トシとのたたかい、怪我とのたたかい

     ―足首痛、膝痛、鼠径部痛、腰痛、肉離れ、突き指の対策


  スポーツする者にとって怪我・故障は大敵だ。体は健康、やる気も十分なのに、一カ所の故障でスポーツができない。その悔しさ、無念さはスポーツをする者ならだれでも経験あるだろう。医者に行ってもうまくいかない時、解決を求める者はワラをもつかむ思いでウェブページを検索する。それで決定的な情報をつかむ場合もある。一般的な医学知識より、個人の体験談から結構学ぶことが多かったりする。だから私も、そうした人の役に立つため、経験を伝える義務があると思った。簡単なやり方で不治と思われた故障がなおった経験もあり、伝えなければ人道にもとるだろう。70才に迫りながらなお若者とバスケやフットサルで対決しようとする老人。経験だけは豊富だ。

解決策は必ずある

 ランニングその他運動する時、よく足首を痛めた。無理してやっていると悪化し、最後には腫れて正常に歩くこともできなくなる。全治数カ月になる。中学の時、駅伝クラブに半年入った時、それをやらかして地区大会に出場できなかった。以後も、各種競技で同じ故障に苦しんだ。ギクッとして「何のこれくらい」と続けているうちに、走れなくなる。

 その繰り返しの果てに、ある時、準備体操で足首を手でぐるぐるまわすウォーミングアップをしたらたちまち効果が出た。丁寧に入念にまわす。そしたらそれ以後、あれほど恐れていた足首の故障がまったく起こらなくなった。こんな簡単なことで防げるのか。これだったのか。感動に近いものを感じた。

 他の様々な故障でも簡単な解決法があることが多い。人間というのは横着なもので、苦しんだ怪我問題が解決してしまうと、すっかりそのことを忘れてしまう。いろいろ他の問題が出てくるせいもあるが、苦しんだ後に見つけた解決法をきちんと他の人に伝える努力などやらずに終わってしまう。これではいかん。以下、決して医学専門家のアドバイスではないが、経験から学んだ解決法。自己責任で参考にしてほしい。

怪我したらすぐ休む

 足首の故障は、今言った通り、準備運動で足先を手に持って入念にグリグリまわすウォーミングアップをすることでかなり防げる。が、注意すべきは、万が一出た場合、決して無理せず、そこで即運動を止めて休むこと。他の故障でも同様に言えるが、ギクッと来たらすぐ休む。どんな事情があれ休む。必要なら何日か休む。それで運動選手として致命的な故障になったり、長期の離脱に至ることは避けられる。特に「直後に」休むことが大切だ。後になって休んでもあまり効果がない。それまで動いているうちに悪化している。試合途中でも、県大会間近でも、どんな事情があってもすぐ休む。

突き指防止

 これも簡単なやり方で解決できた。「指立て伏せ」が抜群に効いた。
 私は55才頃になって若い人の中に混じってバスケットボールを始めた人間だ。へたくそで周りから疎まれたが、最も困ったのが、すぐ突き指をすることだった。バスケのあの固い大きいボールを取り扱うのに慣れず、練習するたびくらいに突き指していた。しかし、ある時から、指立て伏せをして指を鍛え始めたらあまりでなくなった。今では、どれだけバスケをしても、他の故障はやるが、突き指はまずしない。これも劇的解決方法発見の例だったと思う。

鍛えて直す

 指立て伏せは、もちろん最初はできない。普通の腕立て伏せの代わりに5本の指を立てて腕立て伏せをするわけだが、最初は1、2回がやっと。しかし毎日繰り返すうち、10回、20回と普通の腕立て伏せと同じくらいの回数ができるようになる。そうなる頃には指がかなり鍛えられている。これも、あらゆる怪我・故障の防止策として一般化できることだが、基本は筋肉なり関節なり鍛えることだ。体を鍛えることで怪我・故障はある程度防げる。医者、灸、整体、赤外線治療、冷やし療法、薬、炒め止め、サポーター着用と解決策はいろいろ助言されるが(そしてそれらも、それなりの効果があるが)、忘れてならない基本は、体の方を鍛えることだ。何をやってもだめだったが、体を鍛える方向で解決策を見つけた、というケースが非常に多い。

