アメリカで 車社会とたたかう

                     岡部一明(『地球号の危機』1996年12月―97年2号)


 光は直進する。したがって、サンフランシスコの見通しのいい直進道路に立てば、バスがどれくらい近くま で来ているかわかる。「光通信」の原理である。最近、エレクトロニクス技術を駆使したバス接近状況表示システムが日本のバス停で稼働して いるが、道さえまっすぐならば、伝統的「光通信」で充分その機能を果たすことができる。

 サンフランシスコの街は、碁盤の目のように道路が走る。名物の坂にさえぎられないよう、見通しのよい所 に行きさえすれば、バスの接近状況は視認できる。かなりの道路にバス路線が走っているから、いくつかの道路を行き来して「光通信」すれ ば、どこかで、たまたま接近してきたバスをキャッチできる。待たされるのが欠点のバスも、こうすればある程度便利に使える。

 バスという公共機関を使う上の様々なノウハウ(ソフトウェア)のひとつである。車という醜いハードウェ アを拒否してアメリカに生きるには、こうしたありとあらゆる対抗ソフトウェアを持ち出さねばならない。バス路線図を常に持ち歩く。できれ ばバス路線をすっかり暗記し、どこに居ても的確なバス便と最も近いバス停が「本能的」にひらめくようにする。快速バスも止まる停留所が近 くにあるなら、そこまで歩いていって待つ。乗り換えも含めて目的地までの有効ルートをいくつか考え、選択枝を広げておけばバスをつかまえ られる確率も増す。本屋など、時間を潰しながらバスを待てるバス停で待つ。常に読みかけ資料を持参してバス停を臨時書斎に変えるなどとい うのは初歩の初歩。年季が入ってくると、バス乗りと散歩を結合するという高級テクニックを使う。バスを待たずに目的方向に歩きはじめ、 「途中で来れば乗る、来なけりゃずっと歩いて運動になるさ」と達観する。バス待ちのイライラはこうして克服される。

 「え、おまえ、アメリカで車なしで生活しているのか!」と、だいたい驚かれる。「しかも子持ちで!」

 いったい、どうやってそんなことが可能なのか聞かれるが、確かに可能なのは可能だ。若干の工夫、たたか いは必要だが。これからはなすお話は、アメリカに来て4年間、私たち車なし家族4人が、どうやって生存してきたか、聞くも涙、感動の物語 りである。

家は全部道路に面している


 まず背景を説明しておこう。

 アメリカ社会は、あらゆる面で車中心である。都市構造からして、すべての家は道路に面する。日本の狭い 路地裏通りではない。片側二車線、時に三車線の広い通りに面してほぼすべての家が建っている(通常、一番外側のレーンは駐車専用)。たま に例外もあるが、それは建築基準法施行以前の古い家だ。

 すべての家が道路に面していれば、住所は、道路の通し番号で表せる。ひとつの通りのはじめから終わりま で番号が付き、それが個々の家の住所だ。○○通りの何番と言えば一発で決まる。交差点ごと(ブロックごと)に番号が100番ずつ増えるか ら、4640なら46番目の角のあたりということがわかる。数字が偶数なら右、奇数なら左側。この国の人びとは場所を言う時、「A通りと B通り(の角あたり)」、「A通り上でB通りとC通りの間」などと言う。「何丁目何番地の1の5の3」などという複雑な住所はない。日本 に来てアメリカ人が困惑する「異文化」のひとつがこの複雑な日本の住所表示システムだ。

車で自己を確認する


 ついでに言うと、住居地が車道の番号で表されるとすれば、人間様は車の免許証番号で本人確認される。アメ リカで運転免許証は戸籍に匹敵する。

 知らない人が多いが、アメリカには戸籍も住民票もない(戸籍があるのは日本、韓国、台湾だけ)。サンフ ランシスコに引っ越してきても戸籍や住民票の登録(ましてや外国人登録)で、市役所に行くことはない。そう言えば、取材では行ったが、そ れ以外で市役所に行ったことはない。子どもの就学通知も予防接種通知も、選挙権行使の投票通知も黙っていては来ない。それぞれ自分で登録 しなければならない。だから、うっかり子どもを小学校に上げるのを忘れる不謹慎な親も居る(私んちではありません)。

