卓球の黒船


 「黒船」の必要をつくづく感じる。まねもできないような圧倒的なものをガーンと見せつけられる、それでやっと人生が変わる。ちょっと真似ればできそうだな、くらいのものじゃだめだ。卓球で言えば、なに、今のままでもちょっとがんばれば張り合えるさ、くらいに思えるうちは自己変革できない。しかし、あの卓球場に行って、皆のやってる卓球を見て決定的な衝撃を受けた。こりゃおれの来るところじゃない。レベルが違う・・・。サンダル履きでほとんど動かず、相手からの変幻自在の難球を同じ角度のラケットからスイスイと返しているおじいさんもいた。

 よほどすぐ帰ろうと思ったが、衝撃で身動きできない。そのうちに「おまえもやれ」と誘われて、へたの恥塗りのプレーをする。こうして私の卓球クラブ通いがはじまった。

 私のアパート近くに国鉄労働者会館という労組の建物があって、その小講堂で週2回ほど、社会人の卓球クラブが活動している。中高年中心だが、皆、なかなかの腕前。隣国中国の影響なのだろう、ベトナムでは卓球が一種の「国技」のようで、多くの人が小さい頃からたしなんでいる。

 私も日本に居た頃、ある程度卓球をやって、「温泉卓球」では相当の腕前になっていたが、ここでは赤子の手をひねるように負ける。日本に居た頃から「おまえの打撃フォームはおかしい、もっと体全体を回すように打たなければ」と言われていた。しかし、真剣に修正する気にはならなかった。しかし、ここで「黒船」の衝撃を与えられた。真摯に一から出直す決意をすることになった。

 以後、卓球場で厳しい、しかし友好的な指導を受け続けることになる。「フォームがだめだ」「ボールの上を掻くように」「手を伸ばして振って」「肩に力入れずに」と、言葉でなくジェスチャーでさんざんぱら助言される。練習のない夜は、近くの「文化宮殿」(Cung Văn hóa Lao động Hữu nghị Việt Xô)に行って、コンクリートの壁にボールをぶつけて卓球練習をする。この「文化宮殿」は面白い所で、ソ連風建築の芸術会館のようなところなのだが、周りに広いスペースがあり、若者たちが各種スポーツをやっている。ヒップホップ音楽をかけてのストリートダンスが中心。その他、コンクリートの床がある所でのスケートボード、ベトナム空手、そして何と日本の「よさこい」踊りをやっている集団もいる(春夏の日本祭りなどでよさこいのパフォーマンスが行われている)。外国から来た今風のスポーツを中心に、今風の若者たちが集まるたまり場となっている。その中で卓球をやっているのは私だけで、おじちゃんも私だけのようだった。

 そんな努力が実って、2カ月くらいするうちに、何とかクラブの下位20%の人ととは対等にやれるようになってきた。飽きもせず下手な私の相手をしてくれたおじちゃんたちに感謝する。外国への追随のことを「黒船論」といって軽蔑するが、実は徹底的な黒船が必要なんだと理解できた。「とてもじゃねえが、一生真似できねえ」と思うくらいの衝撃を受けることが大切。異文化体験の神髄もそこにある。

 ある日、卓球会場の国鉄労働者館に行ったら、建物が取り壊されていた。半年くらいかけて建て直しをするという。その間、卓球練習は近くの狭い会議室のような所でするという。人が多すぎてなかなかプレーできない。次第に足が遠のき、半年たつ前にハノイを発つことになった。お別れと感謝の言葉を言わずに去って心残りがある。
   (2015年10月)


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