国家とは何か

  岡部一明(1989年)

私有財産と国家

 私有財産がどろぼうである(プルードン)と同様、国家もどろぼうである。つまり、領土と人民に対する国家主権はどろぼうである。

 歴史の大部分の期間において私有財産とは土地のことであった。土地は、今日のただ空間にのみ貧弱化された財ではなく、豊饒さを生み出す土壌であり、太陽と水系の豊かさであり、人間がそこから一切の富を生み出す労働の場であり、かつその原材料を提供する自然力の総体そのものであった1)。土地は、もともと誰のものでもない。ところがこの土地は、歴史の始まりから、常にだれかの財産としてあらわれる。歴史上、土地は常に地主や領主や君主や国家などの所有物として現われてきた(農民自身による私的小所有は近代の産物である)。誰のものでもないものが誰かのものになっているのは、むろん売買や贈与が行なわれたからであるが、それをさらにたどれば、ついにはそれが強制的に強奪された過去のある一時点にたどりつく。土地は、歴史のある時点で強奪されない限りだれかの私有財産にはならない2)。

 国家の起源はこの強奪である。強奪した者は、強奪したものを当然保持しようとするし、それが同様に他の誰かによって再び奪いさられないようにする。強奪は武力によって強権的に行なわれるが、この武力は、対外的な「敵」、また抵抗を試みるかもしれない内部の住民に対する権力として、保持され永続化される。したがって国家は、略奪品としての私有財産を維持し、それを自己のものとして固定する機構である。それは強奪から生まれ、その関係を固化する制度である。国家は、過去の強奪の生きた化石であり、強奪を永遠化する体制である。

征服国家論

 例えばフランツ・オッペンハイマーは次のように断言する。「国家は、その起源において完璧に、その存在の初期においては本質的かつほぼ完璧に、勝利した人間集団が敗北した集団に押しつける一つの社会制度であり、勝利集団が敗者を支配し、内部からの反乱および外部からの攻撃に対して自己を守る目的をもったものである」3)。彼は、遊牧民が農民を征服する過程をたどりながら、征服による国家生成を次の六段階にわけて記述する。

 まず第一段階は、「国境戦における略奪と殺戮」であり、「和平も休戦も知らぬ絶え間ない戦闘」である。それは、男の殺戮と女子供の強奪、家畜の略奪や家屋の焼き払いの連続である。闘いは時に農民が勝つこともあるが、やはり「その生活の中から、動作の迅速性と行動の速やかさを発達させている」遊牧民側が有利で、農民は悲惨な略奪を受け続ける。

 しかし、第二段階になり、この略奪と殺戮には一定の秩序が芽生える。つまり、徹底した略奪はかえって富の生産を永遠に破壊してしまうことから、遊牧民たちは、略奪を一定の限度内に抑えるようになる。原則として「農民の余剰生産のみを取得するようになる。つまり、農民の家屋、農具、次の収穫までの食糧などは残しておく。」

 さらに第三段階になると、農民の生産する“余剰”が定期的に遊牧民に“貢納”されるシステムができはじまる。これによって農民は、遊牧民の暴力、「例えば何人かの男が頭をたたかれ、女が暴行され、農家が焼かれるといったこと」から完全に解放される。一方遊牧民たちにとってもこの制度は、富の収奪に特別のエネルギーをさく必要がなくなるというメリットがあり、「自由になった時間やエネルギーを“仕事の拡大”、つまり他の農民の征服のために使うことができるようになる。」

 やがて第四段階では、異なる種族集団の領土的に統合がはじまり、第五段階では、生成しつつある国家が、域内共同体間の対立・矛盾も解決していくようになる。そして第六段階に至ると、征服者と被征服は融合する。両者は、“機械的混合”から“化学的結合”に向かい、「習慣、行動、言語、宗教において混交・結合・併合する。」


 国家は秩序ある征服である。一つの人民が征服を免れるのは、ただ、ある一つの略奪集団に征服される時だけである。略奪者は略奪するが故に他の略奪を阻止する。被征服民にとっては、時を選ばず繰り返される無秩序な征服(略奪)よりも、秩序立てられた征服、すなわち国家の方が好ましい。国家は征服を永遠化し、略奪を秩序だった収奪に変え、そのことによって新たな略奪と征服を阻止する。

