地球民衆の国連参加メディア
 —北京女性会議を支援したAPCネット

岡部一明(『インターネット市民革命』御茶の水書房、1996年、終章)

北京女性会議の情報を世界に

 「これが、私たちについての新聞記事です。」
 と言って、進歩的コミュニケーション協会(APC)ディレクターのイーディー・ファーウェルさんがファイルを 取り出した。中に記事切り抜きがたくさんあり、日本語の記事も英語に次いで多い。「インターネットで女性会議に参加」「北京会議: 会場からインターネッ ト、ホットな情報を世界へ」などの見出しが踊っている。

 APCは、一八ヶ国の市民ネットをつなぐ世界最大のNGOコンピュータ・ネットワーク。一九九五年九月の第四回世界女性会議に二五ヶ国四〇名のAPC女性スタッフを派遣してインターネット・サーバーを立ち上げ、参加したNGO活動家の情報ネットワーキングを支援した。


 「私たちは、政府間会議とNGOフォーラムの両方にコンピュータ・センターを設置し、インターネット接続、ゴーファー、ワールドワイド・ウェブなどすべての電子情報サービスを提供しました。情報が全世界に届き、外の人が会議にインプットできるようにしたのです。」


 APCの本部はブラジルのリオデジャネイロで、ファーウェルさんが居るのは、サンフランシスコの北米事務所。 アメリカの市民運動コンピュータ・ネットワーク、IGCネット(第四章三参照)事務所内の間借りだ。港に近い二階建ての事務所だが、最近拡大が著しく、 前、一階にあったAPC事務所はいつのまにか二階にあがっていた。一九九六年春には全体が、市内陸軍基地跡地(現国立公園)のプレジディオに引っ越すとい う。


 「NGOと個人が、中国からいっさいの検閲なしに全世界と交信するネットをつくったのは史上はじめてです」と ファーウェルさんが強調する。八月三〇日から九月一五日の一七日間に、電子メールのやり取り六万通、ウェブ・サーバーへのアクセスが一三万件あり、国連史 上最高の通信記録となった。さらに、女性ばかりのスタッフがコンピュータ・システムを立ち上げたのも国連史上初めて。女性は技術が苦手という偏見をくつが えした。

 

満員の行列

 会場に五六台のコンピュータを設置したが、満員で行列ができた。使用時間を制限し、待ちリストをつくる必要があった。 会議参加者は、自国の事務所や家族と電子メールで通信し、日記風の報告を書いて電子会議に載せる人もいた。主催者側の用意した公式事務用コンピュータは調 子が悪く、ネットへの接続も不充分だったので、政府代表やプレスの人たちもAPCの端末を使いに来た。日本からは三人の女性がスタッフとして参加し、現地 の様子を日本語で書き送った。島谷綾子さんが毎日のように書いた報告はインターネットにのって日本各地、さらにはサンフランシスコの私のところにも届き、 現地の様子が手にとるようにわかった。

 「私は、北京から毎日、事務所に電子メールを出しました」と言うのは、サンフランシスコに事務所のある環境団 体アース・アイランドのマーサ・マサオカさんだ。会議の様子を報告し、対応を相談した。やり残しにしてきた仕事をあれこれ処理するのにも使ったという。 「海外との通信だけじゃなかったです。いっしょに北京に行った仲間とも電子メールで連絡をとりあいました。会場はとても広くて会うのも大変だったんです。 明日何時にどこで会おう、などという連絡を端末に書き込んで連絡しあいました。」


 アフリカのザンビアでは、電子メール接続のある女性団体はひとつしかなかったが、そこが活発に北京からの情報 をとり、メディア、政府、他団体に配布した。アメリカの市民ラジオ局網パシフィカは、特派記者が現地の録音をインターネットでデジタル送信し、アメリカ側 でこれを音声に戻して、各地域で放送した。用紙をネットに載せて署名活動をはじめる人、自分たちの問題を訴える人、会議で問題になっているテーマについて 議論をはじめる人。そして何より、会議での演説や、提出される膨大な文書、資料、通信サービス記事などが迅速にネットに載せられた。APCやインターネッ トにアクセスがある人なら世界中のどこからでもこの情報が取れた。会場は広大で右往左往するだけの人も多かったから、少なくとも文書情報に関する限り、海 外に居た人の方が系統的な情報を得ていたかも知れない。

