「外国人保護区」宣言都市
    ―サンフランシスコ「日雇い労働者プログラム」

        岡部一明(『月刊オルタ』、1992年夏)

 

市公認の仕事斡旋プログラム

 サンフランシスコのラテン系の街・ミッション地区は、海からの霧も丘にさえぎられて明るい街並みが続く。その一角、緑濃いフランクリン・スクウェア公園の片隅に場違いなトレーラー・ハウスとりつけられている。労働者たちが群れ、トレーラーハウスに足繁く出入りしている。いすに腰掛けて仲間と談笑する者、緑の芝生で、生い繁るユーカリの木を見ながらひなたぼっこする者。何をやってる所だろう、と公園を訪れた人がいぶかしがる。

 ここが「サンフランシスコ日雇い労働者(デイ・レイバラー)プログラム」の事務所だ。毎朝、外国人労働者が集まり、人集めに来る雇用者との間に日雇い仕事の仲介が成立していく。事務所で求職・求人登録をする。登録なしでたまたま見つけた知り合いの労働者を連れて行く形でもよい。斡旋料金はとらない。有給スタッフが二人いて、仕事斡旋以外に、交渉の通訳、労働相談、英語クラスその他様ざまな支援活動を行なう。サービスに滞在資格は問わない。

 一九九〇年六月、市議会が同プログラムの設置を決議し、九一年五月から市長室管轄下のプログラムとして実際の運営がはじまった。年間予算は七〇万ドル。一年間のパイロット(実験的)プログラムだが、現在とりあえず三カ月の延長が決定している。

 トレーラーハウスの中に入ってみよう。中は机と小さいコーヒーテーブルがあるだけの簡素な事務所。この日のスタッフはギェルモン・マルティネツさんであった。メキシコ系だそうで、労働者たちとスペイン語で話がはずんでいた。気軽にインタビューに応じてくれる。

 「これは、サンフランシスコ市・郡が認可したプログラムだ」と彼は切り出す。「市内の多くの市民団体が運動してこのプログラムをかちとった。外国人労働者自身も『労働者委員会』というグループをつくってがんばった。その他、人権団体、CIRRS(『移民難民の権利とサービスのための連合』)に集まった移民支援団体、中米難民の支援団体なども加わった。市にはらきかけ、市議会がこのプログラムを認可した。」
 

市警も協力

 本当に市が未登録外国人労働者を援助しているのか、と核心に迫ってみた。マルティネスさんはイエスと言い、「ここは市の所有地。市の予算で運営されている」と付け加えた。

 このプログラムが未登録外国人を助けているのを市は知っているのか、と重ねて聞く。

 「オプコース。もちろん、知っている。それがこのプログラムのそもそもの意味なのだから。サンフランシスコはサンクチュアリー(外国人保護区)宣言都市だ。未登録外国人を保護する立場にいる。だから、市の警察もこのプログラムに協力している。」

 移民局の手入れはないのか。

 「ない。・・いや、彼らが決してやらないとは言わない。手入れにまでに進むには、彼らはいろいろなことを考えて躊躇するということだ。市のプログラムに敵対することに政治的なリスクもある。」

 おどろいた。日本では、絶対こんなプログラムは生まれない。私がそう洩らすと「ほー、そうかね」。日本の外国人労働者の状態を説明し、日本の自治体は国の出先機関のようなものだということを言ったが、彼は興味ない様子で、すぐプログラムの話にもどる。いろいろ資料も出して説明してくれた。

 プログラム初期に行なわれた調査では、サービス利用者の七六%がメキシコ系、残りがエルサルバドル、ホンデュラス、ガテマラなどの中米移民であった。アメリカ市民も一・五%いた。「合州国市民にもサービスするのか」と聞くと、「そうだ、差別はできない」。立場が逆転したような返事である。ホームレスが増え、職探しに来るアメリカ市民が最近、増えているという。

 年齢層は、二〇代と三〇代が八〇%を占めた。仕事はペンキ塗り、住宅清掃、引っ越し手伝い、建設作業、芝生刈り(ガーデニング)、屋根ふき、大工作業など。

 「合法滞在かどうか間接的に聞いたのがこれだ」と見せてくれたのが「社会保障(ソーシャル・セキュリティー)番号の有無」の集計。「ドキュメントがあるかどうか直接聞くのは労働者を威嚇することになるので代わりにこのような質問をした」と言う。社会保障番号の有無は滞在資格と正確には一致しないが、だいたいの傾向は示せる。五五%が社会保障番号なし、三八%があり、残りの七%が無解答だった。