 資本制社会以前において、国家は土地と農民の征服機構としての性格をより明確に備えていた。例えば、資本主義的生産では、資本は「自由な」労働と対面し純経済的な交換過程を通じて利潤をあげるが、封建制など貢納的生産様式においては、土地所有者の収益は経済外的強制により地代の形で獲得される。特にアジアの古代国家や近世ヨーロッパの絶対主義においては、君主が全国土の所有者である。国家は、土地と人民の総体的私的所有の別名であり、国家そのものが巨大かつ唯一の私的所有制となる。政治と経済は一体化し、むしろ政治は経済制度の一機能である。一人の人間の中の各細胞の自由が問題にならないと同様、この総体的私有制の中で各人の自由は問題にならない。

 国家は、土地という私有財産を保持し守り抜く機構であるため領土をもつ。領土が国家にとって必須のものであるのは、国家が土地の私的所有制そのものであるからだ。国家はまた臣民をもつ。臣民は強奪された人民であり、征服によって隷属させられた奴隷である。「国土を征服した後には、征服者にとって次になすべきことは、つねに、人間を獲得することであった」4)。土地が誰のものでもなかったように、人間も元来だれのものでもない。しかし、人間は歴史のはじまりから、どこかの国家の臣民としてあらわれ、国家に属する人間としてしか現われない。資本制社会以前において、人民は土地に付属した生産手段として農奴であり、完成された古代帝国においてそれは国家の奴隷である。

暴力団と国家

 例えば暴力団は国家の萌芽である。暴力団は共同体外部から来る場合もあるが、共同体内部から生まれる場合もある。しかしいずれにしても盗賊や山賊的なアウトローとして共同体とは一線を画す集団を形成し、彼らの地域支配はあくまでもよそ者による征服の形をとる。彼らは例えばショバ代を要求することでその地での営業・経済活動に一定の安全保障を与える。もし、当該地域に国家が存在していなければ、彼らは征服に征服を重ね、やがて国家を形成していくだろう。暴力団は小さな国家であり、国家は大きな暴力団である。現在、例えばこの日本列島には国家が存在しているから、残念ながら二重権力は認められない。したがって暴力団は、強大化すれば先発の暴力団(国家)によって大規模な掃討作戦の対象となる5)。

 また、暴力団は時に、革命や一揆の担い手として国家権力を脅かす。山賊・盗賊のたぐいがやがて強大な国家を形成していく事例は歴史上に事欠かず、農山村を基盤にしたゲリラによる革命戦術はその伝統の正統な継承者である6)。解放地区の共産ゲリラが、村に降りてきて「革命税」を徴収するのは、「ショバ代」の革命的伝統を受け継いでいる。

ブルジョア国家

 近代以前の国家は、国家以外に私的所有をもたなかった。あるとしてもそれは例外であり、二重権力の温床であり、いずれは国家を脅かす存在となる。例えば中世ヨーロッパの諸都市、日本の律令制の中に芽生えた私的所有としての荘園権力などがそうであった。

 ブルジョア(市民)革命が革命的であったのは、私的所有権、すなわち財産権の樹立をかちとったからである。財産権の確立こそブルジョア革命の本質であり、それが自由・平等の規範の源泉となった。つまり、ブルジョア革命は、それまでの唯一の正当な私的所有者としての国家(当時で言えば絶対君主)を否定した。国家は、その下位に無数の私的所有が現れることを承認(追認)させられた。もはや国家は、土地、各種特権的商工業等々に対する唯一の所有者ではない。国家の独占的財産権の否定、財産権の国家からの奪取とブルジョア(すなわち市民)への移譲、ここにブルジョア革命の本質があった。「国民主権」は、私的所有権が国民に移譲されたことの宣言であった。宗教・思想の自由、表現の自由その他もろもろの市民的権利は、市場経済内の自由な所有者・契約主体として現れた市民の当然の属性であった。

