市場からの革命

(岡部一明『インターネット市民革命』御茶の水書房、1996年、第6章1)
 

一、企業と市場

沈黙の交易

 市場の原型としてよく語られるのは「沈黙の交易」である。ヘロドトスの『歴史』の中で、カルタゴ(現チュニス近郊)の商人が現在のリビアあたりの人びとと交易する際、互いに言葉を交わさず、会うこともなく黙々と取り引きを進行させる様子が描かれている。

 浜に着いたカルタゴ商人は、まず積荷を浜に並べ、一旦沖に停泊した船にもどる。すると土地の住民たちが浜に出て きて商品をチェックし、気に入れば黄金を代金として置いて引き下がる。そこでカルタゴ人がまた浜に下り、黄金が商品の額に引き合うかどうか調べる。引き合 えば黄金を取って立ち去る。交易成立だ。黄金が足りないと思えばそれを放置したまま船にもどりさらに待機する。するとリビア人住民がまた出てきて黄金を追 加する。これを何度か繰り返し、互いが納得したところで交易が成立する。「双方とも相手に不正なことは決して行なわず、カルタゴ人は黄金の額が商品の価値 に等しくなるまでは黄金に手を触れず、住民もカルタゴ人が黄金を取るまでは、商品に手をつけない」とヘロドトスは叙述する[ 1]。

 この沈黙の中で進行する交易に、市場経済の原型がゾクゾクするリアリティで語られている。ここで、未知 の人びとは互いに相手を恐れながら、しかしモノを媒介にして徐々につなりはじめている。直接交わらず、声をかけあうことはない。しかし、モノが、つまり人 間にとってのその使用価値が、次第に両者を共通の世界の中に引き入れる。相手は正体不明の異人だが、もってきたモノは自分たちの生活の中でも使える。価値 がある。最終的に取り引きを成立させることによって、彼らは同一の世界に生きる同じ人間であることを互いに立証する。

 ここはヒューマニスティックな唯物論が検証される場である。観念の中で対立した人びとが、モノへの関わ りの中で互いを確認しあう。ここでモノは、異なる集団が人間としての同質性を確認する媒介物であり、交易は、したがって市場は未知の人びとをつなげる共通 の空間として現れる。

市場の起源

 近くの古着屋でズボンを買う。まるで私のためにつくったような、ぴったりの短いズボンだ。

 いらなくなったズボンを古着屋に出し、千差万別の人のズボンが古着屋に並び、これまた千差万別の人が訪れて、自 分に合うサイズのズボンを買っていく。ここに、どこも悪いことはない。自分には合わなくなったズボン、まわりでも合う人がいないズボンを「市場」に出し、 多くの人の目に触れて流通する中で、最も必要とし「合う」人の所に商品が供給される。捨てられたかも知れないズボンが適所におさまり、資源が有効に生かさ れる。この古着屋が、大きなチェーンストアであるらしいことがちょっと気になるが、ここでは市場経済の巧みが確かに機能している。

 市場は、日本語でも英語でも、語源的にも歴史的にも、市(マーケット)から生まれた。農民たちが自分のつくった作物を市にもってきて売る。市は、最初は不定期に、例えば村の祭りなどに立つ。次いで十日に一度とか定期的に立ち、やがて恒常的な市場(いちば)が生まれる。

 市では、多様な人びとがつくる多様な商品が一同に集まる。農民も都市の住民も、多様な商品の陳列の中か ら自分のほしいものを選ぶ。一人の生産者と一人の消費者だけの単発的な交換とは違って、ここでは多数の商品が多数の生産者、消費者の間で交換され、価格は その地域の資源需給を正確に反映するレベルに実現される。

 そして、市は市民社会を形成した。市は、人びとが集まる場所であり、文化行事が行なわれ、農法、医療、 その他の知識・情報が交換される場であり、場合によってはアゴラがつくられ、自治が実際にとり行なわれる政治の場であった。市場の中で人びとは、互いに自 由で自立した平等の人間として対することを学んだ。
 

