パソコンは高齢者のものだ —シニアネット

 岡部一明 『インターネット市民革命』(御茶の水書房、1996年)、第1章1
 
 

インターネットで世界に「外出」

 「インターネットで世界中のコンピュータにアクセスしているんですよ。」

 と言って、七八才のドロシー・ミラーさんが分厚い『インターネット・イエローページ(電話帳)』をめくりだし た。「ほら、ここにある名古屋大学や南山大学。それからフランスの研究所……。日本の紹介情報を見たり、図書館のカタログ(書誌)を見たり。ガン研究所の 情報などもよく探します。」

 カリフォルニアの海辺の街、サンタクルーズに彼女の家はある。道に迷って何度か電話をかけたがずっと話し中。やっとたどり着いたら、案の定、パソコン通信のまっ最中だった。

 「むずかしくないかって? そんなことないわよ。ステップを一歩一歩進めば大丈夫。皆さん、どうしてそ ういうこと言うのかしらねえ」と言いながら、いろいろパソコンの経験を話す。「八一年に、日本の染め物についての本を書きましたが、パソコンはその時から 使っています。九一年にシニアネットに加入し、アメリカオンライン上で高齢者の友人たちと交流しはじめました。夫が脳卒中で倒れた後、全米から、そして最 近では日本からもたくさんの励ましをうけました。」

 彼女の夫は卒中後遺症でモノが飲み込めなくなった。一九九五年に亡くなるまで同じ様な境遇にある高齢者たちが様々な助言を寄せ、励ましてくれた。データベースで医学情報を集め、専門的なリハビリ医を紹介してくれた人も居た。

 「パソコンは高齢者のためにこそ大いに役立つんです。だって私などほとんど家に居るんですから」と彼 女。昔はコンサートや観劇にとよく出たが、今、特に夜は、ほとんど外出しないという。自由があまりきかなくなった高齢者にとってこそパソコンは大切、とい うのが彼女の意見だ。

 サンタクルツ市は、一九八九年のサンフランシスコ(ロマ・プリータ)地震で震源に最も近かった街。その 時の体験から、滞日経験のあるミラーさんは、阪神大震災の義援活動に積極的に参加した。「ニュースを聞いてすぐインターネットにアクセスしました。芦屋に 友人が居たのですが電話が通じず、日本国内のネットワーカーに調べてもらったのです。やはりなかなかわかりませんでしたが、結局、居場所をつきとめてく れ、無事を確認しました。」

 シニアネットを通じて米国内にも神戸の情報を流し、地元の日系人団体と協力して寄付金集めをはじめた。 三〇〇〇ドル近くが集まり、それを姉妹都市の新宮市に送る。神戸から避難してきた人のためだそうだ。同市と連絡をとるにも彼女のネットワーク活動が活躍 し、日本の友人たちが動いてくれたという。

眠れない夜にオンライン

 ミラーさんが入っているシニアネットは、高齢者向けのコンピュータ教育運動団体。サンフランシスコに本部があり、全米七五ヶ所のコンピュータ実習センターを通じ、五五才以上の人たちにコンピュータ利用へのアクセスを提供している。

 「私たちの目標は、コンピュータを使う高齢者のコミュニティをつくり、テクノロジーへのアクセスを保証して、彼(女)らがより力強く社会に貢献できるようにすることです。」

 シニアネット本部で、会長のマリー・ファーロングさんが語る。サンフランシスコ大学で教育テクノロジー を教える先生だが、一九八三年に最初の高齢者向けコンピュータ講座を初めて以来この分野に力を入れ、八六年、シニアネットを創設した。現在、会員数は一五 〇〇〇人に増え、一〇〇才を越す高齢者の会員もいるという。コンピュータ実習講座の他、一九八六年からオンライン・ネットワーク活動もはじめ、現在、アメ リカオンライン上のシニアネット電子会議を活動の中心においている。最近はインターネット上にウェブ・ページもつくった。

 「高齢者は新しいテクノロジーを学べない、コンピュータは子どもののものという考えが強すぎます。しかし、私たちの経験では、高齢者の方がその長い人生を反映して知識をシェアし、すばらしい活用をします。」

