ベトナム反戦からマイコン市民運動(スティーブ・ジョンソン氏のインタビュー)

 (岡部一明『パソコン市民ネットワーク』技術と人間、1986年、pp.108-119)

 スティーブ・ジョンソン(Steve Johnson)氏はポートランドの市民団体向けコンピュータ援助グループ・情報技術研究所(ITI、第二章九参照)の代表をつとめる。著書に、全米のコンピュータ利用市民運動を広く紹介した『地域社会のための情報通信技術』があり、アメリカの草の根コンピューティング運動の全体に詳しい。
 同氏は六〇年代の対抗文化世代に属し、彼自身ベトナム反戦運動に深くかかわり徴兵拒否をしている。七四年に環境・AT運動誌『レイン (RAIN)』の発刊にたずさわり、以後一〇年以上にわたり草の根運動のコンピュータ利用を模索してきたパイオニア。八五年十月に来日し、日本の環境・ネットワーキング運動と交流した。本インタビューはその時のものである。
 

六〇年代に徴兵拒否

 −まずジョンソンさんの個人史について語っていただけませんか。特になぜ草の根運動の中でコンピュータに興味をもつようになったのかという点などを。

 ステイープ・ジョンソン 私はコンピュータ専門家ではありません。もともとアメリカ文学を専攻していました。私が学生だった六〇年代はベトナム反戦などの学生運動が盛んな時期でした。私もそれに加わり、徴兵拒否もしました。刑務所に入れられてもよいはずだったのですが、どういう訳かそれはまぬがれました。本当は先生になりたかったのですが、そんな事情からまともな就職は無理だと思いました。学生運動が下火になってから、いろいろなオルターナティプ運動体が各地に生まれるようになり、私はそういう運動を広く結びつけるネットワーキングの必要を感じていました。環境、女性、適正技術、エネルギー、農業等さまざまな運動がありましたが、それらを結びつける基軸がありませんでした。六〇年代はベトナム反戦がその役割を果たしていたのですが。しかし七三年に石油ショックが起こり、また同じ年シューマッハーの『スモール・イズ・ビューティフル』が出て、中心となる基軸が再び見えてきました。″地球は有限だ″といったような認識ですね。

 私は友人たちとポートランドで『レイン』という、オルターナティプ社会をめざす運動誌を創刊しました。七四年のことです。同じ時期、ちょうどマイコン技術の大きな進歩が始まっていました。当時はむろんパソコンなどはなくて、マニアたちが自分で組み立てたコンピュータを使っていたのです。私はこれをネットワーキングに活用しょうと思ったのですが、当時はまだ技術的に不可能でした。地域メモリー・プロジェクトなど一部に先進的な例はありましたが、本格的な活用は七六年にアップルが出てからだと思います。

 −最初のマイコンと言われるアルテアの出現は何年でしたか。

 ジョンソン 七四年の暮です。『ポピュラーエレクトロニクス』誌七五年一月号にそれが発表されて、マイコン熱が高まったのですね。それで七八年に私は小型の端末磯を使ってダイアローグのような大型データべースにアクセスするプロジェクトをレインで始めました。この中ではEIES(電子情報交換システム)という米国で初のコンピュータ会議システムにもアクセスしました。

 このシステムには多くの草の根活動家、反体制活動家、知識人等がかかわっていました。この経験の中で私は、コンピュータ通信により興味をもちましたし、全米的にも草の根レベルでのコンピユータ・ネットワークづくりの動きが活発化してきました。私は八一年に『地域社会のための情報通信技術』という本を書き、草の根レベルで確実におこっているこの流れの全体をまとめてみました。この本はおそらく、草の根レベルのコンピュータ利用を説いたものとして米国でも最初のひとつだったと思います。
 それまでは、米国でもコンピュータへの反感は強く、適正技術のミーティィングなどで草の根レベルのコンピュータ利用を言い出したりすると白い目で見られ、ミーティングから逃げ出してこなけれはならないといった状態でした。しかし、この本を契機として私は全米の同様の活動をしている人、同様の考えを持っている人との問に多くの知己ができ、ネートワークが広がりました。草の根コンピューティングにカを入れるグループも増え、八三年末には最初の全米的な会議ももたれました。