命令経済の島としての企業

 さて、ここに突然、大手チェーンのスーパーマーケットが現れ、農民の生産物をすべて巨大店舗で売ることになったらどうだろう。時代を飛び越えたありえない設定だが、果たしてそこで市場は「発展」しただろうか。

 一般にこうした巨大企業の参入は市場経済の拡大と見られ、悪しき市場経済の象徴として批判の対象とされる。しかし、実際は、ここで否定されるのは市場であり、企業は市場の侵蝕者として現れている。

 ここで、農民は多数と自由に交換する生産者であることを止める。人びとはもはや多様な生産者、消費者と して相互に向き会わない。農民は単一の企業(スーパーの卸し部門)に売る。消費者は単一の企業(スーパー店舗)から買う。かつては農民が馬車や荷車を使 い、それなりのリスクを負いながら作物を市場に運んだが、今は巨大なスーパーの流通部門がトラック隊で農村から作物を買付け、運ぶ。つまり、ここで流通は 一企業の内部過程になり、市場から取り上げられている。同様に小売過程も企業の内部過程になり、おそらく生産過程も、やがて多様な自立農民は滅ぼされ、巨 大な系列農場に置き換えられていくだろう。

 私はここで特殊な「独占」の問題を語っているのでない。企業自体が多かれ少なかれ、本質的には独占であ ることを言っている。企業は、自由で独立した生産者たちの市場に(したがってその自由な市民社会に)、中央集権化された組織経済を持ち込む。独立した生産 者たちを取り込み、管理と命令の経済に従わせる。市場経済の代表のように言われる企業は、実は、市場経済の中に浮かぶ命令経済の島である。企業は外部に対 しては、不確実性の中で市場交換の企図を行なうが、内部に対しては徹底して計画経済であり、命令によって組織された管理の中で物的・人的資源を移動させ る。労働者はもはやコピー一〇〇枚あたり幾ら、ワープロ打ち一〇ページあたり幾らで労働を会社に売るのではない。彼らの労働はすべて会社(資本)の労働と して現れるのであって、もはや労働者個々人のものではない。製造部門は、研究開発部門に製品開発を発注したりせず、在庫管理部門から原料の買付けを行なっ たりしない。命令による計画経済がすべての生産過程を支配し、社会主義的な会社主義が機能する。

「市場」と「企業」の区別

 企業は、自由な市場経済にとりつくガン細胞である。至るところで市場を侵蝕し、「計画」に貫かれた命令経済をつくり、際限なく増殖する。時には一つの産業全体をひとつの企業で被いつくし、規制(独占禁止法)がなければ市場を完全に壊滅させもする。

 自由な生産が事後的にぶつかりあう市場を否定し、社会が「一つの工場」のように機能する未来を展望したマルクス 主義者たちは、私たちの社会の最良のものを捨て、最悪のものを選び出した。なるほど一見、「合目的的に」一糸乱れず機能する工場のような社会は、ちょっと 目には優れているが、長い目ではそうではない。革新を不断に内部に取り込む力を持たず、最後に総崩れする以外に根本的な調整ができない。「現存社会主義」 はそのようにして崩壊したし、高度経済成長期の画一生産に過剰適応した日本の「追い付き追い越せ」型経済にも、同様の危険がある。

 エコロジー運動の中で、市場否定は基本的了解事項のようになりつつあるが、安易な反市場主義は、かつて の社会主義の反市場がそうであったように、私たちをどこにも連れて行かないだろう。市場とは、ある意味で、エコロジー運動が求めてやまない分権の原理を基 礎づけるものだったかも知れない。(後述の通り、アメリカでは、観念とは裏はらに、市場型の市民運動が急速に台頭している。)

 「市場」を「企業」のユーフォミズムとして使うべきではない。それは別物である。非営利団体(NPO) への関心の高まる中で、「政府セクター」「市場セクター」「非営利セクター」への社会の三分法が語られている。しかし、「市場セクター」は、正しくは「企 業セクター」と呼びたい。
 

