なお、本研究にあたっては、シキシマ学術・文化振興財団第19回研究助成の支援を得たことを記し、謝意を表する。
財政の国際比較を厳密に行なうのは難しいが、上記米国側データに近い日本の地方財政内訳を示したのが表3である。自主財源が約6割、国からの収入が約4割となり、アメリカに比べると自主財源が弱く国からの財源委譲が大きいことがわかる。現在進行する「三位一体改革」の帰趨によって変わる側面もあるが、地方交付税や国庫支出金など国財源への依存、地方の課税自主権の弱さなどこれまで指摘されてきた日本の地方財政の問題を示す数字である。
ただし米国でも、州内の財源委譲を見た場合、州政府から自治体への政府間収入が35%を超え、連邦政府からの収入と合わせて4割に達している。財源の全域的な再配分によって地域間格差をならすことは社会政策的に必要な措置であり、どこの国でも行なわれている。その程度とバランス、効果が問題だということであろう。
歳入合計
948,870
国からの収入*1 374,007(39.4%)
内地方交付税 180,693
<19.0%>
〃国庫支出金 130,605
<13.8%>
自主財源*1 574,863(60.6%)
内地方税 326,657
<34.4%>
出典:総務省『平成17年版「地方財政の状況」の概要』P.4の表「歳入決算額の内訳」から作成。
*1米国統計と整合させるため、地方交付税、国庫支出金、臨時財政対策債、地方特例交付金を「国からの収入」とし、それ以外を「自主財源」とした。
これらの数字をベースに、双方の政府財政の国・地方別割合を対照したのが表4である。日米ともに、国がより多く資金を集め地方がより多くを出費している。しかし、その乖離は日本の方が大きい。つまり、米国では、地方が全政府歳出の55%、歳入の44%を占め、歳出入のバランスが比較的取れている。これに対し日本では、地方は歳出で6割を超えるのに、歳入は4割を占めるだけ、と乖離がやや大きい。
こうした乖離は、中央による資金の再配分・格差是正のためある程度しかたのないことだが、進みすぎると各種弊害が出る。中央による地方コントロールの問題が生ずるのはもちろん、地方が自ら責任をもった事業と財政支出を行なうインセンティブを弱める。地域に本当に必要な事業かどうか身銭を切った決定をするかわりに、中央からの資金に安易に頼り事業を進める弊害が出る。
日本
米国
歳出 歳入 歳出 歳入
-----------------------------------------------
国(連邦) 39.6%
59.9% 44.8% 56.0%
地方
60.4% 40.1% 55.2% 44.0%
-------------------------------------------------
総額(10億ドル) 1,445 1,417 3,439
3,557
出典:橋本万里「州財政赤字状況」『建設経済研究所米国事務所報告書』(2004年3月、(財)建設経済研究所)、図表7-1、7-2より。
アメリカの地方自治の教科書には次のような税の基本が必ず書いてある。「自治体(local governments)は、その課税行為が合衆国憲法の諸規定に沿う限り、誰に対してであれどのような税であれ自由に課すことができる」2)。合衆国憲法の主旨からの制限されるのは、「連邦議会の同意なく輸出入に課税したり積荷に関税をかけること」「連邦政府施策を妨害するためにその課税権を用いること」「州際通商を差別し、それに不当な負担をかけるか直接課税すること」「個人から法の下における平等な保護を奪うために課税権を用いること」「正当な法手続きなく個人から財産を奪うこと」などである。これらのことがない限り、州権の下において自治体は自由に課税権を行使できる、というのである。
そもそも、自治体の課税権は何ら国(連邦)のかかわる問題ではなく、それぞれの州の州法がそれを規定している。逆に言うと、アメリカの連邦政府は自治体財政に何ら責任をもたず、地方交付税のような形で地方の財源確保を行なう義務がそもそもない3)。
カリフォルニア州でも、その政府法(地方自治法にあたる州法)が自治体の課税権を明瞭にうたっている。つまり、「州税法で禁じられる場合を除き、また州憲法で規定された住民投票による承認を条件として、いかなる市の立法機関もいかなる税金をも課すことができる」と規定し、この点に関して一般法市も憲章市と同等であると規定している4)。実際、カリフォルニア州の自治体は、財産税(Property tax)、売上税(Sales and Use Tax)、車両ライセンス税(Vehicle License Fee)をはじめ、市によって事業ライセンス税、公益事業利用税(Utility User's Tax, UUT)、ホテル税として知られる一時滞在税(Transient Occupancy Tax)その他多様な税金を設定している。
ドン・メイヤーによれば「カリフォルニアの市は、その広い"ホームルール"権限を全面的に活用して、これら貴重な税金を採用・実施する新しい方法を開発する上で驚くべき創造性を発揮してきた」5)という。そこまで持ち上げる彼は、しかし一方でその弊害を自治体の課す電話事業税を例に次のように説明している。カリフォルニア州では165自治体が公益事業税を施行しているが、「ある自治体は州内通話のみに課税し、他は州内、州際、国際通話に課税する。ほとんどの自治体は携帯通信を含むと解釈するが、含まないと解釈するところもある。公益事業税からの除外方法も様ざまで、公的機関、公立学校、保険会社、連邦信用組合、低所得者、あるいは高齢者などを対象外とする場合がある。税金の徴収・納入要件も異なり、納入締切日、罰則、利息、監査方法も様々で(以下略)」6)とその「多様性」を精力的に解説し続ける。
なお、カリフォルニア州の自治体歳入の内訳は表5の通りである。
税収 12,628,999 (29.76%)
売上利用税 3,960,907 (9.33%)
財産税
2,930,616 (6.91%)
公益事業税 1,422,407 (3.35%)
事業ライセンス 825,400 (1.94%)
交通税
505,943 (1.19%)
公債
283,905 (0.67%)
その他
2,699,621 (6.37%)
サービス料金 15,418,487 (35.33%)
償還政府間収入 5,527,989 (13.03%)
資金施設利用収入 1,697,210 ( 4.00%)
許可罰金料他 1,546,051 ( 3.64%)
その他
4,715,407 (13.24%)
計 12,628,999 (100% )
出典:California State Controller, *Cities Annual Report: Fiscal Year
2002-03*, State of California, February 2005, pp.vi-vii.