 自分が何者かは、役所でなく、自らが積極的に証明する、ということだ。戸籍抄本や住民票に代わり、自分 で所持する運転免許証がその役を果たす。ディスコに入るにも、酒を買うにも、若づくりの人は年齢確認のため免許証の提示が求められる。銀 行、福祉事務所、図書館、その他どこでもこれを見せろと言われることが多い。免許証のない人は州「自動車輌局」に行って別種の身分証明書 をつくってもらう。日本に住む私の父が、私の保証人証明か何かでアメリカ大使館に出頭した時、運転免許証の提示が求められた、と喜んでい た。ペーパードライバーで免許証を使うことはなかったが、ついに役立つ時があったという訳だ。

 そして車庫。ほぼすべての家に車庫がある。都市中心部を除き、アパートでも部屋毎の車庫が地下や一階に つくってある。サンフランシスコだと通常、民家の1階は必ずガレージで、2階部分からが「1階」だ。「ガレージ」は日曜のガレージセール (古物売り)、駆け出しパソコン企業の創業事務所などとしてアメリカ文化に不可欠の空間だった。

環境教育


 「おとうさん、何でウチには車がないの。」と小学2年生の岳史が聞く。土曜日、日本語学校の帰り道。みん な車で迎えにくるのに、私だけはバスで来る。「あのな、車は環境によくないんだ。ガソリンもたくさん使うだろ。」

 「でも、友達が笑っていたよ。」と小学5年生の洋平が反論する。今、車の中から手を振った友達が我々の 方を笑っていたという。ホントか。

 「バスに乗った方が環境にいいんだ!」 断固として私は言う。

 「それはわかるけど、カッコ悪いじゃん。」と、なおも食い下がる洋平に、「それはカッコ悪いと思う方が 悪い」ととどめの一発をくわえる。環境教育の行き届いた我が家では、たいていの議論はここで終る。

まず住む場所を選ぶ


 アメリカで車なしの生活をするためには、まず住む場所を選ばなければならない。田舎はだめだ。アメリカに は、ほとんど絶海の孤島のような地域が珍しくない。バスも鉄道もなく、歩いて行くにも隣町まで何十キロ(時に何百キロ)、などという所。 車なしには永遠にそこから出られない。

 郊外もだめだ。広大なアメリカの郊外住宅地は車を基礎にしており、ちょっとした買物さえ車に乗って ショッピングセンターに行かなければならない。

 残るは都市部。しかし、大都市でもロサンゼルスのようなだだっぴろい都市はだめで、小じんまりして公共 交通機関が発達した街。バス、路面電車、地下鉄、ケーブルカー、トロリーバス、フェリー便など、例外的に公共交通機関が発達したサンフラ ンシスコはこの条件をよく満たす。

 そのサンフランシスコでも、さらに私たちの住むリッチモンド地区クレメント通り界隈は、とりわけ歩行生 活者にやさしい。歩いて行ける距離に地元商店街があり、そこで何でもそろう。果物も野菜も日本食も本屋も、安売り家具も古着も健康食品店 も、普通のスーパーも、おまけに図書館やライブ・ミュージックのお店や安売りパソコン店や、韓国、中国、ベトナム、マレーシア、ビルマ、 インド、イラン、ロシア、イタリア料理まで近所で何でもそろう。こんな所はそう他にはない。住み易いサンフランシスコの中の、そのまた歩 行生活者優先地域はどこか、と聞けば、決してひいき目でなく客観的回答として、このリッチモンド地区クレメント街近辺、という答が返って 来るだろう。

どっちが得か


 車のある生活とない生活ではどっちが得か。不便なバス便生活をおくりながら考える。

 車を買うのは大金がいる。しかも、購入費用というのは「一番安いコスト」だそうで、買ってからのガソリ ン代、修理費、駐車場代金などが高く、自動車保険が年1000ドルかかり、駐車違反その他罰金をとられることがあり、さらに交通事故など を起こしては目もあてられない。命にもかかわる。そして決定的な葵の御紋、これが見えぬか「地球環境へのコスト」問題がある。

