「数時間に渡りサンフランシスコは包囲攻撃下の都市に」「都市ジャングルの中で、これは自転車のゲリラ戦争」と テレビ・ニュースが報道する。特に、市一番の繁華街マーケット通りは数キロに渡って完全に自転車に占領された。笛やらっぱを鳴らしながら走る無数の自転 車。立往生するバス。青でも渡れない車の行列から警笛が連発されるが、それも、サイクリストたちからの歓声にかき消される。
強引に侵入しようとする車と自転車がぶつかりそうになるのを至る所で目撃した。脅かせば人や自転車はど く、という通常のドライバーの横暴感覚が通用しない。逆に怒鳴り返され、直前に自転車を止められ動けなくされる。車の行列を前にアジ演説をはじめる人が居 る。「君らも車を捨てて自転車に乗ろう。」「このマーケット通りを私用車通行禁止にしよう。」
険悪にドライバーといがみ合う人も居れば、和気あいあいと語り合いながらペダルを踏む人びとも。子ども 連れのサイクリストや車椅子で参加の人。背高のっぽ自転車や三輪自転車など自家製バイクに乗る人。思い思いの仮装やスローガンでかざりたてたサイクリス。 歩行者は、唖然としながらも、ドライバーと異なり声援する人もかなり見受けられた。アパートの窓から鐘をたたいて応援する子ども。屋上に上って見物する人 びと。
「こんなのが毎日あるんだよ。」
写真を取る筆者を日本人観光客と思ったか、軽口をたたいていくサイクリストが居た。
リーダーのいないクリティカル・マス・ライドは、参加者が勝手にコースを選ぶアメーバー状の行進になっ
ていった。マーケット通りの主要部分を抜けると、複数の「支流」に分かれ、蛇行し、街中に広がる。市役所も自転車の波に取り巻かれた。八番街、バンネス通
り、フランクリン街など高速道路につながる幹線道路が狙れ、占拠と交通遮断のパターンが続く。筆者の見た範囲では警察も手を出せず、自転車の波に取り巻か
れた車を外に出すのが精一杯だった。
この「オートジェノサイド」(車虐殺)と「オートクラシー」(車支配体制)に対抗する非暴力直接行動が「クリ ティカル・マス・ライド」だ。自転車に乗る人を「臨界質量」にまで数を増やし、交通体制に連鎖反応的な変化を生み出そうとする。サンフランシスコでは月一 回の帰りの通勤時の自転車パレードという形。「アナルコ・サイクリスト」(無政府主義的自転車主義者)運動とも言われ、正式な主催者や代表が居ない。あく まで、通勤に皆が勝手に自転車に乗るという体裁だから市側も対応に困る。弾圧を避ける方式だとも言われる。
クリティカル・マスは、「環境運動の首都」とも言われるサンフランシスコで一九九二年九月にはじまっ た。その後、バークレー、シアトル、トロント、ニューヨーク、ロンドン、シドニー、リオデジャネイロ、ポーランド諸都市など全米、海外に広がり、新しい直 接行動型環境運動の流れをつくっている。
クリティカル・マスは、交通政策の転換に確実な影響を与えてきた。サンフランシスコでは、自転車専用
レーンの設置やバス・鉄道への自転車持ち込みプログラムがはじまり、自転車道路ネットワークの整備が画策され、自転車通勤促進のためのホットライン、駐輪
支援プログラムなど細かい対策が打たれた。市民参加でつくられた「サンフランシスコ自転車交通計画」は、今後、自転車用の道路改良などで計二八〇〇億ドル
の投資を行なう方向を提示している。つい最近も、市側と共同の「自転車サミット」開催が合意されたばかりだ。
確かに、車という疾走する巨大機械は人間にとって威嚇的だ。運転する側には外の歩行者や自転車が丸太のように見
え、警笛を鳴らし少し乱暴に侵入すれば簡単にけ散らせるという感覚が日常化されている。だが、その「オートクラシー」は、数時間だけだったが、このライド
の中で打倒された。生身の人間の通行によって阻止され、論難され、沈黙させられる。そうした権威の転倒が、この日、サンフランシスコの街の至る所で起こっ
た。自由に走ることで、車社会を超えた世界への想像力がかきたてられた。