アフリカの旅(2)
カイロの日々
岡部一明、1981.3

古代エジプト文明

 日本人旅行者3人組に誘われ、サッカラ、メンフィスまで足を伸ばした。メンフィスは、カイロの南20キロにあ るかつてのエジプト古代王朝の首都。アレクサンダー大王のたてたアレクサンドリア、イスラム教徒のたてたカイロなどのため徐々にその重要性を失い、今ではナツメヤシの生い茂る小さな農村になっている。が、近くの砂漠の中にサッカラという霊廟地跡があり、そこに最古のピラミッド ―ということはつまり世界最古の石の建造物― がそびえている。紀元前2600年頃のものだそうだ。

 有名なギゼーのピラミッド(カイロのすぐ西にある規模最大のピラミッド)もそうだが、サッカラのピラミッドもナイル川のデルタが切れてすぐの高台にある。そこに立つと、人は風景のあまりにも鮮明な対照に感嘆させられ る。西のサハラから続いてきた砂漠には草一本なく、まるで月か火星の表面のような岩盤が広がる。それがこのナイル流域だけわずかに落ち込み、そこにあまりにも豊かな緑の木々、緑の田園が広がる。幅20キロほどの沖積平野を渡ると向こう側には再び原色の砂漠が続いている。

 ナイルの緑野はまさに奇跡なのだ。途方もない広さの砂漠の中に、しかしそれ以上の長さのナイルが数千キロ先の熱帯山塊から豊かな水を注ぎ込んでくる。毎年定期的に水かさの増すナイルは、養分を多量に含んだ泥水を流域の田園に流し込み、5000年も前から絶ゆることのない豊穣をこの地にもたらしてきた。

 一口に5000年前といってもピンとこない。私たちが、遠い太古の昔と考える聖徳太子の飛鳥時代がせいぜい1400年前だ。エジプトの統一王朝はその3倍以上も前に始まり、3000年も続いた。つまり、飛鳥時代から現代までの年代の2倍以上、同一の文明が栄えていた。いったい古代エジプト人たちは、その時代がはじまりをもち、終わりをもつことに考え至っただろうか。

カイロの朝を走る

 サンフランシスコ(留学で長期滞在)を出てから4ヶ月。長旅による疲労の蓄積か、体力の衰えを感じるのでジョッギングをはじめることにした。旅先で、定住していた頃と同じリズムでジョッギングを続けるのは難しいが、幸いにも宿の近くに約100メートル四方の公園がある。朝6時に起きてそこに行く。


 カイロの人々は早起きで、ほとんど日の出とともに起きだして明るくなる6時半頃には街路が混みだしてくる。だから薄明のうちに起きて日の出までには走り終わらなければならない。

  カイロでも朝は冷え込み、ランニングパンツ一本で外に出ると寒い。イスラム教ではももを出すのは恥ずべきこととされるらしいが、このパンツはカイロで売っていたものだ。かまうものか。荷馬車に野菜を積んで街路を行くアラブ・マフラー(?)のオヤジさんがびっくりして振り向く。銀行の前で一晩中居眠りしながらガードしていた兵士がビクッとばかりに目を覚ます。

 昼になれば喧騒とほこりで近寄る気もしない公園も、さすがに夜明け前は静かですがすがしい。公園のデコボコ道をダッシュすると、外壁のかげにビニールの掘立小屋をつくって住んでいる老人がごそごそ出てきて、「何事か」とばかりにこっちを見る。満足に食べられぬままきつい労働をしている彼らにとって、わざわざ用もないのに走りまわるなど狂気の沙汰であろう。

 強敵 ―犬である。吠えて追いかけてくる。一匹ならまだしも、たいていの場合、次々に加勢が現れて5、6匹になる。これでは騒がしいし身の危険も感じてくるので、走るのを止め、静かに歩いてその場を逃れる。これが毎日あるのだ。しかも同じ場所で。

 繰り返されるうち、彼ら野良犬たちは公園の一隅にテリトリーと言えるものをもっていることに気づく。その場所から退散すれば追って来ない。数日のうちに私は彼らのテリトリーを覚え、それを侵さないコースを選んで走るようになった。

 壁ぎわには近づかないようにする。公園だけでなく、街のどの壁・塀にも言えることだが、こうした個所には必ず小便の強烈な臭いがする。黄色い液体が土の上にたまっていることもある。犬だけがそれを行っているのではない。人間様もおおっぴらにやっている。

  ジョッギングを終えて宿に戻ると、門番が起きて「リアダ!」と声をかける。「おはよう」という意味だと思って私も「リアダ!」と返していたが、後でスーダン人に聞いたところ、これは「スポーツ」という意味なのだそうだ。つまり彼は「スポーツかね?」と聞き、私は「そう、スポーツだ」と答えていたわけだ。気持ちが通じ合っていればそれでいいのだ。


 スーダンのビザをひたすら待った。3週間が1ヶ月を越え、40日後にやっとビザが出た。出るなり即出発。ナイロビに向けて「行軍」のはじまりだ。

 
全記事リスト(分野別)


岡部ホームページ

ブログ「岡部の海外情報」