(岡部一明、『地球号の危機』2001年3月)
「2つの国で同時に議員をやるようなことを考えていいのか」という問いに、ガルビス
さんは、代議士が国会と地元を往復するようなものだと答えている。アメリカで市議をしても母国上院でコロンビアの発展に尽くしても「私は米国内コロンビア
人の立場の向上に邁進していることに変わりない」とも言いきっている。(Mark Fritz, "Pledging Multiple
Allegiances," Los Angeles Times, April 6, 1998)
アメリカでは、1997年にメキシコが二重国籍を認める法改正を行ったことが活発な論議の対象になっている。アメリカには700万人のメキシコ生まれの
メキシコ系人がいて影響が大きい。これまではアメリカ市民権をとったらメキシコ国籍は離脱しなければならなかったが、保持できるようになった。母国国籍喪
失の心配がなくなったメキシコ系の人たちは、より活発にアメリカ市民権をとるようになった。彼らが「分裂した忠誠」をとるようになったら大変、とアメリカ
の保守派が叫んでいる。
メキシコの新法は、以前アメリカ市民権を取る際メキシコ国籍を放棄した人も申請により国籍回復できるようにしている。ただし、選挙権までは国外居住メキシコ人には付与しなかった。
二重国籍に対しては「2つの国に忠誠を誓うなど一夫多妻制のようなものだ」という非難もあれば、「結婚すれば自分の家族と妻の家族と2つの家族をもつよ
うになるだろう。クリスマスをどっちで過ごすかいろいろ調整していくのと同じこと」という議論もある。後者のような発言をするのが元米移民帰化局(日本で
言えば法務省出入国管理局)主任弁護士のアレクサンダー・アレインニコフであることろが、アメリカのすごいところだ(前記Los Angeles
Times記事)。
世界の過半数の国が二重国籍を認めている(たとえばhttp://www.cuny.edu/textonly/citizen
/dual_citizen.html参照)。OECD加盟29カ国の中では日本など5カ国が二重国籍を原則認めていないだけだ。現在この分野は、各国と
も法状況が急速に変化しており、アメリカでも実質的に二重国籍を認めるようになったのは80年代以降。グローバル化で人々がさまざまな国で住むようになっ
た以上、その土地土地で正当な市民的権利を行使していく秩序をつくっていくのが21世紀の市民社会の重要な課題だ。
日本の場合は、米市民権をとれば日本国籍からの離脱が求められ、帰化後2年以内に領事館(日本国内であれば市役所などで)国籍離脱の手続きをしなければ
ならない。出生時からなどの二重国籍の場合には22才になるまでに、どちらかの国籍を選択しなければならない。あくまで二重国籍は認めないという強い立場
だ。
ただし、1985年の改正国籍法施行時に20才以上で、かつそれ以前から重国籍であった人については、二重国籍の保持を認めている。外国で選挙権の行使
どころか大統領までやったフジモリ氏について日本政府が「日本国籍を確認した」のはそのためだ。また同法施行時点で20才未満だった人も、一応22才まで
に国籍選択をすることになっているが、「期限までに国籍の選択をしないときは……日本の国籍の選択を宣言したものとみなされ」るとの行政措置をとってお
り、実質的には二重国籍を認めている(法務省のホームページhttp://www.moj.go.jp/MINJI/minji06.htm)。アメリカ
で生まれて二重国籍になっている子など、多くの人がこれに含まれるので気をつけた方がいい。(22才になっても国籍選択をせず重国籍になることが可能、と
いうことだ。)
フジモリ氏が日本に亡命してきてびっくりしたかも知れないが、あれは国際的にはありふれたことだ。ペルーも二重国籍を認めている。フジモリ氏は1980
年に、有力視されていた作家、マリオ・バーガス・ロサ氏に勝って大統領になったが、実はこのロサ氏もスペインとの二重国籍だった。やはり選挙に負けた後ス
ペインに移り住んでいる。フジモリ氏も同じようなことをしただけだろう。
アメリカでも70年代までは、外国に帰化したら米国市民権は喪失する「ことがありえ
る」状況だった。その他、外国の軍隊に入ったり(士官)、外国の公務員や政策決定機関で働いたりした場合などいくつか列挙して「市民権喪失がありえる」と
いう法規定があった(Immingration and Naturalization Act, 8 USC 1481, Section
349)。しかし、これをくつがえす法廷判断がいろいろ出て、最終的に1980年の最高裁判決(Vance v.
