アメリカの自治体制度
岡部一明 (『東邦学誌』第30巻第1号、2001年6月)
 
アメリカの市議会のようす。壇上に少数の市議。会場は市民が詰め掛け、発言もできる。 (カリフォルニア州バークレー市)

目次

序 市民が設立する自治体    
1.ユニーク事例の数々
2.米自治体制度の概況
3.市民参加の手段としての自治体
4.自治体の一生
5.政府(自治体)とは何か

(序)市民が設立する自治体

 アメリカでは自治体は市民がつくる。住民が住民投票で自治体をつくると決議してから初めて自治体ができる。決議しなければ自治体はない。だから、アメリカには自治体のない地域(非法人地域、Unincorporated Area)が面積の大半を占め、約1億人(総人口の38%)が自治体なしの生活をしている[ 1]。無自治体地域では、行政サービスは通常、州の下部機関である郡によって提供される。それでも最低のサービスは保証されるが、警察や消防が遠くの街(郡庁所在都市)から提供されるのは不安だし、地域の発展を直接自分たちでコントロールしたいということで、自治体をつくる運動が生まれ、住民投票などを経て自治体が設立される。

 情報公開、住民投票、陪審制、非営利団体(NPO)など様ざまな市民参加制度の実例を提供するアメリカだが、長く現地に滞在し調査をしてきた筆者としては、その自治体制度に最も大きな衝撃を受けた。アメリカの自治体はその存立の基本からして市民団体に近似している。すでにつくられているのでなくて、市民が自らの自由意志で結成する。

 さらに結成した後も、自治体は極めて市民団体的である。例えば市長や市議は通常、ボランティアだ。カリフォルニア州の場合は州法で5万人以下の市なら月給400ドル以下、3万5000人以下なら月給300ドルなどの報酬額が定められている。このような名目賃金では生活できないから、市長や市議は通常、他の仕事をもっている。市議会や市行務の仕事は夜行なわれる。

 市議の数も通常5人から10人程度で少ない。夜開かれる市議会は住民集会のようなもので、市民が自由に参加できるのはもちろん、だれでも1議題につき1回まで発言さえできる。連邦、州、自治体レベルにはりめぐらされている公開会議法(Open Meeting Laws)がこうした市民の発言を保証している[ 2]。

 また、アメリカの自治体(Local Government)には通常の市や町以外に特別区がある。有名なのは日本の教育委員会にあたる学校区だが、その他水道区、大気汚染監視区、潅漑区、高速地下鉄区、蚊駆除区、○○商店街街灯管理区、あらゆる種類の特別区がある。これらは必ずしも、市や町の下部組織ではなく、それらの連合した広域自治体という訳でもない。独自の自立した自治体であり、その首長が公選される場合も多い。区域が通常自治体とまったく無関係に線引きされている場合も珍しくない。

 「自治体は領域をもった全員加盟制のNPOである」という認識を、調査を進めるうち筆者はもつようになった。そこで見聞する自治体は、それまで「行政」としかとらえることのできなかった日本の自治体と大きく異なるものだった。私たちは本当に自治体というものを知っていたか。「地方自治は民主主義の学校」と言われるが、その地方自治は本来どのようなものである時はじめて学校になるのか。考えさせられることが多かった。

 本稿は、日本ではまだよく知られていないアメリカの自治体をできる限り実例に則して紹介し、その全体像紹介を試みると同時に、NPO、営利法人との境界領域も探りながら、自治もしくは一般に市民社会の政府が本来どのようなものであるかについて迫った試論である。
 
 

1.ユニーク事例の数々

 

自治体のない地域

 「ボロンダには田舎の味があり、自由な土地だ」とリンダ・パルンボがヒアリングに答えて言う。「サリナス市に属していないので自宅で家畜を飼え、街灯の輝きのない夜には星々や満月の美しさをたんのうできます。」[ 3]

 ボロンダは、カリフォルニア州サリナス市(人口13万人)の郊外にある未自治体地区。市の様ざまな法規制から除外されている同地区の生活はかえって自由があるとパルンボは言うのだ。ボロンダは、全米に多数存在する「非法人地域」(Unincorporated Area)のほんの一例である。カリフォルニア州サンフランシスコの南、シリコンバレーから山を越えた太平洋岸農業地帯にサリナス市がある。スタインベックの『怒りの葡萄』の舞台となった街と言った方がわかりやすいかも知れない。外から見れば明らかにそのサリナス市の一部であるボロンダ地区の住宅街が、実は同市に属さず、無自治体地域なのだとパルンボが言うのだ。「市の土木サービスの対象外なので、ボロンダには歩道がない。砂利道が多くて田舎の生活の味がある。」

 交通が少ないので歩道がなくとも危険というほどではない。少し行くと広大なサリナス平原の農業地帯が見渡せる街のはずれだ。ボロンダ地区を歩くと、家の庭に小さな牧場があり、馬などを見ることができる。朝は、黄色のスクールバスに乗り込む少年たちの集団に出会う。ボロンダはサリナス市には属していないが、この地域の学校区(Salinas City Elementary School District, Salinas Union High School District)には属しており、中高生の場合はボロンダ域外のハイスクールに通っている。警察のパトロールカーも走っており、シートベルトを着用していなかったドライバーが罰金券を渡されていた。アメリカで警察といえば通常は自治体警察だが、自治体のない地域には郡警察(保安官、Sheriff)がサービスを提供している。

 「ボロンダの住民は市の画一的な生活を望まない」とパルンボが道路から奥まった彼女たちの家の庭で語る。友人2人と暮らす比較的小さな家だが、庭のスペースがゆったりして開放的だ。「私はここが好き。どこにも属していないという感覚が自由と解放感を与えてくれる。」と彼女は言う。

 ボロンダには、「互いに助け合う精神」「隣人たちの間に伝統的形態のコミュニケーション」があり、一般にははさびれた地域と見られているが、これまで犯罪にあったこともないという。共通の問題が起こればタウンミーティンググ(住民集会)を組織し、そこで話し合う。「(通常自治体のような)間接参加でなく、直接参加があるわけで、本当の民主主義の中に生きていると感じる。」

 カリフォルニアの人口は3400万人だが、その18%、600万人は自治体のない地域に住んでいる。ボロンダやサリナス市のあるモントレー郡は40万の内11万が無自治体地域に住んでいる。州都サクラメント市(人口41万)などのあるサクラメント郡などは、121万の半数以上、64万が自治体なしで生活している[ 4]。サクラメント市郊外は全米的にも無自治体地区が広いことで知られている。ちなみに全米的には自治体のある地域人口は1億6400万人、無自治体地域人口は全米人口の38%、約1億人と推定されている[ 5]。

 自治体に属さない理由には、大都市の政治に巻き込まれたくない、独自自治体をつくるには財政基盤が弱い、などいろいろあるが、ボロンダで見たのは、行政からちょっかいを出されずきままなライフスタイルをとっていきたいというアメリカ人的な「開放感」の希求だった。
 

自治体つくって街づくり

 「ここも前は無自治体地区だった。」

 一方こちらはシリコンバレー内の東パロアルト市役所。助役ののジェリー・グルームが町の歴史を振り返る。「1982年に住民投票で自治体結成を決議し、東パロアルト市ができた。」[ 6]

 東パロアルト市(人口2万5000人)は、繁栄するシリコンバレー内にありながら、平均所得は州平均の六割。社会問題が吹き出し、1992年に人口当り全米最高の殺人被害者数(39人)を記録した。以後「アメリカの殺人首都」という汚名を背負っている。人種的にも周辺地域と異なり、アフリカ系アメリカ人(黒人)、中南米系人など、マイノリティーの人々が多い。

 「長く自治体がなかったため東パロアルトは荒廃した。」とグルーム助役は言う。「自治体がなければ地元での決定ができず、運命を外部の人たち(郡など)が決めることになる。」

 自治体結成について最も障害となるのが財政、税金の問題である。郡から大枠の行政サービスを受けるだけよりは地元で自治体をつくり身近な行政サービスを受けた方が好ましい。しかし、自治体をつくると税金負担が大きくなるマイナスがある。東パロアルトのような貧しい地域では域内ビジネスがあまりないので税収があまり期待できない、という問題もある。「独立」するよりは郡の庇護下に居たほうがいいという判断も出てくる(周辺の裕福な地域の税収で行政サービスを受けるということでもある)。それで東パロアルトの自治体設立にも根強い反対があり、1930年代以来、何度も自治体結成の話が出てはその度消えていった。

 多くのフィーシビリティー調査、住民投票が繰り返され、長期にわたる激論の末、1983年の住民投票で最終的に自治体結成が決まった。わずか15票差(1,782 to 1,767)。不在者投票の疑惑をめぐり連邦最高裁にまで訴えがいくという2000年大統領選ばりの紛糾を経ての結論だった。たとえ財政的に不利な点はあっても、地域でのリーダーシップが育ち、土地利用、都市計画、財政で地元の自主性が確保されることが長い目ではプラスになるという合意が、かろうじてできあがったと言える。