 

ネット上で会議の準備

 この情報活動を中心になって組織したファーウェルさんにとっては、準備過程自体がすばらしいネットワーキング体験だった。
 「私たちは、会議の準備をすべてオンラインで行なったんです。一カ月前からAPCネット上に apc.beijingというプライベートな電子会議を開き、全世界に散らばった四〇人がオンラインで打ち合せしました。だれが何をするか役割分担を決 め、ビザが取れないという問題で援助しあい、本当にたくさんの準備をしました。北京に着いた時には、だれがどのチームで、責任者はだれか皆わかっていまし た。チームごとのミーティングや全体会議を開き、即、仕事に飛び込むことができました。その後も毎日ミーティングをもち、非常によいグループ活動ができま したが、これは事前のオンライン会議がなければ不可能でした。電話とファックスでは無理だったでしょう。」

 四〇人のスタッフ経費のほとんどはAPCが負担した。「APCは、スタッフ経費、ソフト、現地・遠隔地技術支 援、会議情報のインターネット、APCネット上での配布などで計三〇万ドルを拠出した」という。国際開発研究センター(IDRC)、カナダ国際開発局 (CIDA)、フォード財団、マッカーサー財団、その他からの助成でこれをまかなった。

 

国連会議のネットワーキング支援

 いったいこのAPCネットとは何なのか。「社会的変革のために活動するNGOと市民活動家のための世界最大のコン ピュータ・ネットワーク」、あるいは「環境の持続性、社会的経済的公正、普遍的人権、平和のために活動する団体、個人の間でネットワーキングと情報共有を 改善するため低料金で高度なコンピュータ通信サービスを提供する世界的なパートナーシップ」である(パンフより)。全世界一三三ヶ国、約三万の団体・個人 が加盟する。前述の通り、本部がブラジルのリオデジャネイロにあり、サンフランシスコは北米事務所。

 世界一八の市民運動コンピュータ・ネットが対等に結ばれ、どこの国のネットから入っても、共通の膨大な情報に アクセスできる。各ネットが同じソフトを動かし、電子会議の内容などがインターネット、電話回線、衛星通信を通じて定期的に相互アップデイトされるしくみ だ。四〇〇〇万インターネット・ユーザーに電子メールが送れるのはもちろん、ゴーファー、ワールドワイド・ウェブなどのインターネット接続を提供するとこ ろも多い。


 APCの起源は、一九八五年頃、イギリスの市民運動ネット「グリーンネット」とアメリカの「ピースネット」 (IGCネットの前身)が提携しはじめたことに端を発する。八六年一二月に、有名ロック・スターを集めて東京で資金集めのコンサートを行ない(「ハリケー ン・アイリーン」)、これがAPCの立ち上げ資金になった。以後、国連開発プログラム(UNDP)のラテンアメリカでのNGOコンピュータ普及活動などに 協力する中でネットワークが拡大、八九年までに七ネットの体制ができた。九二年の国連環境開発会議(地球サミット、リオデジャネイロ)以後は、NGOの国 連会議参加活動の活発化と並行して急成長した。地球サミット以後では、国連人権会議(九三年、ウィーン)、国際人口開発会議(九四年、カイロ)、社会開発 世界サミット(九五年、コペンハーゲン)、気候条約締結国気候会議(九五年、ベルリン)、第四回世界女性会議(九五年、北京)などでネットワークを構築し た。現在、一八ネットが正式加盟するが、他の約五〇ネットと連係関係にあり、近く正式加盟ネットは二四ネットに増える予定という。九五年六月に経済社会理 事会の公式NGO資格(カテゴリー一)の認可が下りた。現在、常駐スタッフはディレクターのファーウェルさんを含め二人だけだが、これから国連への代表派 遣など活動の幅が広がるので、体制拡大を検討中だ。