 マルティネツさんによれば、同様のプログラムは、ロサンゼルス、ポートランド、デンバーなどにもあるという。サンフランシスコ近辺では、オークランド市、サンノゼ市、マリン郡などに設置の動きがあり、「最近の新しい動き」だという。

 トレーラーハウスのまわりでは労働者たちが人なつこく話しかけてくる。「ジャーナリストだ」と名乗った私を警戒する様子はなく、みんなの写真を取れと盛んに愛敬を振りまいていた。
 

「外国人保護区」宣言都市

 こうしたプログラムの背景には、一九八〇年代に活発化したサンクチュアリー(外国人保護区)運動がある。これは、連邦政府が認めない中米難民を教会などが独自にかくまう運動で、大学、州、自治体もこれに加わった。自治体では、八六年頃までに、ニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコを含め二二都市が外国人を保護する宣言をあげた。運動は様ざまな弾圧を受けながらも、結局一九九〇年に実質的な勝利をかち取る。一九九〇年移民法と裁判所の和解協定により、推定五〇万人と言われる米国内の未認定中米難民に一時滞在許可が与えられた。現在、徐々に難民認定手続きがとられている(詳細は拙著『多民族社会の到来』御茶の水書房、一二九〜一三四頁)。

 サンフランシスコの場合、一九八五年一二月に市議会がサンクチュアリー宣言(「避難民都市」決議)をあげた。採決は賛成八、反対三。米国の難民法、国連難民協定などの精神に照らし、市内に住む推定六〜一〇万のエルサルバドル、ガテマラ難民を保護する必要があるとし、同市を難民の「避難都市」と宣言した。教会のサンクチュアリー活動を支持し、難民の強制送還への反対を表明した。

 日本でよくある平和都市宣言のようなものだが、サンクチュアリー宣言の場合には具体的な行政措置を伴う。すなわち、外国人の逮捕、強制送還など移民法の執行は「連邦政府の排他的権限」であるから自治体はこれにかかわらないという論理により、例えば市警察が移民局の外国人捜査に協力しない方針をとる(アメリカの通常の警察はほとんどが自治体警察)。市職員が知り得た滞在資格等の情報も移民局に通報しない措置をとる。
 

条例で執行

 サンフランシスコの場合は、宣言だけでは足りず、これを条例にまで格上げている。一九八九年、宣言に反して市警などが移民局捜査に協力したことが発覚し、移民支援団体の強い抗議のもと、市議会が同一〇月、条例化に踏み切った(条例第三七五―八九)。これは市行政条例に新たな追加(第一二H条)を行なったもので、「連邦法、州法、規則、裁判所判決などで求められる以外は」市のあらゆる機関、職員が連邦移民法の執行を幇助することを禁じ、「市のあらゆる予算、資源を使ってはならず、市内在住者の移民法上の地位に関する情報の収集・普及を行なってはならない」とした。さらに具体的に「移民局による捜査、拘留、逮捕手続き」への協力を禁じ、市業務の中で滞在資格に関する質問をしたり、それを市のサービス提供、各種助成の条件にしたりすることを禁じている。各種申請書に滞在資格の質問を含めることも禁じ、すでに作成されている申請用紙については、条例制定から六〇日以内にそのような質問項目を削除することを定めている(San Francisco Administrative Code, Section 12H)。

 管理職は、この条例の規定を市のあらゆる職員に徹底させる義務を負い、規定を守らない職員には「適切な矯正措置」がとられる。市の人権委員会が実施状況をモニターし、違反容疑や苦情などがあった場合は調査を行なう。