 これに対してバスなら、サンフランシスコ市バスの場合、乗り換え2回どこまででも1ドル。1ヶ月乗り放 題のパスは35ドルだ。

 むろん、バスも化石燃料を消費する車である。サンフランシスコにはトロリーバスなど電気モーター系の公 共交通機関が多いが、これも発電所では石油を焚いたりしている。こっちが不便を忍んでバスに乗っているのに、ジーゼルバスがすさまじい黒 煙を出して走っているのを見ると腹が立つ。市バスが、一人当りどれだけの有害廃ガスを出しているのか、だれか厳重に調査してほしい。が、 一般的には、バスの方が乗用車より圧倒的に一人当りエネルギー消費が少ないことは確認されている。

 バス賃が安い代わりに、高家賃地域に住まなければならないデメリットがある。安全で、バス便がよく、商 店街も近い、など条件を満たす所はどうしても家賃が高い。車があれば低家賃の郊外にも住める。

 バスは、通常10分から20分おきに来るが、よく待たされる。いつ来るともわからないバスをずっと待つ 時ほど、みじめな思いをすることはない。何か巨大なもの依存しているという無力感。サンフランシスコの思い出風景を描けと言われたら、何 も来ない道路のかなたを皆で見つづけているバス停の光景を私は描く。

 この苦労も各種ソフトウェアを労してある程度克服できることを冒頭に紹介した。人間とは身勝手なもの で、すぐバスが来て目的地のまん前に降りた時など、バスって何て便利、と感動する。月間パスをもっていれば街中を走るバスがすべて自分の 専用タクシーになったような気分になる。が、来ない時には本当に来なくてバスを呪う。30分以上待たされて、バスが団子状になって来たり する。

 車がないと生活空間が狭くなる。湾を越えたバークレーやオークランドの街に、ここ数カ月行っていない。 私のような凶悪そうな男はともかく、女性だと特に夜の移動が制限される。アメリカでは女性が夜一人歩きすることはあまりない。私の連れ合 いも、仕事で帰りが遅くなってバスに乗ると(バス停から歩くと)恐いと言う。彼女は車の運転練習をはじめた。フェミニズムにとり「夜を奪 い返す」ことが大きな課題になっている。

 週末でも子どもを簡単に郊外に連れていけない。郊外の行楽地に行くバスは限られている。日本から来た旅 行者に、得意になってサンフランシスコの観光説明をしてあげていると、たちどころにレンタカーを借りて私の行ったことのない所に行き、こ ちらがあれこれ説明される側にまわるのを何度か体験すると、私の人生はどこか根本的にまちがっていたのか、と思わないでもない。

車なしでも取材はできる


 最近出版した『インターネット市民革命』(御茶の水書房)のあとがきで、私のフリーライター取材の裏話を 次のように書いた。

 「仕事がらシリコンバレーに行く機会が多い。頑固な環境主義者(?)の私は、車に乗らず、・・・カルト レイン鉄道で行く。サンフラシスコの場末から約一時間でシリコンバレーに付く。列車に自転車を持ち込み、シリコンバレーを軽快に走り回る 人もいるが、登録が必要だったり面倒なのでそこまではやらない。かわりにスニーカーをはいて行く。

 車なしでシリコンバレーをまわるなど、この地を一度でも訪れた人は信じられないだろう。バレー(谷)と は言うものの、関東平野ほどに広い平原。都市がスプロール化し、コンピュータ会社や団体事務所は、あちこちに分散して立地する。だが、こ の地も列車とバスで行けるのだ。ちょっとした準備は必要である。精巧な市街地図とバス路線図、列車とバスの時刻表をそろえ、使い方に慣れ る。アポを取った会社・事務所を地図で正確に把握し、可能な到達ルートを検討し、時にはバス会社に電話してスケジュールを確認する。情報 は、無駄な移動を抑えるためにこそある。車を使わないためには、こうした情報活動を惜しんではならない。

 バス停から目的地までは歩く。バス便が少なければ、駅から思い切って全部歩いてもいい。めったに雨が降 らないシリコンバレーは、光まばゆく、ハイキングには絶好の土地だ。

 スニーカーはいてこの地を行くと、別のシリコンバレーが見えてくる。広大な芝生の近代的ハイテク企業で インタビューした後、バスに乗ると、そこには貧しい地元の人たちがたくさん乗っている。アフリカ系アメリカ人やメキシコ系の人たちも多 く、シリコンバレーで低賃金で働く人たちの存在に常に思い至らされる。そしてこれが私の思考回路に無意識のうちに影響を与える。」

