学術論文のオープンアクセス

目次

  1. オープンアクセスの誕生
  2. 政府情報へのパブリック・アクセス
  3. オープンアクセスの現状(数字)

1、オープンアクセスの誕生

学術論文を無料でネット上に公開するオープンアクセス(OA)の流れが拡大している。学術雑誌の高額化に対抗し、インタネット時代が到来する中ではじまった。その最初のきっかけをつくったのが、1994年6月に、英サウサンプトン大学心理学教授スティーバン・ハーナッド(Stevan Harnad )が出した「転覆的提案」(Subversive Proposal)だ。正確には「秘教的な科学と学問のための公開FTPアーカイブ:ひとつの転覆的な提案」といい、その年の11月にロンドンで開かれる「ネットワークサービス会議」用のプレゼン資料としてネット上に発表された。学術論文が利益のために書かれるのではないことを「秘教的」(esoteric)という言葉で表わし、そうした科学的追求が「ファウスト的取り引き」(学術誌の高額購読料)を介してしかできない状況の打破を呼び掛けた。

ネット上に論文を公開する呼びかけ

主張は単純なことで、FTPサーバーなどでネット上に発表論文を公開しようと、ということ。「秘教的著者が、世界中からアクセスできるFTPアーカイブを立ち上げ、今後書くすべての秘教的論文をそこに載せるようにすれば、以前から可能性を示唆されていた紙の学術誌から純電子的な学術誌への転換がすぐにでも始まる」とした。20年以上前の文書だ。アノニマスFTPやゴーファーなど懐かしいネット上アプリ名が出てくる。しかし、とにかく世界に開かれたインターネットが出現し、そこに文書を置けるようになったのだから、環境は今と同じだ。一旦載せればどこからでも論文にアクセスできる。高額購読料で壁をつくられていた学術論文をそういう形でオープンアクセス化する提案であり、「紙による学術出版の凋落」を招き寄せ「そうした時代の到来をラジカルに早める転覆的提案」だとした。

プレプリント論文の公開

この「提案」の中でハーナッドも触れているが、すでにプレプリント(学術誌による査読・出版前の原稿)をFTPサーバーで公開する動きは始まっていた。これもある意味オープンアクセスの走りと言える。有名なのは1991年にロスアラモス国立研究所(LANL)のポール・キンスパークが立ち上げた高エネルギー理論物理学分野の「LANLプレプリント・アーカイブ」だ。2002年にコーネル大学に移転してarXivとなり、現在では理工系の多分野、月間1万2000本以上のプレプリント論文を載せる巨大サイトになっている。

ハーナッドは「提案」の中で、プレプリント・サーバーが広く普及すれば、学術誌に論文が掲載された後、その最終バージョンを代わりにネット上に出すようになり、オープンアクセスが広まる、と説明。プレプリント公開からオープンアクセスに至る道筋を示していた。ただ、彼はあくまでもオープンアクセスは学術誌掲載論文の公開であって、プレプリント公開はその範疇に入らないという立場を取っている。

ブダペスト・イニシアチブ

2001年11月、オープンアクセスの指導者たちがブダペストで会議を開き、その討論に基づいて2002年2月、宣言文「ブダペスト・オープンアクセス・イニシアチブ」(BOAI)を発表した。これが、以後のオープンアクセス運動の支柱となる。BOAIはオープンアクセスを次のように定義している。

「[ピアレビューされた研究文献]への「オープンアクセス」とは、それらの文献が、公衆に開かれたインターネット上において無料で利用可能であり、閲覧、ダウンロード、コピー、配布、印刷、検索、論文フルテキストへのリンク、インデクシングのためのクローリング、ソフトウェアへデータとして取り込み、その他合法的目的のための利用が、インターネット自体へのアクセスと不可分の障壁以外の、財政的、法的また技術的障壁なしに、誰にでも許可されることを意味する。複製と配布に対する唯一の制約、すなわち著作権が持つ唯一の役割は、著者に対して、その著作の同一性保持に対するコントロールと、寄与の事実への承認と引用とが正当になされる権利とを与えることであるべきである。」(Budapest Open Access Initiative(February 14, 2002)。日本語訳はBOAI10「ブダペスト・オープンアクセス・イニシアティヴから10年:デフォルト値を「オープン」に」から。)

当初は、研究者個人がウェブサイトなどで掲載論文を公開する方向が主にイメージされていたが、BOAIは次の2つの路線を定式化した。

  • (1)セルフアーカイビング

当初のイメージ通り、研究者個人がウェブページなどに掲載論文を公開することで、後に「グリーン・ロード」とも言われるようにもなる。個人サイトだけでなく所属大学・研究機関の機関レポジトリなどでの公開も含まれるようになった。学術誌が研究者によるウェブ公開を認めること(グリーン信号)で公式に可能になる。