 後の動きを見る限り、その合意はある程度正しかったようだ。市が中心となって活発な街づくり政策を推進した。アメリカでは、ビジネスがマイノリティーの多い「スラム」地区を避けてなかなか投資しないという問題があり、人種差別の一形態とも言われる。そうした中で市はビジネス誘致に成功し、1999年に家具、電器、文具などの大型店を中心としたショッピングセンター(Ravenswood 101 Retail Center)をオープンさせた。2001年から2004年にかけて高層の事務所―ホテル―商業ビル3棟も完成する。一方、低所得者向けには家賃補助住宅開発を進め、1200戸のつくり、職住近接の街づくりをめざしている。これまで東パロアルト市には高校がなったが、2001年9月から、公立のアスパイア高校がオープンすることが決まった。犯罪率が確実に減少。かつて39人に達した殺人件数が2000年に5件となった。他市と比べてまだ多いが、99年には1件という数字も記録しており、好転していることは間違いない[ 7]。

 アメリカには、街づくりのため非営利市民団体(NPO)の活発だ。特に全米に2000あると言われるコミュニティー開発組合(CDC)の活動が有名だ。街づくり計画を提案するだけでなく、住民で組織したNPOが、資金と専門的力量を動かして低家賃住宅、経済開発などを実際に行っている[ 8]。しかし、重要なことはアメリカでは、自治体自体が、街づくりのために地域からつくられる「市民組織」の様相が強いという点である。都市計画を行い、税金や公債で資金も集め、公的権能をもった市民の街づくり組織が自治体である、という視点が日本には不足しているように思う。

 カリフォルニア州では最近でも自治体結成が続き、1999年に2市、2000年に同じく2市が新しく誕生している[ 9]。
 

一一人の侍

 「市民の間には、市をつくるということに反発があった。市というのは地域住民から離れたものだという認識があったからだ。」

 ブロードムア警察保護区(BPPD、Broadmoor Police Protection District)委員会のピエール・パレンガットが語る[10]。サンフランシスコ市の南辺、面積1.4平方キロほどのブロードムア地区(人口5000人)は通常自治体のない非法人化地域だが、警察だけは必要だということから、自治警察だけの特別区自治体BPPDを設置している。1948年に郡議会に嘆願し、州法に定められた警察保護区の規定にのっとりを設置した。「自治体がない地域は通常、郡が行政サービスを提供する。ここでも最初は、郡警察(シェリフ)の管轄下にあった。」とパレンガットが説明する。「しかし、郡警察本部は、車で約3-40分かかるレッドウッド市(郡庁所在地)。事件があっても警察官が遠くから駆けつけることになる。地域で警察保護区をつくればサービスも迅速になるし、心配や問題があった時いつでも来れて、署長や警察官と話ができる。」

 このBPPDについて詳しくは別稿に譲るが[11]、彼らは、「迷いネコの捜索や病気の住民の様子を見に行ったり、高齢者のために郵便を出したり」もして、コミュニティー・ポリーシング(地域に根ざした警察)を実践している。住民から選挙で選ばれた3人にからなるコミッション(委員会。パレンガット氏が委員長)が運営に責任をもち、その下に11人の警察官が雇われている。戦国時代、住民が侍をやとって村を守る話(黒沢明監督『七人の侍』)という話があるが、警察保護区はまさにその現代版だ。警察署は民間住宅を改造した建物。そこに11人の侍だけでなく、延べ10人以上のボランティア市民が詰め月600時間以上の労力を提供する。

 単一サービスを提供する非営利市民団体(NPO)のようにも見えるが、対象領域をもち、代表が公選され、1世帯あたり年300ドルの税金も徴収し、明らかに自治体の性格をもっている。当然、自治体と同様、州の情報公開法や公開会議法の対象ともなっている。隔週火曜日に行われるコミッション会議は通常自治体の市議会と同様の住民集会型で、多数の市民が押しかけて意見を言う。

 ブロードムアの警察保護区はいわゆる特別区(Special District)のひとつだ。アメリカの自治体には日本のいわゆる市町村型の総合型自治体ばかりでなく、こうした専門サービス型の自治体がある。代表的なのは学校区(教育委員会に相当)だが、後述するように水道区、大気汚染監視区、交通区、蚊駆除区、その他多様な分野の特別区自治体がある。
 

人口数十人の自治体

 日本には人口1000人を割る自治体はほとんどないが、アメリカの自治体の半数は1000人以下である[12]。人口数十人、数人というところもまれではなく、1997年の調査では、全米19,373の市(Municipal Government)のうち905、の町(Township)のうちが人口99人以下である[13]。そうした小自治体を紹介した貴重な資料にデニス・キッチン『我らの最も小さい町々』[14]がある。自治体研究の必読書とも言える同書からそうしたマイクロ自治体の事例をいくつか紹介してみよう。

 なお、ここで「町「村」はそれぞれTown, Villageの訳である。原文で使われている言葉をそのまま使った。人口数十人程度の「町」というのは日本の市町村制度からは抵抗があるが、アメリカではそれら比較的自由に使われている。

*ノース・カロライナ州のデルビューは人口16人の町。1925年に設立されて以来「3家族以上の家があったことがなく、これからもないだろう」と言うのはバン・デリンジャー町長だ。彼の祖父とその2人の弟がここで養鶏場を経営していたが、野犬がニワトリを食べてしまうという問題があった。州法は野犬を撃つことを禁じていた。そこで彼らは独自自治体を結成し、野犬刈りができるようにした。「野犬を撃つ権利だけを規定した憲章をもつ自治体を結成した」ということだ[15]。

*インディアナ州のニューアムステルダムは人口30人の町。「過去50年以上、選挙というものがなかったが・・・」と町長夫人で書記・会計兼任のマリー・フェイ・シャッファーが言う。犬の放し飼いで少女を噛まれるという事故が起こり、町議会が犬はつないでおくべしという決議をあげた。が、その買主は従わず、逆に町長に対抗して町長選に出馬。町はじまって以来の町長選挙に相なった。「私は州都インディアナポリスまで30ドルもの長距離電話をかけ、州選挙委員会に選挙手続きの合法性を確認した」とシャッファー。「考えてもほしい。有権者24人の投票のため、朝6時から夜6時まで6名の町選挙管理委員が選挙場に居なければならない。選挙費用600ドルで町の予算は干上がり、赤字になった。しかし、法によりたとえ赤字になろうとも(対抗馬のいる限り)その選挙を行わなければならなかった」。結果は現町長の勝利(16対8)。犬の放し飼い問題にも決着がつき、少女の傷も癒えた。出馬した飼い主の男はその後他の町人と口を利かなくなった。[16]

*ネブラスカ州モノウィは人口8人の村。だが、1990年の国勢調査の結果が6人と出た。各戸に調査表も回り、国勢調査局からの電話確認も入った。なのに結果は人口6人。政府調査の信頼性なさの好例とされ、全国に流布された[17]。この『我らの最も小さい町々』には、8人が「人口6人」と公表示され道路標識の前でポーズをとる微笑ましい写真が掲載された[18]。10年たった今でも、例えば、農村交通開発をあつかった連邦高速道路局報告書表紙にその写真が掲載されている。[19]。

*ユタ州オーファーは1906年設立の町。かつて銀鉱山の町としてさかえたが、廃坑後衰え、現在人口22人となった。「この町には常に(馬車型の)消防車はあったが、それを置いておく消防署の建物がなかったので、車がすぐ老朽化してしまっていた」と言うのは現町長のウォールト・シューバート。「それで最新の消防車を買った時、今度こそはと消防署兼市役所の建物をたてた。町の商店、団体、住民が寄付をしてくれた」。何かNPOの運営を語るかのような口調である[20]。

*小さい町では町長がボランティアですべてをこなす。人口30人のニューメキシコ州グレンヴィルで町長をつとめるミグニョン・サエドリスが言う。「男たちが日中仕事に出ている間、(女の)ルースと私があとを引き受ける。消防車を運転し、ブルドーザーを動かし、救急隊を組織する。サラリーはなく、すべてボランティアだ。時々、夫の郵便配達の代わりもする。200キロを車で走り35の家に止まり全行程5時間かかる。」[21]

*テキサス州マスタングは、現在人口27人の町。ダンスクラブ経営者のマック・アルヘニーの主導で1969年につくられた町だ。ハイウェイ沿いのこ地域は、野生の馬が生息する草原地帯だった。アルヘニーはここに450シートのカントリーウェスタン・ダンスクラブをつくる計画をたてた。州の土地規制を回避するにはそこを自治体化する必要があったという。しかし、テキサス州政府は200人以上の住民がいなければ自治体結成の要件は満たさないと言ってきた。そこでアルヘニーは急きょトレーラーハウス場をつくり、臨時住人を集めた。見事200人以上の住民が確保し、自治体を結成。クラブもオープンすることができた[22]。
 

2.米自治体制度の概況

 

八万の地方政府

 アメリカの政府・自治体制度をまとめると次のようになる。

 「1997年に合衆国には87,504の政府単位(Government Units)があった。連邦政府と50の州政府に加えて、87,453の地方政府単位(Units of Local Government)があった。その内、一般目的地方政府(General Purpose Local Government)が39,044あり、内訳は3,043が郡政府(County Government)、36,001が準郡一般目的政府(Subcounty General Purpose Local Government、注:日本の市町村にあたる普通の自治体のこと)であった。残り、全体の半数以上が特別目的地方政府(Special Purpose Local Government)で、これには13,726の学校区政府(School District Government)、34,683の特別区政府(Special District Government)が含まれる。」[23]

 これは、米国勢調査局による『1997年政府センサス』の中のまとめの個所である。中央政府と州、自治体をいずれも「政府」という範疇で扱っているのでわかりにくいが、言い換えて示せば表のようになる。アメリカには84,410の自治体(郡を含めると87,453の地方政府Local Government)があることになる。日本の3200程度と比べて非常に多い数である。