カリフォルニアの自治体(市、郡、特別区)の場合は、その課税、増税に関して自治体レベルの住民投票による過半数もしくは三分の二以上の合意が義務づけられている。同州では、税金に関する他、公債の発行、市長・市議の昇給など多くの行政上の決定で住民投票が義務づけられており、ほぼ2年に一度の統一地方選の日には、こうしたお金にかかわる住民投票案件が多数出る(そして多くが否決される)。
税に関する決定に(自治体レベルの)住民投票の義務づける制度は、それ自体が(州レベルの)住民投票によって導入された。1978年の提案13(カリフォルニア憲法第13条Aの修正)、1986年の提案62(政府法など州法の改正)、1996年の提案218(カリフォルニア憲法第13条C、Dの修正)などがこれにかかわる。具体的には次の通りである7)。
1)市及び郡の「一般税」(用途を限定されない税金)の導入・税率変更などについては、市議会・郡議会で3分の2の賛成を得た上、対象地域の住民投票で過半数の賛成を得なければならない。
2)市及び郡の「特別税」(特定の目的にのみ使われる税金)の導入・税率変更については、市議会・郡議会の過半数の賛成を得た上、対象地域の住民投票で3分の2以上の賛成を得なければならない。
3)学校区その他の特別区の税金導入・税率変更などについても、市議会・郡議会の過半数の賛成を得た上、対象地域の住民投票で3分の2以上の賛成を得る必要がある。
日本では例えば消費税などいつの間にか導入され、いつの間にか内税(総額)表示に変わった、と感じる人も多いだろう。カリフォルニア州では、こうした案件は住民投票にかけられ、一度は必ず市民個々人の判断プロセスを経る。民主主義と地域自治の観点からこのようなシステムの優位性は明らかだろう。
むろん、いろいろ問題もある。例えば、毎回、選挙ごとに、難しい法律用語の住民投票法案が、自治体レベル、州レベル共に20件くらいずつ選挙案内に載るのだ。選挙案内自体も詳細な解説を含め合計300ページくらいになる。判断する市民も相当の勉強を強いられる。また後述のように、財産税削減により自治体財政を危機におとしいれた1978年の提案13などのように、悪法が住民投票で通ることもある。しかし、それらのデメリット・失敗を含めて市民が自ら判断して税制づくりに係わるシステムのメリットは大きいだろう。
民主主義社会とは、何事も市民が自ら出費し自らの決定で行なう社会である。自分のふところを痛めてその公的事業を行なうか否か、決断に市民が直接係わることは民主主義にとって重要である。少なくともそれは、税を市民に身近な課題にとどめおく。
別稿で詳述したように8)、アメリカで自治体は、住民がつくると(住民投票などで)決議して初めてできる。住民が設立を決議しなければ自治体はない。面積的には国土の9割以上、人口的には国民の4割が自治体のない地域(未法人化地域)に住んでいる。これら無自治体地域では州の下部機関たる郡などが最低限の行政サービスを提供しているが、より充実した地域密着の公共サービスを実現したい、ということになれば「自治体をつくる住民運動」がはじまる。
これもまた目を見張るような民主主義の制度であり、もちろん市民は高い自治意識にかられて自治体をつくるのであるが、しかし、その背景に税金を含む各種金銭的インセンティブもからむ。日本の「平成の大合併」が様ざまな財政操作によって誘導されているように、アメリカの自治体形成も、財政の制度的枠組みの変遷を背景に損得勘定で推進ないしは抑制されてきた。納税者意識の強いアメリカでは、これが特に顕著になる傾向がある。ここでは、カリフォルニア州における自治体形成がどう影響されてきたかをみ、その動向をたどりながら、自治体形成という自治の理念にかかわる問題を現実的利害の観点から説きあかすことを試みる。
一般に自治体は、フロンティアの開拓につれて設立され、開拓が飽和に近づけば新規設立は減っていく。1848年以降、1900年前後に自治体設立がピークに達した後、長期的に見れば今日に至るまで設立数は減少している。
大恐慌、第二次大戦期に設立が一挙に下火になった後、戦後の50、60年代に再び活発な自治体設立ラッシュを迎える。70年代に一旦沈静化した後、80年代に若干の活性化を見、90年代後半に再び下火となる。
その経過と背景を以下に詳しくみる。
年代 自治体設立数 人口
1850-1854年 15 98,000(1850年)
1855-1859 6
1860-1864 0 380,000
1865-1869 10
1870-1874 14 560,000
1875-1879 10
1880-1884 3 865,000
1885-1889 29
1890-1894 16 1,213,000
1895-1899 9
1900-1904 21 1,485,000
1905-1909 51
1910-1914 41 2,378,000
1915-1919 18
1920-1924 20 3,427,000