 オリンピックやワールドカップなど巨大イベントがあるたび、コンピュータ会社が出てきて大規模なネットワーク を組む。しかし、国連会議では、APCという非営利市民団体がネットワーキングを一手に引き受けるようになってきた。金にならない事業だから当り前と言え ばそれまでだが、国連機関でもやれないことをNGOがやってしまっていることは興味深い。公共情報局(DPI)など国連の諸機関でもゴーファーやワールド ワイド・ウェブの情報提供活動をはじめているが、APCのような、双方向的で市民の国連参加を強めるような情報活動はしていない。「国連機関はネットワー ク活動が遅れています。事務用の内部ネットはつくっていますが、グローバルなネット展開をする場合は私たちと協力して行なっています」とファーウェルさん が言う。

 

国連へのNGO参加の強化

 APC北米事務所のあるサンフランシスコは、国連発祥の地でもある。第二次大戦終結も間近い一九四五年四—六月、この 地の退役軍人会館(現、戦争メモリアル館)で「国際組織に関する国連(連合国)会議」が開かれ、国連憲章が署名された。そのことはよく知られていても、 「この公式会議を四二のNGO代表がモニターし、一部、憲章草案も出すなどした事実はあまり知られていません」と、持続的開発市民ネットワーク (CNSD)国連NGO代表のマイケル・マッコイさんが言う。マッコイさんたちは、国連憲章五〇周年を記念して九五年六月、『我ら民衆……国連の歴史と未 来における市民社会の役割 —NGOと国連の関係を展望する市民の会議』という長い名前の会議をサンフランシスコで開いた。四日間にわたり約五五〇人が、 NGO参加の強化など、市民社会側からの国連改革を総合的に検討した。

 「特にここ一〇—一五年間ではっきりしてきた傾向ですが」と言ってマッコイさんが語る。「国際関係の動きの中 で、市民社会が果たす役割が大きくなっています。昔は国家間の関係を政府リーダーや外交官がすべてぎゅうじっていましたが、市民社会が拡大し、電子メール やファックスなどコミュニケーション手段が市民のものになり、草の根活動家が国際レベルでアクター(行動者)として登場してきました。住宅問題、貿易問 題、農業問題、様々な問題に取り組む市民が、自分たちの意見を政府代表を通さず、団体として直接出すようになってきたのです。」


 現在の国連へのNGO参加制度として最もよく知られているのは、経済社会理事会への公式NGO登録制度であ る。公式の「協議資格」を取得して、国連の公式会議へのオブザーバー派遣、発言や意見書提出などの権利を与えられる。「入場パスとコピー機の無料使用の権 利が与えられるだけ」との批判もあるが、NGOはこの参加の強化を目指す。「現在、NGOの公式参加は経済社会理事会のような“ソフトな”部門に限られて いますが、安全保障理事会などの“ハード”な部門へのアクセスも認められるべきです。さらに国連総会、また国際通貨基金(IMF)の年次総会、世界銀行、 世界貿易機構(WTO)などブレトンウッド体制への参加も必要です」とマッコイさんが言う。


 経済社会理事会以外にも、NGOの国連参加には様々なルートがあり、例えば、国際労働機構(ILO)の中に政 府、労働、経営側が二・一・一の割合で議決を行なう参加制度がある。同じパターンで、経済協力開発機構(OECD)の中に経営、労働の助言委員会が設置さ れている。世界銀行は一九八二年からNGO連絡委員会を設置し、最近では、独立検査機関を通じて世銀の政策をレビューできる制度を採用しはじめた。また、 国連プロセスでは作業委員会で実質的な討議が進んでしまう場合が多いが、これにNGOが比較的大幅な参加が認められる場合がある。七二年のストックホルム 宣言、九二年の生物多様性条約は自然保護国際連合の草案から発展し、子どもの権利条約の下地も「子ども救助インターナショナル」(SCI)などNGOが中 心となる作業委員会でつくられた。その他、国連会議への政府代表団へのNGO代表参加、国連会議での約束事を自国政府が履行するよう監視するいわば国内参 加機構を通じた国連参加の手法もある。


