業の中で互いに他の研究者の成果の上に立脚できるようにするためだ。数世紀にわたり、秘教的出版の著者たちは、止むを得ない必要から、そこに値札を付け、成果と読者の間に障壁をつくるファウスト的取り引きを行ってきた。紙媒体の出版(そしてその大きな費用)が唯一の方法だった時代に、研究を発表するのにはそうする他なかった。」

学問の構造

ハゲタカ・ジャーナルに殺到する学者の姿は、この格調高い「秘教的」姿勢を裏切るものだ。真実を言おう。学者は真理を伝えたいがためだけに論文を発表するのではない。それで評価を得、雇用、昇進、助成獲得をしたいがためにも論文を書く。直接の原稿料は当てにしてはいないし、むしろ掲載料を払ってでも論文を発表する。しかし、その先にある目的はやはり「飯のタネ」だ。一段階隔てるが、やはり学者たちも利益、飯のタネのため書いている。

生物学界で20年来オープンアクセス運動に携わり、今はメガジャーナルともなったPLOS ONEの共同設立者でもあるマイケル・アイセンらが、鋭くも指摘している。「科学者が論文を発表する理由は二つある。一つは研究成果を学界に報告すること、もう一つは、それによって雇用、昇進、資金獲得のための評価を得ることだ。発表行為が、主に発見を知らせたい欲求に基づいているなら、生物科学者はプレプリント(掲載前草稿)を発表する機会に飛びつくはずだ。それにより、研究がコストをかけず最も迅速かつ広い層に行きわたるからだ。しかし、そうなってないのは、ほとんどの生物学研究者にとって、どういう形で発表するかが彼らのキャリアに影響を与えるからだ。」

ハゲタカ・ジャーナルは、学者のこの「飯のタネ」側面があらわになった現象だろう。オープンアクセスは、真理を求めて発表したい研究者たち善意から生まれたものだが、アカデミズム内部の闇に対する冷静な認識を欠いていたのではないか。オープンアクセスの一角にハゲタカを入り込ませてしまった。

そもそも「飯のタネ」を軽蔑する姿勢がよくない。人は皆「飯のタネ」が必要だ。この地上に存在する生物である限り、何等かに「飯のタネ」を確保して生きている。人間界のハゲタカと違って自然界のハゲタカは、草食動物などの捕食者として生態系の頂上からエコシステム安定の仕事に奔走しながら飯のタネを得ている。フリーライターは原稿を売って、出版社は学術誌その他を売って、大学は学生から授業料を取って、学者はそこから給料をもらって生存している。世界が皆利益追求の中、学者だけが無縁の世界に居るというわけではない。研究は真理追求という尊い活動で、これに利益追求を持ち込む学術出版社はけしからん、と主張する時忘れていることは、学者たちも、若者の教育という尊い事業に高額料金を課し、そのおこぼれで生活させて頂いているということだ。

うむ、ちょっとリキが入ってきたようだ。私も、一時期大学教員だったが、また一介のフリーライターに戻ったため、この辺の認識が気がかりになるのだろう。

だれもが「飯のタネ」は必要

つまり、みんな「飯のタネ」を何等かに確保するため事業、仕事、ビジネスを行っている。それぞれにビジネス・モデルは異なるが等しく飯のタネが確保する活動だ。表面だけを見て「飯のタネにしてけしからん」とは言えない。そして、どのビジネス・モデルの中にも適正な範囲、倫理という枠がある。フリーライターも売れることを狙い過ぎてセンセーショナルなものばかりを書いていると道を踏み外す。出版社も学術雑誌をあまりに高額にしていると反動が来る。研究者も剽窃その他研究不正をしてはいけないし、ハゲタカに近寄る誘惑ともたたかわなくてはならない。ビジネス・モデルの違いを非難するのでなく、それぞれの分野での職業倫理に基づき適正なビジネスをしていけばよいのだ。

なぜ学術誌掲載時査読が残存するのか

これに関連して思うことは、査読が依然として学術誌への掲載時に結びついている事実だ。前稿で、掲載時査読がいろいろ欠陥はあるものの、それに代わる実効的制度が見つからず残っている、という事情を見た。出版社は、飯のタネをかけて真剣勝負をしている。ひどい論文を載せれば、その学術誌への信用が壊れビジネスが破綻する。従業員を路頭に迷わす。だから真剣だ。学者が真剣でないとは言わない。しかし、学問レベル維持・向上のための査読という理想主義は、飯のかかった真剣勝負に迫力で勝てていない。したがって依然としてここでの審判が最も深刻な精査として機能しつづけている。

論文のオープンアクセスのため「セルフ・アーカイビング」を唱導するePrints Soton(スティーバン・ハーナッドが所属する英サウサンプトン大学の論文セルフ・アーカイビング・サイト)は査読改革について、ウェブページで次のように言っている

「査読は欠陥がないわけではない。しかしこれを改良するには、何よりも、新方法を慎重にテストしなければならない。審査された論文の品質を維持するため、少なくとも、既存の査読と同等の効果があるかどうか、実際に確証しなければならない。こまでのところ、どのような新方式も効果ありと検証、証明されていない。現在の査読の改革または廃止提案は、推測的な仮説にすぎず、査読論文公開の観点からは、人をたぶらかすもの(red herrings)でしかない。」