[ジュバは現在は独立した南スーダン共和国の首都(地図参照)。人口約 30万人。1981年、この地を旅した当時はまだスーダン(スーダン共和国)の一部だった。1956年に成立したスーダン共和国はイスラム圏の北部が主導 しており、これに反発して独立前後から南スーダンで内戦が続いていた。1972年のアディス・アベバ合意で一応内戦が終結。1981年に私がこの地を走破 した時はちょうどこの和平時でラッキーだった。その直後、1983年あたりから再び内戦が勃発、2005年まで続いていた(したがって旅行も不可能になっ た)。2011年に南スーダン共和国として分離独立、ジュバを首都とした。最も新しい国連加盟国として(2013年現在)、困難な国家建設に向かってい る。]
広大なサバンナの平原が終わり、わずかに隆起し始める丘陵地にジュバは横たわっていた。大きくて赤いプレハブのような建物が目に入る。大学だというが、随分久しぶりに見る「近代建築」だ。
「奴隷船」を経験したトラック(「アフリカ:南スーダンからケニヤへ」の後半参照)を降り、すぐ水道の水を飲み、昼飯を胃に詰め込み、旅行者仲間から聞いていた「アフリカ・ホテル」に向かう。ジュバは南スーダンの中心都市というだけあって、一応「宿」などの設備もあるのだ。
「宿」と言っても、むろん建物の内外にベッドがおいてあるだけのものだ。私はベッドを取れたが、あぶれた者は土間に寝る。私は、同「ホテル」唯
一の水道のある流し脇のベッドを選んだ。顔洗いや歯磨きに来る泊り人が入れ替わり立ち替わりやってくる。例のごとくベッドのマットレスを剥ぎ、無様にぶっ倒れている姿を見られるのは恥ずかしい。
が、それでも私はその場所がすごく気に入った。何と言っても水道が自由に使える。これまでポリタンの水を節約しながらちょっとしか使えなかったことを考えると素晴らしい特権に思える。マンゴーを食べる時、すぐそれを洗える。マンゴーを食べて口周りがべとべとになってもすぐそれを洗える。コーヒー
を飲んでもすぐそのカップを洗える。
ひねれば水が出るという便利さに今まで気づかなかった。透明な水を身近にもつまでに、文明はいったいどれほどの歩みを要したのか。
投宿後、すぐにナイル河岸に行ってみる。これまで広大なナイル沼沢地(スッド湿地)を迂回する形で南スーダンの西側をまわってきた。このジュバ に来て、再びナイルと出会うのだ。すでに(エチオピア方面に伸びる)青ナイルと分離して白ナイルとなっている。河口から4000キロは溯上しているこの ジュバのナイルが、しかし、依然として広大な河川なのだ。利根川など日本の大河の河口付近ほどの幅がある。500トンほどの船なら上って来れるという。