アフリカの旅(5)
ワウの街
(岡部一明、1981.3)
アフリカ旅行記の難しさ
アフリカの旅行記というのは難しい。「耐えてアフリカ」と言われる通り、アフリカの旅は苦痛の連続だ。とにかく待つ、耐える。食べること、泊ること、移
動すること、そういう基本的なところが困難で、それにかかりきりになる。それ以外に「旅の味わい」などと堪能している余裕はない。
ヨーロッパなどで、それなりに印象深い旅行をしてきても、アフリカに来ると、それらの印象が吹っ飛ぶ。どうでもよくなる。苦しいが、人間の生命力の根本に帰るような旅を経験する。すごい経験をしたと感じる。だから旅行記を書こうとする。
が、それはどれもあまり面白くないのだ。だってそうだろう、そこには生活が移動がどれだけ苦しいか切々と書いてあるだけなのだ。体験している本人にとっ
てはその体験は根源的だ。しかし、読者にその苦しみが伝わるとは限らない。待つことの苦労、衛生への恐れ、移動での肉体的な苦痛、そんなこと延々と語られ
ても面白くない。
ワウからいよいよ通常の交通機関がなくなる。荒野を行くトラックの旅がはじまる。いつ来るかも分からぬトラック便を探す。荷物を運ぶトラックに人も分乗するのだ。
ワウでもトラック便探しに苦労した。街外れの橋のたもとには、いつ来るとも分らぬトラック便を何日も待っている人がいた。私も1日目は収穫なしで、待つ
だけで日がくれた。トラックが立ち寄る可能性の高い街中のマーケットで待ち、交通機関の発着登録が行われる警察署を頻繁に当たり、現地の親切な住民たちの
応援も得て、トラック便を探すが、うまく行かない。まれに探し出しても、満員で乗れない。ポリースの登記がないなどと難ぐせを付けられ、警官からのワイロ
を取られることもある。2日目も警察署の前に行って、トラックが現れるのを待つ。ワウに来た夜、庭に寝させてもらった警察署だ。
南スーダンのコミュニティー
ふと気がつくと、警察署の留置所の前に、きのういろいろ手助けしてくれた高校生、サイモン君が訪れている。留置所は別棟だが、鉄格子がよく見える。彼はそこに入れられている人を慰問に来たらしい。木陰に休んでいる私に気が付いて近づいてくる。
「やあ、きのうは散々だったね。」と彼。
「まったくだ。(きのうは主にマーケットで待っていたが)きょうはこのポリースでジュバ行きのドライバーが登記するのを待っているのさ。」
「そうか、それはいい考えだ。よし、ぼくもマーケットの方をまわってジュバ行きのトラックを探してみよう。」
まったく親切極まりない世話役である。
サイモン君は高校生だが背が高い。1メートル90センチはあるだろう。この辺の黒人は皆背が高い。高いばかりでなくすらっとしている。足も長い。細長の体型の上に小さな頭がちょこんと載り、8等身以上の見事な体つきだ。
余談になるが、南スーダンの人たちの体型は、ヨーロッパ的な美の基準から言ってもかなり「美しい」のではないか。この長身は世界で最も高い部類に属するというし、また、よく露出されている女性の乳房などもかなり形がいい。
ともかくこのサイモン君、今学校が休みだそうで、毎日街中に出て時間をつぶしているという。マーケットやトラック発着所に行っては人と話し、困った人を
助け、いろんなトラブルの野次馬になり、留置所に慰問に来て何か変わったことはないか探り、顔見知りと会ってはヤギのせり売りに行ってみたり、泥にはまっ
て動くなくなったトラックの現場に出向いてみたり……いろんな所で世話役の役割を果たす。「何かおもしろいことがあるかも知れない」と思って出てくると確
かにある。きのうはおかしなジャパニーズにも会ったし、トラックが乗客を置いて逃走するという事件もあった。きょうは隣のじいさんが酔ってあばれ留置所に
入れられているのを見つけた。
ついにトラックが来た
そのうちにサイモン君が飛んできて、
「おい、ジュバ行きのトラックがマーケットに来ているぞ。切符を売っている。急げ!」と言う。昨日同様、サイモン君にカネを渡し切符を買ってもらう。もう彼を怪しんだりしていない。最初の頃は、スーダン人の極端な親切に「詐欺師か」と疑ったのだ
が、次第にそれが本物の親切だということがわかって、安心して乗っかるようになった。他の国では、カネを渡して切符買いを任せるなどということはしなかっ
た。異様に親切な人間が現れたらそれはほぼ詐欺師に間違いなかった。
料金は定額の15ドルだった。トラックはぎっしりと乗客を連れて意外に早く出発。サイモン君に心からお礼を言った。ひょろ長い体の上の小さな顔が涼しそうに少しはにかんだ。
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