七〇〇〇台の自転車が街を占拠
 ―サンフランシスコ「クリティカル・マス」
  岡部一明(週刊金曜日 97.8.22)

サンフランシスコのメーン通りを埋める自転車  この七月二五日、サンフランシスコの中心街を七〇〇〇の自転車が占拠した。「道路を人間のものに」「自転車の安全に通れる道を」をスローガンに行なわれて いる「クリティカル・マス(臨界質量)ライド」の自転車行進は、この日、逮捕者二五〇人を出すワイルドな自転車デモに発展した。

 毎月第四金曜日夕方六時、帰りの通勤時間帯を狙って行なわれるライドは、これまでは警察に「護衛」される平和な自転車行進だった。し かし、前回の六月のライドで交通渋滞にぶつかったブラウン・サンフランシスコ市長が激怒し、取り締まり強化発言をしたことから緊張が高まっていた。サイク リスト団体は市長との協議をボイコットし、次回ライドへの大動員を呼びかけた。ヤキ市議を通して妥協案(時間を遅らせる、繁華街コースは避ける、等)が成 立したものの、この日参加した空前の数のサイクリストたちは、合意ルートを完全に無視し、市内の目抜通り、金融街、ベイブリッジなどに縦横に流れ出した。

 「数時間に渡りサンフランシスコは包囲攻撃下の都市に」「都市ジャングルの中で、これは自転車のゲリラ戦争」と テレビ・ニュースが報道する。特に、市一番の繁華街マーケット通りは数キロに渡って完全に自転車に占領された。笛やらっぱを鳴らしながら走る無数の自転 車。立往生するバス。青でも渡れない車の行列から警笛が連発されるが、それも、サイクリストたちからの歓声にかき消される。

 強引に侵入しようとする車と自転車がぶつかりそうになるのを至る所で目撃した。脅かせば人や自転車はど く、という通常のドライバーの横暴感覚が通用しない。逆に怒鳴り返され、直前に自転車を止められ動けなくされる。車の行列を前にアジ演説をはじめる人が居 る。「君らも車を捨てて自転車に乗ろう。」「このマーケット通りを私用車通行禁止にしよう。」

 険悪にドライバーといがみ合う人も居れば、和気あいあいと語り合いながらペダルを踏む人びとも。子ども 連れのサイクリストや車椅子で参加の人。背高のっぽ自転車や三輪自転車など自家製バイクに乗る人。思い思いの仮装やスローガンでかざりたてたサイクリス。 歩行者は、唖然としながらも、ドライバーと異なり声援する人もかなり見受けられた。アパートの窓から鐘をたたいて応援する子ども。屋上に上って見物する人 びと。

 「こんなのが毎日あるんだよ。」

 写真を取る筆者を日本人観光客と思ったか、軽口をたたいていくサイクリストが居た。

 リーダーのいないクリティカル・マス・ライドは、参加者が勝手にコースを選ぶアメーバー状の行進になっ ていった。マーケット通りの主要部分を抜けると、複数の「支流」に分かれ、蛇行し、街中に広がる。市役所も自転車の波に取り巻かれた。八番街、バンネス通 り、フランクリン街など高速道路につながる幹線道路が狙れ、占拠と交通遮断のパターンが続く。筆者の見た範囲では警察も手を出せず、自転車の波に取り巻か れた車を外に出すのが精一杯だった。
 

オートクラシーへの反乱

 アメリカでは、年間五万人が交通事故で死ぬ。ベトナム戦争での米側死者八年分の数に匹敵するという。さらに車は、騒音、大気汚染を悪化させ、エネルギーを大量消費し、我が者顔で、都市のコンクリート・ジャングルを走る。

 この「オートジェノサイド」(車虐殺)と「オートクラシー」(車支配体制)に対抗する非暴力直接行動が「クリ ティカル・マス・ライド」だ。自転車に乗る人を「臨界質量」にまで数を増やし、交通体制に連鎖反応的な変化を生み出そうとする。サンフランシスコでは月一 回の帰りの通勤時の自転車パレードという形。「アナルコ・サイクリスト」(無政府主義的自転車主義者)運動とも言われ、正式な主催者や代表が居ない。あく まで、通勤に皆が勝手に自転車に乗るという体裁だから市側も対応に困る。弾圧を避ける方式だとも言われる。

 クリティカル・マスは、「環境運動の首都」とも言われるサンフランシスコで一九九二年九月にはじまっ た。その後、バークレー、シアトル、トロント、ニューヨーク、ロンドン、シドニー、リオデジャネイロ、ポーランド諸都市など全米、海外に広がり、新しい直 接行動型環境運動の流れをつくっている。

 クリティカル・マスは、交通政策の転換に確実な影響を与えてきた。サンフランシスコでは、自転車専用 レーンの設置やバス・鉄道への自転車持ち込みプログラムがはじまり、自転車道路ネットワークの整備が画策され、自転車通勤促進のためのホットライン、駐輪 支援プログラムなど細かい対策が打たれた。市民参加でつくられた「サンフランシスコ自転車交通計画」は、今後、自転車用の道路改良などで計二八〇〇億ドル の投資を行なう方向を提示している。つい最近も、市側と共同の「自転車サミット」開催が合意されたばかりだ。
 

人間が道路を取り戻す

 「クリティカル・マスでなくて、クリティカル・メス(深刻な混乱)だ」とマス・メディアが非難し、「(交通)法を破っ た者は当然の罰を受けなくてはならない」と市長が警告する。サイクリストの中でも、一般市民の共感を損なうのは得策ではないとの批判がある。しかし、「例 え一時間ちょっとで、かつまた極めて違法な行動であったにせよ、道路を自由に使えるということにはエンパワリング(自己強化)の感覚があった」と、サイク リストとして参加しながら取材した地元「エグザミナー」紙記者ジム・マゾラは言う。別の参加者、ハンク・チャボットは、「自転車が道路を取り戻すことがど んなことなのかヒントを与えた」と言う。自動車を運転することには本質的に暴力的なものがあるが、クリティカル・マスは「自動車を人間のスピードに服させ た」という。

 確かに、車という疾走する巨大機械は人間にとって威嚇的だ。運転する側には外の歩行者や自転車が丸太のように見 え、警笛を鳴らし少し乱暴に侵入すれば簡単にけ散らせるという感覚が日常化されている。だが、その「オートクラシー」は、数時間だけだったが、このライド の中で打倒された。生身の人間の通行によって阻止され、論難され、沈黙させられる。そうした権威の転倒が、この日、サンフランシスコの街の至る所で起こっ た。自由に走ることで、車社会を超えた世界への想像力がかきたてられた。
 


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