 シリコンバレーはサンフランシスコの近辺だから、まだやり易い。これが遠く離れた知らない土地での取材 となると苦労が倍増する。

 例えば飛行機でアメリカのどこかの都市に着く。空港に市バス路線図は置いてない。変わりに、レンタカー 用の(高速道路網を中心にした)市街地図が置いてある。空港はしかたないとしても、グレイハウンドのバスで着いてもそこのバスターミナル に市バス地図が置いてないというのはどういうことだろう。長距離バスで来た人は市内でも当然にバスを使うだろうに。

 市バス地図は、市の交通局のような役所に出向かないともらえないことが多い。週末で役所が閉まっている と手に入らない。サンフランシスコでは本屋で市バス地図を簡単に入手できるが、例外的だ。

 通常の市街地図にバス路線は出ていない。あくまでも車が主で、街路だけは正確に細かく出ているが、鉄道 はきちんと載っていない。高速道路は太くだれにもわかるように出ているが、鉄道路線は細い見逃すような線だ。アメリカで鉄道駅は通常、場 末であり、日本のようにそこから街が発達する中心街ではない。駅ができると、車のない貧しい人が多数やって来て地価が下がると恐れられ る。

 取材先に電話をかけ、事務所までの行き方を聞く。すると、

 「高速○号線を南に行き、○インターチェンジで下り、○通りを西に……」とやられる。車での行き方を教 えるのだ。

 「あのー、グレイハウンドで行くんですけど」とさえぎると相手は絶句する。その街でグレイハウンド(長 距離バス)のターミナルがどこか知らない人が多い。市バス路線を知る人はさらに少ない。

 通常のアメリカの街で、市バスは、あったとしても1時間に1本などということが多い。例えばお年寄りが 地域の福祉センターに通うなど、市民の最低限の移動の権利を保証する手段という感じだ。人びとは、市バスの全体路線図よりは、家の前を通 るバスの時刻表だけを大切に握っている。それを使って福祉センター往復や、毎日決まった時間の通勤などを行なう。私としては全路線図を見 ながら、市内を縦横に動くのに使いたいが、それは市バスの本来の目的とは異なるようだ。福祉は重要だが、公共交通機関は商業的(に成り立 つ)事業にまで高められねばならない。それを可能にする環境変革が課題だ。

 有名な話だが、かつてレーガン大統領は、市の公共交通システムをつくるくらいなら利用者全員に高級リム ジン車をあげた方が安上がりだと言ったことがある(1985年、マイアミの公共交通システム計画に関して)。むろんここでは、市民が新た にもつリムジンで起こる交通渋滞、道路増設、大気汚染などのコストは捨象されている。

車なし出張の定石


 他の街に行く時は必ず事前にそこの交通局に電話し、バス路線図・時刻表を送ってもらう。現地では入手しに くが、郵送だと簡単に(無料で)送られてくる。あとは通常の市街地図と首っぴきで、訪問先までの到達手段を綿密に調べておく。これがアメ リカで車なし出張をするための定石、あるいは秘術である。

 急な出張の場合はこの策が打てない。これまではあきらめて、出たとこ勝負にする他なかった。だが、最近 は、インターネットという力強い味方が現れた。自治体のホームページなどにアクセスすると市バスの時刻表が入手できる所が出てきた。バス 路線図もグラッフィックの形で、分割表示してくれるところがある。

 各市の市バス路線図を印刷物の形で全米に配布するなどということは、とても無理だった。それがインター ネットで可能になりつつある。どこからでも簡単にその街の市バス情報が得られたらなあ、と夢に描いていたが、それが意外に早く実現されつ つあるのでうれしい。

市バスは危険か


 4年前、サンフランシスコに引っ越したばかりの頃、子どもといっしょに乗ったバス内で、乱闘劇を見てし まった。車内で大声で運転手に悪態をついていた男を、その運転手が腕づくでバス外に放り出した。車内での暴力を黙認する運転手が多い中、 彼の勇気は讃えられるべきである。が、警棒のようなもので首をねじ上げドタバタする光景を、子どもたちの眼前では見せたくなかった。

