これからのアジアで日本の課題は人権と民主主義の砦となることだ。東アジアは現在急速な経済成長を遂げ、今後世界に大きな影響を及ぼす地域になる。そこがどんな社会になるかで世界は変わる。明るい材料ばかりではない。アジア的専制国家の伝統をこれでもかと見せてくれている国がある。経済大国から軍事大国、そして危険な人権無視の方向を先導しそうな可能性もこの地域に生まれている。その中で、日本は、一貫して民主主義と人権尊重の範を示し、この地域の希望たるべきだ。いち早く近代化を遂げ、失敗も経験してきたこの国の、それが今後のアジアでの役割だ。
君らだけにはそれを言われたくない、と過去の歴史から抗議する国もあろう。だからと言って旗を降ろす必要はない。真摯に崇高な課題を追求していけば、結果は必ず付いてくる。かつてバイキングとしてヨーロッパ沿岸を荒らしまわった北欧諸国が、今は、人権と国際協力で尊敬を集めている。国民の意思と覚悟さえあれば、国の立ち位置、国際社会における評価は根本的に変わる。
東南アジアに数年滞在し、この地域の対日感情が大きく変わったことを実感した。ベトナムでは、日本に対して好意を示した人が91パーセントと対象12カ国(欧米・アジア諸国)で最高。自国に対する好意81パーセントも上回るという結果が出た(クロス・マーケッティング社の東南アジア諸国好意度調査、2015年)。私の世代がまだ若かった頃、1974年に田中首相が東南アジアを歴訪した際、タイ、インドネシアなど各地で反日デモが吹き荒れたことが記憶に残る。隔世の感だ。献身的な国際協力ボランティアの人たち、辛抱強く現地従業員の中に入って努力した日系企業の人たち。その努力の積み重ねの末に、こうした変化が生み出された。敬意を表する。
私たちは、今後アジア諸国民と協力し、素晴らしいアジアをつくっていきたいからこそ、つらい過去にも真摯に向かう。確かに戦争当時、非力な人々が被害を誇張して世界に訴えたところがあったかも知れない。いまだ強固な体制の中にいるイデオロギー勢力が、自らの多くの非道を秘匿している側面もある。今後、それらを明らかにし正確な歴史に迫る課題もあるが、自己弁護に終始しては大局を見失う。誤りは誤りとしてしっかり凝視することが必要だ。まして、人権と民主主義の砦となるからには、どんな小さな逸脱でも見逃してはならない。まだ知られていない過去も含めて徹底検証していかねばならない。
この国が今後没落し、消えていくだけなら、過去のマイナス面をできるだけ小さく確定する作業に注力するのもよかろう。しかし、この国民は依然として活力にあふれ、アジア諸国と協力して国際社会に大きく貢献していける可能性を持っている。先行者として過去への反省を行い、今後アジアが同じような失敗を繰り返すことがないようしっかりと歯止めをかけなければならない。国の進路に国民の意見を反映させる民主主義はあったか。言論の自由はあったか。大勢に流されず、集団の中で個人の意見を言う文化が根付いていたか。人権は尊重されていたか。外国の人々への偏見や狭い民族主義に流されていなかったか。
1回謝罪したから終わりだという問題でもない。繰り返し歴史を振り返り、教訓を掘り起こし、自らの今後、そしてアジアの未来に向けて生かしていかねばならない。人権と民主主義の砦となり、道を踏み外しそうな近隣諸国には、直言していかねばならない。
現在も世界は多くの問題をはらんでいる。戦乱で多くの人々が死に、人権侵害が起こり、貧困と飢餓に苦しむ地域がある。そういう中で発展するアジア、東アジアは新しい希望だ。戦乱がなく、人々が飢えず、健全な経済発展を遂げるオルタナティブを提供する地域であり得る。日本だけ幸せになればいい、で留まれないし、それでは日本自身も幸せになれない。アジア地域全体がそうなることで世界への貢献を目指す。そこに私たちの今後を見出そう。
いきなり理念を訴えてしまったが、本書はそのような理想について詳細に述べるものではない。アジアへの思いに基づきながら、その前提として、この地域世界の特質をできるだけトータルに歴史的に把握しようとした試みだ。東アジアには古くから中華というシステムが稼働し、今日の世界にも中国、そしてベトナム、韓国・朝鮮、日本など小中華を形成した諸勢力の残骸が国民国家として残る。この仕組みを解明する。
その中で最も古く巨大な帝国となったのは中国で、本書でもこれを中心的に扱う。中国は単に一つの国というにとどまらず、東アジア全体の秩序を形成したシステムで、その周辺の多くの民族がこれに飲み込まれ、飲み込まれなくても、中華から「王」など官位を得て結びつく「冊封体制」などの中で生きた。中華帝国はひとつの民族国家というより欧州連合(EU)のような規模をもつ統合秩序だったとの見解もある(以上、第3章参照)。東アジア大陸の相当部分を占める中華帝国の背後には多くの民族の興亡が隠されており、この帝国を扱うことはそれら諸民族を扱うことでもある。「中国」の外はもちろん、その中にも広大な東アジアがある。本書もこの帝国の分析にかなりの部分を割くが、それはそうした多様なアジア諸民族に正当な敬意を払うからだ。
海にも、急峻な山脈にも隔てられていない広大な華北・華中平原、そして遊牧民の活動により中央ユーラシアとつなげられていた北・西方の乾燥地帯。こうした空間に生まれた統治システムは拡大する条件を与えられていた。中華システムの拡大の中で、その内部及び周辺の東アジア諸民族の運命は大きく規定され、変えられていった。21世紀の今日の東アジアもその影響から無縁でいられない。中国が巨大な経済大国として復権してくるに従い、その周辺で生きた諸民族の歴史的な課題に私達は再び対面させられている。
中華は東アジアというかつての「世界」を全一的に統治する帝国メカニズムであり、ローマ帝国同様、多様な異民族を中に取り込む秩序だった。それどころか、元、清をはじめ多くの中華帝国が異民族によって支配されてもいた。遊牧世界による征服王朝が長らく存在した。この多民族帝国構造が、近代に至り、西欧的な民族国家の枠内に収められてしまった。とりわけ清朝の広大な版図がそのまま単一の民族国家に移行した。列強が周囲に迫る当時の国際情勢からやむをえない面もあったが、これが現中国の不幸の端緒で、内部に解決しがたい民族問題を抱え込むことになる。近隣に、単一化を強めた激烈な民族国家・日本があり、華々しく成功してしまっていたことも、中華ナショナリズムを否応なく覚醒させた。
中華帝国を、東アジア世界で起こるべくして起こった広域権力、民族を超えた秩序、東アジア統治システムといった文脈からとらえ、その周辺民族の立場から、今後これにどう対応すればよいのかを探る。東アジア世界をつくりだした帝国の運命は周辺諸民族にとって他人事ではありえない。中国が変わらない限り、私たちのアジアも本当には変われない。14億の民が破壊的な危機にさらされることもあってはならない。安定した暮らしを確保しながら問題を解決し、あるべき姿に軟着陸して頂く。その中で周辺諸国に何ができるか、課題を探っていく。