 高校生が学校の宿題のため、オンライン上で第二次大戦の体験を聞いてきたことがあった。シニアネット・ メンバーから一夜に二五人の回答が出たという。戦争の時女性はどうしていたのか、など具体的な生活の話が多かった。一方、ある退職判事のメンバーが、習い たてのデスクトップ・パブリッシングで、全米に散らばった子ども・孫のため家族ニュースレターを出した。ルーツを求めてパソコンで家系図づくりをする人が 多い。習いたてのパソコンで家族史や自伝を書く人も。オンラインの交流で五組の高齢者の新婚夫婦が生まれた。お茶を飲みながらの高齢者のオンライン 「ティータイム」チャット。詩のグループ、ダイエットのグループ、未亡人のサポート・グループもオンランイン上にある。

 「高齢者の中には、永年付き添った連れ合いに先立たれた方がたくさん居ます。これまで身近に寝ていた人が居ない。夜中に目がさめて眠れなくなります。そういう時、パソコンに向かうと、同じ境遇の高齢者たちがおり、つらい思いを語り合うことができます。」

 最近、こうしたチャットの最中に、メンバーの一人が意識を失う事件があった。他のメンバーが異常に気づ き、様々なルートで彼女の本名と住所をつきとめ、地元の救急番号に連絡することができた。二五分以内に地元の緊急医療隊がこの人のところに到着。薬の副作 用で軽い意識不明に陥っていただけで事なきを得た。

 「孤独感が高齢者の最大の病なんです。テレビ、ラジオ、新聞は一方向のメディアですが、コンピュータ通信は二方向、もしくはそれ以上です。離れている人びとの間に、共通の関心に基づくコミュニティがつくれます」とファーロングさんが言う。

お花と手芸とパソコンと

 各地のシニアネット実習センターは、高齢者センターやコミュニティ・センター(公民館)のような建物の中にある。お 花、手芸、ダンス講習などが行なわれている教室を横目で見ながら廊下を行くと、パソコンが一〇台程度置いてある部屋があり、そこで、週何時間か、レベル別 のシニアネット講座が開かれている。

 シリコンバレー内のサンノゼのシニアネットの場合、計一二時間のコースで二〇ドル、教科書代が一五ドル程度だ。 機材は、コンピュータ会社や電話会社が寄付してくれた。講師は退職したコンピュータ技術者のボランティア。ある程度習熟した受講生が「コーチ」になって協 力する。運営スタッフその他もすべて高齢者のボランティアだ。

 「みんなとっても真面目だよ。適当にやると苦情が来るんだ。」

 この日講師をしたアル・ハッバードさんが真顔で言う。「応募初日に四〇〇人近くも申し込みがあったんです。現在でも、約七〇〇人の待ちリストがあります」と運営担当のジョー・ルッソさん。

 講座参加者の動機は多様だ。子どもが古いパソコンを譲ってくれたので、というのが多いという。その他、 「面倒見てる孫がよくビデオゲームをやっているので。」「ボケ防止だよ。」などいろんな答が返ってくる。それまでハイテク技術からの疎外感をたくさん味 わってきたことから、トレーニングに対する意欲もひときわ高いようだ。

心の自転車

 「コンピュータは心の自転車です。移動能力が少なかったり、介護の必要がある高齢者が、この技術によって他の人たちと つながるのです」と語るファーロングさん。彼女は連邦議会で証言するなど、政府の高齢者政策にも積極的にはたらきかけている。一九九五年五月ワシントンで 開かれた「高齢化ホワイトハウス会議」で報告を行ない、コンピュータ分野での高齢者政策を提言した。シニアネットはこの会議で「テクノロジー資料セン ター」を設置し、参加者にパソコンに実際にさわってもらい、ネットワークアクセスのデモンストレーションを行なった。

 アメリカの五五才以上人口は二一パーセント。これが二〇二〇年には総人口の三分の一にもなっていく。この高齢化 社会の中で彼(女)たちの能力が埋もれるままだったら、社会にとっても大きな損失だというのがシニアネットの主張だ。「高齢者は、社会に貢献できるものを より多くもっています。コンピュータは彼(女)たちがコミュニケートし、創造的になるためのツールです。技術だけでなく、人間のビジョンを見なければ」と 言うファーロングさん。コンピュータ技術の可能性は、高齢者の中でこそより豊かに広がるのかも知れない。
 


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