太ももの故障

 これもバスケやサッカーを始めた時に出た。55才の頃。私は当時、フルマラソンを3時間42分で走っていた。走るのは自 信があった。ところがバスケをすると、太ももが痛くなる。肉離れの始まりのようなものだったろう。「すぐ休む」主義をとっていたので深刻な肉離れにはならなかったが、こうしょっちゅう痛くなるのでは困る。かなりの長距離を走っているのに、なぜバスケで足が痛くなるのか、不思議だった。

 そのうちわかった。バスケ(やサッカーやその他多くの競技)では短距離ダッシュの走りが多い。私は長距離を同じペースで走るのには慣れていたが、全力ダッシュには慣れていなかった。それが原因だとわかった。そこで、坂駆け上がりダッシュの練習を開始。これも少しずつ始めなければならないが、今では1日20本程度はやっている。最初はきつかったが、今では普通にやれるようになった。それとともに太ももの故障も出なくなった。

股関節の痛み

 これはかなりの難敵だった。50代後半の頃、1〜2年は通常の運動ができなかった。何度も再発した。今でもまだ完全に克服したかどうかはわからない。厳密には股関節ではなくて、恥骨周辺のグローイン(鼠径部)ペインだ。サッカー選手がよく患う故障で、中田英寿もこれで苦しんだという。「中田英寿と同じ故障だ」と周りには言って威張っていたが、もちろん彼とは原因が異なる。私はやはり55才頃にサッカーを始めた口で、キックのフォームがまったくできていない。それで股関節を痛めたのだ。痛めながら長距離走をやっているうちに、突然ガクッときた。すぐ止めればいいのに走り続けてしまったので悪化した。半年は運動できなくなった。絶望した。これで私のスポーツ人生も終わりかと思った。55才までスポーツやっていられたんだから文句ないだろと言うなかれ。この高齢社会、80才、90才までスポーツして動き回りたいじゃないか。

多種目のスポーツをする

 走れないかわりに軽い水泳とサイクリングを続けた。スポーツクラブのお湯にゆっくり浸かって養生した。
  脱線するが、単一の種目でなく、いろんなスポーツをやっているといい。野球で肩をこわしてもバスケのボールはパスできる。バスケで腕を痛めてもサッカーはできる。サッカーで足指先を痛めてもバスケはできる。左手を故障しても、右手だけ使うテニス、卓球はできる。足腰を痛めると確かにかなりの運動ができなくなるが、重力の影響をあまり受けない水泳やサイクリングはやれる場合がある。一種目だけだと職業病のように特定箇所を継続的に故障しがちだ。いろんなスポーツをやってリスクを分散しよう。特に水泳、サイクリングは筋肉の使い方が他とかなり違うので、レパートリーに含めた方がいい。水泳では重力に逆らう足腰の鍛錬はできないが、全身の筋肉、そして心肺機能が鍛えられ、精神的に前向きになれる。ゆっくりでいい。初心者でも少しずつやっていけば、そのうち30分くらいは泳げるようになる。サイクリングでも、体重を足で支えないので部位によってはまったく痛みを感じない場合もある。忘れるな、最後は水泳とサイクリングがある!

 水泳もサイクリングも痛くてできなくなったら、どうするか。…その時はカラオケだ。たいていのスポーツができなくなっても、喉の筋肉の運動はできる。これも心肺機能、気力維持に効果がある。カラオケもスポーツだ。喉の格闘技だ!

恥骨周辺の痛み

 股関節(正確には恥骨周辺)の痛みは、数カ月養生すると引くが、走るとまた出るという状態が続いた。医者、整体師、電気療法、温泉、その他何でも試したが、うまく行かなかった。ブルーな気持ちになったが、それでももがき続け、糸口を探し続けた。私の場合、右の股関節(恥 骨)の痛みだったが、狭い空間で時計と逆向きにぐるぐる回りながらジョッギングする(体を左に傾けながら走る)とあまり痛くならないことに気付いた。

  また、ガニ股矯正にも努力した。サッカーで恥骨周辺を痛めるのは、ボールを足元で泳がせ運ぶ動作が多いからだという。つまりガニ股で走るので鼠径部周辺が やられる。私の場合、昔からガニ股だったので、これを直す必要があると考え、いろいろ走るフォーム変えを試みたのだ。しかし、これはあまりうまくいかなかった。60近くなってガニ股を直そうとしても無理がある。

 平らな場所で走るのは危険だが、坂駆け上がりダッシュ練習なら再発しにくいことも気づいた。負荷のかかる角度が微妙に違うのだろう。このように、いろんなことを試し、可能な運動、故障解決策を探求した。そういうあきらめない姿勢が大切だと思う。