 決してこんなのが頻繁にあるわけではない。が、来たばかりにこれを見た子どもたちはかなりこわがった。

 アメリカの公共交通機関の中では犯罪が多い。ニューヨークの地下鉄などはその最たるものだ。サンフラン シスコの市バスでも、犯罪の頻発が新聞ダネになる。

 ただし、くどいが、車に乗れば安全というわけでもない。駐車場での犯罪が多い。以前、ロサンゼルスで日 本人青年が射殺される事件があったが、あれも駐車場の中だった。いい車に乗っているほどねらわる確率も高くなる。犯罪に利用されることも 含めて、アメリカの犯罪のかなりが車に関係しているだろう。

 車もない貧乏人を、そもそも強盗はねらわない。私はもう10年も「危険な市バス」に乗り続けているが、 一度も犯罪にあったことがない。街中で歩いていてもあったことがない。私もよほど強盗にみくびられたものだ。

 交通事故の危険も計算に入れれば、バスの危険度は、高く見ても車に乗るのと同じくらい、と言えるだろ う。

団体スキーツアー


 咋冬、岳史の小学校のクラスで、親子そろっての団体スキーツアーが計画された。東方400キロのシエラネ バダ山脈のスキー場にバスで日帰り旅行する。私たちは喜んだ。これでめったにできないスキーツアーに家族みんなで行ける、と。

 ところがこの、バスをチャーターして行くツアー案は、親たちの反対にあって簡単につぶれた。車で行ける のになぜバスを出す必要があるのか、という訳だ。スキーで疲れて帰るからバスにした方が安全だ、現地は寒いし着替えなど暖かいバス内でで きた方がいい、と主催者たちは主張したが、通らなかった。

 私たちの家族旅行はつぶれた。いろんな人の車に家族を分乗させてもらうというのはちょっと無理。母親と 岳史だけが、友人の車に乗せてもらい、雪山に向かった。

 独身ならともかく、子どもが居れば車なし生活は無理 ----それがアメリカ生活の常識である。それを 4年間やってきたのだから、例外もあるということだが、確かにきついことは間違いない。

 子どもの通学はスクールバスがあるので何とかクリアー。(それでもスクールバスのバス停までが遠かった りすると問題だった)。困るのは、夜に、学芸会、ハロウィーンパーティー、PTA、その他いろいろ学校の会合があることだ。地域の少年バ スケットボール・クラブの練習も夜ある。

 会合が終わり、車がビュンビュン行きかう夜道を子どもといっしょにバス停に向かって歩く。他に歩く人は いない。車なし人生の悲哀を大いに感じる時だ。地球環境を守るため(?)車を使わないで一生懸命歩く私たちに、このような屈辱感を感じさ せていいのだろうか。

 もちろん、こんな「悲惨な」帰り方をする私たちを他の親たちが放ってはおかない。乗ってけ、と車に迎え 入れてくれる。ありがたいことで喜んでお世話になる。が、こうして他の人の世話になることを前提にした「車を使わない生活」とは何なの か、とも思う。

 単発の学校行事ならまだよい。毎週あるバスケットボールの練習に毎回毎回誰かの車に乗せてもらうのを前 提に参加することには躊躇がある。好意をむげに断りたくないから丁重に感謝し、しかし、私たちはバスで帰ることに慣れていますと説明して 子どもとバス停に向かう。

 「お父さん、乗せてってもらおうよお」と言う子ども。「あのなあ、おまえ、人間は自立するという根性を 学ばなければならんのだぞ。」

他の人との関係の中では


 私が困るだけなら私が耐えればよい。家族が困るのは苦しいが、できるだけ親が肩代りすることである程度打 開できる。だが、他者との関係が入り込む時、どうしていいかわからなくなる。

 危ない地域でたとえ一組みであろうと、夜歩いて帰すことなど、車に乗る親たちにとっては認め難い。乗せ て行ってあげなければ、と思う。しかし、毎回毎回乗せてってあげるのはやはり大変なことだ。皆が車をもち乗っている中に一人だけ車のない 人間が入ってくることは、ある意味で社会の秩序を見出す。通常考えない配慮をしはじめ、そわそわする。私だってそう安易には他の人の車に 頼りたくない。

 車社会は、こちらがそれをどう認識し、どうたたかおうと、常に私たちを支配している。私がどう主観にか かわりなく、私のやっていることは家族に耐え難い危険と不便を強いることであり、ふがいない親以外の何ものでもない。アメリカの車社会と いう見えない怪物が、私を責任の欠如とした世帯主として断罪する。