Terrazas)で、明確な「国籍離脱の意図」が証明されない限り自動的に国籍剥奪されることはないという解釈が確立した。
これを受け1986年の移民帰化法改正で上記の国籍喪失条項も書き換えられた。「米市民権を喪失しない」「二重国籍を認める」と明確に書いてある訳でな
く、「自発的にかつ市民権を放棄する意図をもって下記の行為を行った場合は合衆国市民権を喪失する」という形で書いてあるのであまりドラマチックではない
が、法律の意図するところは明らかに二重国籍の容認だ。たとえ外国に帰化し、外国の軍隊に入って下士官になっても米国籍を捨てる気さえなければ市民権を剥
奪されない、ということだ。外国で選挙権を行使することは、改正以前から国籍剥奪の対象行為には上げられていなかった(1978年の最高裁判決
Afroyim v. Ruskで違憲判決)。
この86年改正法を受けて、米国務省は外国に住むアメリカ市民に公式の案内を出している(U.S. Department of State,
Advice about Possible Loss of U.S. Citizenship and Dual Nationality,
http://travel.state.gov/loss.html)。法律にそって「自発的にかつ市民権を放棄する意図をもって」外国への帰化その他
の行為をした場合は市民権喪失の対象になる、とした上で、あくまでも「上記諸行為は自発的にかつ市民権を放棄する意図をもって行った場合にのみ米国市民権
喪失につながるということだ」と繰り返している。そして次のように言っている。
「合衆国市民が外国で帰化し、外国にルーチン的な帰属宣誓を行い、外国政府の非政策レベルの雇用を受け入れるなどした際、当省(国務省)は、彼らが合衆国市民権の保持を意図しているとの前提で行政処理を行う統一的基準をとる。」
外国のものであるにしても、帰化式典などでの帰属宣誓を「ルーチン的」と言っていることが注目される。アメリカでも、帰化式典の時にはそのような宣誓を一応するのだが。
さらに、この公式アドバイス書は、領事館の職員などの対応も具体的に示し、次のように言っている。
「(国外でのパスポート申請などの際、合衆国市民が上記のような行為を行ったことが明らかになった場合)、領事官は申請者に当該行為を行った際に合衆国
市民権放棄の意図があったのかどうかを単純に尋ね、もし回答がノーであれば領事官は合衆国市民権の放棄が当該者の意図ではなかったと証し、当該者は合衆国
市民権を保持していると認定する。」
今日の民族的国家がいまだ支配的な世界において、二重国籍大いに結構、とはやはり言えないのだろう。言葉づかいには慎重さが見られる。二重国籍は容認す
るが、積極的に推奨するものではない、というのが米国政府の立場と解される。同アドバイス書で、次のようにも言っている。
「合衆国政府は、二重国籍の存在を認め(recognize)アメリカ人が他の国籍をもつことを認める(permit)が、生じえる諸問題ゆえに二重国籍を政策的に推奨(endorse)ものではない。」
ここで、「生じえる諸問題」とは、他国政府が当該者にいろいろ義務の遂行を求め「一国への責務が他の国の法と矛盾してくる状況」が生まれるとか、二重国籍であることが「合衆国の外交的・領事的保護を提供する努力を阻害する可能性がある」ことなどだ。
以上のような法的・行政的枠組みをもってアメリカでは二重国籍が基本的に容認されるようになった。毎年50万人程度が帰化するのに対して、市民権を自ら放棄したり剥奪される人の数は612人(1996年の数字。前記Los Angeles Times)に過ぎない。