表1 アメリカの政府・自治体数
(U. S. Census Bureau, *1997 Census of Government*, Volume I Government Organization, 1997)

連邦政府      1
州政府       50
郡政府    3,043
自治体   84,410
 通常自治体    36,001
  ミュニシパル       19,372
  タウンシップ       16,629
 特別区        48,409
  学校区             13,726
  一般特別区         34,683
 
 

「アメリカ合諸国」

 米自治体の分権性を考察する前提として、州の分権的性格について触れておくる必要がある。アメリカの州は日本の県と異なり、極めて自立性が高い。

 州はそれぞれに憲法をもち、民法、刑法、商法など市民法諸法は基本的に州法である。これらを裁く裁判所も州裁判所のみである。州裁判所に地裁、高裁、最高裁がある。例えば刑事裁判で州最高裁の判決が下りればそれが最終判決であり、次に連邦裁への控訴がある訳ではない。

 州は連邦政府によって設立されたのでなく、自立的につくられた統治体である。むしろ連邦政府の方が州の集まりによって形成されたのである。イギリスに対する独立戦争のため新大陸の各植民地(今日の州)が連合会議を開き始めたのが連邦政府の起源である。米憲法は「憲法により合衆国に与えられていないか州に禁じられていない権能は各州もしくは人民に留保される。」と明言している(修正第10条)。連邦政府は、外交や軍事その他特定の仕事だけを行うのであって、そこに書いてないことにまで勝手な解釈で触手を伸ばすことを封じている。

 アメリカの大統領はほとんどが州知事出身者である。副大統領出身はあるものの、連邦政府の大臣から大統領になる人などまずいない。州のトップは国の大臣よりはるかに地位が高い。

 憲法には地方自治の規定はまったくない。したがって地方自治法はすべて州法。自治体を設立するのも州の権限だ。したがって自治体制度は州によってまったく異なり、本稿で詳述するような複雑さを呈する。「アメリカの自治体は・・・」と一括りにはできない。別の例をあげれば教育である。日本の教育基本法や学校教育法にあたるのはアメリカでは各州の州法である。したがって州により小学校が4年だったり5年だったり6年だったり、小学校に幼稚園が付いていたりいなかったり、高校が3年だったり4年だったり6年だったり、とばらばらである。70年代までアメリカ連邦政府に文部省(教育省)がなかった。1978年に教育省ができたが、これは統計を集めるなど補助的な役割しか果たしていない。教育方針、カリキュラム、教科書選定などを決めるのは州であり、さらに各地の学校区であり、実際的には各学校、各教師の広い裁量にまかされる。

 かつて本多は「アメリカ合州国」という訳語を提唱した[24]。人種差別もあり決して民衆が統合されているわけではないとの批判も込めていたが、United States of Americaという原国名がまさに「州(States)の連合体」の意であり、訳語としての正しさもある。その正当性は認めながら、ここで、やや言葉遊びめくが、「アメリカ合諸国」という訳語も提示しておきたい。Stateを州と訳すのは実は意訳であり、Stateはもともと「国家」の意である。現在、ヨーロッパで国家の統合が進み、ヨーロッパ連合(Union of Europe)が生まれているが、アメリカ合諸国は200年以上前にこれに似た試みを行った。各植民地を基礎にした原初的国家が連合して、「アメリカの連合した諸国」(United States of America)を形成した。アメリカ連邦政府の起源は1774年に開始された大陸会議(Continental Congress)であり、各植民地からの代表が集まり、イギリスと戦うため独立した原初植民地国家間のゆるい連携がはじまった。独立、憲法制定を経た後も、連邦政府は小規模なままに推移し、1800年にワシントンDCが首都となった時、フィラデルフィアから越してきた連邦職員の数はわずか137人だった[25]。連邦政府は国内向けの課税権さえなく、独立した後も長らく公有地の売却と対外関税を財源にするのみだった。1863年、南北戦争の最中に戦費調達のため当時のリーンカーン大統領が初めて所得税を導入している。

 ヨーロッパ連合も、あと100年もすれば国家の連合体であったことなど忘れ去られよう。米国もすでに200年以上たって、「アメリカ合諸国」だったことが忘れ去られている。
 

 アメリカの地方自治制度は、概略的に言えば、まず州全土が数十の郡(County)に分割され、その中に自治体が形成される形だ。無自治体地域には郡が公共サービスを提供する。自治体がない地域はあるが、郡はあらゆる地を被っている。

 これが「概略」である。しかし、細かく見ると無数の例外がある。コネチカット、ローデアイランド、ワシントンDCには郡がまったく存在しない。郡がある州でも、264郡あるテキサスから3郡のみのデラウェアまでサイズは多様だ。全米最大のロサンゼルス郡は人口900万人で、州と比較しても全米9位の「州」になる。最小のテキサス州ラビング郡は人口わずか141人だ。

 ルイジアナでは郡(County)のかわりに教区(Parish)という行政単位がある。アラスカでは、他州でまれに自治体の別名として登場する区(Borough)が郡の役割を果たす。国勢調査局の政府統計では、以上すべてを「郡」として扱っている。

 郡が市と合体して実質的に市としか数えられなくなった地域がある。有名なところでサンフランシスコがそうだ(正式名称はCity and County of San Francisco)。他にアンカレジ、デンバー、ホノルルなど7都市で市と郡が統合されており、国勢調査局はこれを市として数えている。

 通常は郡の中に市ができる形だが、日本の地方制度と同じように「市になれば郡には属さない」形をとる場合もある。メリーランド州バルチモア市、ミズーリ州セントルイス市、ネバダ州カーソンシチー市、さらにバージニア州の40市がそうである。上下逆転して、郡が市の下部機構になっている場合もある。ニューヨーク市内にあるブロンクス、キング、ニューヨーク、クィーンズ、リッチモンドなどは郡(County)だが、市の下位区分である。フィラデルフィア市内のフィラデルフィア郡などその他14市にこのような従属郡(市の一機関としての郡)がある。
 

自治体

 郡の中に住民の発議で住民投票などによって結成されるのが自治体である。アメリカには自治体が36,001ある。日本の3,200と比べて非常に多い。前述のように規模が小さいのと、多種の自治体が混合・重複しているためである。

 ここでも州によって自治体制度がかなり違うので内容は多様だ。自治体(国勢調査局の区分ではSubcounty General-Purpose Government, 36,001)には、通常自治体(Municipal Governments, 19,372)とタウン又はタウンシップ(Town or Township Governments, 16,629)が含まれる。通常自治体は、州法下で自治体法人として結成される近代的な都市型地方政府と考えればよい。日本の市町村に相当する。一般には市(City)、区(Borough)、町(Town)、村(Village)なども呼ばれる。

 この他に、北東部、中西部の20州にタウン(Town)、タウンシップ(Township)という古い形の自治体が存在し、問題を複雑にしている。タウンシップは歴史的には郡の下部機構である。州土が郡に分割され、郡土が個々のタウンシップに分割される形だ。インディアナ州がその典型であるが、マサチューセッツなど6州は、通常自治体の結成されていない地域だけをタウン又はタウンシップに分割している。通常自治体内にはタウンやタウンシップはない。インディアナ州の場合は、州全土がタウンシップに分割されるので、その中に(またはその同一領域に)さらに通常自治体(Municipal Government)が結成されている。通常自治体と(それと似た規模の)タウンシップがオーバーラップするわけで、多くの場合タウンシップが有名無実化する。

 メイン州では郡、通常自治体、タウンシップなど一切のlocal governmentがない「未組織地域」(Unorganized Territory)が存在する。イリノイ州など10州は、タウン又はタウンシップに分けた郡と分けない郡が混在している。これらの場合でも通常自治体とタウンシップがオーバーラップする変則事態が出ている。

 結局、タウン又はタウンシップのある20州の内11州でタウン又はタウンシップと通常自治体がオーバーラップしている。タウン又はタウンシップの中に通常自治体があったり、通常自治体の中にタウン又はタウンシップがあったり、互いに無関係に交差していたりという状況だ。他の9州で両者がオーバーラップしていない。つまり通常自治体のあるところにはタウン又はタウンシップはない。

 ここで「タウン又はタウンシップ」は包括的な意味で使っている。ニューイングランド6州、ニューヨーク、ウィスコンシンでは「タウン」と呼ばれ、他では主に「タウンシップ」と呼ばれている。ただし、メイン州では農園(Plantation)、ニューハンプシャーでは地域(Location)とも呼ばれることがある。
 

特別区

 日本にあまり類似のものがない自治体に特別区(Special District)がある。強いて言えば教育委員会がこれに近いが、アメリカの特別区は多くの場合、代表が公選され、独自の議決機関をもち、領域も通常自治体(市町村)と無関係に引かれている場合もあり、独立自治体の性格が強い。通常自治体のないところに作られる単一専門的な行政自治体という様相が強いが、通常自治体と重ねあって存在しているところもあり、一概には言えない。また、複数の市町村で構成する広域行政機関というわけでもない。市町村などの代表が議決機関に入っている場合もあるが、あくまで独自の自治体という位置付けである。