怪我の功名

 さらに時間がたつうち、長距離走をすると痛くなるが、バスケのような短距離ダッシュ中心の競技だとあまり出ないことがわかり、これに復帰した。残念ながらマラソンはもうあきらめなければならないだろう。しかし、怪我の功名というか、転んでもただでは起きないというか、バスケ、サッカーなどを本格的にやりだして、球技の面白さに目覚めた。マラソンも走っているうちに恍惚となるし、終わってからの爽快感もあるので面白いが、球技はもっと面白かった。相手が居て、切磋琢磨してたたかう。アドレナリンがどんどん出る。長距離走のようにひたすら孤独に苦痛に耐えるのではない。他者から刺激され、エキサイトできる。

 新しい世界を開いてくれた。そう思えば怪我にも感謝だ。怪我で落ち込むだけでなく、災い転じて福となることがあるかも知れない、と前向きに考える。

リハビリの効用

 これでグローインペイン(恥骨周辺の痛み)は克服か、と一旦は思ったが甘かった。64才くらいになって、また頻繁に再発するようになった。練習をさぼっていたこともあるかも知れないが、1回バスケやフットサルの練習に参加すると必ず股関節が痛むという状態にもどってしまった。やはり直っていなかったのか、と暗澹たる気持ちになる。

 ある時、病院でMRIを使って徹底的に検査してもらった。ベトナム・ハノイの外国人向け病院だった。診断はこれまでと同じで、特に骨、関節に異常はない、というもの。恥骨周辺のグローインペインというのはそういうものであることが多い。そして、リハビリで病院に通って来いと告げられた。がっかりした。リハビリは根治治療じゃない、と思い、気乗りしないままに何度かリハビリに通った。

 しかし、リハビリ運動をやっているうち気付いた。そうか、リハビリというのは、こういう風に痛い部分のまわりの筋肉や関節を鍛えることなのか。弱い部分を支える筋肉を強くし、関節の可動域を広げることなのか。

  相撲部屋の親方が、「怪我は稽古で直す」などと前近代的なことを言っていたことを思い出した。これだから根性主義の古いスポーツは困る、と思っていたが、その親方が、「稽古で、弱い部分を鍛えて直すんだ」というような説明をしていて、なーるほどそうか、とガッテンした。根性論で言っているのではないのだ。怪我しやすい箇所のまわり(筋肉や関節)を鍛えて、怪我が起こらないようにする、ということだったのだ。もちろん、繰り返すが、怪我した直後は必ず安静にしなければならない。しかし、直り始めてからは少しずつ無理ない形でリハビリを始め周辺筋肉・関節を鍛えなければならない。いきなり初めてはぶり返すので、その辺は自分の体とよく対話しながら慎重に始めることが大切だ。安静とリリハビリ運動、その矛盾する二方策をバランスよく組み合わせて実践する。そこにある程度の慣れ、コツが必要だ。医者からの助言も必要だが、自分の体は自分が最もよくわかる。体と対話して調整するノウハウ、感覚を身に付けなければならない。

股裂き運動

 この「悟り」を開いてから私の始めたのは各種「股裂き」の運動。病院でのリハビリ運動をじっくり研究して、それと似た運動を考案した。器具を使わなくてもやれ、同じような効果のある運動を考える。基本は、イチローがよくやっている股裂き運動だ。股を横に開いて伸ばす。縦に開いて伸ばす。伸ばしながら上下に揺する。足を左右交互に出すスクワット前進で股に負荷をかける。自分の体にいいと感じられる動きを開発していくのが大切だ。

 こうした運動を入念にすることで、恥骨周辺グローインペインの痛みは出なくなった。まだ安心はできない。今後出るかも知れない。しかし、かなりの期間出ていないので、少なくとも私の競技人生が伸びたことは確実のようだ。非常にうれしい。

  非常にうれしいし、ここで学んだ重要な教訓をはっきり意識化する必要がある。つまり、故障は稽古で直す、鍛えて直すという原則だ。まわりの筋肉を鍛え、関節の可動域を拡大する。いろんな故障にこの原理で対応することができる。むろん、繰り返すが、怪我直後は安静が絶対であること。それを守った上での直り際での対処法だ。