 −その会議の名前は何ですか。

 ジョンソン 別に名前はありません。PICA(公益コンピュータ協会)というワシントンD・Cをペースにした市民団体が主催したものです。 ポートランドでもコンピュータ活用の動きが活発化し、私たちはレイン・グループの中で情報技術研究所をつくって、市民団体向けにコンピュータ利用の助言、講座などを行なうようになりました(詳しくは第三章七参照)。

 −なぜ状況が変化したのですか。何が原因でコンピュータへのかかわり方が変わったのでしょうか。

 ジョンソン まず、マイコンの低価格化がありました。それまではコンピュータといえば大型コンピュータのことで、大企業や政府が使うものと決まっていたのです。それがマイコンの出現とその低廉化で市民団体の手にも届くものとなりました。

 それから、入○年の大統領選で、レーガンがコンピュータを駆使して、例えば地域をくわしく分析して最も効果的な手紙作戦を展開する、等といううわさがありました。民主党も市民団体もそんなことはしておらず、コンピュータに対する反感だけがあったのです。これ以上彼らにコンピュータのカを独占させては危険ではないか、ということで市民の側もコンピュータ活用に傾いてきました。

 第三に、ここ数年非営利団体の経営が苦しくなり、特にレーガン政権になってから資金援助の削減がはげしくなり、市民団体といえどもきびしいビジネス的経営が求められるようになった、ということがあります。運営の効率化をはからないと解散に追いこまれるという状況の中で、多くの団体がコンピュータの導入にふみきりました。
 

日本のコンピュータ利用の印象

 −今回日本に釆てさまざまな市民団体を訪れ、コンピュータの利用状況を見てまわったわけですが、その印象はいかがなものでしたでしょうか。

 ジョンソン 一般的な印象を言うと、市民運動レベルでのコンピュータに対する反発が非常に強いということです。アメリカでも、科学技術 ‐別にコンピュータに限らないのですが‐ が軍事や警察によって使われることに対する反感や批判がありますが、日本の場合、それがさらに強いですね。

 市民団体について言えば、日本の場合、規模が小さく、ボランティア・べースでやっている所が多いという印象を得ました。こういう状況では、コンピュータのニーズそのものがないと思います。二〇人くらいの会員に手紙を出すのは、手作業の方がずっと速いでしょうし、ボランティア活動であれは、効率などということを考えなくてすむでしょう。また、人間はキーボードを通じてコンピュータとつきあうわけですが、日本語のワープロがまだまだ英文ワープロほど簡単とは言えず、この点もコンピュータの利用を遠ぎけていると思います。

 −日本では、コンピュータは軍事技術だという考えが強いということもあると思います。日本では反核平和運動の伝統が強いので、そういう技術を、市民運動が受け入れるということは難しいのでしょう。

 ジョンソン 確かにコンピュータは軍事技術として開発されましたし、現在ペンタゴンやCIAの使っているコンピュータ技術に対しては、米国でも反感が強く、その方面でのさまざまな運動が存在します。しかし、だからと言って自分たちの使えるようなコンピュータを拒否するという形にはなっていません。私自身、私の使っているコンピュータがペンタゴンの使うコンピュータと同じものだとは思いません。反核運動でもコンピュータを使ってネットワークづくりをやる団体が多くあります。

 −なるほど。

 ジョンソン それと関連して日本で感じたのは、コンピュータのゲーム利用が非常に多いということです。ソフトウェア店に行きましても、ほとんどゲームソフトだけが並んでいます。アメリカにもゲームソフトはありますが、ビジネスソフトがかなりの比重を占めています。それと重要なのは、非営利団体用のソフトも数多いということです。非営利団体の層が厚ければ、″ほら、こんなに大きな市場があるんだぞ″とビジネス側に示すことができます。私たちは、コンピュータの軍事利用でもゲーム利用でもなく、私たちの市民運動に活用されるようなコンピュータの発展方向を要求していく必要があります。コンピュータ技術を私たちのニーズに合うような形に変えていく必要があるのです。
 