アメリカでは現在、年間約70万人が移民(永住権保持者)として入り、年間約50万人がアメリカに帰化している。10年で700万人(9割が第三世界の
人々)が流入し、500万人が帰化するという計算だ。帰化市民居住者の数は統計はないが、外国出生者の人口は約2500万人。アメリカは外国人の参政権を
認めていないが、少なくとも1000万以上の外国出身者が選挙権、被選挙権を行使しているということになるだろう。(数字は例えば
http://www.ins.usdoj.gov/graphics/aboutins/statistics/index.htmなどを参照)
なお、アメリカの二重国籍に関しては次のサイトが非常に詳しいので参考にされたい。
http://www.webcom.com/richw/dualcit/
日本で外国人の参政権の議論が高まる中、アメリカの状況はどうか尋ねられることが多くなった。その場合は以下のように答えている。
結論から言えば、アメリカの外国人参政権は直接にはあまり日本の参考にはならない。自治体選挙などで外国人の投票を認めている一部ヨーロッパ諸国の方が
進んでいる。アメリカでも20世紀初頭までは外国人にも国政レベルを含めて選挙権を認めていたが、今はなくなった。これを再び実現していこうという動きは
あまりあまりない。一番の要因は、アメリカは簡単に市民権(国籍)がとれてしまうことだ。「外国人としての」いろんな権利を求めるよりは、簡単に市民に
なってどんどん選挙権も行使していった方が早いということで、「外国人のままでの選挙権」ということがなかなかマイノリティー運動の課題にならない。市民
権取得と選挙権登録の戦略がむしろ中心になったりする。
簡単に市民権が取れて「帰化」が民族的アイデンティティの喪失にならない、ということがここで重要だ。日本での帰化手続きはかなり恣意的裁量部分が多
く、家や職場などにも調査が入る。家に朝鮮・韓国の絵など飾ってないか、「日本人化」が十分達成されているかなどをチェックされるという話もかつて聞い
た。
アメリカではそういうことはない。永住権保持しての滞在年数(通常5年)など資格を満たせば、だれでも簡単な試験を受けてアメリカ人になれる。英語が話
せなければ外国語、たとえば日本語で試験を受けられる場合もある。もちろん改名などは強要されず、市民権をとっても中国系アメリカ人、メキシコ系アメリカ
人などとアイデンティティを保持したまま。私が参加した市民権取得式典にはターバンをまいたインド系の人も居て感動した。
つまり、「外国人の選挙権」が問題になる方がおかしい・・・とまではここで言うつもりはない。それぞれの社会に独自の事情と段階があり、それに照合して
運動の課題も設定されるのが当然なのだから。ただ、アメリカの事情と比較してみるためには視点をちょっと変えてみる必要がある、ということだ。
アメリカ市民権をとった場合の政治的権利だが、これは当然にも選挙権、被選挙権を含めて同等の権利が生じる。ただし、大統領は出生時に米国市民でなけれ
ばならない。かつて国務長官にもなったヘンリー・キッシンジャーという人が居るが、彼も帰化市民だったため、あれだけ活躍しても大統領にはなれまなかっ
た。私も残念ながら国務長官どまりということだ^^;。
連邦議会議員には上下院ともなれる。ただし、下院の場合は帰化して7年、上院の場合は9年たってからという要件がある。サンフランシスコ近辺でも、第
12選挙区(サンフランシスコ南西部からシリコンバレーにかけての選挙区)でもう20年も下院議員をやっているトム・ラントスという人はハンガリー移民
だ。19歳の時にアメリカに来たのでかなりなまりのある英語をしゃべっている。今回の選挙(11月)も78%の圧勝だった。