膝痛

 66才になってから、新たな故障、膝痛が出るようになった。必ずしも「ギクッ」となるわけではなく、運動しているうちに少しずつ痛くなる。無理して続けていると悪化して、1〜2カ月の休養を余儀なくされる。日常生活でも階段の上り下りが困難になる。これまで出たことのない故障で、年を感じさせる。老化で膝の軟骨が次第に擦り減ってきたということだろう。これはやっかいだ。老いによる故障ではどうしようもなくないか。いよいよ今度こそ私のスポーツ人生は終わりか。またまた暗い気持ちに襲われる。

 しかし、あきらめず、これまで学んだ経験を最大限生かして対策を練る。まず膝周辺の筋肉の鍛錬。事故で膝を痛めた息子が整形外科で指導されたという膝痛体操を取り入れる。イスに座った状態で、足を片方ずつ前方に上げ下ろしする。スポーツでは膝はいつも後ろに足をけり出す時の負荷がかかる。これはその反対向きの動きだ。それがいいのかも知れない。膝前面の筋肉を緊縮させ膝下の足を前(上)に蹴り上げる感じだ。

 膝痛に悩むお年寄りもこういう運動が勧められるようだ。スポーツやる人は、もう少し負荷をかけてもいい。私の場合、(イスに座り)電気ゴタツの内側天井に足の甲を押し当てる感じで膝を前(上)に伸ばす。普段使ってない筋肉・関節に負荷をかける感じで気持ちがよい。テレビを見ながらやれるので手軽でもある。

 もう一つ。これはウェブページ動画で見つけた膝痛対策運動だが、両膝の間に小さめのバランスボールをはさんで押し付けるようにする。膝に内側に向かった負荷をかける。やはり普段使ってない筋肉を鍛える運動で納得だが、いちいちボールを使うのが面倒だ。ボールなしで、足を若干開いて膝をつぼめる動作で、それと同じ動作をすることにした。両膝を内側に向かってすぼめるような動作なので、外からはほとんど動きが見られない。赤信号を待っている時などに、だれにも気づかれず膝の運動ができる。

フォームの改造

 さらに走るフォームの改造にも取り組んだ。これまでのいろんな経験から私の体は右に傾いているのがわかっている。左右対称でなく右の足が少し短いようだ。だから体の右に負担がかかり、右の足首、膝、股関節などに故障が出る。体を心持ち左に倒し(ひねり)ながら走るフォームづくりに努力した。前述したように、60過ぎてからフォームをなおすのは非常に難しい。これまで60年も右傾きで走ってきたのだ。体が固まるどころか、それを越してひなびてくる段階になってからフォームを直そうとしても難しい。

 しかし、逆に言うと、痛みのある時はフォーム矯正のチャンスだ。普段だとちょっと直したつもりでもいつの間にか元に戻っている。しかし、痛み(あくまでもかなり直って来た段階の軽い痛み、違和感)が残っていれば、それを刺激しないような走り方をいやでも強いられる。いやでもフォームの矯正になる。そういう意味では、故障は肉体改善のチャンスだ。いつも故障を起こすような箇所が痛くならないフォームを考え、体を慣らす。

 これらの努力は今のところ功を奏している。数カ月膝痛が出ない、あるいは抑えられている。また社会人バスケ、学生とのバスケに復帰できるようになった。フォームの抜本的改善は見込めないとしても、負担は減らせ、故障の原因を少しは減じられていると思う。若い人ならもっと徹底的なフォーム改善ができるだろう。

人類の業病、腰痛

 人類の歴史とともに古い「業病」が腰痛だ。私もこれで苦しんだ。25才あたりで出始め、年に数回ぎっくり腰になり、そのたびに1週間は寝た切り、最低2週間は著しく活動が制限される状態になった。年に2カ月程度は寝てるか不完全な日常生活を送っていたことになる。「ガラスの腰」とも揶揄された。若くしてこれなのだから、年老いたらどうなるのか不安になった。何しろ「イスに座る」という姿勢が一番悪いのだ。私の腰痛もフリーライターという職業がら長くイスに座ることから出ていた。年老いて車いす生活になるどころか、座ることさえできずに寝たきりベッドの生活になるのかと想像した。外出するための「車ベッド」などあるのか。車ベッドの通れる改札口、乗れるエレベーターなどあるのか。将来を絶望した。