米国の草の根コンピューティング

 −その辺の議論は後で詳しくやりたいと思います。まずアメリカの市民運動がどんな形でコンピュータを使っているのか、例をあげて紹介していただけますか。

 ジョンソン まず、地味ですが最も多い利用の仕方はワープロや経理といった一般事務の分野でしょうね。英文ワープロには、漢字変換という手続きはありません。そしてスペリングや文法の誤りを自動的に調べてくれる横能があります。グラフィックを挿入したりもできますし、昔、新聞社の大型コンピュータでしかできなかったようなレイアウト・編集の作業もマイコンでできるようになりました。ニュースレターをマイコンでつくるという所が多くなっています。

 その他、経理、メイリング・リストの管理、資金援助申請書作成などにコンピュータが使われています。

 −データべースや通信、この二つは分ちがたく結びついていると思いますが、この方面ではどんな活動が行なわれているでしょうか。

 ジョンソン データベースに閑して市民運動の側でやっていることほ、まず第一に商業ペースの大型データべースにアクセスすることです。例えばダイアログのような大型データベースは、市民運動にとっても役立つ情報を大量に蓄積しています。すべての政府刊行物に関する情報が得られます。ペンタゴンの中でひそかに交されている会話などの情報は無理ですが、軍事情報などについてもかなりの程度まで引き出せます。企業情報も大量に入っています。企業の投資活動、例えば南アフリカに投資している企業はどこか等ということも調べられます。

 個別企業を相手に運動をしている所では、その企業に関する情報を詳しくとっていくこともできます。全米で今どんな会議・集会が開かれているかを調べたり、資金援助をしてくれそうな財団を調べたりするにも役立ちます。市民団体は普通、こうしたデータベースがあることも知らないくらいですから、私たちは、市民がこれを簡単に活用できるよう援助します。

 第二に、市民団体が自らデータベースをつくる場合があります。この時使うソフトには地域メモリーの「セクウィター」、ジョンソン・レンツの「ミスト」といった市民団体内部でつくられたものもありますし、dBASE-IIのような、一般のデータベース・ソフトもあります。いくつか例を上げましょう。

 軍備規制コンピュータ・ネットワーク(ワシントンD・C)は、アメリカや諸外国の軍備増強のデータべースをつくり、反核平和運動に役立てています。シカゴのONE近隣協会という地域団体では、政府のお金がどのように使われているかのデータベースをつくりました。これは地図やグラフなどでも出るようになっていて、例えば住宅についてこの地域ではどれくらい予算が使われているか、またあの地域では、などということが一目でわかるシステムです。生協とかコミュニティーセンターとか公共的な場所に端末を置いて、だれでも簡単に使用できるようにしています。投資責任資料センターでは、企業の投資活動を監視するデータベースをつくっています。

 これらは、市民の側が企業や政府を監視するシステムと言えます。この他にむろん、市民活動内部の情報をデータベース化して役立てる方向もあります。例えばシヴィテックスというデータべースは、全米数千の市民によるコミュニティー開発、街づくりの実践を集めています。アメリカインディアンの運動では、全世界の先住民族のかかえる問題や運動についてのデータベースをつくっています。地域団体のリストや催し物のデータべースは数多く、例えばミネアポリスのメトロネットは、市内各団体の行事予定をデータべース化しています。単なる行事案内にとどまらず、互いにスケジュールをやりくりして整合的なプランをつくっていく上でも役立てています。

 マスコミから得にくい第三世界のニュースをデータベース化しているものもあります。またこれはデータべースではありませんが『階級闘争』というゲームをつくって、それで遊んでいると階級社会の理論がよくわかってくる、などというソフトもあります。

 最近ではパソコンによる電子掲示板(BBS)が盛んになってきており、全米に五〇〇〇近くが開局されているものと思われます。多くの草の根グループもBBSを開局しています。例えば、おもしろいのは「アーツネット」というBBSがあって、これは西部諸州の草の根芸術家たちをネットし、どこでどのような公演があるかオンライン・データべース化しています。市民団体はこれを見ながら、″あのグループがA市まで来るから、ついでに私たちの所に来てもらおう″という形で、実際的に利用しています。