市場外の従属労働

 マルクスは選ぶべきものを取り違えたが、企業と市場を明確な二分法の中で見ていた。労働が行なわれる「工場」が、市場からは隔絶された世界であることを次のように描いている。

 「労働力の売買が、その限界のなかで行なわれる流通または商品交換の部面は、じっさい、天賦の人権のほんとうの 楽園だった。ここで支配しているのは、ただ、自由、平等、所有、そしてベンサムである」。が、生産の現場はそれと異なり、「労働力の消費は、他のどの商品 の消費とも同じに、市場すなわち流通部面の外で行なわれる」と言う。そして、「われわれも、このそうぞうしい、表面で大騒ぎをしていてだれの目にもつきや すい部面(注:市場)を、貨幣所有者や労働力所持者といっしょに立ち去って、この二人について、隠れた生産の場所に、無用の者は立ち入るなと入り口に書い てあるその場所に、行くことにしよう」と読者を工場の中にさそう[ 2]。
 この「隠れた生産の場」にこそ資本主義の本質、疎外された労働がひそんでいる。が、奥ゆかしい(?)マルクスはここではそれを語らない。次のような予感を示し、次章の「絶対的剰余価値の生産」への渡りをつけるだけだ。

 「われわれの登場人物たちの顔つきは、見受けるところすでにいくらか変わっている。さっきの貨幣所持者 は資本家として先に立ち、労働力所持者は彼の労働者としてあとについて行く。一方は意味ありげにほくそえみながら、せわしげに、他方はおずおずと渋りがち に、まるで自分の皮をうってしまってもはや革になめされるよりほかにはなんの望みもない人のように。」。

 賃労働の特質は、それが市場外で行なわれる従属労働であるということである。これを「発達した市場経 済」の「自由な労働」ととらえるから、賃労働論は際限のない袋小路に迷い込む。市場の外に存在する企業は「自由と平等」から遮蔽され、過去のあらゆる従属 労働の亡霊が住みつく館である(後述)。
 

企業の発生と消滅

 企業が市場社会の中に浮かぶ非市場的な組織経済であることを初めて明確にしたのはロナルド・コースである。一九三七年一一月のエコノミカ誌に載った「企業の特質」という論文が、その金止塔である[ 3]。

 図書館の巨大な書庫の奥にエコノミカ誌バックナンバーを探し出すと、一九三七年の合冊本だけが痛みが特に激し い。一一月号の彼の論文のページにたどりつくと、冒頭のページが真新しいコピー紙に張り替えられている。摺り切れて紛失し、補充されたらしい。こんな「戦 前」の雑誌が摺り切れるほど読まれるのも異例だが、その落丁が丁寧に補充されるのはさらに珍しい。コースは長らく華々しい光を当てられずに来たが、この論 文などにより一九九一年ノーベル経済学賞を受賞した。

 これまで市場の中では、価格メカニズムだけが経済活動を決し、諸々のリソースを移動させると思われてい た。しかし、企業内では、例えば「労働者が部門Rから部門Xに異動になる時、彼は相対的な価格の変化によって動くのではなく、そのように命令されるから動 くのだ。価格の運動が問題を解決するという理由で経済計画に反対する人々は、私たちの経済体制内部にも、個人の行なう計画とは極めて異なり、通常、経済計 画と呼ばれるものに近いプランニングが存在している点を指摘されることになる。」[ 4]とコースは言う。

 商品交換だけで市場が成り立っていると考える人びとは企業を捨象していた。私たちのもった市場経済で は、個人が自己利益に基づいて交換を行なうだけでなく、巨大な企業が私的利益の単位として市場内を泳ぎ、その内部では非市場的、非価格メカニズム的な命 令・計画経済が動いている。これは単純な事実だから、常識的に社会を見ればすぐわかる。だが、経済学は常に「点」を単位にした純粋市場のみを語り、「面」 の広がりをもつ命令経済の島をなかなか発見することができなかった。

