バークレーのコンピュータ運動 −「地域メモリー」
(1973年〜)

(岡部一明『パソコン市民ネットワーク』(技術と人間、1986年)、第1章より)

カリフォルニア大学セイサーゲイト 六〇〇万人近い人口を擁するサンフランシスコ湾岸都市域は、特異な街である。半島部つけ根付近には先端技術のメッカ、シリコンバレーがある。その一方で、カリフォルニア大学のあるバークレーは学生運動とヒッピー文化の発祥の地。現在でも、六〇年代からのカウンター・カルチャー運動の伝統をよく引き継いで、身体障害者の自立運動、中米難民かくまい運動など新手の市民運動を次々に生み出し、アメリカ社会の動きを先導している。このバークレーで 「地域の記憶」Community Memory(以下「地域メモリー」)と称するコンピュータ運動が生まれている。「フリースピーチ運動(バークレーの大学闘争)の精神とシリコンバレーの技術を結びつけた民衆的コミュニケーション・メディアづくり」と形容されるこの運動は、人の集まる公共の場に端末機を置き、コンピュータ通信を使って人々の交流を生み出そうとしている。

 現在でも観光・生活情報を端末機に映し出すビデオテックス(キャプテンやテレガイド等)がある。しかし、ビデオテックスは市民が一方的に情報を受けとるだけだ。これに対して地域メモリーは、市民がその場で自由にメッセージを入れる完全に双方向性のメディアである。(写真:カリフォルニア大学の象徴・セイサ―ゲイト)

「地域の記憶づくり」

 この運動がバークレーで生まれたのは一九七三年。パソコンも現われていないこんな「昔」に三つのコンピュータ端末機を近隣都市域にとりつけ、市民のネットワークづくりの実験がはじめられた。一四ヶ月の実験期間中に、八○〇○の入力メッセージがあり、故障などを除く稼働時間に対する使用率は七〇%にもなった。
生協の中の地域メモリー端末
 一九七六年から、さらに新しいシステムの追求がはじまり、UNIX(もともと三二ビット機用のオペレーティング・システム)を使用したソフトウェアの完成によって八四年の五月から再び実際の公共端末機を使った実験が開始された(写真:生協の中の地域メモリー端末、1985年)。

 現在、地域メモリーはバークレー市内のテレグラフ・コープ(生協店舗)、ラ・ピーナ(中南米系音楽酒場・レストラン)、ホールアース・アクセス(サバイバル用品店)の三ヶ所に端末機を置く。いずれも人の出入りの多い庶民的な場所だ。粗末な端末機が店の角などに無造作に置かれ、買い物途中の人たちが気楽にさわれる雰囲気だ。サンフランシスコなどにもある「テレガイド」とちがってフル・キーボードが付き、その場で市民が自由にメッセージを入力できる。中古品の交換情報、「ロスアンゼルスまで車で行くがガソリン代を折半する人はいないか」なとの情報からはじまって、レーガンのスターウォーズ計画批判といった長文の意見を入力している人もいる。他方でたわいもない落書きも多い。それに対して「こんなくだらないことばかり書いていていいのか」と非難するメッセージがあるかと思えば、「落書きが許される自由なメディアこそ本当の市民的メディアになりうる」といった反論もある。一つのメッセージに、次々に反論やコメントが付け加えられるようになっていて、”電子伝言板上”での市民のコミュニケーションが延々と続く。

 技術的に言えば、三つの端末機は地域メモリー事務所にあるミニコンピュータに専用回線でつながれていて、すべての情報はこのなかに蓄積される。各端末機からこのホスト・コソピュータ上の電子掲示板を呼び出し、書き込んでいることになる。

 商業的開発からは生まれないシステム・地域メモリーの事務所は、海に近いバークレーの工場地帯にある。家賃が安いのであろう、倉庫のようなただ広いだけの大部屋だ。がらくたが所狭しと置かれ、奥のついたての裏にやはりがらくたのようにホスト・コンピュータが鎮座している。

 筆者が訪間した時、「コンピュータの力を民衆の手に」をかかげてこの地域メモリーを創設したリー・フェルセンスタインが出かけるところだった。七〇年代中期にホームブルー・コンピュータ・クラブの座長をつとめ、創成期当時の”反体制的”マイコン産業に大きな影響を与え、自らもオズボーンT(ハンドヘルド・コンピュータの元祖)など多くのマイコン機器を設計している神話的存在の人だ。現在でも地域メモリーに財政的援助を続けていると聞いていたが、ラ・ピーナの端末機が故障したので出かけるとかで,まさか修理箱をかかえて日常的な修理作業にまで奔走しているとは知らなかった。