 ブルジョア革命は、単に資本家階級の革命だったのではない。フランス革命を初めとして近代の市民革命はいずれも自分の土地を求める農民が強力な主体となり、実際ブルジョア革命の多くは、農民を農奴制から解放して彼らへの細分化された土地私有を実現した7)。日本の戦後の「民主化」も、農地改革と自作農の創出により、やり残されていたブルジョア革命の課題を完遂した。農民の土地私有の実現こそは、所有の国家独占を無数の市民による私有財産制に変えた市民革命の本質を最もよく語っている。

市場監督装置としての国家

 西部劇での、人質を取った悪漢が正義のガンマンの前で金品を要求する場面を考えてみよう。正義のガンマンはまず人質を離せと要求する。しかし悪漢は、まず金を出せと要求する。結局、正義のガンマンがまず引き替えの金品を悪漢の足元にほうり投げる。すると悪漢は高笑いをしてそれをつかみ、なおかつ人質を離さずそのまま逃亡しようとする。あるいは用済みの人質を殺そうとする。そこで撃ち合いがはじまり・・・となるわけだが、ここには商品交換を基礎にした市場経済の本質が存在する。

 市場社会の経済主体は、排他的に致富をめざす利己的個人である。交換の現場において他者は、いつ自分をだますかもわからない可能的な敵として現れる。極端には例えば、近代以前の遠隔地商人間の取り引きにおいて、偶然砂漠のオアシスであった外国商人同士の取り引きは非常に危険である。油断をすれば代価を受け取る前に砂漠のかなたに逃げられてしまうかも知れないし、交換した品物が偽物であっても後で損害賠償させるわけにいかない。あまり意識はしないものの、現代社会でも状況は同じである。代金後払いのレストランでは常に客による「喰い逃げ」の危険が存在し、したがって客を充分に監視できない立食いそば屋やファーストフード店では前払い方式が取られる。通常の小売りでは、普通、逃げることができない店を構える側が、客に対して前払いを要求する。代金が支払われた後で物品が渡される。客が逃げる心配の少ない場合、例えば家屋に居住している電気・ガス・電話・新聞などの購入者には、後払いで請求が来る。資本と賃労働の交換では、生産手段から「自由」で身の軽い労働者に、決して賃金の前渡しは行われない。

 商品交換の当事者たちは、交換につきまとうこうした危険を、まずはみずからの注意や監視で除去しようと努める。米国などに行けば、貴金属や時計の店、銀行などで拳銃をもったガードマンが配備されているのを見るが、この場合は武装力の私的動員までも行い、商品交換の安全を守る。先の西部劇の例では、両当事者が互いに武器を向けながら取り引きを行っていた。

 が、いちいちこのような緊張の中でしか取り引きができないとしたら、経済の運営は鈍化する。そこで妙案が生まれる。当事者同士が互いに武器を持つかわりに、第三者に武器をもたせその監視下で取り引きを行う。第三者が二人に銃口を向け、不正なく取り引きするよう見張る。これで、取り引きに伴う両者の不安は一挙に解決される。近代市民社会において、この銃をもった第三者の役割を果たすのが国家(ブルジョア国家)である。

 ブルジョア国家は、あらゆる取り引きの現場に常に銃口を向けているわけではない。法を定め、それを破るものを警察権によって逮捕し罰を与えるという形で監視している。これができるのは、むろん国家が全国民を掌握しており、つまるところそれを「征服」しているからに他ならない。かつての遠隔地商人の場合、詐欺師に砂漠の彼方に逃げられてしまえば、訴える公権力はない。砂漠の彼方はオアシス権力(もしそのようなものがあればの話だが)の及ばない域外であり、征服されていない外縁地域である。しかし近代民族国家において、すべての土地と人民は征服されており、市民社会のあらゆる契約当事者は国家の支配下にある。(確かに世界国家が出現していない以上、国外への逃亡は理論的には可能だが、多くの場合、各国家の出入国管理や国際的な警察協力がこれをはばむ)。

 こうして市民社会のあらゆる契約主体に「信用」が与えられる。市場経済=市民社会における信用は、さしあたりは取り引き行為の集積から直接に与えられるが(もともと両者とも益があるから交換するのであって交換の継続は両者にとって益である)、最終的には全土・全人民を征服=支配する国家権力によって与えられる。人間の社会においては、「征服されている者」こそが「信用」を与えられる。どのような権力からも自由で、どこにでも去って(逃げて)いける遊牧民のような存在は「信用」がない。定住し、例えば家屋や諸々の不動産や生産手段をもつ者、したがって容易には逃げられない者が「信用」を得る。

