失業したらビジネス起こそう

  岡部一明『サンフランシスコ発:社会変革NPO』(御茶の水書房、2000年)、第4章より

 

起業で女性の自立めざすWI

 失業したら職探しと職業訓練。これまではそう相場が決まっていた。だが、アメリカでは今、ビジネスを起こして自立するのを支援する市民運動が拡大している。
 「受講生たちはあらゆる分野でビジネスを起こしますよ。レストラン、カフェー、翻訳業、民芸工芸品製造、子ども衣服店、美容院、グラフィック・デザイン、そしてデスクトップ・パブリッシングも。ペルーからの移民女性でスポーツ用品店を開いた人が居ましたが、お国で盛んなサッカー用品をそろえました。」
 サンフランシスコに事務所をおく「自営のための女性運動」(WI)の事務局長(当時)、エティアン・デグランドさんが語る。WIは非営利の起業家支援を行なう非営利市民団体(NPO)。低所得の女性に、起業家講座、コンサルティング少、額融資(マイクロ・ローン)などのサービスを行なう。一九八八年に設立されて以来、七〇〇〇人以上が起業家講座を受け、約六五〇人が新事業を起こすか事業拡大を行ない、事業起ち上げのマイクロ・ローンも一五〇件を超えた。今でこそこの種のビジネス支援NPOは多いが、八八年からやっている所としては大御所になる。「私たちの目的は、ビジネスを起こして女性の経済的自立をはかることです。職業訓練をして企業に雇用されるのでなく、最も貧しい社会的弱者層でも独立した事業を起せるよう援助します」とデグランドさん。
 

マイノリティー地域でも

WIの企業支援クラス バスターミナル近くの騒々しい界隈に彼女たちの事務所がある。意外と広いスペースの片隅に教室が二つあり、夕方になると女性たちが集まってきて講座がはじまる。「私は小口融資の専門家。補助講師は企業のボランティア活動で来た方です」と講師のマリアン・ウォルデンさん。活きのいい彼女の語り口で教室は笑いが絶えない。
 低所得者のみを対象とするようにしてから料金も下げた。最初のオリエンテーションは無料。入門講座(三時間ずつ二回)は一五ドル。本格的な「小ビジネス経営」講座(週一−二回一四週)は五〇ドル。受講生たちはここで、商品コンセプトづくり、ビジネス・プランのつくり方、資金の集め方、市場調査、マーケッティングなどを学び、夢を具体的な事業計画にまで育てていく。その他に、単発の一般向け入門講座、ビジネスをしている人のためのカウンセリング、実際的アドバイス中心の情報交換講座もある。コース修了者に五〇〇〇ドルから二万ドルの少額ローン貸し付けも行なう。本部事務所の他、ラテン系人の市内ミッション地区、アフリカ系アメリカ人の多いオークランドにも事務所をもち活動する。
 例えばチリからの移民者、ポーラ・テハダさん夫婦は、最初、自分たちのつくったサンドイッチを地域で売り歩いていた。冬の冷たい雨の中、一軒一軒訪問したが、「最初は変な目で見られた」とテハダさんが回顧する。その内、WISEが行なうラテン系人向けプログラム「ALAS」のうわさを聞き、起業講座を受ける。「アメリカではやり方が異なるということを知る必要がありました。移民女性はシステムから疎外され、ライセンスや訳のわからない手続きを恐れていることが多いです。私もALASに行かなかったら恐れていたでしょう。」
 結局、彼女たちはチリ・リンドというお店を買い、そこでチリ風サンドウィッチ店をはじめた。店購入の初回支払い分四五〇〇ドルとライセンス取得料五〇〇ドルについて、WISEからローンを受けた。チリ系のお店は珍しいということもあり、経営は何とか軌道にのった。
 

起業家経済への移行の中で

 なぜもここまで「ビジネス起こし」なのか。「私たちは、企業が工場を閉鎖して大量の労働者をレイオフするのを見てきました」とデグランドさんが言う。「“ダウンサイジング”や“リストラクチャリング”で、解雇されても他に仕事を見つけるのが難しい経済構造になってきています。そこで私たちは、自営や起業家精神の価値をとらえ直そうとしたのです。大企業に頼って職をもらうのでなく、人びとが自ら仕事を生み出すことを実現しようとしました。これは、私たちが年月をかけて検証しようとしている新しい戦略なのです。」
 アメリカでは九〇年代に入り、フォーチャン五〇〇の大企業が年二パーセントの割で雇用を減らし、従業員五〇人以下の小企業が新しい雇用の三分の二を創出してきた[ 2]。連邦小ビジネス局によれば、一九九〇年代のほとんどを通じて雇用創出の四分の三を五〇〇人以下の小ビジネスが占め[ 3]、コグネティック社の調査によれば、一九九二年から九六年の間に、新雇用の五〇・二パーセントが従業員一−四名の極小ビジネスによってつくりだされた[ 4]。情報化と起業家経済化の中で、個人ビジネスが急増。本章四節で述べる通り、SOHO(小ビジネス・ホームビジネス)人口は一九九九年で四一三〇万人に上る[ 5]。マイクロ事業支援運動は、こうしたアメリカ社会の全般的な変化を、低所得者層の立場から積極的にとらえ直す試みと言える。
 デグランドさんは、州議会や、連邦議会の公聴会などで頻繁に証言し、低所得者の独立自営業化を支援する制度づくりの必要を訴えてきた。これまでは、生活保護や失業保険をもらうには職を探していなければならず、ビジネス起こしの勉強などをしていてはだめだった。彼女たちのはたらきかけの成果でこうした制度上の不備は次第に取り除かれ、一九九八年からはじまった雇用促進型の州福祉制度「カルワーク」(CalWORK)では、自営業に向けた活動も「職」に関する活動と認められた。WIのオークランド(サンフランシスコと湾をはさんだ隣街)事務所では、一九九九年から、生活保護受給者のためのビジネス起業訓練プログラムを開始された。
 一九九九年に出されたアスペン研究所の調査によると、低所得世帯が起こした「マクロビジネス」の七二パーセントが所得を計上し、五三パーセントが貧困を脱する所得を生み出していた。五年間でのビジネス存続率は四九パーセントで、一般の平均五二パーセントと大きな差はなかった[ 6]。

 1 - 岡部一明『インターネット市民革命』御茶の水書房、一九九六年、第五、六章。
 2 - *San Francisco Chronicle*, February 7, 1994.
 3 - U.S. Small Business Administration, *Small Business Economic Indicators, 1998*, March 2000, http://www.sba.gov/ADVO/stats/sbei98.pdf
 4 - Small Business Administration, "The Facts about Small Business, 1997", http://www.sba.gov/ADVO/stats/fact1.html
 5 - http://www.idc.com
 6 - Venise Wagner, "In the Business of Getting Off Welfare," *San Francisco Examiner*, January 24, 2000.
 
 


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