路線バスで行く城頭山遺跡
 −最古の水田跡など長江文明の重要史跡
岡部一明、2015.12)


城頭山遺跡の南門入り口。遺跡まではここらからさらに3キロ先。_640

上海−(高速鉄道6時間、322元)−>荊州−(バス3時間、44元)−>澧県−(バス1時間、7元)−>城頭山遺跡


 2015年12月初旬、最古の水田遺跡(7000年前)である城頭山
(じょうとうさん、チェントウシャン)遺跡に行ってきた。中国・長江(揚子江)中流の湖南省常徳市澧県城頭山村にある。

 安田喜憲『稲作漁撈文明―長江文明から弥生文化へ』によると、ここではさらに世界最古の焼成レンガ(6000年前)、中国最古の城壁(6300年前)、 祭壇(6000年前)、首長の館(5300年前)、神殿(5300年前)など、「最古6点セット」も発見されという(p.113)。黄河文明よりも古い長江文明の存在を 明確に示した遺跡と言える。

 私にはこの内容を語る資格はないので、長江文明に興味ある素人として、バックパッカー旅行でそこを見学しに行く方法を紹介しておきたい。湖北省と湖南省 の境界付近、目だった観光スポットもない地域だが、この隠された重要史跡があるので、一般旅行者もぜひここに足を伸ばして頂ければ。伸ばせる、ということ をお知らせしておきたい。

 一般的には、高速鉄道で湖北省荊州(けいしゅう、ジンチョウ)まで行き、そこからタクシーを雇って南に100キロの遺跡まで行くのが普通だろう。高速道 路(G55)が通っており、1時間ちょっとで行ける。しかし、バックパッカーにはそれはできないのでこれの説明は割愛する。

 現実的なのは、ここに紹介した澧県(れいけん、
リーシェン)までバスで行き、そこから10キロほど北東にタクシーに乗っていく方法。これならタクシー代もあまりかからない。 私の場合は、そこも妥協せず、バックパッカー旅行者の誇りにかけて徒歩とバスで行く方法を試みた。元気ある若者もぜひ挑戦してほしい。

荊州

 荊州は、上海と重慶の間、長江(揚子江)沿いの平原の街だ。市域全体の人口は600万で、大都市と行ってよい。飛行機 で来ることも可能だが、上海などから高速鉄道で来ることが多いだろう。上海から高速鉄道で約6時間、322元(2015年末レートで約6000円)。在来 線で来る場合は、並走してないので後述の通り、石門まで来てそこからバスで澧県に行くことになる。

荊州駅前広場_640
荊州の駅前広場。バス停はこの左手。

 荊州駅で高速鉄道を降りると、駅を出て左手に市バス発着所がある。ここで104番のバスに乗り、荊州のバスターミナル(楚都客運駅)まで行く。3つ目の 停留所で、駅から歩いても30分程度で行ける。駅前大通りを南に行き、楚源路を右に行く。また、24番、32番の市バスでも、ターミナル前までいける。た だし道路の反対側で降りることになる(交通の激しい楚源路を横断しなければならない)。市バス料金は1元が普通。

荊州のバスターミナル_512
荊州のバスターミナル

こんな市バスが走っていた。入り口、荷物を入れるのがきつい。_512
こんな市バスが走っていた。入り口、荷物を入れるのがきつい。

 楚都客運駅から澧県行きのバスは44元で、時刻表は下記の通り。
 6:50
 9:10
10:10
11:40

 実際にはこのバスターミナルを出るのは送迎用のミニバスで、少しは離れた沙市区のターミナルに連れて行かれ、そこから大型バスが正式に発車する。発車時刻は下記の通り。
 7:00
 8:50
 9:50
10:50
12:00