 しかし、こうした逃げられない者=定住者・農耕民などこそが歴史上、最も征服に弱く、常に遊牧民や盗賊や外国軍隊やその他あらゆる侵略者に征服されてきた。不動産などをもつ者に信用が与えられるのは、それはそうした非動的富が外部からの監視・管理を容易にするからであり、結局、可能性としての征服を容易にするからである。国家の全権性を否定した市民社会が、なお過去の残存物である国家をもつのは、この社会が依然としてこのような征服による信用創出を基礎に成り立ち、征服の体系としての国家を求めているからである。

資本主義中枢をつくる課題

 近代民族国家は、資本主義中枢を形成するための政治制度であり、その課題に人民を動員する体制である。
 資本主義は中枢・周辺の支配―従属構造を軸に世界的に生成・展開したが、その過程で中枢をいくつか複数の地点に形成した。まずそれはイギリスで形成され、やがて西ヨーロッパ諸国、ロシア、米国、日本などに広がった(現在アジアNIESへの拡大の可能性が論じられている)。この資本主義中枢を形成する課題を背負い、かつそれをやりきったのがその民族国家である。民族国家は積極的に国民経済を組織し、自国民をナショナリズムによってそれに動員した。オランダや米国は独立により、ドイツやイタリアは分邦小国家の統合によって民族国家を形成したが、いずれにしてもこうした後進民族国家は、先進中枢諸国を中心に築かれた世界経済に抗し、積極的に独自の中枢を築く任務を負った。

 民族国家は、その領土と人民に対する支配を確立すると、その領土主権を軍事力で確保し、人民を登録して(市民権、国籍などの付与、あるいは戸籍、住民票などによる登録管理)国家への従属の下におく。次いで国家は法を定め、これを警察力と裁判権の裏づけのもとに全土に施行する。私的所有を侵害する行為が刑法によって罰せられ、商品交換と市場経済の原則が市民法によって確立される。労働関係法、独占禁止法など、産業関係を調整する法制度もつくられる。

 民族国家は人民から税を取り立てる。税は、軍役(徴兵)とともに、前近代的な貢納制国家=経済からの残存物であり、「経済外的強制」によって課される。税は近代の年貢であり、徴兵は近代の用役である。

 民族国家は、公共投資により、道路、鉄道、空港、港湾、上下水道、通信網、電力・エネルギーなどの産業基盤(インフラストラクチャー)を整備し、その他予算により研究開発、労働力育成としての公教育、職業訓練、福祉、保健など、ソフト面でも産業基盤を整備する。財政投融資や国立銀行により産業への投資を牽引し、必要とあれば国有企業を設立して直接資本を形成し、工業化を押し進める。ドイツ、日本などの後進資本主義ではこの傾向が強く、例えば明治期の紡績業などにおける官営工場は、基礎の弱い日本資本主義を上から強力に育成した。あるいは社会主義諸国の場合、この国有化産業戦略を全面化し、民族国家による工業化推進を純粋な形で遂行した。

 さらに民族国家は、対外的には例えば保護関税を設定して自国の幼弱な産業を保護し、あるいはある条件のもとでは積極的に外資導入をおこなって技術導入をはかり、工業化が一定程度進めば自由貿易主義に切り代えて自国産業の市場を海外に確保しようとする。市場の拡大と資源の確保のために軍事力を使ったあからさまな侵略も行なわれ、植民地を拡大する。また、比較的長期にわたって支配した植民地は内国化する(例えば日本で言えばアイヌモシリ(北海道)、沖縄、そしてある程度まで東北などの「東国」、米国で言えば西南部諸州、ハワイ、グアム、プエルトリコ他、英国でいえば北アイルランド、フランスでいえばブルターニュ、オクシタニー、コルシカ、アルザスなど。その他どの民族国家にも多かれ少なかれこうした地域的国内植民地は存在する)。