 国勢調査局の政府統計によれば、アメリカには34,683の特別区がある。このうち、最も一般的な学校区が 13,726である。公立小中高大学を運営する独立自治機関である。全米には15,178の公立学校システムがあるが、この中には日本の教育委員会のように市町村の下部機関となっているものもある。このような「従属機関」は国勢調査局の政府統計では自治体(学校区)として数えていない。そのような公立学校システムを除いた学校区が13,726ということである。後述するように、このような別の自治体の下部機関化しているものを除外して自治体と言えるものだけを数えているのが国勢調査局政府統計の特徴である。

 同局は、主な特別区自治体の種類として次のようなものをあげている。

航空 ― 空港施設の建設、維持、運営
墓地 ― 墓地の開発、維持
教育施設 ― 学校施設の建設、資金集め。実際の教育を担う学校区とは別区分
消防 ― 消防活動。ボランティアの消防団コーディネイトを含む
ガス事業 ― 一般への天然ガスなどの供給事業
保健 ― 外来、研究、教育を含む保健活動。環境汚染対策、蚊駆除、救急医療などを含む場合も。
道路 ― 道路、トンネル、橋、街灯などの建設、維持
病院 ― 病院の建設、取得、維持、運営
住宅・地域開発 ― 住宅の建設、維持、再開発事業
図書館 ― 公立図書館の建設、維持、運営、私立図書館の支援
自然資源 ― 水資源、土壌、森林、鉱産物、野生動物などの保全、開発。灌漑、排水、防水、山火事防止なども含む。
駐車施設 ― 駐車場の建設、取得、維持、運営。商業ベースのことが多い。
公園リクリエーション ― 運動場、遊び場、ゴルフコース、公共ビーチ、プール、テニスコート、公園、会館、スタジアム、キャンプ場、リクリエーション波止場、ヨットハーバー、美術館、博物館、動物園、コンベンションセンター、展示場などの提供と支援。
下水 ― 下水、排水網、下水処理の整備
廃棄物処理 ― 道路掃除、固形廃棄物の収集、処理
交通 ― バス、電車、ライトレール、地下鉄など公共交通システムの建設、維持、運営
水道 ― 一般及び産業向けの上水道システムの運営と維持
水上交通 ― 運河、港湾、波止場などの建設、維持、運営

 例えば、カリフォルニア州だけをとっても、小学校区、ハイスクール区、地域短大区、大気汚染コントロール区、空港区、地域サービス区(CSD)、排水区、消防区、水保全区、地盤事故防止区、地下水管理区、ハイウェイ区、病院区、灌漑区、図書館区、害虫防護区、地域改善区(MID)、警察保護区、港湾区、公共墓地区、埋め立て区、公園区、リゾート改善区、資源保全区、球場建設区、下水区、公益事業区(電力区、電話区、その他)など3000以上の多様な特別区がある。これらは「特別区」という名前が付いているわけでなく、Districtの他、Board, Authority, Boardなど様ざまな名前がついている。

 特別区は通常自治体よりさらに多様であり、自治体といえるか、それとも他自治体の下部機関か単なる民間団体か、区別が付きにくい。政府、自治体の正確な数を数えなければならない国勢調査局は、後述の通り「政府」の定義付けをことの他綿密に行う必要に迫られている。
 

自治体の国勢調査

 さて、ここでの議論のベースにしてきた国勢調査局の「政府統計」(Census of Governments)に注目する。アメリカの国勢調査は10年ごとに行われているが、この人口統計を中心とした国勢調査以外に多様なセンサスがあり、自治体など行政団体ての統計調査が「政府センサス」(Census of Governments)として行われている。国勢調査法にもとづき1957年に開始され、5年ごとに「税金、税額、政府収入、支出、負債額、州・郡・市・他の政府単位の公務員数」が調査されている[26]。結果は政府組織、公務雇用、政府財政の3巻に分けて報告され、このうち「政府組織」が政府組織数の統計である。全体が355ページに渡る大部だ。

 「政府の数」を数える調査が行われること自体がアメリカの自治体の性格をよく反映する。自治体数が最初から中央政府によって把握されているのではない。営利法人やNPOと同じように、調べてみなければわからない。調査は、民間団体と同じで、調査書を郵送し返答を待つ。1997年の政府センサスは全米87,453の自治体を数えていたが、その内20.1%にあたる17,583自治体がアンケートに答えていない(表参照)。国勢調査局は周辺資料にあたり、独自調査を行って「政府センサス」をまとめる。同局は次のように言う。

 「回答のない自治体には、2度、3度と要請を送る。不配で返ってきた自治体については新しい住所を調べる。十分に大きな人口数、負債額をかかえる未回答自治体には電話で連絡をとりデータを得る。」

 「すべての自治体がボランタリーな調査に協力するわけではなく、どうしても残る未回答は実際的に対処不能である。」

 「すべての自治体から郵送回答を得たわけではないが、国勢調査局は1997年6月現在の各未回答自治体の存在状況を確認しようとつとめた。すべての未回答郡、市、タウンシップ政府の「生き」状況は、出版された自治体ディレクトリーを調べることにより、また国勢調査局の「領域合併調査」(Boundary and Annexation Survey)とクロス参照チェックを行うことにより確認した。学校区については、全米教育統計センター(NCFES)からの管理データが入手できる。未回答自治体についてこれらデータで代用し、14,524学校区の数値を得た。」

 日本で中央官庁からの調査に自治体が回答しないということは考えられない。8割の回答率というところにもアメリカの自治体の性格がよく反映されている。

表2 調査回答率
U. S. Census Bureau, *Census of Government*, Vol.I, p.XIII
       総数   回答  回答率
全自治体   87,453   59,870    79.9%
郡       3,043    2,446    80.4%
通常自治体  19,372   16,294    84.1%
タウンシップ 16,629   13,047    78.5%
学校区    13,726   10,667    77.7%
特別区    34,683   27,416    79.0%
 
 

3.市民参加の手段としての自治体

 

市議会は住民集会

 「パブリック・コメントは多様な問題についての意見を聞くことができるので有用だ。」とトム・アミアノ市議の立法秘書ブラッドフォード・ベンソンが聞き取り調査に答えて言う。サンフランシス市で1ヶ月に1回行われる地域での市議会に参加した時のこと[27]。議長も兼ねるアミアノ市議は革新派で、市民運動の活動家たちといっしょに市議会にのぞむことが多い。会場には多くの市民が押しかけ、壇上の11人の市議に向かって次々に発言している。

 「市の政治は、経済的に力のある人たち左右されがちだ。こうした形で一般市民が参加できることでカウンターバランスになる。」とベンソン秘書。
 こうした議会での市民の自由な発言を「パブリック・コメント」という。現在、日本でも行政の個々の施策に意見書を提出する「パブリック・コメント制度」がはじまっているが、その語の起源はこうしたアメリカの市議会などで行われている市民の自由な発言だ。

 サンフランシスコ市議会は通常、毎月曜の午後、支庁舎内の会議場で開かれるが、月に一回は地域で出張市議会を行う。この時は、市民の集まれる夜に設定された。ケーブルTVの中継カメラがいくつかすえられ、講堂の中央に発言を求める市民が長い列をつくる。順番整理のためリストに名前を書き込むこともあるが、待ち列の一番後ろにつくだけでもいい。資格審査などは一切ない。サンフランシスコ住民でなくともよい。外国人でも発言できる。各議題に付き1人1回3分程度の発言が認められる。発言者が多い場合1分以内などと制限されることもある。議題以外の他の地域問題についても別枠で発言する時間が設けられる。

 この日は地域での市議会だったが、市議会堂で行われる通常の議会も同様だ。通常5人程度の市議が壇上に座り、「客席」には多数の市民が詰めて次々に立って発言する。市議の重要な役割の一つは市民の発言をじっくり聞くことだ。最終的には市議の多数決がものごとを決定するが、それも公開の場で住民監視のもとで行われる。

 議会は通常、市民が来れる夜開かれ、紛糾する問題があれば市民発言が真夜中まで続く。市民運動にとっては絶好の動員の場だ。同一団体のメンバーと思われる人たちが次々立って同じような主張を繰り返す。「エイズはビールスで起こるのではない」というよくわからない主張をする宗教グループの人も何人か居た。

 連邦、州、自治体レベルそれぞれに「公開会議法」と呼ばれる法律があり(Open Meeting Act、Sunshine Actなどと呼ばれる)、こうした会議への市民参加を保証している。カリフォルニア州では、州政府機関の会議の公開を規定した Bangley-Keene Act [28]、自治体など地方機関の会議公開を規定した Brown Act [29]、州議会下院の会議公開を規定したGrunsky-Burton Open Meeting Act [30]などがある。これら三法はそれぞれ似ているが、会議の原則公開を義務づけるとともに、市民が発言する権利、会議テープ、写真などをとる権利、10日以上前に会議のお知らせを議題を含めて公開・周知させること、その他細かい市民参加の内容を規定している。

 例えば自治体などの会議公開を規定したブラウン法(1953年成立)は「定例会議の議題ごとに、市民が関心を寄せるあらゆる問題について、当該立法機関(訳注:を意味する)が審議する時、またはそれ以前、市民が当該立法機関に対して直接に発言する機会を与えなければならない。」[31]と明記し、市議会、委員会、審議会など立法機能をもつあらゆる公的会議の中で必ず市民に発言させる機会を与えることを義務付けている。
 

