パソコンは銃である

 岡部一明 『インターネット市民革命』(御茶の水書房、1996年、7章1)
 

 一九九五年四月二二日、サンフランシスコの犯罪多発地域で、拳銃とコンピュータの交換プログラムが開かれた。正午から始まる交換会に朝から市民の列ができ、一時間半の間に一二〇丁の拳銃が中古コンピュータと交換された。

 サンフランシスコ市警と地域住民団体の共催プログラム。これまでも銃を現金やコンサート券と交換するプ ログラムはあったが、パソコンとの交換は全米はじめてという。「市民が、引き金よりも、キーボードに手をかけるようになってくれれば」と主催者は語り、 「市民を教育で武装する試み」と市警は説明した。

 かつて、西部のフロンティアを開拓した人びとが腰につけていたのは銃だった。今日、突如として広がりはじめた電子のフロンティア空間を渡る人びとが所持するのはパソコンである。これに自動車を加えると、アメリカの歴史と文化が語れるだろう。

 開拓の時代、銃は、荒野に乗り出した開拓者たちの護身のシンボルであった。それは、獣から身を守り、秩序の形成されぬフロンティアでの防衛力であり、そして悲しいことに先住民族を駆逐する武力であった。

 フロンティア消滅後、拡大する工業社会を支えたのは車である。個人が所有する移動と運搬の強力な手段。 高速道路が全米に張りめぐらされ、人びとは、どこにでも自分の好きな時に好きなルートで移動する自由を得た。車は、排気ガスを撒き散らし、交通事故による 大量の死傷者を生み、街をアスファルトの空間に変え、都市のスプロール化を進め、犯罪を増加させた。それは工業社会の悪の象徴となった。が、同時に車は、 個人の自由な移動手段として、公共交通機関にはないある種の力を個人に与えていた。

 そして、情報化時代。もはや、個人に力を与えるのは物理的な武器や移動手段ではない。無限とも言えるサ イバースペース(情報空間)を疾走する力を個人に与えるのはパソコンとそのネットワークである。パソコンは情報化社会の車であり、ネットワークはこの時代 の高速道路、もしくは広大なフロンティアである。

 コンピュータもまた、ありとあらゆる害毒を私たちの世界に撒き散らすが、幸いなことにパソコンは人を殺す道具ではなかった。また、生まれ出ずるサイバースペースは真のフロンティアであって、いかなる先住民族も住んで居なかった。

 銃(開拓時代)、車(工業社会)、パソコン(情報社会)と、アメリカ精神史のツールの変遷があった。い ずれも問題の多い技術でありながら、その時代、時代、これらは個人の力を信じるアメリカ人を魅了してきた。だが少なくとも開拓時代が終わった今日、銃はパ ソコンに引き替えられねばならなかった。
 


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