 現在の第三世界諸国の民族国家も同様の任務を課されている。植民地主義の後遺症を取り除きながら、単なる従属経済ではない究極的には一つの中枢として自立した経済を築く試みを行う。それは「中枢―周辺」に構造化された世界経済をより多元的な構造に転換していく動きの一環である。民族国家はこのような歴史的段階において積極的な役割を果たしたし、第三世界ではその役割を依然遂行中である。しかし、工業化を達成した資本主義中枢諸国においては民族国家の転換が求められてもいる。そこで国家は古いナショナリズムをふりかざすことにより、諸国民を感情的にも軍事的にも対立させ、世界資本主義に必要なグローバルな経済政策の実施を難しくする。地域統合その他、新しい体制への組み替えが課題として登ってきている。

民族国家と戦争

 民族国家の矛盾が最も先鋭な形で現れるのが戦争である。今日の世界で、最も多くの人が死に世界的危機を招くのは、民族国家間、とくに資本主義中枢同士の戦争である。第一次、第二次大戦の中で、その惨禍は筆舌に尽くしがたいまでに示された。

 戦争では人が他の人を殺す。しかもその殺人が何ら法に問われず、国家によって煽動・命令されさえする。そして戦争は決して「違法な」あってはならない現象であるというわけでなく、国際政治において各主権国家は究極において武力を行使する権利を黙認されている。

 国家は、(相互的にではあるが)必ず外に外国人をつくる。外国人は、民族国家体制の内部において権利を剥奪され、「自由と平等」の近代的市民の例外におかれる存在だが、戦争においてその人権は究極にまで否定される。外国人は殺される。殺すことが違法ではない。外国人が非戦時においても「国民」から区別され、「合理的」に差別される根拠は、私たちの世界が、本質的には、民族国家間の戦争状態の上に成立しているからに他ならない。国民が外国人を殺すという関係の中で、外国人が全面的に非人間化されると同時に、それを殺す国民自身も非人間化される。

 この全般的に作動する人間破壊は、核戦争の時代になって究極の形をとる。国民は外国人とともに、また諸々の地上の生物とともに、滅亡する可能性がある。戦争はかつては、各主権国家の外交の形を変えた継続であった8)。つまり戦争は、国家の対外的目的を達する外交的手段の延長であった。しかし戦争はもはやその国家目的どころか、互いの国家、国民を滅ぼすものとなりつつある。手段によって、その目的と、その目的の主体もことごとく抹殺されるというパラドックスに、現代の国家体制はもて遊ばされている。

国家の未来

 カントは、諸国家間の戦争を人道主義的立場から強く批判し、二〇〇年以上も前に、世界的公共体としての世界連邦もしくは「国際連合」を構想した。今日に生きる私たちはいまだ彼の構想したレールを完全に歩みきっておらず、あたかも釈迦の手の内から出られない孫悟空のように、その枠内で徘徊している。

 「自然は、戦争、縮減することを知らぬ過度の軍備、またかかる軍備の為にいずれの国家も平和のさなかですら痛感せざるを得ない国内の急迫を手段として、なるほど当初は不完全な試みにすぎないが、次第に幾多の荒廃や転覆、あるいはまた国力の全般的な消耗をすら経験したのちに、ついには未開人の無法律的状態を脱して国際連合を設定するようになるのである・・・。このような国際連合においては、いかなる国家も、従って最小の国家といえども、自国の安全と権利とを自己の権力や自己の法的判定に求めるのではなくて、もっぱらかかる大規模の国際連合に、また合一する権力と合一せる意志の制定した法律による決定とに求めることができるであろう。この思想がいかに空想的に見えるにもせよ、また空想的な思想としてサン・ピエルやルソーの如き人々が世人の嘲笑を買ったにせよ・・・しかしこれは、人間同志が互いに陥れあうところの窮迫から生じた避くべからざる結果であり、この窮迫が諸国家を強要して、かつて未開人がいやいやながら為さざるを得なかったのと同じ決意、すなわち野蛮な自由をすてて合法的な組織に平安を求めようとする決意(そうすることが諸国家にとっていかに困難であるにせよ)をせねばならないのである。」9)