  • (2)オープンアクセス学術誌

有料の学術雑誌などが自ら無料でネット上に論文記事を公開するオープンアクセス。後に「ゴールド・ロード」とも呼ばれる。実現のための財源として財団助成、政府補助、大学・研究機関資金、研究者個人からの寄付など多様な「創意的オルタナティブ」を追求することを呼びかけた。

ビジネスモデルとして成功

当初、(2)は困難が伴うと見られていたが、オンラインのみで、かつ著者からの掲載料(APC)で成り立つオープンアクセス学術誌が生まれて状況が変わった。「メガジャーナル」まで出現するに至り、ビジネスモデルとして成功。むしろ今後の主要な学術誌の在り方になるとの展望も出始めた。

研究成果の自由な発表と公開を求める研究者たちの運動は、当初は、高額掲載料を取る「利益追求」学術出版社への抵抗という側面が強かった。しかし、学術出版社はオープンアクセスの要請に抵抗しながらも何とかこれに耐え、逆にしぶとく適応する道を見出してきた。(無料アクセスで最も多いのは、ゴールド、グリーン、ハイブリッドなどのオープンアクセス方式ではなく、学術出版社が明確な基準なしに自発的にウェブ上で論文を公開する形式だとの報告さえある。)

「ハゲタカ・ジャーナル」という鬼っ子を生み出してしまったこともそうだが、メガジャーナルなどのオープンアクセス巨大産業を生み出したことも、彼らにとって予想外の展開だったのではないか。激変の中で奮闘する学術出版社とも協働しながら今後の方向を探ることが大切ではないか。

2、政府情報へのパブリック・アクセス

ネーダーグループの政府データベース公開運動

私は1990年代に、米国の政府データベース公開運動を取材していた。ワシントンDCでこの運動を主導したネーダー・グループ「納税者資産プロジェクト」(Taxpayers Asset Project、現在のKnowledge Ecology International)のジェームズ・ラブ氏を日本に招き全国を講演行脚して頂いたこともある。政府情報は国民の税金でつくられたものだから、そのデータベースは当然国民に無料で公開されるべき、との主張から「納税者資産プロジェクト」という団体名がつけられた。

ラブらは、証券取引委員会(SEC) の企業データベースEDGAR、連邦議会のデータベースLEGIS、司法省の法律データベースJURIS、CIAの外国放送情報データベースFBIS、特許データベースAPSなど多数の政府情報データベースが、商業データベース会社を通じて高額で提供されていることを問題視し、これを国民に無料公開させることを求めた。これを「第2の情報公開」「インターネット時代の情報公開運動」と呼んでいた。

メドライン公開

この政府データベースの一つに「メドライン」(Medline)があった。当時で世界70ヶ国3800百の医学雑誌を網羅する本格的な学術データベース。古いもので1966年から900万件以上の記事情報が概要付きで入っている。これが、1997年6月にネット上に公開された。約100誌については全文記事も読めるようになった。

これらを取材した記事を読むと、当時の私は一般市民の立場からこうした学術データベースのオープンアクセス化を見ていたようだ。研究者にとっても有用だったが、病気で苦しむ患者が最新の療法について正確な知識を得るなど、学術情報のオープンアクセスは一般市民にも重要な意味があった。

「税金の助成を受けた研究は一般公開」の原則

2004年には、「オープン・パブリック・アクセス」を求める学術、出版、市民団体などで「納税者アクセス連合」(Alliance for Taxpayer Access)が設立され、政府助成(税金)で行われた研究を市民に開放するキャンペーンを全面化させた。その一つの成果として、2007年にアメリカ国立衛生研究所(NIH)の助成を受けたすべての研究をオンライン公開する条項の入った法律(H.R.2764)が成立。発表論文を、掲載から1年内にNIHの論文アーカイブPubMed Central (PMC)を通じて公開することを義務付けた。2018年11月現在、これに2100雑誌以上が「フル参加」し、それ以外を含めて計7300誌以上、510万論文が収録され、アクセスが可能となっている

その後、政府情報の公開は爆発的に拡大した。インターネット時代、政府情報をできる限りネット上に出すことは常態となっていった。2012年度には、以前から教育関係のデータベースERICを構築して教育情報の一般公開を進めていた教育省教育科学研究所(IES)がNIH方式の査読論文公開義務化を導入した。IESの資金援助を受けた研究は1年以内にERICに成果論文を提出することとした。2013年2月には、オバマ政権下の大統領府科学技術政策局(OSTP)が、省庁長官宛メモランダムという形で「連邦助成科学研究成果物へのアクセス促進」施策を発表。年間1億ドル以上の部外研究開発助成を行っている省庁に対し、助成研究から生まれた論文などへのパブリック・アクセス計画を策定することが求めた。これに基づき、すでに少なくとも19の省庁が計画を明らかにしている。