 異質なこの二つの世界を対比的に叙述すれば、「企業外では価格の運動が生産を支配し、生産は市場での一 連の交換取り引きによって連係されている。企業内では、これら市場の取り引きは消滅させられ、交換取り引きを伴う複雑な市場構造の代わりに、生産をつかさ どる企業者—連係者がその役を果たすことになる。」[ 5]

 コースはさらに進み、この非市場的な企業組織が市場経済の中になぜ現れるのか、その理由を理論的に解明 しようとする。彼の結論は「市場の運営にはコストがかかり、組織を結成してある権威(企業者)にリソースを運用させれば、ある種のマーケッティング・コス トを節約できる」[ 6]、つまりある条件下では企業を組織した方が市場利用より効率的になるから、というものだった。

 市場(価格メカニズム)を利用するためには、一般に「不確実性」に対処しなくてはならず、生産に必要と なる各種商品、サービスの価格をあらかじめ知っておくコストや、交渉を繰り返して何度も契約を行なうなどの「取り引きコスト」がかかる。企業を組織してリ ソースをあらかじめ集中しておけばこれらのコストが削減される。むろん、リソース統合で必ずコスト削減できるというなら、社会全体を一つの企業にすれば最 もコストが削減できる。しかし、実際は、リソースをため込み過ぎるとかえって無駄が出て維持コストが高くつく。そこで、「リソースの無駄による損失が、 オープン市場での交換取り引きのマーケッティング・コスト……と同じになる地点」[ 7]に達した時、企業の拡大は止まることになる。それ以上組織を拡大したら無駄の方が大きくなってしまう地点以上には、企業は拡大しない。

 コースの発見のすばらしい点は、企業の発生要因を明かにすることにより、この要因が消滅もしくは低減す る時に当然企業は解体方向に向かうことを可能的に示したことである。むろんコースはそこまでは言っていない。しかしそれは当然の論理的帰結だ。たとえば、 情報や通信の発達で、市場を利用する「取り引きコスト」が低減すれば、企業を組織する理由、巨大化させる理由は弱まる。実際、今日の「サービス化経済」 「情報化社会」の中で、市場を通じた商品・サービス統合が容易になり、企業のダウンサイジング、アウトソーシング、分社化が進行する一方、小ビジネスを中 心とした起業家経済の台頭がはじまっている。

情報化とサービス化における企業

 企業が存在する原因の一つは情報の不足である。市場が完全に発達し、人材やサービスを含めてあらゆる「財」が、その場 その場で簡単に調達できるなら、個人や小グループでも大規模な事業が組織していける。しかし、実際には、こうした市場に対する情報を完全に確保するのは難 しく、必要な時に必要な原料、人材、生産手段が即手に入る保証はない。しかし、事業にはこのどれ一つでも欠ければ命取りであり、事業は中断する。そこで、 確実な事業運営のためには、これらすべてを組織内であらかじめそろえておいた方が安全だというインセンティブがはたらく。

 必要な財が見つかっても、見積書を出してもらって価格を確かめ、品質を確かめ、交渉するなど「取り引き費用」が かかる。品質や相手企業の信頼性について完全な情報を得るまでに時間がかかる。この手間があまりに大きすぎるとやはり「すべて内部で」のインセンティブが はたらく。さらに事業には様々な「不確実性」が伴う。どのような商品が売れるのか、どのような技術革新が起こり、産業がどう変わっていくのか、これらに対 する完全に正確な情報を確保するのは、特に個人や小組織ではこれまで至難の業であった。そこで大規模な組織をつくって情報を集積しようとする。

 さらに企業は、大きい組織であること、つまり「ブランド」によるメリットを享受する。消費者が個々の事 業者、商品に対して具体的で正確な情報を得るのは難しい。個々の評価ができないので、まあ、大会社のブランドなら、ということでブランド物を選んでしま う。人を所属や肩書で判断することも含め、対象への正確な情報と判断能力を欠く場合に、ブランドがはびこる。