市議はボランティア

 ちなみに、カリフォルニアの政府法では、市長・市議の給料を表1のように規定している[32]。月数万円程度の名目的報酬である。これでは生活できないから、当然、市長・市議は基本的にボランティア活動である。昼は自分の仕事をもっており、夜になると市議会や各種会合に出てくる。市民集会型の市議会では市民も仕事の終わった夜でないと困るわけだが、市議にとってもそれは同じである。

 日本でボランティアというと、福祉ボランティアや災害ボランティアなどをイメージするが、アメリカのボランティアはまず市長、市議レベルからはじまっているということである。

表3 カリフォルニアの市長・市議の給料
出典: California Government Code Section 36516
人口35,000人以下の市       月$300以下
人口35,000-50,000人の市    月$400以下
人口50,000-75,000人の市    月$500以下
人口75,000-150,000人の市   月$600以下
人口150,000-250,000人の市  月$800以下
人口250,000人以上の市    月$1,000以下
 

50万人が選挙で選ばれる

 日本では、教育委員会の公選制の意見がわずかに出される程度で、自治体の公選役職者は市長、市議のみだ。しかし、アメリカでは(これも一概に言えないのだが)、教育委員(学校区理事)、市の財務局長、法務局長、総務局長、郡警察署長、地域公立短大理事、広域大気汚染監視委員、都市地下鉄事業体理事、空港公団理事などなど、多様な役職が公選されている。したがって全体での公選役職者の数も膨大なものになり、表2のとおり、全米の自治体公選役所職者数は50万人に迫る。

 多様な役職者が選挙で選ばれる一方、市議の数自体は少なくなる。アメリカの市議会は通常5、6人、大都市でも10人前後である(表3参照)日本の市議会が「議員が話し合う」機関なのに対してアメリカの市議会が「市民の話を聞く場」であることと関係している。参加市民とのやりとりを通じて物事を決めていくのであれば、市議はある意味で裁判官のような役割を果たし、何十人もの議員は必要でなくなる。

表4 アメリカの公選役職者数
 地方政府全体   493,830人
  郡            58,813
  マニュシパル 135,531
  タウンシップ 126,958
  学校区        88,434
  特別区        84,089
(U. S. Census Bureau, *1997 Census of Government*, Volume I Government Organization, 1997)

表5 アメリカの市議会議員数
出典:*Facts About the City*, 1996

 都市名               人口('90)  市議数('87)
ニューヨーク          7,322,564     51
ロサンゼルス          3,485,398     15
シカゴ                2,783,726     50
ヒューストン          1,630,553     -
フィラデルフィア      1,585,577     17
サンディアゴ          1,110,549      8
デトロイト            1,027,974      9
ダラス                1,006,877     11
フィーニックス          983,403      8
サンアントニオ          935,933     10
サンノゼ                782,248     11
インディアナポリス      741,952     29
バルチモア              736,014     19
サンフランシスコ        723,959     11
ジャクソンビル          672,971     19
コロンバス              632,910      7
ミルウォーキー          628,088     16
メンフィス              610,337     13
ワシントンDC          606,900     13
ボストン                574,283     13
シアトル                516,259      9
エルパソ                515,342      6
ナッシュビル            510,784     45
クリーブランド          505,616     21
 
 

4.自治体の一生

 

自治体設立の手続き

 自治体は住民が住民投票で決議して初めて結成される。設立の手続きは、例えばカリフォルニア州の場合次の通りである。

1、住民による誓願
 自治体を設立しようとする地域で有権者の25%以上の署名を集める[33]。カリフォルニア州では弱小自治体の乱立を防ぐため500人以上の有権者数がある地域でのみ自治体設立を認めている[34]。

2、フィーシビリティー調査
 自治体結成が現実的か、地域によい影響を与えるかを調査し、報告書を作成する。地域の歴史、特性からはじまり、自治体を結成した場合の3年間の税収見込と支出予測、周辺自治体への正負影響、負影響の最小化策などを明らかにする。

3、自治体設立の申請
 上記のフィーシビリティー調査(5部コピー)を添えて正式の設立申請書を地域機関設立委員会(Local Agency Formation Commission, LAFCO)に提出する。LAFCOは、諸自治体の統合的発展をはかるためカリフォルニア州がつくる機関で、各郡にある。

4、申請の検討
 申請がが妥当なものであるかLAFCOがチェックするとともに、一般の縦覧に付し意見を求める。公聴会を開く[35]。住民は州財務局によるフィーシビリティー調査の妥当性チェックを求めることもできる[36]。

5、申請の採決
 5名からなるLAFCO委員会が申請について、許可、修正、却下の決定を下す[37]。LAFCOは公開会議法に基づき、必ず住民参加(発言を含む)の下で開かれ、採決も公開で行われる。

6、住民投票
 次の総選挙時に住民投票案件として出され[38]、該当地域で過半数の賛成があれば自治体結成が決まる。自治体結成住民投票と同時に新しい市議、役職者の選挙も行われ、自治体が結成されれば職務につく。
 

自治体の消滅

 自治体は財政的に行き詰まって破産宣告をしたり、住民投票で解散を決議することもあるが、最も一般的なのは自然消滅である。登録リストに載っていても、人口が減少し、活動が不活発化し、予算や役職者が消滅し実際上の解散に至る。市民団体と同じだ。特に正式な解散手続きを経ずに自然消滅する。

 国勢調査局の政府統計は次のように言う。

 「(我々が保持する自治体の)総リストは定期的に更新されている。国勢調査局の基準にあう新しく設立された自治体を加え、解散したり活動しなくなった自治体を削除していく。自治体は、活動がなく、収入を得ず、役職者がいなくなった場合、活動を停止したとみなされる。」

 国勢調査局にとっても自治体がなくなったのか存在しつづけているかを確認するのは非常な労力を要することなのだ。

 デニス・キッチン『我らの最も小さい町々』には、人口がゼロになった自治体が出てくる。オクラホマ州フートアウルがそれだ。「1977年にある男とその家族によって設立された」が、男は借金で土地を手放さざるを得なくなった。「自分の町(town)がもてる」といううたい文句で土地を売りに出す。必要な金額では買い手がつかず、結局土地は銀行に没収された。家族は立ち退かされ、人口はゼロになった。銀行はその後別の男に土地を売却した。「その男は家族の別荘地としてその土地を使うそうで、街の憲章を維持すると言っている。妻が町長で、彼が新しい保安官兼刑執行官になるとのことだ。」と銀行のために不動産売却業務を請け負った不動産会社社長ローズ・ムーアが語っている[39]。

 この「町」を国勢調査局が自治体として数えるかどうか不明だが、市民団体的に消滅していくアメリカの自治体の片鱗を垣間見ることはできる。
 

特別区から通常自治体へ

 自治体の形成過程をみる上で、特別区と通常自治体の中間の性格をもつ政体が様ざまに存在する。カリフォルニア州の「地域サービス地区」(Community Services Districts, CSD)もそのひとつだ。地域サービス地区法[40]に基づき同州内に約300のCSDが設立されている。CSDの提供できる行政サービスは、空港、救急医療、消防、ゴミ収集、落書き防止、ハイウェイ、図書館、蚊駆除、公園、警察、下水、該当、地下埋設公益事業ライン、水道など広範囲におよび、通常自治体(日本で言う市町村)に近い。理事は公選され、他の特別区同様、課税権、公債発行権をもつ。ただ、都市計画、土地利用の決定権がないなど通常自治体に比べて権限が弱い。同時に提供できるサービスが限られ、課税の権限も市ほどは強くない。単一サービス型特別区と通常自治体の中間自治形態である。

 例えば、州都サクラメント郊外のエルクグローブは、街の発展につれて単一型特別区からCSD、さらに市へと変遷してきた地域だ。1892年に無自治体地域に特別区であるエルクグローブ消防局、1923年にエルクグローブ公園リクリエーション区が設立。両者は1985年に合併してエルクグローブCSDを形成した。同CSDは現在、住民人口67万におよる広域を担当し、職員フルタイム120人、パートタイム100人、年間予算2100万ドルの規模を有する[41]。

 その後この地域で自治体結成の動きが生まれ、2000年3月にCSD地域の一角にエルクグローブ市が誕生した。公園と消防はこれまで通りエルクグローブCSDが担い、それ以外のサービスをエルクグローブ市が担う[42]。
 
 

LAFCO

 「日本のシステムの方が優れている。うらやましい。」

 サンフランシスコ近郊サンマテオ郡の地域機関形成委員会(Local Agency Formation Commission, LAFCO)を訪ねた時、専属スタッフのマーサ・ポヤトスがそう言ったのが印象的だった。ヒアリングをする前置きに、市民団体的なアメリカの自治体に対して統治機関的な日本の自治体の説明をしたのだが、彼女は、日本の制度の方が整合的な自治行政ができると言うのだ。お世辞だけではなく、日ごろこの地区の複雑な自治体制度をまとめるのに苦労している彼女の本音も出ていたようだ[43]。

 LAFCOは、無秩序な自治体乱立を統合化する目的をもって1963年につくれたカリフォルニア州の制度である。カリフォルニアは他州に比べて統制された自治体形成が行われている方だが、それでも1997年現在、58郡の他、471の市、4079の特別区があり、足並みの乱れが問題になっている。LAFCOは各郡ごとに独立の機関として設置されている。通常5名の委員(Commissioner)の下、出向郡職員など数名のスタッフで運営されている。自治体の形成、合併、領域変更などに広域的見地から秩序立った方向への誘導を行う。自らはそうした変更を提案せず、各種自治体からの申請を検討・調査し、勧告を行うことで影響を与える。自治体の形成、合併はもちろん住民投票によって決せられなければならないが、法的規定をクリアできずLAFCO審査の段階で立ち消えになる場合もある。領域変更についてはLAFCOが許認可権をもっている。