 事務局長のカール・ラリソグトソ、有給職員のカレン・ポールセルから話を聞いた。

 三つの端末機は、八四年に設置されて以来、一ヶ月にそれぞれ約六〇〇人の使用があり、伝言板データベースに入るメッセージ総数は一ヶ月間に一〇〇〇件を下らないという。将来的には一六〜二〇の端末機を市内の公共的な場所にとりつける計画で、同システムを他の街の市民団体に売ってネットワークを広げていく計画もある。現在端末機の使用は無料だが、今後はコイン入れ口をつけて二五セント程度の料金をとる予定だ。一六の端末機でそれぞれ一日五一人以上の使用があれば地域メモリー・システムは経済的に自立できるという。ちなみにシステムの初期導入経費が五万三六〇〇ドル、月々の維持費(人件費を含む)が四一四五ドルである。

 地域メモリー・システムの導入によって地域生活にどんな変化がでてきたかとの質問に、彼らは、三つの端末機ではまだそんた大それた変化はない、現在はあくまで試験期間であり、市内に一六の端末機が置かれるころになれば、「地域の一体感」(センス・オブ・コミュニティー)形成など確実なインパクトが出てくるだろう、と言う。

 住民管理や軍事利用など負の側面が多いコンピュータを市民運動が使うことはどうか、という議論になった。彼らは決して現在のコンピュータ文明の賛同者ではない。むしろ商業ベースで進むコンピュータ開発にはっきりした批判をつきつけるためにこそ、市民的なオルターナティブを示そうとしている。

 「私たちの社会では、コンピュータは、すでに権力の集中しているところにますます権力を集積しがちだ。このテクノロジーは、人を見張り、失職させ、コントロールし、さらに軍事利用の場合には、危害を加えるために用いられる。地域メモリーの存在が、こうした事実を何ほどかおおいかくすとしたら、それは私たちの最も望まないことである。」(『地域メモリー・ニュース』より)

 彼ら自身、市民によるコンピュータ・メディアの可能性は、現在の体制の中では決して全的に実現することはないと考えながらも、「パーソナル・コンピュータの世界では、何らかの形で市民提供・市民管理の情報システムの具体例を、商業的開発がそうした方向の可能性を封じこめてしまう前に示す必要がある」との認識からこの運動を進めている。

 パソコンの低廉化にともない、一般市民でもコンピュータが容易に買えるようになってきた、しかし地域メモリーはあくまで公共端末にこだわる。パソコン出現以前の理念にしばられすぎているのではないか、との疑問もあったので、この点をラリソグトソに聞いてみた。

 「確かに安くなった。数百ドルで買えるものもある。が、なおそれは二五セントで使える公共端末機とは根本的に別のものだ。公共端末機は、パソコンを持たない大多数の市民にコンピュータへのアクセスを保証する。またバソコン通信にしても、人々の原子化(アトマイゼーション)を促進し、家の中の孤独な人間の間で使われる。これに対して人の集まる公共の場の端末機は、人々の間に『生身のつきあい(フィジカル・コンタクト)』を助長し、補完するために使われる。」

もうひとつのメディア網

 彼らの夢は、他の地域の同様な市民ネットワークとつなぎ、あるいは彼らのシステムを移植(移しかえ)していって、現在の一方向的マス・メディアに対する市民のオルターナティブ・メディアを全米的につくりだすことだ。

 すでに近隣諸都市のいくつかの市民団体が地域メモリー・システムに興味を持ち、導入の方向で動いている。市民的メディアの性格を失わないように、移植契約には次の原則が貫かれる。

・特定集団ではなく、一般公衆に開かれたネットワークとする。
・入力メッセージはいっさいの校正・検閲なしに即データ化される。
・営利のために運営してはならない。料金は実際の運営コストにのみあてる。端末機設置場所の提供者は、スペース賃貸料を取ってはならない。
・地域メモリー内の情報を他のデータベースに流用・販売してはならない。
・システムを地域のニーズに近づけるため、運営は公開ミーティングを通してすすめられ、議事録は公開される。
・被害を受けたとの書面による苦情のあったメッセージ、および期限を過ぎたメッセージのみが消去される。
・地域メモリー・プロジェクトは、以上を守らない団体に対して契約を破棄できる。契約を破棄された団体は、地域メモリー・プロジェクト理事会に訴えを起こすことができる。

 バークレーはかつて、市民自らが電波を流すコミュニティーラジオ運動の発祥の地ともなり(第三章の三参照)、市民的メディア運動の強い伝統がある。現在でも同市には二つの市民バンドFM局があり、地域ニュース、中東・アフリカ音楽、ニカラグア情勢といった番組をサンフランシスコ都市圏に流している。地域のCATV局は市議会の討議を流し続ける。地域メモリーは、単にこうした市民的メディアづくり運動の延長である。ミニコミ以外そういう試みがほとんどなかった日本で、地域メモリーのような運動を理解するのはむずかしいだろうな、というのが彼らの事務所を出る時思ったことであった。

図書館の地域メモリー
(パソコン以前にはじまった地域メモリーは、パソコン通信の時代を越え、インターネット時代初期までも命脈をたもった。写真は1993年.、バークレー市立図書館におかれた地域メモリー端末。サイバースペースの「原初」期について語り合う電子会議がCommunity Memoryという名前で現在も続いている。)


全記事リスト(分野別)


岡部ホームページ

ブログ「岡部の海外情報」