 そしてこれらに加えて、最近特に顕著になってきたNGO参加の形態が、国連会議に並行してNGO会議をもち、 公式会議に影響を与える試みだ。これは一九七二年のストックホルム環境会議あたりからはじまり、九二年のリオ地球サミットから加速度がついた。今回の北京 女性会議はその最も最近の、かつ最大規模で行なわれた取り組みである。

 

国際的な情報戦の舞台

 「こうした会議への参加がどれくらい有効なのか、私たちも随分議論してきましたが、現在までのところ極めて有効であっ たと思います」と、APCのファーウェルさんが言う。「北京女性会議でもそうでしたが、同じイッシューで活動している人が一同に会し、話し合い、考えや情 報を交換し、ネットワークし、文字どおり声を上げて届かせるといことはとてもパワフルなことです。さらに、これが私たちの求めるものですという宣言文書を 共同でつくり、それを国連に実行を迫り監視していくわけです。」

 並行NGO会議は、国連プロセスの中で明確な権限を与えられた過程・制度ではないことから、その有効性を危ぶ む声もある。しかし、「世界政府」ではない国連は、もともと明確に権限づけられた権力機構をもっていない。権限と権力機構との関連のみから参加の有効性を 考えるのは、必ずしも的を得ていない。国連は、多様な政治勢力が市民社会の理念や道義を訴え情報戦を展開する舞台にもなっているのだ。


 「国連機構は、国連会議での合意を各国に実行させるため有効なものではないかも知れません。むしろそれは NGOの役割かも知れません」とファーウェルさんが言う。NGOは会議後も、合意の実施を監督する国連委員会に参加したり、各国内での政府への影響力行使 によって合意の実施を迫る。普遍的な権力機構を欠く国連システムでは、むしろ、NGOの運動がその役割を果たすのかも知れない。

 

決定的な民衆のツール

 「国連会議に集まるNGOや変革を求める人びとが、私たちAPCのよって立つ基盤でです。APCは、彼(女)らが協力 し情報交換し効果的に活動するためのツールを提供します。私たちの役割は、国連の会議とプロセスをより透明でオープンなものにし、人びとがアクセスしやす くすることです」とファーウェルさん。彼女たちのネットワーク支援活動は、情報と理念がより重要な力を発揮するグローバルな市民社会で、決定的なツールを 民衆に与えはじめた。地球規模に広がったNGO活動にコンピュータ通信はよく適合している。手紙やニュースレターは遅すぎ、電話やファックスは高過ぎ多数 向け通信には適さない。地球の裏側の人まで一つの国連会議に集中させる民衆のメディアは今のところこれ以外にない。

 「私たちは、情報とコミュニケーションの技術へのアクセスは基本的人権だ、と主張し、国連に働きかけます。国 連はそのあらゆるプロセスにおいてこの権利を保証しなければならず、充分なコミュニケーション手段と情報サービスを低料金で人びとに提供する必要がありま す」とファーウェルさんが言う。現在、一番の課題は、こうした手段が限られているアフリカやアジアでのアクセスを保証することだという。


 NGOは、国境を越えて普遍的な理念のもとにつながりあい、グローバルな問題に明確な解決策を示して国際秩序 にはたらきかける。単なる一地域の利害集団、もしくは地方的武装集団に過ぎない国家の役割は益々貧弱なものにならざるを得ない。そしてグローバルに広がる 市民社会は、インターネットという中枢神経をもちはじめた。かつての国民国家が新聞という大量情報伝達手段によって形成されたとすれば、現在のグローバル な市民社会はインターネットによってその基礎を与えられる。APCはその可能性の片鱗を、ここ数年の活動の中で実証しはじめた。地球民衆を世界統治機構に 参加させるメディアを私たちはもちはじめている。

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