1925-1929 9
1930-1934 4 5,677,000
1935-1939 5
1940-1944 2 6,907,000
1945-1949 19
1950-1954 12 10,586,000
1955-1959 43
1960-1964 34 15,717,000
1965-1969 12
1970-1974 9 19,953,000
1975-1979 10
1980-1984 17 23,668,000
1985-1989 17
1990-1994 14 29,811,000
1995-1999 3
2000-2004 5 33,872,000
出典:League of California Cities, "Incorporation Dates of California
Cities," http://www.ilsg.org/resource_files/20457.IncorpDateLO.docより作成。人口は10年ごとの国勢調査*U.
S. Population Census*による(最近年が2000年)。
だが、このような時代は長くは続かない。州の発展に伴い自治への要求が高まり、1879年の州憲法修正がホームルールの原則を取り入れた。それまで自治体は州議会の特別立法でしか設立できなかったが、1879年州憲法はこうした特別立法を禁じ、その地域の住民の意志で自治体を設立できるようにした。さらに人口10万人以上の市に憲章制定の権限を認め、そこに、一般法に縛られない広範な自治権を与えた10)。
当時州内で人口10万以上の街はサンフランシスコだけであったが、この枠は次第に拡大される。1887年には人口1万人以上、1890年には3,500人以上の市に憲章制定が認められた。憲章で決められる中味も拡げられ、1896年州憲法は「(憲章市は)各々の憲章に規定された制限や限界にのみに従い、自治体事項に関するあらゆる法・規則を定め施行することができる」と規定した11)。自治体事項(municipal affairs)に関する限りほぼ無制限に権限が委譲されたと取れる文面である。以後何が「自治体事項」か、何が「州全体の問題」(statewide concerns)かをめぐって難しい論争がかわされることになる。
また、1879年州憲法は、州がローカルな課税(tax for local purposes)を行なうことを禁じ、自治体にのみその権限を認めるとも規定していた12)。かなりの自治体優位の規定で、その後の州・自治体間税収分配をめぐる対立を考えると興味深い。1903年には、ロサンゼルス市の事業税課税が訴えられた係争に関し、州最高裁が、ローカル課税は州憲法に照らし自治体の権限であると明確に判定した13)。
こうした自治強化・自治体優遇の動きを背景に、1880年代後半から自治体設立のブームが生まれる。カリフォルニアの自治体数は1850年から35年間でゼロから53に増えただけだが、次の35年間(1885?1919年)に205の自治体が新たに設立されている。この時期は、東欧・南欧などから大量の米国移民があり、カリフォルニア州の人口も急増した。それが背景にあるとしても、自治体設立の権限が地域住民に与えられ、各自治体の憲章策定やローカル課税の権利保証など住民自治強化策が、自治体設立を促進していた。1905年から09年までの5年間には51という空前絶後の設立ブームとなっている。
第二次大戦でカリフォルニアは太平洋戦線の後方基地となり、軍需産業が発展した。多くの兵士、労働者がこの地に集まる。戦後は空前のベビーブームが勃発する。州人口は1940年の691万人から1960年の1571万人に急増し、自動車社会とも相まって郊外への都市膨張が続いた。ロサンゼルス周辺をはじめ再び自治体設立ラッシュが訪れた。
きっかけは1954年のレイクウッド市の設立だった。表6を注意深くみればわかる通り、戦後の自治体設立ラッシュと言っても、戦後当初10年間はさほどの設立数ではない。それが50年代後半の5年間に一挙に43に跳ね上がる。1954年にロサンゼルス郊外のレイクウッド市が「契約型」自治体モデルで設立され、このモデルのメリットが広く知られるようになって設立ラッシュが起こったのである。
「契約型」自治体とは、行政サービスのすべてを自治体が抱え込むのでなく、「契約」により郡など外部に委託してしまう自治体である。警察署や消防署を自分でつくるなどの初期投資が要らなくなる。これまでの自治体なしの時代と同じく行政サービスを郡にお願いしてしまう。サービス提供の形はあまり変わらないが、自治体をつくれば都市計画などで住民の地域コントロールは強まり、地域アイデンティティは確立する。自治の内実は充分達成できる。そして、委託による経費節減とスリム化で、自治体設立のデメリット(高コスト)は抑制できる。なかなかうまく考えられたシステムである。自治体設立には、常に「自治体をつくると経費が高くつく」「財政難におちいる」「税金があがる」といった批判が出ていたが、この批判に応える妙手となった。