 中国の町はどこでもそうだが、荊州も市町村合併で巨大な行政面積になっている。荊州市の荊州区が城壁都市の江陵(荊州古城)。すぐ東に長江に面して沙市 があり、経済都市として繁栄してきた。これが現在は荊州市の沙市区となっている。こちらの方がにぎやかで、荊州の経済的中心は沙市の方だと言ってよい。

 路線バスで行く場合、荊州から日帰りで城頭山遺跡を見学するのは不可能だ。11時頃までに荊州に着き、その日のうちに澧県に入ってしまうのがよい。しか し、荊州も三国時代からの有名な城壁都市で、ついでにここをゆっくり見て回るのもよい。荊州駅からの上記24番、32番の市バスが、バスターミナルで止 まった後、城壁都市内を横断する形で走ってくれるので乗っているだけで楽しい。路線上にホテルがたくさんある。また、32番は、城壁都市を出た後、長江大橋を渡るので、そのたもとなどで降りればゆっくりと長江を見物できる。
荊州を囲む城壁_512城壁のある街・荊州
荊州

荊州の城壁都市地図_512城壁都市・荊州の地図


 私の場合は、楚都客運駅の前にいくつかあった宿の一つに飛び込んだのだが、1泊40元(750円)だった。図らずも中国での宿最安記録を更新。トイレ・シャワー共同だったが、シーツが清潔だったので即決した。
ターミナル前750円の宿(右端)_512
ターミナル前750円の宿(右端)

澧県行きのバス

 中国の地方行政区分は複雑だが、城頭山遺跡は、湖南省常徳市澧県車渓郷城頭山村に位置する。市町村合併で常徳市が巨大 化しており、その中にある澧県(れいけん、リーシェン)は実際には独立した中規模都市だ。現地では澧県県といった書き方も見られ、実際上は「澧県」が都市名として機能している。そ の澧県も市町村合併で多数の鎮(町)、郷(村)をかかえ、その車渓郷の中に城頭村がある。城頭村はかつての自然村レベルの集落、日本で言えば大字や小字に 当たるような集落だ。

湖北・湖南省境界付近はこうした平野が続く_512
この辺にはこうした広大な平野が続く(湖北省南部)

 中国大陸は広大。そこを高速鉄道で回っていると、つい距離感覚が麻痺する。当初、荊州から城頭山遺跡を日帰り見学しようとしたのだが無理だった。1、2 時間で着くと思った澧県行きのバス(44元)が、沙市からでも3時間以上かかった。トイレ対応などの準備ができておらず、困った。バスは高速はほとんど通 らず、田舎道の国道(G207)を通り、公安、南平、復興歴などを経て、ゆっくりと南下する。
沙市バスターミナル_512
沙市バスターミナル。澧県行きのバスは正式にはここから出発。

豊県行きのバス_512
澧県行きのバス

事故
バスの中。ちょうどトラック事故の現場を通ったところ。

澧県から城頭山遺跡へ

 バスは澧県の中心部にある長距離バスターミナル(湘運車駅)に着く。ここから、城頭山遺跡方面に行くミニバスに乗る。 これがちょっと難易度が高い。「城頭山遺跡行き」というバスはない。北西方面に向かうバスで途中下車するという形だ。運転手やターミナルの係員に聞けばよ いのだが、私が確認した限りでは、塘市、甘渓、金口、干河、王家歴行きなどのバスが城頭山遺跡南門前を通過した。大通りの澧州中路・西路などで通るミニバ スをつかまえるよう言われる可能性もある。
豊県はそれなりの都市_512
澧県はそれなりの都市

豊県バスターミナル_512

湘運車駅は大通りに面するが、外からは見つけにくい。
 
 澧県には東駅と西駅のバスターミナルもある(この間を市バスが頻繁に往復している)。私は諸事情で西駅に行ってしまい、ここで城頭山遺跡行きバスを探し たが、なかなか見つからなかった。西駅は主に西に約30キロの在来線駅「西門」行きのバスが発着するところだった(在来線で来る人はここに着くことにな る)。ターミナルの人に聞いても、ここからでは城頭山遺跡にはタクシーで行くほかないと言われ、やむなく歩き始めた。遺跡の方角に行けば、途中でそっち方向のバスをつかまえられるだろうと。

