フリーライターの日々

  岡部一明(1996年)


 夜中に電話が鳴る。時計を見ると午前2時だ。枕元の受話器を取ると、明らかに若い女性の声だ。
 「岡部一明さんですか。」
 あなたはそんな経験があるか。私も、深夜に若い女性からこんな電話を受けたのは一回だけだったと思う。大いに狼狽した。
 「は、はい。」と答えると、
 「○○カードですが、今月分のご利用代金が引き落とせません。」
 ぎゃー、勘弁してくれ。

 時差を間違え、日本からよく深夜に電話がかかってくる。その中でも、あれが最も心臓に悪い電話だった。日本の銀行口座に入る原稿料をクレジット・カードで引き出す。しかし、時々残高以上に引き出してしまうことがあり、カード会社から、利用代金の引き落としができないと督促電話がかかってくる。お願いだからこんな電話、深夜にかけないでほしい。
 「こっちは今午前2時何ですけど。」
 恐る恐る言うと、相手はかすかに「しまった」というような声のトーンになった。しかし、決して謝らなかったのはさすがだ。入金しますからと言って、お引き取り願った。

 以後、私は鬼のように働いた。机の上に「来月の家賃が払えるか」というバンナー(横断幕)をはり、ねじりはじまきで原稿に向った。大体において、この種の電話は、仕事をさぼってすぐには来ない。原稿料は数カ月遅れで払い込まれる。さぼりはじめ当初は前の原稿料である程度暮らせていて、数カ月後の深夜に電話がリーンと鳴るのだ。
 そこで慌てて原稿を書いても原稿料が入るのは数カ月後。一巻の終わりだ。

 あれ以来、私は、表計算ソフトで毎月の稼ぎを概算することにした。その時の口座の状態で一喜一憂するのでなく、常に一定の仕事をする。昔使った表計算ソフト「マルチプラン」を起ち上げ、えーと、今月は〇誌に書いたから〇万円、×誌に書いたから×万円、と入力していくと、自動的に月の合計が出て「あと△万円稼がねば」とわかる。「よし、△誌にも書こう」などと管理できる。

 トシをとるにつれ、フリーライター業についてアドバイスを求められることが多くなった。雑誌社にいいコネがないか若い人に問われることもある。でもねえ、私自身があなたと同じくらい若い編集者に勝手原稿を送って、「またこのおじさん送って来た、困ったもんだ」と嫌がられている立場なんですけどお。

 このトシして貧乏しているのは、社会的騒乱の要因となる。若い人の指導のため、遠方への会議に招かれることもあるが、当然経費などが出るものと思っていると、え、この先生、お金を出してもらおうとしてたのか、と明かに驚かれてみじめな気持ちになる。社会的に意味ある雑誌に、無料の原稿を書くことも求められ、きちんと財政基盤を確立していないことを反省しつつ、断るのにいつも罪悪感を感じる。

 十年以上もフリーライターやっていると、この種の悲惨な話に事欠かない。ある時、「高卒女子の初任給、依然、大卒と大きな差」という新聞記事を読んで義憤にかられた。大卒男子に対する高卒女子の初任給が益々低い率に落ちているという記事内容。まったくひどい。女性蔑視だ。雇用制度が間違っている、と怒った後、ふと気づくと、その高卒女子初任給は私の月の稼ぎより多かった。……などという話がいくらでもある。

 日本に居た頃だが、ある民族問題の本を出した後、中年サラリーマンが私の家に訪ねてきた。ぜひ転職してこの分野のフリーライターになりたいが、まずは先生のアシスタントにしてほしい、と言う。私は驚いた。日々の家族の生活にも困っている人にアシスタントを雇う余裕があろうか。本を出すことに人はこれほどまでも間違った認識をもっているのか。1冊出せばそれで左うちわの先生になれるというのか。
 私の稼ぎはあなたの給料の多分3分の1にも満たないんですよ、と丁重に断ったのだが、その人はなかなか納得してくれなかった。適当な理屈をつけて体よく断られたと思ったようだ。

 原稿がボツになることほどつらいことはない。2、3日ガックリ来て仕事が手につかない。人にもよるが、気が弱い私などは、こういう苦労までして新しい媒体(雑誌、新聞)に売り込むことは金輪際やりたくないとなってくる。気負って緊張して書いてもいいのはできない。
 こんな経験を何度もしてくると、安定した関係の媒体というのがとても貴重になってくる。むこうも信頼してくれ、多少の凡作も大目に見て、いい原稿が上がってくるのをひたすら待って下さる。そういう媒体は宝だ。こちらを評価してくれる編集者、自由に書ける媒体、それは、長い文筆活動の中でつくりあげてきた何ものにも換え難い人間の関係である。