オープンアクセス vs パブリック・アクセス

別の道を歩んできたオープンアクセスとパブリック・アクセスがここで合体した。奇妙な邂逅だったろう。別方向から来て、互いに運動を強めあった。今のところ相互に利益矛盾はなく、補強しあう関係になっている。

パブリック・アクセスは日本語で「公共アクセス」と訳すと若干意味不明だが、the publicは英語では公衆、一般市民のこと。だからパブリック・アクセスは市民の(政府情報などに対する)アクセスを確保する意味となる。一般市民が法律データベースや議会データベースなど市民参加を強めるため情報アクセスを求めた。情報公開の第2段階、インターネット時代の情報市民運動だった。

研究者主導で広がった「オープンアクセス」は、むろん一般市民にも利益をもたらした。学者さんの論文はあまり面白い読み物ではないし、中にはハゲタカ・ジャーナルに載るひどい論文もあるらしいが、それでも比較的には論拠に基づくしっかりした記事だ。それが大量に無料で読めるようになった。へぼいフリーライターには脅威だが、一般市民にとっては歓迎するところだろう。

研究者側も、パブリック・アクセスから思いがけない援護射撃を得た。「税金で行われた研究は納税者に無料で還元」という論理は明解で説得力があり、それが法律で義務化されては、学術誌の抵抗も無力化される。研究者たちは、このパブリック・アクセスがどこから来たのか最初は不思議に思ったかも知れない。しかし、とにかく強力な援軍だった。特に医学などの分野では、論文が公開されれば市民にとっても有益になることを学んだ。科学者と一般市民の共通の基盤を知らされた。(また、研究者にとっては現実的利得もあり、論文をオープンアクセスにする際、掲載料を払うことが多いが、これなしにオープンアクセスを実現できることになった。

「情報は自由を求めている」

この「邂逅」を一般的な地点から見れば、共にインターネット時代に起こるべくして起こった情報オープン化の流れだった。情報の配布にほとんどコストがかからなくなった。情報媒体の作成も電子形態であれば(オンライン学術誌、電子書籍、政府情報各種サイトなどを見てもわかる通り)安価になった。情報の作成には依然、多大な労力と時間がかかる。しかしそれを電子化し配布するコストは安い。それまで例えば議会録情報、法案情報、法律情報などにしても、配布のためには印刷物にする必要がありコストがかかった。出版社やデータベース会社などプロの手を借りなければならず、勢い完成物の入手は「受益者負担」で有料となった。政府助成を受けた学術論文も同様の仕組みで、出版社から高額購読料で読者に売られていた。

しかし、インターネット時代だ。「情報は自由を求めている」。低コストで世界中に広がろうとする情報を抑えることはできない。オープンアクセス、パブリックアクセス。あらゆる分野で公開の流れが強まる。

政府情報は比較的これを実現しやすい分野だ。何しろ読んで面白い文書ではない。読み物としてつくられるというより、行政・議会活動の中で生成された大量の記録文書だ。これを電子化して無料でネット公開するのは特に差支えはない。それどころか「税金でつくられた情報は…」の論理、「これが見えぬか葵のご紋」の大義名分もあった。

一般の雑誌、新聞、書籍は読んで面白いことを目指し、売ることを前提につくられている。低コストで配布できるようになっても、そう簡単に無料公開するわけにはいかない。一般読者も買ってでも読みたい人は多い。ネット上の雑誌・新聞の多くが依然として「ペイウォール」(料金の壁)の向こうにあり、電子書籍も基本的に有料商品にとどまるのはこのためだ。

学術論文はどうか。読んで面白くはない。売りにくいし、研究者も売って稼ごうとは思っていない。だから無料公開のオープンアクセスがある程度普及してきた。しかし、購読料を基本にした有料学術誌は依然として残る。この場合には、学術誌が査読制度を経て情報のランク付け機能を果たすという要因が存在する。学術雑誌は単に研究成果を広く発表する役割を果たすだけではない。査読と採否判断を通じて論文に評価を与える役割も担っていた。『ネイチャー』に載ったから一流の論文だ、『〇〇学会誌』に乗ったから一流だ、科学的に信頼に足る、と人々が判断する。学術論文に科学としての信頼性と評価を付与する。そしてその結果が研究者の雇用、昇進、助成金取得にも結びついていた。だから学術雑誌はそう簡単にはなくならない。