 逆に言うと、これらの情報が正確・迅速に与えられる条件が整えば、企業を必要とする経済合理性が低化す る。情報があっても正確な判断ができるかどうかは別だが、一般的には、情報の取得が容易になる中で、小単位でも行動能力が高まり、行動単位の小規模化が進 む。資材や人材の調達についてその都度有効な情報が与えられれば、企業は恒常的な資源集積をそぎ落とし、小単位に分解していく。事業を行なうごとに必要な 財を調達していけばよい。シリコンバレーの地域型情報ハイウェイ実験「コマースネット」が目指すのは、見積もり、請求、その他取り引きに関わる情報伝達を 「情報ハイウェイ」で円滑化し、小ビジネスの力を高めようとする試みだ(第五章五参照)。

 情報伝達が容易になるにつれて、大組織でなければ情報が集められないこともなくなる。個人や小組織でも 大型データベースへアクセスでき、インターネット上ではほぼ無料で大量の情報にアクセスできる。独立した個人間の自由な情報交換が進み、むしろ硬直した大 企業組織の内部の方が、社会の変化を柔軟にとらえられなくなる。大企業内部よりも自立したベンチャー小企業の方から、新商品や技術革新が次々生まれる。

 情報能力の強化は、品質に対する個別具体的な判断の手助けになる。商品をこまかく理解する消費者は、益々、個別化差別化された商品への嗜好を強める。ブランド名によらず、より個別的な品質評価能力を高める。

 情報化はまた、経済のサービス化という回路をとっても企業経済の合理性を弱める。モノは保存と貯蔵がき くが、サービス(人間の生きた労働そのもの)は保存がきかない。何かのイベントを行なうためには、会場設営、バンド、俳優、司会、通訳、照明係、場内警 備、その他あらゆるサービスが正確にその時と場所において供給されなければならない。そして、この生きたサービス商品の統合は情報化なしには実現不可能で ある。例えば電話での連絡調整なしに、大規模イベントの組織化を考えるのは難しい。「経済のサービス化」を可能にしているのは情報化技術の発達である。

 情報化とサービス化が不完全な時代に、組織内部的に(つまり市場外部的に)それを調達してしまおうとす るのが企業である。サービスは蓄積できないから、それを生み出す労働者自身を内部に抱え込んで安定供給する。企業は内部に、商品企画、開発研究、生産、販 売、広告、経理、社員教育、その他あらゆる部門を置き、そこからのサービスを計画的命令経済によって統合し個々の事業を行なう。企業とは市場における未熟 な情報化を補完する機構であり、したがって情報化が進む中で、徐々に衰退に向かう。もしくはその形を大きく変えていく。

小起業・個人ビジネスの台頭

 社会が小起業家経済に移行する兆候は、様々な形であらわれている。

 ダン&ブラッドストリート社の調査では、アメリカではここ数年、五〇人以下の小企業が新雇用の三分の二を創出し ており、フォーチャン五〇〇の大企業は年二パーセントの割で雇用を減少させている[ 8]。連邦小ビジネス局の調査によれば、一九九三年において、雇用の最も伸びた上位一〇産業の内、九つまでが小ビジネス主体の産業(全被雇用者の六〇パー セント以上が従業員五〇〇人以下の小企業で働いている産業)だった。新しく創出された雇用一九〇万件の内、七一パーセントが小ビジネス主体の産業において 作り出された[ 9]。

 同調査によれば、アメリカの事業体の内、従業員一〇〇人以下の小企業が九八.七パーセントの絶対多数を占める。その内、従業員二〇人以下が九〇パーセント、四人以下の極小事業体が六〇パーセントを占めている。

 特に最近では、個人ビジネスが急増している。米内国歳入庁(国税庁)に提出される二一〇〇万の事業税申告の内、一二〇〇万が「個人事業」形態によるものである。その内七〇〇万は被雇用者なしのまったくの自営業だ[10]。