人口は10万を超えるが、この地域は無自治体地域(Unincorporated Area=非法人化地域)であった。カリフォルニア州では自治体がなければそこは郡(この場合はロサンゼルス郡)からごく基本的な行政サービスを受ける。急成長するレイクウッドはそのままロサンゼルス郡内の無自治体地区にとどまるか、独自の自治体を設立するかの選択に迫られた。近くの港湾都市ロングビーチ市が、強引な併合工作をはじめてきたことで、レイクウッド住民の自治意識が目覚め、合併反対、そして自治体設立に向けた運動が開始される。
自治体を設立する上でのお定まりの争点は財政である。反対派は、自治体をつくっても市財政は破綻し増税がなされると主張する。レイクウッドでも同じであった。市史は振り返る。
「(自治体設立)懐疑派は、『ロングビーチ・プレス・テレグラフ』紙を含め、自治体設立と若いレイクウッド住民の失敗を予測し、歴史があり、より大きくて富めるロングビーチがレイクウッド地域を併合した方が安全だと主張した。懐疑派はまた、レイクウッドは産業もなく、財産税だけが市をやりくりすることになるとも主張した。ロングビーチの財政が、確立した商業地区や石油採掘料からの歳入で満たされる一方、新市の家所有者たちは高い税金を払うことになる、と主張した。」15)
当時、アメリカの自治体の最大の税収源は、不動産などに対する財産税であった。1960年の全米自治体税収のうち、実に87%が財産税である16)。カリフォルニア州の場合、すでに40%程度に落ちていたが、それでも最大の税収源には変わりなかった。この財産税が増税されてはかなわない、という恐怖が住民を自治体設立に二の足を踏ませていた。この難問を解決したのが「契約市」(当時は「レイクウッド・プラン」)のアイデアだった。策定したのは、「レイクウッド・プランの父」と言われ現在も市司法部長をつとめるジョン・トッドである。ボイル・エンジニアリング社に委託した契約市の詳細計画(「ボイル・レポート」)が新市設立運動のバイブルとなった。具体的には次のような契約関係づくりを提起した。
「新市は(ロサンザルス)郡に道路維持、保健、衛生サービスを委託する一方、下水に関してはレイクウッド下水維持特別区に残ってそのサービスを受け続けることを提案していた。同レポートはまた、既存のゴミ関係の特別区(そして民間企業へのゴミ収集委託)を解消させることを提案し、警察サービスは郡警察局に、建築検査サービス、都市計画サービスも郡に委託し、郡の公共図書館区には残ることを提案していた。ボイル・レポートはまた、蚊駆除、ロサンゼルス郡食品コントロール、郡衛生区、レクレーション公園道区、学校区などの特別区は、市を設立するか否かにかかわらず継続することを提案していた。」17)
このような「レイクウッド・プラン」に基づく市設立を目指した住民運動が活発に組まれ、家所有者11,128人の37%からの規定を大幅に越える賛成署名が集められた。1954年3月に住民投票が実施され、賛成7,514、反対4,868で自治体設立が決定された。ロサンゼルス郡内で1939年以来15年ぶりの新市誕生であった。
なるほど、有給職員がほとんどいない自治体というのは刺激的なモデルである。軽いジョークの中に、かなりの本質が隠れていたと言っていいだろう。
レイクウッド・プランの効果は自治体設立直後から現れた。新市の財政は安定し、その財産税は増税されるどころか下がりはじめた。自治体設立に反対し隣接ロングビーチ市への合併を唱導していたプレス・テレグラフ紙は1956年の社説で「州内でこのような事態を経験した市は他にないのではないか」と舌をまいている19)。後述統一売上税の税収が入るようになってから財産税はさらに下がり、1970年代末には州内屈指の低額となり「我が市に合併しないと増税が来る」と警告していた当のロングビーチ市よりはるかに低額になっていた。
レイクウッド以降、周辺に自治体設立ラッシュが起こる。1956年から60年の5年間にロサンゼルス郡内で14の新しい自治体が設立された。
ロサンゼルス郡の無自治体地域の人口は1940年の44万人から54年の115万人へと急増している。自治体設立の客観的条件は充分あったが、それが現実のものとなるには「新市を設立しても財政的に成り立たないかも知れない」という懸念をクリアする必要があった。そしてその解決策を「レイクウッド・モデル」が提供した。1958年にこうした「契約市」が集まってカリフォルニア契約市協会(California
Contract Cities Association)が発足。現在会員は72市を数える20)。
「(レイクウッド市設立に向けてキャンペーンが行なわれている)当時、『デイド郡の実験』に基づく何らかの広域自治体(Regional Government)の方式も議論されていた。フロリダ州デイド郡(マイアミを含む)は、運営のより高い効率性と経済性をもたらすとされる広域自治体を設立していた。しかし、広域自治体は、ロサンゼルス郡に多いローカルなホームルール自治体の唱導者にとっては呪いのようなものだった。」21)