しかし、評価や科学的信頼性が、なぜ、学術誌採否のところで決定される必要があるのか。これまでは紙面が限られていたため、取捨選択しなければならず、そこで査読(と編集者による一定の判断)が行われた。そこに評価機能が結びつたのだが、必ずしもそこでなくてもよいのではないか。別の形(例えば発表後の相互交流)で科学者間での自由な相互評価(より「ピアレビュー」にふさわしい)が行なわれる方法でもいいのではないか、ということで現在様々な試みが行われている(次稿参照)。

3、オープンアクセスの現状(数字)

1万2268誌、347万4686論文がオープンアクセス

オープンアクセス学術誌は順調に増加している。そのディレクトリーであるDirectory of Open Access Journals (DOAJ)は、登録初年2003年に35誌を数えるのみだったのが、2003年513誌、2004年1009誌、2005年1533誌と増え、2010年には5212誌、2018年11月7日現在で128カ国1万2268誌、論文総数347万4686本にまで増えた。DOAJはスウェーデンのルンド大学によって運営され、査読付きオープンアクセス学術誌のみを登録する。審査や登録後チェック・プロセスもあり一定の信頼性を確保していると思われる。2013年のサイエンス誌の「おとり捜査」記事で、DOAJ内に問題のある学術誌が含まれていることが発覚してから、徹底したオーバーホールを行い、2015年までに、事実上休刊しているような雑誌も含め3300誌を排除した

学術誌の36%がオープンアクセス

現在、全世界の学術誌の約30%がオープンアクセス誌と推定される。

パーセントを厳密に確定するのは難しい。世界の学術誌総数がはっきりしないからだ。定義にもより、全世界に8万~30万の学術誌があるという。査読のある学術誌について様々な推計が行われている。2018年3月のInsider Higher Ed記事は、Web of Scienceの索引から2万7000誌+それ以外の非英語圏査読誌9000誌、計3万6000誌という数字を出している。非英語圏を重視した書誌データベースとして定評のあるScopusは、2017年8月段階で世界5000以上の出版社からの2万1950の査読付き学術誌を収録。2018年11月段階の公式ウェブページでもこの数字を維持している。引用によるインパクトファクターのデータを提供するSCImago Journal & Country Rankは、基本データをScopusから取るが、2018年11月段階のウェブページで「世界239カ国5000以上の出版社からの3万4100誌以上」の学術誌を対象、としている。International Association of Scientific,Technical and Medical Publishersは2015年3月に「学術誌出版350周年記念」のSTM Report(1665年に初の学術誌が仏英で発出版された)を出版し、2014年末段階で英語の査読学術誌2万8100誌+非英語圏学術誌6450誌、計3万4550誌という数字を出した。他にも、 書誌データベースInternational Scientific Indexing (ISI)とUlrich’s International Periodicals Directoryを用いた2006年の推計で2万3750誌、Ulrich’sを用いた2001年の調査で1万4694誌、などの推計もある。

これらは調査・推計方法が違い、一列に比較することはできないが、例えばSCImagoの3万4100誌という数字を取れば、DOAJ登録のオープンアクセス1万2268誌は36%ということになる。

オープンアクセスは年間発表論文の1割、4割?

論文数で言うと、前述の通り、2018年11月現在、DOAJに347万4686本の査読付きオープンアクセス論文が登録されている。ただ、1年間にどれだけのオープンアクセス論文が出るかは示されていない。一方、学術出版社が自主公開する「オープンアクセス」が主流になってきたという刺激的研究を発表したPiwowarらは、Crossref DOIサンプル調査により、全体で1860万の「オープンアクセス」論文が存在するとした。その全体に占める割合は年ごとに増え、調査最新年の2015年には発表学術論文全体の44.7%、「100万を大きく上回るオープンアクセス論文」が出されたとする。ここには、学術出版社が明確な基準なしに論文を自発的に公開する著者ら言うところの「ブロンズ・オープンアクセス」も含まれる。

さらに、毎年の全査読付き学術論文発表数を約250万とした上で、その10%程度がオープンアクセス・データベースであるDOAJに含まれるとの指摘もある。この年間論文総数250万本という数字はいろんなところで見るが、これは一つには権威ある前記STM Reportが採用したからだ。しかし、その元をさらにたどると、Plumeらの研究にたどり着く。Scopusデータを基本に2013年に240万の学術論文が発表されたとした。この研究は決して学術論文数確定を目指したものでなく、「研究者が業績数を上げるため共著論文を増やしている」という傾向を論証した(それなりにまた面白い)研究だ。その検証の一部に副次的に出てきた数字なのだが、これが大きな役割を担わされ各所に出回っているようだ。それだけこの種の統計がないということだろう。各種データからオープンアクセス論文が増えていることは確かだが、全体の何%になっているか断定するのは控える。