 遺跡までの10キロのうち、結局7キロくらいを歩くことになった(いい運動になった^^)。道は工事中で、途中で通行止めになっていた。工事が全部終わ れば、この道を路線バスが走るのだと思う。現在のところ(2015年12月)、路線バスはすべて遠回りして、遺跡の3キロ手前ほどで、私の歩いたルートに 入ってきていた。

この道を行けば城頭山遺跡、と標識にはあるが。_512
この道を行けば城頭山遺跡と、標識にあったが。

やがてこんな道になり_512
やがてこんな道になり、

さらに工事中で通行止めになり_512
さらに工事中で通行止めになり、

村人に聞くと、この道をずっと行け、と言う。先が見えない。_512
村人に聞くと、この道をずっと行け、と言う。先が見えない。
幸い途中で(遺跡の3キロ手前ほどで)路線バスのルートとなり、バスに乗れた。

城頭山遺跡の入り口はここで降りる。右手に茶色の標識_512
これが、城頭山遺跡の入り口付近。ここでバスを降りる。
道路標識に、茶色で、右に曲がれば城頭山遺跡とある。

城頭山遺跡

城頭山遺跡の入り口
すぐに城頭山遺跡の南門ゲートがある。ここで入場料金を払う。80元。
遺跡本体はここらからさらに3キロ先もある。広大な敷地を遺跡公園にしている。

遺跡入り口は工事中。集落の船着場だったという。_512
遺跡入り口は工事中。集落の船着場があったという。

遺跡見取り図_512
円形の遺跡本体の見取り図。環濠に囲まれており、内側に城壁がある。
城壁の直径は約350メートル。上が北。入り口は南。ゲートはずっと南。
右端のトイレマーク近くの四角い区域で世界最古の水田跡が発見された。
展示館になっている。
中央部に住居跡、祭壇跡、墓地跡など。左手下に城壁跡の展示館。

水田跡_512
水田跡の展示館。世界最古。7000年前。
主要遺跡は建屋の中に納まるように展示されている。

住居跡_512
中央部の住居跡。

城壁跡_512
城壁跡の展示館。中国最古の城壁都市だという。

遺跡展示_512
遺跡の外側にも解説用の多様な展示が行われている。

解説3カ国語s

 城頭山遺跡の解説は、上記写真のように、すべて中国語、英語、韓国語の3カ国語で行われていた。なぜ日本語がないの か、ちょっとさびしかった。訪問者が少ないのだろうか。しかし、城頭山遺跡の調査・研究では安田喜憲氏ら日本の研究者たちが重要な役割を果たしている。解 説には、そうした日本人研究者らの貢献についてもまったく記述がないようだった。
 また、全体的の解説の傾向としては、中華民族の偉大な歴史を示すといった論調が感じとれた。この遺跡をはじめ長江文明は、むしろミャオ族など現在少数民族となっている人たちに担われ、漢族の南進で駆逐されたとの説が有力だが、当然ながらそうした説明も、私が見る限りなかった。
 それでも、国家がこの遺跡を民族意識高揚に有効と判断して、きちんと保存してくれるなら良しとするか。

帰途

帰りは遺跡の西入り口あたりからバスに乗ってもよい。_512
 帰りは、遺跡の西入り口に出て、澧県行きバスに乗ってもよい(上記写真)。バスは頻繁に来る。約30分で湘運車駅に着く。
 澧県からはまた同じルートで荊州に帰る。荊州(沙市)行きのバス時刻表は下記の通り。
11:30
12:30
14:10
15:10

詳しくは:

書籍「アジア奥の細道」

岡部一明『アジア奥の細道』(Amazon KDP、2017年、2060ページ、写真1380枚、398円



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