これだけである。呪いのようなものだった、の一言で片付けられては市町村合併論は形無しである。市町村合併と方向性を同じくする「広域自治体」は、地域自治と独立に重きをおくカリフォルニアの風土では早々と対象外におかれた。あくまで、独自自治体創設をしながら「高い効率性と経済性」を確保する方途が目指されたのである。
この売上税は、以後徐々に税率が高められ、後述「提案13」によって財産税が抑えられた後は、自治体の主要な税収源になっていく。実は同様の税収源としてすでにガソリン税、タバコ税があった。州が徴収し郡と市に分け与えられる。市がない地域はこの税収を直接には得ることができない。自治体設立を促す誘引となる。
レイクウッド市の設立キャンペーンでもこの点は充分に強調された。設立後も、契約型自治体の効率性とともに、新設売上税による財源確保が財政安定化の力強い追い風となった。
1959年に当時のブラウン知事が、錯綜した地域ガバナンスの諸問題を調査するため都市地域問題委員会(Commission on Metropolitan Area Problems)を設置し、ここからの答申を受ける形で1963年に州議会がLAFCOの設立を立法化した(AB1662、後にKnox-Nisbet Act)。当初州単一の機関をつくる案が出ていたが、郡ロビーからの圧力もあり、郡ごとのLAFCOを設置して自治体形成を整合化することとした。1965年の地区再組織法(District Reorganization Act)が特別区(Special District)の設立・合併などの審査もLAFCOが行なうことを定め、1977年の都市組織法(Municipal Organization Act, MORGA)、さらに1985年の自治体再組織化法(Cortese-Knox Local Government Reorganization Act of 1985、通称LAFCO法)でこれら諸法が一体化された25)。これは、後述の通り、Revenue Neutrality Actの改正を受け、さらにCortese-Knox-Hertzberg Local Government Reorganization Act of 2000 (CKH Act)の改革を経てほぼ現行のものに整備されている。
リチャード・ワーグナーの計算によれば、LAFCOの導入により新自治体形成は56%減速したという26)。彼の視点のおもしろさは、LAFCO規制が自治体形成の自由を奪い、結果的に自治体間の競争を弱めたと見ている点である。自治体間競争の低下により自治体運営の効率性は落ちたと結論付けている。これによりカリフォルニア州自治体の歳出総額は17%、人口あたりで13%増えてしまったとする。
これによって1978年の同州内財産税収は直ちに57%削減された27)。財産税に収入の多くを頼る自治体への打撃は大きく、多くのプログラムが停止・縮小された。カリフォルニア州内自治体の収入に占める財産税の割合は1974-75年の14.8%から1980-81年の5.8%に縮小した28)。
ここでは、提案13が自治体設立の動きに与えた影響にしぼって述べるが、結論的に言って、提案13は自治体形成を加速したとされる。自治体の主要税収である財産税に制限が加えられたことで、新設自治体が財政難から増税に走るという危険が抑止されたと受け取られたのである。例えばボール・スイスによれば、「より強力な"地域コントロール"、とりわけ土地利用のコントロールを目指す市民たちには常に公共法人化、つまり新しい市の設立に向かうという選択肢があった。それまでは税金が上がるのではないかという恐れが自治体結成への最大の忌避要因だったとされる。しかし、1978年の提案13による財産税凍結はこの忌避要因を取り除き、新しい市をつくることは必ずしも無自治体地域住民の財産税の増税にはつながらないという状況をつくりだした」29)という。
住民にとっては自治体があってもなくても1%の財産税がとられるだけではある。しかし、無自治体地区であればその税が郡に、自治体をつくればそれが市に行く。だから、市をつくった方がその税を「捕獲」(capture)して、自分達の地域の発展に使えるぞ、という感覚を生んだ。したがって「このような考慮は新しい自治体をつくる主要なインセンティブになりえた」とルイスは言う。「その地域が高い資産価値をもち、郡の他の地域を(税金的に)補助していると思われるような場合がそうである。また、その地域に大規模な商業活動が存在する時もそうだ。州売上税の自治体割り当て分は、小売りが発生した地域の自治体に返されるからである。」30)
提案13以降、自治体形成は再び上向き、1980年代前半から90年代前半まで48の自治体が設立される。小さなブームと言ってよい活況であった。