 諸民族は、例えば「国力の全般的な消耗をすら経験した後に」何らかの国際連合的組織の形成に向かうというくだりなどは、第二次大戦の惨禍と戦後の国際連合設立の歴史を放沸とさせるばかりでなく、今後の未来史の一端さえ予言しているのではという恐れさえ抱かせる。これが、二〇〇年以上も前の古典的ドイツで観想にふけった哲学者の言なのか。細部にわたっては不備があるとしても、おそらく彼の展望した歴史は基本的な流れとして間違っていないだろうし、私たちは依然としてその構図の中で、緩慢な歩みを続けているのだろう。

統合は分権化である

 ただ、現在の多数の民族国家への分裂は、世界的統合と無縁の回路をたどっているわけではない、ということにも留意したい。分裂の過程はまた統合の過程でもある。

 世界史は単に、小さな共同体がより大きな共同体に統合されていくだけではない。確かに歴史の限られた局面では、歴史はそのように見えることもあった。例えば藩が統合されて明治国家が形成された時のように。またドイツ諸邦が、関税同盟を経てビスマルクのドイツ帝国に統一されたように。しかし、他の多くの地域において、近代国家はより広域的な帝国からの分離と独立の過程としても現れている。新興のアジア・アフリカ諸国ばかりでなく、例えばハプスブルク・スペイン帝国から独立したオランダ、イギリスから独立した米国、ハンガリー・オーストラリア帝国から独立した東欧諸国など枚挙にいとまがない。人々がまだ、多かれ少なかれ小規模な共同体に生息していた古代においてこそ、ローマやペルシャ、インド、漢帝国にいたる世界帝国が出現し、少なくとも当時の人々が知るところの「世界」が緩いながら単一の秩序の中に統合された。そして、その本性から世界市場をめざさざるを得ない近代資本主義においてこそ、各民族のナショナリズムは激しく鼓舞され、多数の民族国家が乱舞した。

 経済・社会の相互依存と世界の一体化は不可逆的に進行するが、それは同時に単位集団間の自己主張も増大させる。統合は同時に分権化の過程であり、分権化が統合の不可避の前提である。EC(ヨーロッパ共同体)の統合においても、統合化は激しい分権化の動きと同時並行している。対立と前進を繰り返すECの動きの現象面のみを捉え、EC統合が一進一退しているかのように見る認識は皮相的である。例えば一九八八年九月にサッチャー首相が「欧州政府構想」「ヨーロッパ合州国論」に激しい反対の立場を表明した時、マスコミはこれを統合に対する後退的動きとして一斉に書き立てた。

 確かにヨーロッパの政治的統合(ヨーロッパ合州国の創設)は遅々として進まず、経済的な統合さえ、各国の利害の対立が表面化して当初の予定より遅れている。しかし、各国の分権的な対立は、統合化の不可欠の前提であって、その円滑な進行を実は保障している。分権的な対立がなく、あるいは抑えられるところに真の統合はない。諸国の傀儡政権が諸手を上げて賛成する「大東亜共栄圏」は統合を実現しない。分権的な力が保障され、統合の過程で各主体の思惑がはなばなしくぶつかりあう時、統合は結局は最短距離を通って進行する。この接近と対立の弁証法的な過程がとりもなおさず統合の過程だ。

人と人との交流

 世界的統合、とりわけ中枢部諸社会の統合の基礎となるのは、国境の分断を超えて等質に形成されつつある市民社会の存在である。今日、先進諸国に流れ込む第三世界の労働者はあらゆる文化の違いにも関わらず、その地で労働生活を営むことができてしまう。かつてマルコポーロが旅した頃には、外国人は見知らぬ土地で人身さえ充分に保護されなかった。今日の外国人労働者は、宗教は違っても例えば雇用とは何かを知っている。所得は彼の母国とは格差があるにしても、賃金というものが何であり金を使うということがどういうことであるかについて共通の認識が存在する。

 これに観光、留学、ビジネスなどでを含め、人間と人間との直接的交流の拡大は何をもたらすだろうか。この新たな時代の奔流は、まだはじまったばかりで、私たちにはまだその行き着く先が充分には見えていない。現代の人の移動と国際秩序の変容を分析したマリー・クリッツは、この分野の研究状況について次のように指摘する。