 八三年からはアップル社が地域団体への助成活動をはじめて、すでに八〇〇団体、一五〇ネットワークヘの機器供与を行なっています。アップル社は今では大企業ですが、このプログラムにかかわっている人たちは″オールド・アップル″の精神を継承しているように思います。
 

コンピュータへの批判

 −さまぎまな草の根レベルのコンピュータ活用があるようですが、ここで一番疑問に思うのは、コンピュータの持っている負の側面をどうとらえるのか、ということです。例えばコンピュータは社会の管理体制を強める可能性がありますし、労働現場ではVDTを長時間見つづけることによる健康障害の問題があります。シリコンバレーなどでは半導体工場からの排水による地下水の汚染が広がっています。

 ジョンソン そういう問題をとりあげて活動している団体が数多くあります。例えばニューヨークの職場保健委員会は、VDTの健康への影響、あるいはエルゴノミクスと言いますか、コンピュータの人間への総体的な影響といったものについて多くの資料を出し、会議や集会を通じてこの問題への人々の関心を高めています。シリコンバレーの「太平洋研究センター」は、『シリコン.バレー有毒物ニュース』というニュースレターを出し、エレクトロニクス産業にともなう汚染の問題に取り組んでいます。その他プライバシー保護の問題で活動する団体、あるいコンピュータ文化の主流から追いやられる少数民族や女性の問題、情報的に富める者と貧しい者の格差が生じる問題などに取り組む市民団体があります。私たちのところの講座でも、コンピュータ社会に生ずるさまざまな問題についてとりあげています。コンピュータ産業による″コンピュータ時代が来た!″式のはでなプロパガンダには注意しなければなりません。

 −そういう運動があることはいいのですが、もともと多くの問題をはらんでいるコンピュータというものを市民運動が使うということについてどう考えているのですか。これは矛盾ではないのですか。

 ジョンソン 昔はその辺の議論が盛んでしたが、最近はあまりしませんね。…しかし、あらゆる運動には矛盾はつきものではないですか。そういう批判があった時は私はいつもそれを相手に返すことにしているのです。じやああなたは、きょうのミーティングに来るのに車を使わなかったのか、とね。矛盾をなくすには時の文化全体から降りてしまう他ないでしょう。私たちに必要なことは、矛盾から逃れることではなく、それに直面していくことです。もし私たちがコンピュータを嫌って遠ざけるだけなら、コンピュータ産業は市民のニーズをまったく無視した開発路線をすすめていくだけでしょう。私たちは、コンピュータを使用することにより、これを私たちに有用な技術へと近づけていく努力をすべきです。

 −あなたは、市民の使うマイコンを一種の適正技術・オルターナティプ技術のように考えているのですか。

 ジョンソン マイコンは大型コンピュータに比べれば市民の使いやすいものになっていますが、適正技術とは言えないでしょう。マイコンを自分で組み立てられる人はほとんどいないのです。確かにこの辺ほむずかしいところです。将来、ほとんどの市民がマイコンをもつようになった時のことを考えても、不安が残ります。マイコンとは言っても、産業界にとってはたくさんの端末が大型コンピュータにつながっているのと変わらないのではないかと思います。かつての大型コンピュータのタイム・シェアリングと同じですね。ある意味では、マイコンはテレビや電話のような存在になるのかも知れません。電話は運動している人も使っているでしょうし、役に立つとも思っているでしょう。しかしこれは巨大な産業に所有されたシステムなのです。結局問題は、こうしたシステムに私たちのニーズをどのように反映させ、それをどのように形成していくのかということなのではないでしょうか。

 −考えなければならない問題はまだまだあるように思います。最後に、今回の訪日をふまえて、何か抱負などありましたら。

 ジョンソン 日本とアメリカは、環太平洋の国として火山や地震までも共有しています。特に私の街ポートランドのあるアメリカ西海岸は、日本との交流を深めるよい位置にあります。また日本とアメリカは世界でも最も情報化社会への足並が速い国です。

 私が、ネットワーキング活動の海外への延長としてまず日本に来たたのは、そういう理由からだと思います。今後も草の根レベルの交流を深めていきましょう。そしてその中でコンピュータによるコミュニケーションの可能性もさぐっていきたいと思います。
 


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