新自治体の設立は、もちろん一義的には住民の高い自治意識によるものだが、同時にそこに地域的なエゴもあり、特に戦後の活発な自治体形成の運動は、富める白人地域の住民たちが自分達を囲い、排他的に豊かなコミュニティーをつくろうとする動きだった、とする批判がある。戦後の自治体形成の活況をつくりだした前述レイクウッド「契約型」自治体も、そうした運動の走りとして厳しく批判される。例えばガリー・ミラーは、レイクウッド・プランは、郡の中で豊かな白人地域だけが独立する運動で、残された貧しい地域の「サービス要求者」と、それを拒絶する豊かな地域の「税金逃れ者」の世界に分断される効果をもったと批判する31)。レイクウッド方式導入以後の15年間、ロサンゼルス郡内には、ほぼ完全に白人だけの自治体が増え、黒人は少数の自治体に集中するようになったとして、「レイクウッド・プランは本質的に白人の政治的運動であった」とまで断定する32)。彼はまた、レイクウッド・プランが、豊かな地域が広域全体に対して負担すべき税を回避させる効果をもつものとして、「カリフォルニアにおける提案13の先駆け」とも規定している。
これほど刺激的でないが、政府文書による次の解説がある。州知事室の研究機関が自治体設立運動の背景を叙述したものであり、カリフォルニアの自治体形成における基本的な問題点を中立的に論じたものと言える。
「提案13以後、特に1980年代において、通常、真っ先に自治体結成を達成するのは、売上税や財産税で高いレベルの収入をもつ無自治体地域だった。売上税や財産税は経済的価値の高い地域で発生するが、自治体や郡の広域サービスはそれを必要とする場所で提供される。したがって高税収地域が新しい市を形成すれば、売上税・財産税をその地域が「捕獲」してしまうことができる。郡は、それまで郡全体のサービスの支払いにあてていた税収の多くを失う。市が設立されて売上税・財産税が取られてしまっても、提案13以後の世界では、郡など地方機関は財産税を上げて消失収入をおぎなうことができない。郡から自治体に準ずるサービスを受けていた無自治体地域の他のコミュニティーは財源不足になる。郡は自治体形成による財源消失に直面しても、他の財源を増やす実際的なオルタナティブがなく、サービスを削減せざるを得なくなる。」33)
高い地域自治精神の発露は認めるとしても、それが現実世界の利害関係の中を運動する時、結果として狭い利益を実現し社会的アンバランスを生み出すことがある。カリフォルニアの自治体形成の中でもこの問題が認められた。これへの解決を与えようとしたのが、前述1992年LAFCO改正法による「収入の中立性」導入だった。
どちらかに一方的な負担がかかってしまう場合、収支を調整して「財政的に中立的な自治体形成」を保証する必要がある。これには多様な方法があり、税金のより適正な割合での分配、一方から他方への損失額相当の一括支払い、長期的分割払い、自治体境界の再調整などの方法がある36)。
税収の見込める豊かな地域だけが自治体を形成し、貧しい地域が郡サービス下に取り残されるという事態がこれによって一応解消された。自治体形成に伴う「甘い汁」が抑止され、自治体形成に歯止めがかけられる。1993年以降、現在までの12年間、新しく設立された自治体数は10にとどまっている。
自治体設立が支持を得た背景には、この地域の急速な都市化がある。高速道路やライトレールを通じてのサクラメント市への容易なアクセスがあるため住宅開発が進められてきた。現在もサンライズ・ダグラスやリオ・デル・オロなどそれぞれ22,000戸、12,000戸規模の大規模宅地開発が進行し、人口が倍増する勢いである。すでに高速50号線やサンライズ大通り沿いなどに大企業事務所や商業施設が多数立地し、税収も豊かであることも自治体設立をやりやすくした。サクラメント郡では、同様な近郊都市化の流れの中で、1997年にシトラス・ハイツ、2000年にエルク・グローブがそれぞれ自治体設立を行なっている。
ある程度の税収が見込めるからこそ自治体形成が可能になり高支持も得たのだが、しかし前述の通り、あまり一方的に財政がよくなってしまうと「収入の中立性」の観点から、郡への見返り支払いが多額になってしまう。自治体設立派としては、自治体が成り立つため税収が充分であることを証明しなければならないが、郡への支払いが大きくならないよう、ほどほどに財政的健全性を語らなければならない、という微妙な立場に立たされる。
「収入の中立性」を確保するため、ランチョ・コードバの自治体設立案は様ざまな変更を余儀なくされた。大型ディスカウント店
Costco をはじめ税収を上げる商業施設の多いサンライズ・フィンガー地区の相当部分を市域外(郡の税収域)とした。軍の基地から転換された地方空港「メイサーフィールド」とその関連施設の多くも域外となった。さらに「収入の中立性」支払い金として、新市ランチョ・コルドバはサクラメント郡に毎年630万ドルを31年間に渡り払いつづけるという協定も結んでいる37)。あまりにも多額の支払いで、計算の根拠が不当だとして新市設立後もこの支払い負担の削減を求める交渉が続いている38)。
