第三世界 ―南アジアの旅で
                     (岡部一明、1981.11)
(1)
男は黒いぞうきんで
皿を拭いている。
今、私の食べている焼めしの皿は
決してあのように拭かれたものではなかった
と信じようとしながら
私は食べている。
天井のプロペラ扇風機は
部屋の熱気をかきまわすだけで
涼しくはならない。
私はその食堂の板イスに腰をおろし
ぼうっと明るい道路を見ている。
ザラザラするスプーンを動かしては
なるべく皿底まではすくわぬように
メシを口に運ぶ。

男は入口のかまの上にしゃがんで乗り
いくつかのナベの炊き具合に目を配りながら
けだるく皿を拭きつづける。
野菜カレーと煮込みチキンと
ひき肉シチューと焼めしが湯気をあげている。

男の背景は炎天のラホールの街で
小型三輪タクシーや馬車や
年代モノだがけばけばしい金属で飾りたくったバスが
警笛を鳴らしてひしめく。

私は下痢をしてしまった。
この暑さに心の緊張をなくし
道端の屋台で目に入るもの次々に食べ
得体の知れぬ飲物をがぶのみしていた。
ジョッギングして体を鍛える気力もなかった。

(2)
コカコーラとトヨタがいやに多い。
コカコーラ・インターナショナリズム。
どんな洗練された国の都会に行っても
どんな貧しい国の田舎町に行っても
コカコーラはある。
黒いくびれた小瓶の山が
店のまわりに積まれ
エンジンむき出しのトラックにも積まれて
ほこりの雑踏の中に姿をあらわす。
民族と宗教と文化とイデオロギーの
越え難い壁を越え
ただコカコーラだけが世界的な存在となった。

物質文明とは北国の文明であった。
暑い国では、人々はただかりそめの家屋をつくって
飲み食い憩い作業する空間は
すべて屋外に持ち出された。
南の国の街に繰り出されたこの驚愕すべき雑踏…

北の国では、雪におおわれた屋外から逃避して
人々は堅固な家屋の中に、
生活の場のあらゆる可能性を閉じ込めようとし
あらゆる生活財を蓄積した。
街路は取り残されたさびしい空間、
移動のためだけの空間になった。

南の国の街路に
北から今、車がやってきて
生活の場である街路空間を切り裂いて走る。
南国の街路はかつてこんなに埃で覆われることはなかったろう
むらさき色の排気ガスで霞がかかることはなかったろう
車体に裂かれる危険な空間になることはなかったろう

が、日本の街ももともとは南国の街だったのではないか。

(3)
第三世界で人は、そこの住民とまったく同じになるか、
帝国主義者としてふるまうか
2つにひとつしかない、とモノの本にあった。
そこの住人、つまり、この地面に寝起きする人々と同じに生きることは
私にはできない。

不潔な街に怒り
詐欺師に怒り
釣銭をごまかす力車マンに怒り
物見高くついてくる子どもたちに怒り
浴びせられるぶしつけな視線に怒り
要するにあらゆるものに怒り、腹を立て
ケンカしながら第三世界を行く。

第三世界は遠くにありて思うもの……
日本かアメリカか、先進国の清潔な暮らしにかえってから
はじめて第三世界が
甘美な思い出の中に浮かび上がる。
私は語り始める。
偉大な民族自決のたたかい
植民地主義によって貧困にとどめ置かれる第三世界
― 本当にそう思っているのか。
私は偽善者か。

第三世界で
荷物を持って行かれ
短刀を突き付けられて強奪され
多勢に取り囲まれて200ドルをひったくられ
それでも私は第三世界の可能性を語り
植民地主義の罪悪を批判し、
世界史像の再構築に思索をめぐらす。

第三世界は遠くにありて思うもの・・・
下手に現場に来るより、
日本やアメリカやヨーロッパに居て思いを馳せ、
第三世界のたたかいを語るのが一番いい。
誤まつることがないのだ、X氏よ。

来るならエアコンのある高級ホテルに泊り、
冷房のきいた観光バスの中から
通りぬけるスラム街を見下ろすようにすれば
第三世界への理性的な共感を保つことができるだろう。

