ネット上のホーム・ビジネス
岡部一明(『インターネット市民革命』御茶の水書房、1996年、第5章1節)

山の中の翻訳会社

 山の中の翻訳会社 「電子メールがあれば、こんな山の中でもビジネスできるのよ。」
 元気のいい電話の声に励まされ、彼女の翻訳会社に出かけることになった。

 サンフランシスコの北一〇〇キロの小都市ヒールズバーグ。そこからさらに車で二〇分の丘陵地帯にリー・カー ティスさんの自宅兼オフィスがあった。森の中の二階建て。一階の三部屋が事務所に改造され、パソコンやプリンターが並んでいる。パートナーのケリーさんの 他、時に応じて従業員が一—二人。サンフランシスコ都市圏とオレゴン州ポートランドの間で唯一の翻訳会社という。


 「世界中に数百人の翻訳者にコンタクトがあり、そのほとんどが何らかの形で電子メールに使っています」とリー さん。翻訳元文の方はファックスで送ることもあるが、翻訳者からの完成原稿は「一〇〇パーセント」電子メールで送られる。振り返ると、まず郵便、そして ファックス。それがやがてディスクの郵送になり、今は電子メールだけに。「次は脳波だよ」とケリーさんがおどける。

 
 フランス語とイタリア語も話すリーさんは、前は、サンフランシスコで語学教師や翻訳の仕事をしていた。六年 前、一念発起して田舎に移り、このビジネスを開業。今、子どもの学校送迎やショッピング以外は、ほとんど家でビジネスにいそしむ。週末になると、パーティ や映画などでサンフランシスコに出かけるというから、仕事とレジャーの場所が通常と完全に逆になっている。

 

会ったことない人と仕事をする

 「何年も仕事を頼み、よい友人にもなっている翻訳者で、まだ会っていない人がたくさん居ます」とリーさん。「最近、私 たちのスペイン語翻訳者の一人がウィスコンシン州からボストンに引っ越しましたが、この前後、彼女の妊娠や夫の仕事のことなど、電子メールや電話でたくさ ん話をしました。でも、彼女とはまだ会ったことがないのです。」

 自然の中で在宅ビジネスをするのはすばらしいが、欠点もある。電話回線の質が悪いことがそのひとつ。高速モデ ムがあるのに低速の二四〇〇ボーでしかつながらない。最初は、私生活とビジネスを分けるのも難しかった。昼間、家を訪れる客に仕事中であることを理解して もらうのに苦労した。逆に夜は、仕事の電話を無視することが難しかった。


 「最初は、自宅ビジネスをしていると言うのを少し恥じていました。本当の仕事ではない、と思われたからです。でも今、社会が変わりました。多くのホーム・ビジネスが生まれています。私はその一部です。」


 客の出入りのあるビジネス以外なら、どの業種でもホーム・ビジネスが可能だと彼女は言う。現在の事業規模を拡大するつもりはない。都会の喧噪を避け、自然の中での健康な自宅ビジネスを維持していきたいと言う。

 

カウンターカルチャーと起業家経済

 ネットワークの発達で、バーチャル・オッフィスやテレコミューティング(在宅勤務)など、企業内労働の分散化が進ん だ。ダウンサイジングでフォーチャン五〇〇の大会社が年二パーセントの割で雇用を減らす一方、従業員五〇人以下の小企業が雇用の三分の二を創出している。 リー・カーティスさんのようなホーム・ビジネスは全米二〇〇〇万を越えると推計される。パソコン革命とインターネットの時代、個人の力を強化するツールの 出現で、社会における個人や小組織の果たす役割が大きくなっている。

 「対抗文化世代は起業家経済の推進力になってきた」と言うのは、カウンターカルチャー世代の思想家、スチュワート・ブラントさんだ。「彼らの『自分自身のことを行なえ』という主張は、容易に『自分でビジネスを起こせ』という主張に転換したのです。」


 ブラントさんは、かつてベストセラー『ホールアース・カタログ』を刊行し、後に、コンピュータ・ネット WELLをつくり、さらに現在、ネットを通じたビジネス・コンサルタント事業「グローバル・ビジネス・ネットワーク」(GBN)を主宰している。対抗文化 世代はパソコンからインターネットに至る革命を生む一方、活発な起業家経済の主力ともなっているというのが彼の意見だ。


 「最近ISDNが入って、私もようやく皆さん並にインターネットをサーフできるようになりました」と、ワール ドワイド・ウェブの画面を駆りながらブラントさんが言う。ソーサリート(サンフランシスコ近郊)にある廃船を陸にあげたユニークな個人事務所。彼はここか ら、「一〇—一五年先をにらんだ」長期的ビジネス戦略のコンサルティングを行なうGBNを運営する。コンピュータ・ネットワークWELLを中心に気鋭の経 済人、未来学者らが交流、研究活動を行ない、それを基礎に、世界約六〇社の主要な加盟企業に各種情報、研究委託、コンサルティングなどのサービスを提供す る。


 主に学術研究ネットとして発展してきたインターネットは、ここ数年で急速に社会全体に広がった。そして電子の 市民社会が成熟する中で、市場経済が立ち上がってきた。インターネット上ビジネスが起こり、「電子店舗」が生まれ、サイバースペースに「市が立つ」。かつ ての市の経済がそうであったように、大きな混乱とともに、ある種の市民的興奮がネット全域に走りはじめている。

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