 「民族国家間の増大する相互依存が政治家・学者の間で取りざたされる時、国家間の経済的政治的な連関・従属が問題にされがちである。だが、比較的知られていないのが、これらの交流を実際にすすめ、労働を提供し、国際間での機会の差を活用するため人間が増々世界的に移動するようになったことのもつ意味である。広範な国際人口移動(その多くは移住でなく短期的移動である)が今日の世界で進行している。これらの多様な国際移動の形態が、国家間の他の諸交流にどう関連していくかなどは、まだほとんど問題にされていない。」8)

 民族国家はこれからも、市民社会を国家の内部に留めようと奮闘するだろう。しかし、経済のあらゆる部門で相互依存が強まり、その中で現実に人間が国境を越えて直接交流・接触していくとき、人々の間の断絶は徐々に溶解する。国家は何か画期的な外因によって消滅するのではない。内部から市民社会が成長し、自由な人間と人間の間の諸関係が国境を越えて拡大して、徐々に自壊する。

<出典・注釈>


1 「大地は、労働手段や労働材料を提供し、また居留地、共同団体の基地(Basis)、をも提供するところの大きな仕事場であり、兵器廠である。」(マルクス『資本主義的生産に先行する諸形態』(手島正毅訳、大月文庫)、一〇頁)、「生きている個人の非有機的自然としての土地、彼の作業場、主体の労働手段、労働対象、および生活手段としての土地」(同書、一三頁)、「本源的労働用具であって、また仕事場であり、同じく原料の貯蔵庫でもある土地」(同書、二六頁)。
2 「所有という大地にたいする関係行為は、なんらかの多かれ少なかれ自然生的な、ないしはすでに歴史的に発展した形態にある種族や共同体による土地の占拠、平和的または暴力的な占拠によって常に媒介されている。」(前掲『資本主義的生産に先行する諸形態』、二七頁)「土地私有制の擁護者たち―法律家や哲学者たち―がもちだしている論拠をここですべて検討するつもりはないが、第一に、彼らが『自然権』という偽装のかげに征服という本源的な事実をつつみかくしていることだけを、指摘しておこう。/歴史が経過するうちに、征服者は、暴力に由来する自分たちの本源的な権原に、自分で制定した法律を手段としてある種の社会的確認を与えようと試みる。最後に哲学者がやってきて、これらの法律は社会の普遍的合意を表明する、と宣言する。」(マルクス「土地の国有化について」、『マルクス・エンゲルス全集』第一八巻、五二―五三頁)。
3 Franz Oppenheimer, The State, translated by John M. Gitterman, p.15.
4 マルクス『資本論』第三巻、岩波書店、九八八頁。
5 例えばイタリア政府による大規模なマフィア掃討作戦。一九八七年一二月にイタリアのパレルモ特別法廷はシチリア・マフィアの幹部一九名に終身刑、構成員ら三一九名に総計二六六五年の懲役を言い渡した。しかしその後もパレルモ市長暗殺などのマフィア側の復讐、それに対する政府側の一斉捜査・逮捕などの対決が続いている。各種報道による。
6 こうした山賊・盗賊の革命的伝統については、青木保「聖者と山賊」(E・J・ボブズボーム『反抗の原初形態』青木保訳、中公新書、一九七一年)が詳しい。「毛沢東による「革命」も、あちこちの農村地帯や辺境に巣食っていたアウトローをかり集め、結集しなければ成立しなかったし、ロシア革命における群盗団の役割も同じである」(一九五頁)その他の指摘がある。
7例えば、ルフェーブル『フランス革命と農民』(柴田三尾千雄訳、社会科学ゼミナール九、未来社)は、フランス革命が思想家や都市住民やブルジョアジーだけの革命だったのではなく、土地一揆に立ち上がった農民たちにも担われていたことを明かにしている。ただし、土地の分割と農民への付与は不徹底にしか行なわれず、多くの貧しい雇用農民は土地を得ることができなかった。
8 「戦争は政治的手段とは異なる手段をもって継続される政治に他ならない」(K・クラウゼヴィッツ『戦争論』岩波文庫(上)、一四頁。
9 「世界的公民的見地における一般史考」、岩波文庫『啓蒙とは何か』、三五―三六ページ。
10 Mary M. Kritz, "The Global Picture of Contemporary Immigration Patterns,"  Pacific Bridges, The New Immigration from Asia and the Pacific Islands, Ed. by James T. Fawcett and Benjamin V. Carino, p.45.

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