サンフランシスコの東40キロにあるカストロバレー地域は人口6万人を有するカリフォルニア州最大の無自治体地域だ。1956年、そして最近では2002年11月の住民投票で新自治体設立の住民発議案件が否決されている。したがって現在、カストロバレー地区は、警察、消防、都市計画、公共事業など基本的な行政サービスを郡(アラメダ郡)から受けている。また、教育をカストロバレー統合学校区(Castro Valley Unified School District)、公園をヘイワード地域レクレーション公園区(Hayward Area Recreation and Park District)、水道を湾東都市公益事業区(EBMUD, East Bay Municipal Utility District)、下水をカストロバレー衛生区(Castro Valley Sanitary District)など各種特別区自治体からサービスを受けている。
2002年11月のカストロバレー地域の住民投票で、自治体設立は賛成27.9%、反対72.1%で否決された。同地域は、州内最大の無自治体地域であると同時に、サンフランシスコ湾岸都市圏の地理的中心に位置し、高速580線と238線の交わる交通の要衝でもあり、一見、自治体をつくるのは当然のようにも見える。市としての主体的街づくりが進まないため、中心部のカストロバレー通り付近は「殺伐としたドライブイン店やファーストフード・レストランに支配されて魅力なく、カストロバレーに一体化的なコミュニティーのイメージを与えてくれない」39)と言われるような状態である。税収が充分かについては両論あるものの、自治体設立を妨げる決定的理由はないように見える。が、設立を決める住民投票案件は否決された。
「カストロバレーの街は大きくなっても、その牧歌的な『カウボーイ性』を乗り越えたとは思えない」とある住民が地元紙に語っている41)。「カストロバレーはいつまでもそういう所だと思う。家の上に家〔注:丘の斜面に林立する住宅群〕、とまるでサンフランシスコのような街になってきてもずっとそうだ。」
別の住民はこうも言う。「いろんな意味で、カストロバレーは私が前に居たオハイオを思い出させる。・・・例えばきょうだれかのコンピュータを修理したとして、その後ちょっとぶらついてアルズ・マーケット〔街の商店〕に行くとまたそこで同じ人に会う。人びとはそういうこれまで通りの生活スタイルが好きだ。そのままにしておきたいと思っている。」
自治体設立派の主張は定跡どおりで、都市計画から警察、消防まで地元が行政サービスをコントロールできるようになる、払っている税金の使途を自分たちで決定できるという点を強調した42)。これに対して反対派の住民は、これまた定跡通り、新自治体は税収が不充分で増税が来ると主張した。確かに住宅地が中心のカストロバレーには商業施設が少なく、売上税からの税収は少ない。一人あたり売上税収は隣のサンリエンドロ市295ドル、ヘイワード市244ドル、ダブリン市440ドルに対してカストロバレーは42ドルだ。これを増やすため、新市は商業開発を活発に行わざるを得ず、その結果、伝統的な街の雰囲気が失われる、と反対派は主張する。すでに10%のホテル宿泊税と2009年に終了するはずの公益事業税の延長も住民投票法案の中に盛り込まれたし、財産税の特例的増税も行なわれるかも知れないと言う。選挙案内の公式反対意見は次のように結んでいた。
「自治体設立はリスキーな提案であり、カストロバレーの小さな街の雰囲気を永遠に終わらせてしまう。私たちには現在通りの生活のやり方がいいのであって、それがカストロバレーを隣接諸市より快適な所にしている。ひどく財政悪化する市をつくってはならないし、低下した行政サービスのため高い税金を払うことがあってはならない。」43)
「巻末資料に詳述した通り、設立提案されているカストロバレー市は、〔サンフランシスコ〕湾岸圏の同規模都市に比べて売上税、及び他の一般財源収入が相当少ない。カリフォルニア州では、〔住民投票〕提案13、及びさらに最近の提案218の影響により、安定した売上税を生む自治体の能力は益々重要になってきている。」
提案13の影響で財産税にあまり頼れなくなり新税導入も難しくなり、自治体とっては、ビジネス増進による税収引き上げを狙える売上税が重要になっている。カストロバレーはこの売上税に決定的弱点があることは明らかだ。だからLAFCOの財政分析は、新しい一時滞在税(域外者に対する課税なので可決されやすいホテル税など)の導入と公益事業税の継続を提案し、これと抱き合わせにした自治体設立案を提示した。