(4)
第三世界には、来るべき人が来るべきなのかも知れない。
強い精神と体力と、何よりも少しくらいの不潔さやどぎつさにはびくともしない人が。
最貧国では、生まれた子どもの半分が5才になるまでに死ぬという。
私は死んでいたろう。
胃弱でかぜをひきやすく熱ばかり出していた私は、
この第三世界に生まれてきていたら生きてなかった。
私は今、その
私には無縁の世界を歩いている。

(5)
馬は泣いていた。
涙が大きな目からにじみ出て
糸を引いて後頭部に流れる。
彼は荷車を引き
灼熱の昼の街路を走っている。
あごを振り乱し
息の切れる口から白い歯が露出する。

――世界の映像が入ってくる私の目のまわりで
日差しが容赦なく
私の黒い毛並みを焦がし続ける。
汗や涙は少しも涼をつくらず
ああ、なのに主人よ、
なぜ私をそうムチ打つのか。

この混沌の雑踏の中で
トラックやバスと体をこすり合わせながら
私のひずめは、ひたすらアスファルトの路面をける。
日々、日々、私はこうして走り続ける以外ないのか。
苦しい…
私にロバのような感受性のまひを下さい。
いちいち苦しさを感じないですむ感受性のにぶさを。
そして牛のような重い腰と、動きの鈍重さを。
私の心はあまりに軽やかすぎるのです ―

責苦の中で走り続け
やがて老いて走れなくなった時、
あばら骨の浮く私の体は
主人によって解体され肉となるのだ。

(6)
 インダスの平原、パンジャブの平原、そしてガンジスの平原と、列車は見渡す限りの平原を走ってきた。幾夜かは列車内で寝た。しかし、広がる農村の風景、 栽培されている作物、水牛、人の顔、生い茂る木々、石の家々、そして酷暑……すべて私には何ひとつ変わってないように見える。
 インドは6億の人がひしめき「人口爆発」などと言われるが、広大な国土の中で人口密度は日本の半分になってしまう。しかも「国土の8割は山地」でもないのだから、むしろ人口希薄、粗放農業地帯である。
 うち続く平原のかなたにそびえる世界の屋根ヒマラヤ ― この8000メートルの褶曲山脈が実はまったく見えなかった。インドにはただ果てしない地平線のみが広がり、すべてはそのかなたにある。
 乾期はまだはじまったばかりで、途絶えることのない田園は豊饒な緑におおわれていた。この豊かな土地に貧困などありえるのだろうか。

(7)
少年は走った。
彼の焼いたとうもろこしを窓から乗客に売っていたのに
15円の代金をもらわないうち
バスが出てしまった。
叫びながら彼はバスと並走した。
じゃり道を裸足で、
バスのほこりをかぶりながら懸命に走った。
抱えたとうもろこしのザルがひっくりかえりそうだ。
バスが彼を抜き去る直前、
彼はバスの車体をバンとたたく。
よかった、バスは止まった。
2人の他の乗客も彼の焼きとうもろこしを買ってくれた。
ひきつっていた彼の頬がゆるみ
バスは再び走りだした。

(8)
インド料理にまいり、1日1回はチャイニーズ・レストランに行くようになった。
中華料理店はインドでは高尚なお店。エアコン付きなんて所もある。
ボーイの差し出すメニューを開き、
「うっしっし、きょ・お・は・何を・食べてやろうかな♪」
こわいろを使って私はつぶやく。
「何、メイファング……これは聞いたことがない。これ行こう…」
 どれを頼んでも100円前後、最高のものを食べても300円くらいだ。何を頼んでも怖くない。大きなメニューの隅々まで、あらゆる料理が私に征服されるのを待っている。
 まてよ、この「メニュー見る喜び」、これまで味わったことなかったぞ。これまでメニューはどれが安いかを見るため見ていた。メニューはどれが予算圏内にあるか教える虎の巻だった。第三世界に来て私は初めてメニューの本質を知る。
 むしゃくしゃする時には2つくらいの料理を頼んで腹いっぱいにする。それでもせいぜい300円だ。いい気分になって外に出ると、ホームレスの人たちが夜の歩道に寝転がっている。300円で私は彼らが生涯望むこともない贅沢をしたのだ。

詳しくは:

書籍「アジア奥の細道」

岡部一明『アジア奥の細道』(Amazon KDP、2017年、2060ページ、写真1380枚、398円



全記事リスト(分野別)


岡部ホームページ

ブログ「岡部の海外情報」