 各郡のLAFCOが集まって1971年に全州組織CALAFCO(California Association of LAFCOs)をつくったが(各LAFCOを連携、援助する非営利団体であり、公的な決定権限はもたない)、そのパンフはLAFCO制度成立の背景を次のように説明している。

 「第二次世界大戦後、カリフォルニアは急速な人口増を経験し、市、特別区が無秩序に形成された。この開発ブームで多くのカリフォルニアの農地が市街地に転換され、未熟で無計画な開発が多様な小単位自治体による非効率的で高コストの公的サービス提供システムをつくりだした。」[44]

 市民が自由につくり自決を行使するアメリカの自治体は自治体の本旨を行くとも言えるが、同時に複雑な地域エゴが乱立して都市全体として整合的・効率的な施策運営を難しくする側面ももっている。例えば裕福な地域が、低所得層の多い大都市に組み込まれることを嫌い「独立して」費用のかからない自治体をつくってしまうことがある。税負担が増える自治体づくりを拒み、非法人化地域のままでサービスを提供する郡の財政を苦境におとす問題もある。例えば、大都市の中に小島のように浮かぶ無自治体地区に、郡警察がわざわざ遠くからパトロールに行く、というのは確かに非効率のそしりを免れない。

 こうした強く分権化したアメリカの自治体制度を整合化させる努力のひとつがLAFCOである。が、ここでも、強引に市町村合併して統合させるというのでなく、各自治体の自主性を尊重した上で、フィーシビリティー調査、勧告などを通じて各自治体の動きに影響を与える手法がとられていることに注目しておきたい。
 

小自治体を支援する枠組み

 アメリカでは安易な市町村合併策はとられていない。むしろアメリカの自治体総数は増加している。1972年に78,269だった自治体数は1997年の87,504に増えた。自主的で小規模な自治体のシステムは変えず、それを補完すべく様ざまな支援を与え、連携をつけ、統合への方向性をつける。日本ですでに広く紹介されている「広域自治体」(Regional Government)も市町村合併を伴わず、自治体間の広域的な連携枠組づくりである。

 州、連邦諸機関の施策の中でも小自治体を援助する体制が多様にとられている。例えば、1996年に制定された小ビジネス規制実施公正法(Small Business Regulatory Enforcement Fairness Act, SBREFA[45])は、小ビジネスばかりでなく、小自治体(人口5万人以下)、小規模非営利団体(NPO)の3者を含めた「小団体」(Small entities)を対象にしており、規制を実施する際、対応能力が十分でない小規模団体には、猶予期間延長など各種便宜、支援策を与えることを規定している。ビジネスの世界同様、行政、市民活動の分野でも活性的な小規模組織が益々大きな役割を果たすようになっており、その小規模性のメリットを最大限生かしながら、これに側面援助を与えるという行き方だ。例えば環境保護庁(EPA)は全米10地方総局に小自治体担当セクションをおき、水質、有害廃棄物、地下水汚染、汚染事故緊急対応、その他環境規制を実施する上でリソースの不足した小自治体に専門的支援を行っている[46]。同局の小自治体助言委員会が1999年9月に答申を出し、これに基づいて、さらにきめ細か小自治体環境規制支援体制が整備されている[47]

 また、国際市郡マネジメント協会(International City/County Management Association (ICMA))が運営するウェブサイト、LGEAN(Local Government Environmental Assistance Network)はこうした小自治体向け環境規制支援情報を一元的に集めたサイトである。遠隔地であることの多い小自治体担当者にとってや有効なツールであり、インターネットが個人、小ビジネス、NPOなど小単位を強化する可能性が、小自治体制度の中でも試されようとしている[48]
 
 

5.政府(自治体)とは何か

 

政府の定義

 これだけ多様で民間団体とも近い自治体制度の中で、ではいったい自治体とは何なのか、という根本的な疑問が生まれる。英語のコンテクストでは自治体も政府組織の一つであるから、政府とは何か、という問いともなる。「公共セクター活動の総体を遺漏、重複なく数える」[49]政府統計としては、この問いに何らかの答えを出すのは死活問題である。どこまでを政府として数え、どこからを数えないか。政府論・国家論についてはすでに多数の理論考察があるが、ここではこの極めて実際的立場からの政府定義を検討する。

 国勢調査局は、政府統計の「政府の分類基準」の項目内で、政府について次のように規定する。

 「ひとつの政府とは、組織された統合体(organized entity)であり、政府的性格(Governmental character)をもつ他、自己の諸問題のマネジメントにおいて充分な裁量をもち他のいかなる政府単位の行政構造からも独立しているものである。」[50]

 つまり「政府として数えられるためには、その統合体がこれら3つの要件 ―組織された統合体としての存在、政府的性格、相当な自立性(Substantial Autonomy)― を保持していなければならない。」

 ここで「政府的性格をもっている」とは「役職者が公選されるか公選役職者に任命されていることで示される。市民への報告、市民的監査に対する記録のアクセス性などに示された高いレベルの市民への責任も政府的性格の決定的な証拠と理解される。」とし、その他「税金を課す権能、利子が連邦税控除になる債権(訳注:公債)を発行する権能」なども政府的性格の存在を証明する重要な要件としている。

 一応の分類基準は決めたが、実際に多様な自治体にあたるとなかなか一筋縄ではいかない。判断に迷う境界領域がたくさん出てくる。国勢調査局の実務担当者はこれに柔軟に対処し、各所で現実的判断を下している。

 「しかしながら、これらの要素(課税権、公債発行権)で欠けるものがあるからといって、役職者、公的責任などの条件をクリアする限り、政府的性格がないと即断はできない。例えば課税権をもたずに電力その他公益事業サービスを提供している特別区政府を自治体として数えている。広汎な民間企業もこうしたサービスを提供するが、特別区の運営、公的責任に関する諸規定を勘案してそう判断した。」

 課税権や公債発行権は政府的性格の根幹とも考えられるが、彼ら実務担当者は必ずしもそれにこだわっていないということだ。他方で前述の引用から明らかなように、役職者が公選されなくとも、公選役職者から任命されていていれば政府的性格を満たすとしている。問題はその組織がどれだけ財政的行政的に「相当の自立性」をもっているかであり、任命の事実だけでは従属と見ない立場だ。

 「この要件は、その統合体が相当の財政的行政的独立性をもっていることで充たされる。もちろん、法的に定められた必要な制限、州による自治体の監督を前提にした上でだが。財政的独立性は一般には、その統合体が他の地域役職者また自治体による検査や詳細な変更を受けることなくその予算を決定し、そのサポートのため徴収する税を決定し、そのサービスの料金を決定し徴収し、他の自治体機関のレビューなしに公債を発行する権能によって生ずる。行政的独立性は、その統合体の機関が基本的にどのように選ばれるかに緊密にかかわっている。つまり、公的機関が独立したひとつの政府と数えられるには、(1)公選される運営機関をもつか、(2)二つ以上の州または自治政府を代表する運営機関をもつか、あるいは(3)その運営機関が任命されている場合でも、その公的機関が親機関の機能と本質的に異なっており詳細にわたる指示を受けていない、という条件が必要である。」

 国勢調査局はこの「相当な自立性」についてさらに踏み込んで考察し、組織の非自立を示す指標として7点をあげている。煩雑になるので訳出しないが、例えば、運営機関(理事会など)の相当部分が親機関の役職者で占められていること、決定が親機関の承認を必要としていること、財政上の決定の相当部分が親機関に依存していることなど、実務上使える程度に具体的に基準化している。

 しかし、これだけ詳しく規定しても、なお一筋縄で行かない部分があることを国勢調査局は認める。判断に迷う場合は地元住民にどう見られているかでも決めるとまでも言っている。つまり、「(判断が難しい場合は)国勢調査局は、(1)当該機関が独立しているか否かについての地元住民の意識(local attitudes)、及び(2)その決定が政府財政雇用統計の収集、プレゼンテーションにどう影響するか、をも勘案する。」としている。

 領域をもつことも政府・自治体の特性の重要な指標だと思われる。だが、驚くべきことにこれについても国勢調査局は厳格にはこだわっていない。例えば、橋の通行税を徴収する特別区自治体などは、領域はもたないが、明らかに政府的性格をもっていると言う。

 「すべてではないが、ほとんどの政府は、その住民集団が特定できる厳密な地理的領域の内部でサービスを提供し活動している。しかし中には、自治体のすべての本質的性格をもちながら、その属性をもたず、せいぜい特定人口地域とは一義的にはつながらない一般的地域にしか関係していない統合体もある。有料道路や有料橋を提供する特別区自治体がその例である。不動産課税など一定の目的のためには明確な領域と関連づけられている政府の場合でも、周辺地域の住民をも対象に施設を所有、運営し、サービスを提供している事例がある。」

 自治体を数えるためには、それが自治体の性格をもっているかどうかだけでなく、独立の自治体か、それともどこか他の付属物かが重要な基準になる。その面で国勢調査局の政府規定にはまた独自の力点のおき方があろう。いずれにしても、公共機関、企業、非営利団体(NPO)があらゆる分野で複雑に相互浸透して社会的サービスを提供している今日、
その実態像を描き出すには相当の困難がともなうようだ。
 

