東アジアについて

     岡部一明

「真の中国人」、中華文明の継承者

 ウェブ・サーフィンをしていてつい引き込まれてしまうのが、中国や韓国のネット書き込みの翻訳。最近多い、こういうの。 RecordChinaとかXinhua.jpのサイト。日本でも2チャンネルとか、ネット上の議論は嫌韓、嫌中のひどいのが多いが(いわゆる「ねとう よ」)、中韓にもそういう議論はある。刺激的なものをついつい見てしまう。人間の、私の弱さ。

 しかし、ここ1、2年論調には変化もある。反日の激しい議論は続いているが、特に日本に旅行に行った人から、「え、これがあの日本なのか」と驚 きの声。特にこれまで日本との直接ふれあいが少なかった中国人にはショックが大きいようだ。青い空から、きれいな道路、きれいなトイレ、静かで礼儀正しい 人々、ぜんぜん荒っぽくない運転。親切な店員、忘れ物が戻ってくる・・・

 中国に行っていろいろカルチャーショックを味わう者から見れば、中国人が日本に来てこういうところに衝撃的な感動を受けるのは理解できる。想像 できる。残酷な民族というイメージが180度転換して、感動して帰っていく場合もある。日本に来た中国人の9割以上がよい印象を持って帰っていくという。

 観光は強し。政治的にはいろいろ難しいことになっているが、一人ひとりが観光でその国に行って生でその社会と人に触れれば、何かが確実に変わる。

 で、きのう、訪日中国人のこんな書き込みの紹介があって、びっくりした。

 「日本人こそが真の“中国人”だ。今、大陸に住んでいるのはニセ中国人。中国の孔孟儒家思想は仁、義、礼、智、信を大事にするものであり、これは普遍的な価値を持つ。中国人は日本人のように、中国儒家の伝統文化と西側現代文明を融合させた偉大なる道を歩むべきだ」
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/399660/

 なるほど、日本は中華文明の真の継承者、か。確かに、北京や西安に行っても、あまり中国文明の痕跡は残っていない。まあ、紫禁城(清朝の王宮)はあるが。京都、奈良に行った方が、隋、唐の影響を受けた中国文明の遺跡がたくさん残されている。漢字だってまだ使っている。

 こんな書き込みもあった。
 「日本、特に関西地方を旅行すると、古代中国の雰囲気が漂うことに気付くだろう。これは、日本がかつて中国 大陸から制度や文化を学んだためである。都市の区画や言語、政治制度、建築などは、遣唐使によって長安から日本へと渡った。そのため、われわれ中国人は日 本に対して言葉では言い表せない親近感を常に抱いている。」
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=87521

 栄華を誇った隋、唐の文化は、北方遊牧民に滅ぼされ、後にはモンゴル(元)の支配によって中国は根底から変わった。海によって隔てられていた日 本は元の襲来を阻止できた。中華の伝統は、この東方の隔絶された「もうひとつの東アジア権力」の方により強く残ることになったかも知れない。

 中国人にとっては日本の中に見出した「中国」で、この国に対する理解が深まる。日本人にとっては、中華の継承者としてのアイデンティティをなぞることで、アジアの見方が変わるかも知れない。

東アジア権力システム

 妙なことだが、ベトナムに来てますます中国のことを考えるようになった。

 南国のベトナムは、日本海に隔てられた日本と同様、巨大帝国・中国からの支配をまぬがれた。今も、南シナ海などで中国に対して屈強な抵抗を続けている。
 中華帝国は次々に支配を拡大し周辺民族を包摂し少数民族化した。たとえばかつて南詔国、大理国のあった雲南は今中国になっている。雲南は中国化された周辺国で、日本やベトナムはまだ中国化されなていない少数民族。

 中国を日本やベトナムと同等の民族国家と考えたくない。それは東アジアに起こるべくして起こった広域(リージョナル)権力。内部に多様な地域と民族をかかえる東アジア権力。東アジアの相当部分を占める。中国の中に多様な東アジアがある。

 私たちはたまたま中華権力の外部に残ったが、この権力は東アジア全体を包摂する性格をもって生まれた帝国だった、そういう性質をもって生まれ、拡大してきた。

 広大な華北・長江平原を中心に比較的開放的にひらけた東アジア地域には、大規模な統一権力が生まれる条件がそろっていた。中華帝国はそれを体現 した。帝国内に取り込まれた民族は少数民族となり、周辺でそれを免れた少数民族が、ベトナム、朝鮮、日本、外モンゴルなどとなった。国の体裁を整えていた 南詔−大理国、西夏、その他多くの独立国家も取り込まれ、中国の少数民族域になった。

 東アジア権力は漢族という中核的民族を中に作り出したが、この権力の担い手は必ずしも漢民族だけではなかった。遊牧民族が侵入してつくった唐、宋、元、満州族が侵入してつくった清など、周辺民族もそれなりにこの東アジア権力を担った。

 騎馬が運輸と軍事の中心を担った時代には遊牧民族が力を行使し、徐々に海洋航海技術が中心を担う時代になって、海に近い満州や、そしてかの海洋国家・日本が力を伸ばし東アジア権力の奪取に触手を伸ばした。

 (東アジア周辺部では、常に「もうひとつの」東アジア権力が生成される可能性があったわけで、比較的大きな列島地域をもった日本がそうだった し、南進してチャンパを滅ぼし、クメール朝からメコン流域を奪ったベトナムも、そのまま行けば、東南アジアを基盤に強力な東アジア権力として台頭してきて いたかも知れない。)

 ともかく、中国というは、私たちが生きる東アジア世界の中に生まれた必然的な広域権力。民族を超えたそれなりの普遍的秩序、統治機構を備えていたことは認めなくてはならない。ローマ帝国のように、観念されたその時代の「世界」の帝国として生まれたシステム。
 
  つまり、単にいろいろある民族国家の一つというより、総体的な東アジア権力システムの存在だった。その支配機構、王朝制度、官僚制度、儒教などのイデオロ ギー、漢字他各種文化は、我々の東アジアが生み出したものだった。だから東アジアの変革は中国の変革なしにはあり得ないい・・・
 というようなことを、毎日路上のイスでフォーを食べながら、ハノイの雑踏を眺め、考えている。
                (2014.10)

詳しくは:

書籍「アジア奥の細道」

岡部一明『アジア奥の細道』(Amazon KDP、2017年、2060ページ、写真1380枚、398円



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