車社会の攻勢


 車なし人生が最大の難関にさしかかるのは、例えば地域の少年バスケットボールの対抗試合で、他の街に遠征 する時だ。こういう時、日本だったら普通、マイクロバスでもチャーターして行くことになるだろう。電車やバス便があればもちろんそれに乗 る。高校生の「甲子園」だってそうやって行く。

 ところがアメリカだと、これが「各自、車で」ということになる。会場はどこどこの町の何中学校の体育 館、行き方は高速○号線を北に行き○インターチェンジを下り……と例の能書きを言い渡され、「ではそこで明日の10時に」てなことで解散 になる。こちらから言わないと車で行けない人が居ることに気が付かない。

 アメリカでは子どものスポーツ試合でも家族総出で行くから、乗せてもらうのも楽ではない。帰りは家族で 遊園地をまわって、とそれぞれ計画もあるからなおさらだ。

 最初は遠征試合はすべてパスしていた。しかし、それでは子どもがかわいそうではないか。私の出張と同じ くグレイハウンドで行くことにした。むこうに着いてからは、市バスがなければ会場までタクシーで。

 え、おまえたち、バスで来たのか……じゃ、帰りはどうするんだ、と向こうに着いてから例のごとく社会秩 序に風波を立てはじめる。

 大きな大会の場合は、泊まりになる。チームの家族そろって泊まるのが、これがまた車社会のアメリカでは 高速道路近くのモーテルなどという所になる。(街の中心のホテルは高い、子ども向きでない、治安が悪い、などの理由で使われない)。まわ りに市バスなど走っていない。会場の中学校体育館までどうやって行くか、また頭の痛い話になる。

 夕食をみんなで食べよう、ということになる。「では6時に、どこどこのチャイニーズ・レストランで」と なる。また困る。

 ちょっとした買物をするにも、ホテルの周りには駄菓子屋さえなく、車がなければどこにも行けない。よー し待ってろ、と言って、私が高速道路の下をくぐり、インターチェンジを迂回しながら、巨大なショッピング・センターまで歩いて行き食糧や 飲物を仕入れてくる。もちろんショッピングセンターには広大な駐車場があって、見渡す限り車だらけだ。

その時日本は


 「日本から帰ってきて、もう絶対公共交通機関には乗らない、と決心した。」

 子どものクラスメートの親で、日本に数年滞在したアメリカ人が私に何度も強調した。日本で毎日あのコク 電に乗り牛づめの体験をした彼は、アメリカに帰り車で高速道路をスイスイ走る生活にもどり本当にホッとしたと言う。もう決してああいうの には乗らない、と語気強く私に言う。

 せっかく、公共交通機関に触れるというすばらしい機会を得ながら、それを永遠に嫌悪させる結果を日本の 公共交通機関が招いてしまった。情けなく、ひどく悲しい思いがした。

 一概に、車社会のアメリカより公共交通機関の発達した日本の方が優れている、とは言えないかも知れな い、ということを私に教えてくれた。日本の「優れた」公共交通機関も、人を人とも扱わない人権無視の上になりたっているのだとしたら誇る わけにはいかない。そういえばサンフランシスコの高速地下鉄は床にじゅうたんを敷き、ゆったりした座席を据え、通勤の市民の方々に「使っ て頂く」ため至れり尽くせりの構造だ。

 廃棄ガスを吸わされながら、高速道路の下や殺伐とした車道を歩く時、私の心は殺伐とした感情でおおわれ る。この同じ空間は、車に載ってスイスイと走る側からは、まるで違った世界に見えているに違いない。

 大量の機械が疾走する脇を子どもといっしょに歩く。街道沿いに巨大スーパー、ハンバーガー店、小旗はた めく自動車販売場、駐車場などが広大に広がる。ああ、このあまりにアメリカ的な光景よ、と思いながらふと見ると、その光景を巨大な 「Toyota」や「Nissan」の広告塔が制圧していたりする。走る車の群れの多くが日本車であることにも気づく。そうか、この強大 な「アメリカの車社会」で潤っていたのは……。

 アメリカで車なし子連れ生活4年。車社会と果たして互角にたたかえているかどうか。あらゆる戦線で押し 切られ満身総痍の感もある。ほーら、おまえももういいかげんに車を買えよ、と勝ち誇った車怪物が耳元でささやくのが聞こえる。



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