NPOから生まれた自治体

 ペンシルバニア州SMPJは、非営利団体(NPO)から生まれた異色の自治体である。1977年、スロベニア系全米共益協会(SNPJ[51])によって設立され、同名の町名がつけられた。スロベニア系全米共益協会は1904年設立のスロベニア人移民の互助組織。保険などを提供する共済組合のような役割を果たすNPOである。同団体は、リクリエーション・センターをつくるため、1966年にペンシルバニア州ノースビーバー町(North Beaver Township)の農場を取得した。ところが、同町は禁酒の街で、条例でアルコールの販売、提供を禁じていた。頭をかかえた協会は同町から独立して自治体をつくることにした。署名集め、住民投票など手続きを踏んで1977年に新自治体成立。もちろん禁酒条例なしの自治体であり、これでリクリエーション・センターがフル活用できることになった[52]。面積180平方キロ、現人口はセンター従業員などなど12名の町である。

 NPOと自治体の連続を示す興味深い事例だ。しかし、こうした事例はアメリカ自治体史の中で必ずしも異端ではない。米自治コミュニティーの原点、プリマス植民地は、宗教的な集団「ピルグリムファーザーズ」による自治体建設だった。17世紀にニューイングランドで活発に建設された清教徒たちの植民コミュニティーも本国を逃れた宗教的集団による自治体建設でり、こうした協会、宗教集団(これらもNPOである)による自治体建設はアメリカ自治体史の中で普通に見られる。広大な草原の中に、信仰を同じくした人々が植民し、協会を建て、それを中心に町をつくる。たとえば再び『我らの最も小さい町々』から例をとると、サウスカロライナ州のスマイアナは、スマイアナ改革長老教会という小教会信徒たちがが1895年に設立した自治体であり、設立時には全員が同教会のメンバーだった。現在、人口は57人に減ったが活発な協会活動を続けているとのことだ[53]。

 ミネソタ州テニ―も同様に教会信徒たちによってつくられた街。人口は7人にまで減ってしまったが、近隣3教会と共同で一人の牧師をかかえ、協会運営を続けている。「私たちの日曜礼拝は午後3時からはじまる。牧師がここに来るまで他の2ヶ所で礼拝を行ってくるからだ。」とアルマ・バーチ村長が語る[54]。

 カンサス州フリーポートの場合は、村人は11人に減ったが、村内の第一長老教会には遠方から50名程度の信者が参集する。「見たとおり、この町の方が第一長老教会教徒の一部に過ぎない。町に住む人より教会に属する人の方がずっと多い。」とジョイス・ジョリー村長が言う[55]。
 

民族的、ユートピア的な自治体建設

 ペンシルバニア州SMPJは、教会でなく民族系NPOが自治体を建設する事例であった。アメリカでは母国でのつながりを基盤に新大陸で移民コミュニティーをつくることが多く、民族的自治体建設の研究は今後の課題だ。黒人自治体の建設について渡辺真治がすぐれた研究『フロンティアと黒人自治体の建設』[56]を出している。奴隷制と人種差別を逃れ、黒人ナショナリズムにも影響されながら、アフリカ系アメリカ人たちがフロンティアに自らの自治体をつくっていく流れがあった。「アメリカ本土の48州の中の33州内の各地に設立され」たこうした「黒人自治体・準自治体及び開拓地」[57]を、渡辺は詳細に調査し報告している。

 ここで興味深いのは、渡辺が黒人自治体をさらに広く「フロンティア地域が宗教上の自由を求める人々やユートピア社会主義の実験農場及至共同体を設立する」[58]運動の中でもとらえ、それとの比較なども行っていることだ。ある研究[59]によると、そうしたユートピア的な共同体は「植民地時代から1860年にかけて全米に130ヶ所存在していた」し、別の研究[60]によれば、植民地時代から1950年までに276ヶ所」あった。カリフォルニア州だけでも「1850年から1950年にかけての100年間に、同州内のフロンティア的地域に約20ヶ所の宗教的、ユートピア的な開拓地が設立されて」[61]いた。自治体は、単なる行政区画ではなく、人々が自分たちの夢、願いをかけてつくりだす新しい共同体の試みでもある。空想的社会主義者ロバート・オーウェンのニューラナーク(ニューヨーク州)も含めてアメリカの自治体にはそれら人びとが積極的につくっていった共同体としての自治体の片鱗が様々に残っているように思われる。

 渡辺はまた、60年代黒人公民権運動の時代に活発化した黒人ナショナリズム(分離主義)と黒人自治体建設の動きの関連も考察している。あまり明確な関連は見出せなかったようだが、この中で前述カリフォルニア州東パロアルト市の設立も「黒人自治体に近いもの」として取り上げている[62]。

 60年代にはまたカウンターカルチャーの活発化の中で、いわゆる「ヒッピー・コミューン」が各地に建設された時期でもある。これが公式な自治体制度に移行したという記録は今のところない。しかし、その中で最大規模ものであったテネシー州ザ・ファーム(1971年設立。最盛期に1500人の人口[63])は、以後、生産生協に法人化し、自然エネルギーに基づいた環境に調和した生活学習の場として地域経済開発を進めている[64]。
 

法人と憲章の歴史

 前述「政府統計」で国勢調査局が設定した政府要件3基準のうち、最初にして最重要のものは「組織された統合体としての存在」である。同局はそれを説明して次のように言う。

 「この属性の証拠となるのは、何らかの形の組織の存在と法人権能の保有である。つまり、その組織が恒久的に存在し、裁判の当事者になれ、契約を取り交わし、財産を取得、処分する権利を有するなどの属性である。ある種の政府類型が法律上、「自治体法人」(municipal corporation)、「公法人」(public corporation)、「法人政治体」(bodies corporate and politic)などと規定されていれば、それらは組織された統合体ということができる。」[65]
 なるほど法人(Corporation)は自治体の基本的属性である。その意味を深く問う中から、自治体、さらにはNPO、営利法人など社会的な組織の本質に迫っていくことができる。とりわけ初期においては、憲章(Charter)の歴史が重要になる。

 かつて法人は憲章によってつくられた。ヨーロッパ中世において、都市、大学、修道院などが国王から憲章を受け、一定の自治権を獲得した。憲章は統治者が下位組織に権限を一部移譲する文書であり、それによって下位組織が一定の自治を得る文書である。日本語でCharterは特許状と訳されたり、憲章と訳されたりしているが、それはCharterのこの二元的な性格から来る。支配者と市民のその時点での力関係を調停・文書化したものがCharterであるならば、それは国王から見れば特許であり、市民から見れば権利の章典(憲章)である。

 詳しくは別稿[66]に譲るが、例えば現ベルギーのフイは1066年の段階でリーゲ主教から憲章を得た。現ドイツのフライブルグ・イム・ブライスゴーは1120年にゼーリンゲン公ベートホルト三世から憲章を得、やがてこの動きがリューベックをはじめハンザ同盟諸都市に広がる。1066年にイングランドを征服したノルマンディー公ウィリアムは、ロンドンに一定の自治を認め、1070年前後に出された憲章が現存する。ロンドンは1190年、フランスに習って「コミューン」政体を取り入れ、1192年に最初の市長をもち、マグナカルタ(大憲章)が発布される1215年にもジョン王から自治憲章を得た。ジョン王はリバプール(1207年)など他都市にも憲章を出し、マグナカルタ自体、こうした都市及び教会の既得権を承認させるものだった。

 今日、公法人、営利法人、非営利法人はそれぞれ別のものだが、かつての法人はそれらが一体化したものだった。1599年に設立され1600年にエリザベス女王1世から憲章を受けたイギリス東インド会社は、単なる貿易会社ではなく、国王に代わって海外支配を行う国家的役割も担った。1661年の憲章修正で、アジア全域のイギリス人の統治権、要塞建設と軍隊組織化の権限を付与されている。同会社は最盛期にはインド全土を統治し、世界最大の職業的軍隊を擁し、43隻の軍艦を保有した[67]。

 企業ビジネスの元祖のようなアメリカでも、ゴスマンら[68]によれば、公共統制の強い憲章型の企業が19世紀末までの主要形態であった。企業は一種の社会事業のようなものであり、特定事業のため存続年数を限って設置され、社会に対して守るべき様々な規則が憲章で明記された。アメリカでは国王でなく州議会がこの憲章の付与主体になっている。州によっては法律で企業存続年数を制限するところもあり、メリーランド州は製造業の企業に40年、鉱業企業に50年、その他企業に30年の企業存続期限を定め、例えばペンシルバニア州は製造業企業に20年の期限を定めた。社会が企業という特恵集団設立を例外的に認めるのだから、公益に反する行為を働けば、企業は当然にも解散させられた(憲章の剥奪)。1840年代、50年代に市民の企業解体権が頻繁に行使され、19世紀末に至っても、例えば1895年、ニューヨーク・スタンダード石油会社の憲章が剥奪されている。

 法人が営利法人のことと思われるようになったのは、19世紀に原初的な憲章型企業が敗北し、私企業の権利が大幅に認められてからである。企業に自由な契約主体の地位を認め、企業内での労働者の市民的自由制限を合憲化し、民主主義を役員会内部だけに限定した。その集大成として1886年、米連邦最高裁は企業に自然人と同じ法人格を認めていた[69]。以後、企業は市民に統される社会事業から、「自由に」権限を行使する私的集団となる。
 