 個人のホーム・ビジネスについては様々な数字があり、この分野のバイブルと言われる『ワーキング・フロ ム・ホーム』は、全米九二〇〇万世帯の内一八〇〇世帯(二〇パーセント近く)が何らかの形で家で仕事をしているとする[11]。一九九〇年に行なわれたリ ンク・リソース社の調査では、全米三三〇〇万人が「家から働いて」おり、前年から二二パーセント増加した。別の調査では、自宅で働く人は四〇〇〇万で、年 二〇パーセントの増加を示している。将来、全労働の七五パーセントが家庭に移動するとの予測もある[12]。

 活発な小起業家経済の中で、特に女性の台頭が目立つ。全米女性ビジネスオーナー財団(NFWBD)とダ ン&ブラッドストリート社の調査で、一九九一年から九四年までの三年間に、女性ビジネスは五四〇万件から七七〇万件へと一八パーセント増加した。『ワーキ ング・ウーマン』誌の調査では、同時期に一般企業の雇用増が五.三パーセントだったのに対し、女性ビジネスの雇用はその二倍、一一.六パーセント増加し た。一九九四年の女性ビジネスの雇用は一五五〇万。これはフォーチャン五〇〇が全世界で雇用する従業員の数を四〇〇万人上まわっている[13]。 NFWBD議長のローラ・ヘンダーソンは「私たちの経済は、少数の大企業が支配する形態から、多数の小単位が益々重要な経済的役割を果たす形態へとシフト しつつあるようだ」とコメントしている[14]。

組織の時代

 むろん、歴史は単純に大組織が小組織に分解していく過程ではない。同時に小組織が大組織に統合していく過程でもある。 国家が益々小さな地域やエスニシティに分解すると同時に国家間の統合と国際的な秩序が生成していくように、企業に分社化、事業部門化、イントラプリナー 化、アウトソーシング、バーチャルオッフィス化、在宅勤務、起業家経済化が強まると同時に、合併吸収、多国籍企業化し、中小・個人ビジネスも業界機構や生 産生協を形成して大組織化する。市民運動も非営利団体を組織し、社会全体が「組織の社会」になる。矛盾するようで、これは一貫した過程である。つまり、巨 大化することで内部が希薄化し、巨大につながりあうことで内部が分権化される。多数の組織が現れ、多元的にからみあい「組織の社会」が生まれるが、それゆ えに、これを泳ぎまわる個人の自由な空間が広がる。組織の時代に一貫して個人が強化され、社会全体がよりネットワーク的な組織になる。内と外がはっきりわ かれた堅固な組織、つまりビューロクラシー(官僚制)は消え去り、新しい個人と社会の関係が生まれる。

(出典・引用)
 1 - ヘロドトス『歴史』(中)、岩波文庫、一一〇頁。玉野井芳郎がこの交易形態を熱心に紹介してきた。
 2 - マルクス『資本論』第一巻、大月書店、二三〇頁。
 3 - The Nature of the Firm, *Economica*, November 1937.
 4 - *Ibid.*, pp.387-388.
 5 - *Ibid.*, p.388.
 6 - *Ibid.*, p.391.
 7 - *Ibid.*, p.395.
 8 - San Francisco Chronicle, February 7, 1994.
 9 - Small Business Administration, *Small Business Economic Indicators*, 1994.
10 - William C. Dunkelberg, "Presidential Adress: Small Business and the U.S. Economy", *Business Economics*, January 1995.
11 - Paul and Sarah Edwards, *Working from Home*, 1990.
12 - Lynie Arden, *Working at Home Sourcebook*, 1992.
13 - Lisa Alcalay Klug, "Entrepreneurial 'Sisters' Are Potent Force in Bay Area", *San Francisco Examiner*, April 16, 1995.
14 - *HR Focus*, July 1995, p.17.


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