 サンクチュアリー宣言は、慎重な論理構成をとりながら、連邦政府の外国人政策に正面から対決する内容をもっている。「機関委任事務」に縛られる日本の自治体には想像もできない事態だが、自治の本来のあり方を思い出すにはいい事例だ。一九八五年初頭のシカゴでは、外国人擁護の方針をとる市に対抗して、移民局が市庁舎周辺に検問体制を引き、来庁する市民・職員を尋問する緊張した場面が生まれた。この最中、市長が行政命令を出し、移民局への非協力と、自治体業務において滞在資格等を問わない方針を内外に宣告している。カリフォルニア州サンノゼでは、市の警察署長自らが移民局の外国人捜査への非難声明をあげ、移民局への非協力を宣言した。テキサス州ハーリンゲンでは、八八年、難民を劣悪な環境下においているとの批判があった移民局事務所を市警と消防局が強制捜査し、消防法、衛生法違反をたてに連邦公務員たる移民局係官を追い出し、建物を強制閉鎖した。
 

「市は単に現実的な対応をした」

 しかし、移民支援活動家たちの市への評価は厳しい。サンフランシスコで日雇い労働者プログラム設置運動の先頭に立ったCIRRSのリナ・アヴィドンによれば、「市は、単に苦情に対処してこのプログラムに金を出したにすぎない」。ここ数年、特に雇用者罰則制度が導入されて以降、街頭にたって求職活動をする外国人労働者が多くなった。「街角に外国人の男が百人以上もたむろして、人集めに来た雇用者の車に群がる。走り去ろうとする車を追いかける。あたりには公衆便所もなく、ゴミはちらかり、日中から飲酒する者もいる、という中で、付近の住民、商店主らの偏見や不満が高まり、市への苦情が殺到していた。移民支援運動の働きかけもあったが、市は結局、こうしたミドルクラスの人びとの声に動かされた」と彼女は言う。無秩序な街頭での求職活動を、秩序だった正規の斡旋所に一本化して「混乱」を避ける、そのためには未登録外国人も大目にみる、ということだ。

 市による仕事斡旋プログラムを設置することは、地域住民、商店主から支持されたが、いざその場所の選定になるとどこでも反対された。一年近く難航した後、やっと、労働者のたまり場からかなり離れた現在の場所(公園)に決まった。ここは市の所有地で、住宅街からもやや遠く反対が少なかったからである。「この立地のまずさが労働者の集まりを難しくしている」とアヴィドンさんは言う。「プログラムははじまったばかりだ。この一年の実験期間中に、成果を上げなければならない。しかし、現在のところ、まだ、かなりの労働者が前のたまり場の方に行っている。」

 サンフランシスコに先んじて八九年二月に同様のプログラムを決議したロサンゼルスでは、今年に入って斡旋所周辺で移民局の取り締まりがあった。数人の雇用者が未登録外国人雇用で罰金をとられただけのことであるが、斡旋所に集まる労働者たちをおびえさせている。市側も、斡旋所周辺では取り締まりを控えるという「紳士協定」があったはずだと移民局を非難した。しかしモショラック移民局ロサンゼルス地区所長は、「我々は、労働者を街頭に群れないようにするという限りにおいて斡旋所設置を支持する。しかし、それはだれに対しても法律を破る権利を与えるものではない。我々が適当と思う捜査は継続する」と地元紙に語っている。
 

NPOと自治体のパートナーシップ

 ディレクトリーによれば、アメリカには一〇〇〇以上の移民難民支援団体があり、移民者への多様な援護活動が行なわれている。仕事斡旋に関しても、これらの団体が滞在資格などを問うことなくサービスを提供している。未登録外国人の生産生協や仕事斡旋互助生協を組織する試みなどもある(前掲拙著)。市の「日雇い労働者プログラム」は、こうした草の根レベルの活動を「公」の事業に転化したものである。

 民間非営利セクターの活動が活発な米国では、自治体が直接、住民サービスの前面に出ることは少ない。非営利団体(NPO)の制度を利用した市民の自発的な活動がかなりの程度「公的サービス」を提供している。低所得者向け住宅でさえ多くの場合「公営住宅」ではなく、コミュニティ開発組合(CDC)など民間非営利団体によって建設・提供されている。こうした中で、この未登録外国人の援護活動が積極的に自治体公認の事業に祭り上げられている。きわどい線上にある活動には市という一つの「公」の後ろだてが必要だったということだろう。NPOと自治体の「パートナーシップ」のあり方として興味深い。

 仕事斡旋事務所の入り口にある大きな看板が印象的であった。「サンフランシスコ」の字が大きくあって、真中に市の公印マーク。「市公認のプログラムである」ことを強く主張していた。
 


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