LAFCOは通常は自治体設立を抑制する役まわりだが、この場合はむしろ自治体設立を勧める立場だ。それを可能とさせるため新財源の提案まで行なっている。しかし、住民にはこのLAFCOの説得を受け入れなかった。牧歌的な郷愁とともに、やはり財源が足りなくて増税だろうという感覚的な恐れが住民の判断を決めた。
例えばサンフランシスコの街路樹はすべて「都市の森の友」(Friends of Urban Forest)というNPOと住民ボランティアが植えているが、日本からの視察者はこの団体に必ず次のような質問をする。「行政が行なうべき仕事をなぜNPOとボランティアがやってしまうか。」
それに対する彼らの答えのひとつが「税金を安くできるから」というものであった45)。地域で植樹ボランティアを組織すれば、地域連帯が強まりコミュニティーづくりになるし、子どもの環境教育にもなるし、木の種類も(住民が選んで植えるので)多様化するし、住民は樹木を大切にする。それら多くの社会的メリットの上に、さらに税金を減らせる。行政がやれば植樹一本350ドルかかる経費(業者への委託費)を一本225ドルにできる、と彼らは主張する。確かに、どのみち市民の金で公共的な事業が行なわれるのであれば、街づくりその他複合的な社会的メリットが期待される事業分野において、NPOとボランティアで行政代替・税金削減をはかるのは合理的選択だろう。
極めて現実的なレベルで言えば、アメリカでは年末調整の制度がなく、ほとんどの人が確定申告をするという事情が大きい。
日本では源泉徴収と年末調整の制度が発達し、ほとんど「税金を納めている」という意識を感じなくなっている。「手取り」が給料で、年末調整や確定申告で還付金が返ってくれば「得した」と感じてしまうほど納税意識はなくされている。アメリカでは、年齢、家族構成、収入にもよるが、年収100万円程度以上の人は基本的に皆確定申告をする46)。皆が申告するのだから特別に「確定申告」などと呼ばれず、単に「納税申告」(Tax Return)といわれる。日本の2002年の確定申告者が2,087万人(内申告納税額のある者687万人)47)であるのに対し、米国の同年の納税申告数は1億3,007万件48)である。これには夫婦合同申告5,130万件が含まれるので納税者のほとんどが納税申告をしていると言っていい。米国人にとって、基本的な所得税申告用紙 Form 1040 や納税期限4月15日などはかなり身近なイメージとして脳裏に刻まれているだろう。
納税期日近くになると、マスコミは「今年、税金から解放される日は4月○日」などと騒ぎ立てる。一人当たりの平均税率から換算して一年の労働のうち4月11日(2004年の場合)までは税金のためだけに働いている、という。これを毎年きちんと算出し「税金解放日」として大々的にキャンペーンするNPOもある49)。「4月まで自分の取り分となる収入はないのか」といやが応でも税金を意識させられる。消費税も日本では早々と内税(総額)表示化されたが、アメリカでは依然として外税表示で、税金を払っていることを常に意識させられる。
しかし、「ボストン茶会事件」の税反乱からはじまったアメリカ合衆国では必ずしもそうでない。1776年に独立した後も、この国は長らく国民に税を課すことができなかった。連邦政府の財源は主に公有地の売却と対外関税に頼り、建国以来、大幅な財政赤字が続いた。1863年、南北戦争の最中に戦費調達のため当時のリーンカーン大統領が初めて所得税を導入した。しかし、これは10年後に撤回され、さらに1895年には所得税に対する最高裁の違憲判決が出てしまっている51)。
20世紀に入り、1913年の憲法修正16条によって初めてアメリカは所得税の導入を確立した。州レベルの所得税もそれに続く。国民の所得に直接課税する制度が遅まきながらはじまったわけだが、アメリカ人の中には、この「画期」を「連邦税は州と国民を買収し、増大する中央意志への服従に奉仕するようしむけ」「自由の大地に税の奴隷制をもたらした」52)ととらえる向きもある。
いずれにしても国家が国民に課税できるようになるのが20世紀に入ってから、という事実に、東アジア文明社会に生きる我々は若干の驚きを禁じえない。
今日のアメリカ人の税に対する意識はこうした歴史的背景をもっていると考えられる。年末調整なしの確定申告、消費税の外税表示、「税解放日」キャンペーンなどからはじまり、提案13(1978年、カリフォルニア州)のような税反乱(Tax Revolt)、?でも述べた新税導入・増税への住民投票義務づけなど、税に対する強い市民コントロール。市民は常に自分が納税者であることを過剰なまでに意識して行動する。市民が政治参加と社会的行動を決める上で、常に払う税金の意識が重要な判断要因になる。
こうした民主主義下の納税意識が、市民による自治体結成というこれまた極めて民主主義的な制度の運用にどのような役割を果たしてきたか。その歴史的変遷をカリフォルニア州を例に考察したのが本稿であった。日本でも地方分権が叫ばれる中、住民自治を規定する財政基盤を考察する一助になれば幸いである。