憲章自治体

 憲章は現在、営利法人、非営利法人の中での「定款」にその名残をとどめている。定款はその組織の社会における存在を証明し、法人を法人たらしめる基本文書である。英語の慣用では、企業の定款(Articles of Incorporation)もcharterと呼ばれることがあるし、法人化された企業をChartered Corporationなどとも言うこともある。こうした用法は公法人の中ではさらに一般的である。

 住民自身によってつくられる公立学校としてチャータースクール(憲章学校)があり、この運動がアメリカで強まっていることはよく知られる。しかし、同じような概念でチャーターシティー(憲章市)というものがあるのはあまり知られてないだろう。カリフォルニア州では、自治体結成に際して「一般法準拠市」(General Law City)か「憲章市」(Charter City)かを選ぶことができる。憲章は独自につくる自治体の「憲法」であり、一般法にしばられず自由な自治体機構づくりができる。例えば、一般法準拠市の場合、州の自治体法(Government Code)により、市議数は5名、市長はその中の互選で選出、35,000人以下の市なら市議の給与は300ドル、50,000人以下なら400ドル、などと細部までがはっきり決められている。憲章市は手続きが大変だが、ある程度自由にそれらを決めることができる。サンフランシスコの市議が11名居るのはそのためだ。また同市の市議の給与は憲章で「ハーフ・タイム」分と規定されており、現在年収37,585ドルである[70]。カリフォルニア州には2001年4月現在、105の憲章市と372の一般法準拠市がある[71] 。
 

市民社会のガバナンス

 以上、アメリカの自治体を紹介しながら、私たちが政府、自治体(あるいは日本語的な言葉で言えば「行政」)というものに対してもっている固定観念に何ほどかの挑戦を試みた。政府、自治体は必ずしも他と決定的に区別された組織体ではない。市民団体(NPO)や営利企業との間には様ざまな連続、時に本質的な連続がある。特に、専制支配の伝統をもたなかったアメリカでは、近代市民社会のガバナンス形態として市民的な自治体がかなり純粋な形で出現したと考えられる。自治体は、非営利市民団体(NPO)と同様、市民が自らの声を社会的に組織していくひとつの回路、形態であり、恐らく政府も、そのような市民的ガバナンスの拡大形態ではなかったか、というのがここでの私の提起だ。少なくとも民主主義社会の政府の理念はそのようなものであったことを想起すべきである。
 

<注>

 1 - U. S. Census Bureau, 1997 Census of Government, Volume I Government Organization, 1997, p.IV.
 2 - こうした自治体の市民参加制度についての詳細は岡部一明『サンフランシスコ発:社会変革NPO』御茶の水書房、2000年、第七章を参照。
 3 - 本説の叙述に関しては1999年9月6日の現地聞き取り調査、及びそれ以後のメールでの情報交換を基礎にした。
 4 - 2000年1月推計。California Department of Finance, California Statistical Abstract 2000, Table B-4, http://www.dof.ca.gov/html/fs_data/stat-abs/tables/b4.xls
 5 - U. S. Census Bureau, 1997 Census of Government, Volume I Government Organization, 1997, p.VI.
 6 - 東パロアルト市の叙述に関しては、1998年1月21日の現地聞き取り調査をもとにした。比較的容易に得られる資料として下記がある。Rhonda Rigenhagen, A History of East Palo Alto (http://www.romic.com/epahistory/frame.htm).
 7 - 詳しくは、例えば次を参照。Matthew B. Stannard, "East Palo Alto Back From the Brink - Its safer streets reduce overall homicide rate in San Mateo County," San Francisco Chronicle, January 2, 2001; Alan Gathright, "Revitalized Hopes - East Palo Alto holds out for quality development," San Francisco Chronicle, January 26, 2001; Julie N. Lynem, "School OKd for East Palo Alto - College-prep opens this year," San Francisco Chronicle, February 10, 2001.
 8 - 詳しくは岡部一明「市場社会に生まれたNPO型開発運動 ―全米2000のCDC(地域開発組合)」(『社会運動』第165号、1994年12月。)
 9 - http://www.cacities.org/doc.asp?intParentID=573
10 - この節の叙述に関しては、1998年1月23日の現地聞き取り調査を基礎にした。
11 - 岡部一明『サンフランシスコ発:社会変革NPO』御茶の水書房、2000年、第7章1参照。
12 - U. S. Census Bureau, 1997 Census of Government, Volume I Government Organization, 1997, p.XI-XII.
13 - 国勢調査局のマスターファイルをデータ処理して求めた。基礎データはhttp://www.census.gov/govs/www/gid.htmlにある。
14 - Dennis Kitchen, Our Smallest Towns - Big Falls, Blue Eye, Bonanza, and Beyond, Chronicle Books, San Francisco, 1995.
15 - Ibid., p.78.
16 - Ibid., p.38.
17 - 例えばポール・ハービィの有名ラジオ番組でも報道された。Paul Harvey, ABC Noon Radio Broadcast, November 19, 1991.
18 - Dennis Kitchen, op. cit., p.65.
19 - Federal Highway Administrator, Connecting America: 1999 Report to the Nation, http://www.fhwa.dot.gov/reports/1999annual/
20 - Dennis Kitchen, op. cit., p.98.
21 - Ibid., p.72.
22 - Ibid., p.96.
23 - U. S. Census Bureau, 1997 Census of Government, Volume I Government Organization, 1997. p. V.
24 - 本多勝一『アメリカ合州国』朝日新聞社、1970年。
25 - たとえば"Washington DC", Encyclopedia Americana.
26 - United States Code, Title 13, Sec. 161.
27 - この節の叙述は、1999年6月18日の現地調査による。
28 - California Government Code, Sec. 11120-11132.
29 - Ibid., Sec. 54950-54960.5.
30 - Ibid., Sec. 54950-54960.5.
31 - Ibid., Sec. 11125.7(a).
32 - Ibid., Sec. 36516.
33 - Ibid., Sec. 56750.
34 - Ibid., Sec. 56043.
35 - Ibid., Sec. 56840.
36 - Ibid., Sec. 56833.3.
37 - Ibid., Sec. 56851.
38 - Ibid., Sec. 57077, 57101.
39 - Dennis Kitchen, Our Smallest Towns - Big Falls, Blue Eye, Bonanza, and Beyond, Chronicle Books, San Francisco, 1995, p.82.
40 - California Government Code, Title 6, Division 3.
41 - http://www.egcsd.ca.gov/
42 - http://www.elkgrovecity.org/
43 - この節は1998年4月30日のSan Mateo County郡庁舎内のSan Mateo LAFCO事務所での聞き取り調査を基にする。この調査については別に本格的にまとめる予定である。とりあえず、LAFCOの全体的な状況についてはhttp://calafco.org/を参照。
44 - California Association of LAFCOs, Local Agency Formation Commission.
45 - Regulatory Flexibility Act (RFA)への修正として立法化された。
46 - Environmental Protection Agency, Environmental Planning for Small Communities - A Guide for Local Decision-Makers, EPA/625/R-94/009.
47 - 詳しくはhttp://www.epa.gov/ocir/scas/policyrec.htm参照。
48 - LGEAN、http://lgean.org/html/about.cfm
49 - U. S. Census Bureau, 1997 Census of Government, Volume I Government Organization, 1997, p.IX.
50 - 以下、引用はU. S. Census Bureau, *1997 Census of Government*, Volume I Government Organization, 1997, pp.IX-X.
51 - http://www.snpj.com/
52 - Dennis Kitchen, Our Smallest Towns - Big Falls, Blue Eye, Bonanza, and Beyond, Chronicle Books, San Francisco, 1995, p.86
53 - Ibid., p.91.
54 - Ibid., p.56.
55 - Ibid., p.42.
56 - 渡辺真治『フロンティアと黒人自治体の建設』近藤出版社、1989年。
57 - 同書、p.9.
58 - 同書、p.7.
59 - Arthur E. Bestor, Backwoods Utopias, 1950, pp.235-243.
60 - Robert V. Hine, California's Utopian Colonies, 1966, 1983 ed.
61 - 渡辺真治、前掲書、p.7.
62 - 同書、p.274.
63 - http://www.thefarm.org/
64 - Laura Hamburg, "Old Farm Hands," San Francisco Chronicle, August 6, 2000.
65 - U. S. Census Bureau, 1997 Census of Government, Volume I Government Organization, 1997, p.IX.
66 - 岡部一明『サンフランシスコ発:社会変革NPO』御茶の水書房、2000年、第7章2。
67 - Barnet & Muller, Global Reach: The Power of the Multinational Corporations, Simon and Schuster, New York, 1974.
68 - Grossman & Adams, Taking Care of Business, http://www.nancho.net/bigbody/chrtink1.html
69 - Santa Clara County v. Southern Pacific Railroad, 1886.
70 - サンフランシスコ市議の給与は1982年から97年まで23,924ドルだった。96年11月に、これを50,000ドルに上げる市議会発議の住民投票案件が出たが、否決された。翌年6月に、今度は控え目に37,585ドルに値上げする住民投票案件(提案B)を出し、ようやく通ったものである。市議・市長の給与の値上げは一般法準拠市、憲章市とも、通常、住民投票でなければ決定できない仕組みになっている。
71 - League of California Cities, "Fast Facts at a Glance", http://www.cacities.org/doc.asp?intParentID=53
 
 
 
 
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