50過ぎて腰痛が起こらなくなった

 ところが、不思議なことに50才くらいになってパタリと腰痛が出なくなった。私の母と同じだった。私の母も若い頃腰痛持ちだったが50才頃になるにつれ出なくなった。親子は体質・体形が似ているのだと思う。腰痛が出なくなったく理由は明確だ。腰痛とは背骨の軟骨(椎間板)が外にはみ出て(椎間板ヘルニア)まわりの神経が刺激されて起こる。歳をとるとこの軟骨が固まり飛び出さなくなるのだ。軟骨が老化で固まるのは悲しい現象だが、それが私の場合、吉と出て腰痛消滅につながった。老化万歳! 腰痛持ちの若者よ、50になるのを楽しみ待とう。

  これで私の人生がいっきょに変わった。若い頃、スポーツはほとんどしていなかったが、50を過ぎてから本格的なスポーツをはじめた。大学の教員をやっている時で、まわりに若い元気な学生がたくさんいたことが幸いした。彼らといっしょにマラソン、バスケ、サッカー、卓球、バドミントン、ボウリング、水泳、サイクリングとあばれまわり、熟年にして時ならぬスポーツ人生が来てしまった。人生わからないものだ。「車ベッド」生活の未来予測に暗澹としていた文科系青年が、学生から一目置かれる「運動おじいちゃん」「スーパーサイヤ人」になってしまった。

 (私のスポーツ体験は、小学校で野球、中学で柔道と駅伝を少しやっただけ。高校、大学と文科系クラブ所属だった。社会人になってからは、腰痛があったので本格的スポーツなど益々とんでもなかった。ただ、腰痛対策に腹筋運動、軽いジョッギング、水泳などは状況に応じて行っていた。しかし、これはあくまで腰痛体操であって、私の頭の中では「スポーツ」ではなかった。しかし、今考えてみると、腰痛対策に迫られて最低限のスポーツをしていたことが、50才になって本格スポーツに移行できる基礎をつくっていてくれていたようにも思われる。まったく、人生、何が吉と出るかわからないものだ。災い転じて福となす。)

腰痛対策

 腰痛については、奇跡が起きたようなもので、私の何らかの対応策で克服したわけではない。しかし、ありとあらゆる対策を試みたことは事実で、大方は効果なかったが、腰痛のリスク軽減には役立っていたとは思われる。これまで述べてきたところと通じるところもあるが、次のような対応策を試みてきた。

・腰痛になった直後は絶対安静。これに尽きる。腰痛を直すには安静しかない。勧められるあらゆる治療法を試したが、結局、一定期間安静にしていることでしかよくならなかった。しかも、直後ほど安静が大切だ。しばらくたってから安静にしても、それまで動き回っていては効果が薄い。例えばトイレでぎっくり腰になったら、そこにばたりと倒れ寝ているくらいの覚悟が必要だ。数時間たってからソローリソローリと這って寝床に行く。痛いのを我慢して医者に行くなどは愚の骨頂。その動きで腰痛を悪化させる。最初の数時間をどう過ごしたかで予後が明らかに違うというのを何度か経験して、「とにかく安静」主義の大切さを骨の髄まで叩き込んだ。

・普段から腰痛対策のための腹筋体操、軽いジョッギングを行う。治りかけのリハビリ時はジョッギングも危険だから、軽い水泳にする。プールで歩くのもいいだろう。腰痛にとっては重力がきつい。水の中は腰への負担が軽減される。脊椎動物は陸にあがってから、そして特に人類が直立歩行を始めてから、腰痛の苦しみが我々につきまとったのだという。

・直りかけ時の安静とリハビリの絶妙なバランス。決して無理してはいけない。安静が第一。しかし、いつまでも寝ているだけだと体全体が弱ってしまう。起き出した時、すぐまた腰痛になる危険が高まる。無理せずリハビリをはじめる。仰向けに寝た状態でも、痛くない範囲で足や手を動かすリハビリを始めることは可能だ。とにかく自分の体と対話することが大切。今の状態で何ができるか、何をすることを欲しているか、体に聞いてそれを行う。どんな状態でも、少しでも動けば、気力は維持される。

80才まで学生とあばれたい

 こうしてあらゆる故障を体験し、それを根気よく直し、今現在、このもうすぐ67歳になる体で、何とか学生のサークル・レベルのバスケ練習に付いていけている。部活学生とやるのは無理だが、サークル・レベルなら対等にやりあえる。今後も80才くらいまではこのレベルを維持して動き続けたい。恐らく今後も、年齢を重ねるにつれて新たな故障が次々に起こるだろう。だから今現在、何とか動けていることにはただ感謝しかない。これに感謝し、何とか故障をだましだまし、中古車をだましだまし使うように80才を目指したい。(2017.1)


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