 子どもの頃、トイレに行く前に手を洗うか、出てから洗うか迷うことがあった。トイレで手が汚れるから洗うのか、入る前に洗えば手や身体が「浄化」されて(という言葉は当時知らなかったが)、トイレに入っても汚れなくなるか迷った。
 トイレで手が「汚れる」ことに実感がなかったせいもあるだろう。しかし、とにかく成長するにつれ、出てから洗うのが正解であるということがわかってきた。
 物事をやるには順序というのもがある。衣服を着る時は、まず下着を着て上着を着る。脱ぐときは上着を抜いて下着を脱ぐ。その逆は難しいか不可能だ。
 こういうあたりまえのことを、あたりまえにやることが経営マネジメントだ。フリーライターには自分で自分を管理するマネジメントが絶対不可欠だ。

 子どもを育てていると、当り前のことを当り前にしてもらうのに苦労する。学校に行くために、起き、顔を洗い、衣服を着、ご飯を食べ、歯を磨き、かばんの用意をし、学校に遅れないように家を出る。この一つの目標に向かって一連の行動を組織することを子どもは必ずしも最初からできるわけではない。長い時間かかって学習していくのだ。
 途中で兄弟でたわむれはじめたり、かばんの用意をしてるうちにまわりに散らかった雑誌をペラペラめくりはじめたり、時間が迫っているのに訳もなくソファーの上ではねまわったり、親の目を盗んでファミコンをやり出したりする。そうやって我が家の子どもたちは(親に似て?)しょっちゅう学校に遅刻する。
 「基本的生活習慣」というヤツだろう。あるいはもっと基本的な、何か行動をするとき、体と精神を統一的に動かすという動きのことであろう。それが個人としても必要だが、集団として行動する際にも必要である、ということだ。つまり、マネジメントとは会社の基本的生活習慣である。

 学者や経営コンサルタントが手垢に染める内、マネジメントという言葉は何か難しい肥大した概念になってしまった。PERT法とか会計学とか戦略的情報管理(SIM)とか難しいテクニカル概念になり、あるいは神がかり的なプロの秘術になり、あるいは従業員という個々の人間を管理する抑圧の体系と解され、とにかく概念が肥大化してした。しかし基本に返れば、マネジメントとはものごとを行うための体と心の動かし方である。ひとつのことをやるための基本的な行動、習慣、心構えだ。

 サラリーマンは怠惰で、組織の命じる仕事をただひたすら続ける。
 フリーライターは怠惰で、何もせず寝たきりになる。
 だから企業は常に勝ち、個人事業者は破れてきた。
 同時に、だから企業はメチル水銀を何十年にも渡って流し続け、何千人もに水俣病を引き起こしてきた。

 人を紹介するということは恐ろしいことだ。軽々しくは紹介できない。自分の人格・人望がすっかりばれてしまう。人を紹介してもらって会いに行くと、ビンビン反応してくれる場合もあれば、まったく反応してくれない場合もある。紹介してくれた人の信頼性がもろに出るのだ。あの人の紹介なら、と懇切丁寧に接してくれる場合と、あいつからの紹介か、とまったく反応しない場合と。それはかわいそうなくらい差が出る。

 「社会が悪い」と言うな。ついでに、「……に反対」「……はひどい」「……は許せない」などの言葉も辞書から一掃する。あなたはアジビラを書いているのではない。事実と論理によって社会の矛盾を暴く。新しい社会の展望とその実現に向けた活動をひたすら書く。言わなくともわかる。今の社会にどんな問題があるか、一言も「悪い」と言わないで読者にわかる文章を書く。深い批判を「批判」という言葉を一言も使わず行う。新しい価値感と世界を書くことによって、現状の問題が指摘される。そういう文を書くのだ。
 市民運動型フリーライターの陥り易い退廃は、世の中がどんなにひどいか、そのひどさを筆法鋭く書き出すことで自己陶酔する症状だ。淡々と書く。どうしても鋭く言いたければ最後の一行で。それが充分だ。

 フリーライターには創作の活力が必要だ。何かやってみる、つくってみる、工夫してみるという発案の力。そして人間は、創作は何にでも、というわけには行かないらしい。思想のレベルで創作に力を入れると、商売での起業家活力はなくなる。組織の切り回しに熱中すると家族の運営に支障をきたす。
 そしてフリーライターには、こだわりが必要だ。執着心。自由で柔軟な創作心とはある意味矛盾するが、ひとつのことをはじめると徹底してやらないと気が済まない。度が進むとモーレツ社員やパソコン・オタクになるが、フリーライターにはそれ以上の執念が必要だ。

 フリーライターは師をもつな。その代わり友人とライバルをもて。だから弟子ももつな。師弟関係は堕落のはじまりである。師をもった者は、全体をすべて一からつくり出す根源性を失う。全責任を背負って自分をそういう場に置く厳しさを失う。技術は遠くからこっそり盗め。著書を読む形でもよい。師にならない程度に距離をおいてつきあうべし。

 毎朝、苦渋の気持ちで電車に揺られ、会社に向かう生活がいやだった。だが、フリーになって、あの苦痛以上の克己心を持たなければ自由な自分を律していけないことを学んだ。毎日、寝床から起きてワープロに自分を向かわせる時、サラリーマンの苦しみと連帯する。いや、それに負けてはならない、とライバル意識を燃やす。


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