市バスで行く河姆渡遺跡 +良渚遺跡も

        岡部一明、2015.11

河姆渡遺跡

 中国南部・浙江省の河 姆渡(かぼと)遺跡は、1973年に発見された長江文明遺跡。その後の発掘で7000年前の地層から高床式住居集落と大量の稲もみとわらが出土し、大騒ぎ になった。麦作を基本にした黄河文明に匹敵する稲作・長江文明の存在が初めて明らかになった。今では長江中流域を中心にそれより古い稲作遺跡が発見されて いるが、早い時期に見つかり衝撃を与えた遺跡として河姆渡遺跡は有名だ。

 上海から比較的近い。ついでの折りに訪問することを薦める。遺跡サイトと博物館があり、どちらも無料。開館時間は、4月〜10月8:30−17:00、11月〜3月8:30−16:30。

 一般的には、上海から寧波などに高速鉄道で行ってそこからタクシー、というのが普通だろう。しかし、ここではお安く行ける市バス利用の行き方を紹介する。2015年11月14日に実際に行ったときの情報に基づく。

余姚までの行き方

 河姆渡遺跡の所在地は浙江省余姚市河姆渡鎮河姆渡村。余姚市中心部と寧波市中心部のちょうど真ん中あたりに位置する。

 上海から杭州湾のをはさんだ余姚北まで高速鉄道で2時間程度、82元(硬座、G系統列車)で行ける。在来線でも行けるが(4時間、44元)、直通は上海南駅から早朝1本しかない。私の場合、事情で余姚の一つ手前、上慮からの出発だったので在来線を試そうとしたが、次の列車は5時間後だと聞いてあきらめた。

 また、高速バスだと、上海南ターミナルから約3時間、99元。中国では、安くて早い高速鉄道が普及して高速バスがはやらなくなってきたが、この場合は近道の杭州湾大橋があり、若干の競争力を保っている。

中国の新幹線

  中国の高速鉄道(上慮北駅で)

市バスの乗り方

 余姚北駅に着いたら、南バスターミナル(中国語だと「汽車南站」)行きの市バス101番に乗る。駅は大きいが閑散としているので、出口近くのバス停ですぐ停留所を見つけられるだろう。料金は一律1元で、乗るときに運転手わきの箱に入れる。

 市バス101番は、途中、在来線の余姚駅を経由して20分ほどで終点の汽車南に。そこで、今度は515番に乗る(やはり1元)。約40分、田舎道を行くと河姆渡遺跡の停留所に着く。河姆渡は中国語でヘムダと発音するようだ。

出発前の市バス515番
  出発前の市バス515番。

  中国の市バスはたいていの場合、どこのバス停にも、全停留所が載った路線表示が掲げられている(下記写真)。これで見ると河姆渡遺跡は25番目の停留所だということがわかる。通常、始発と最終便の時刻、運行頻度なども書いてある。


 「河姆渡遺跡」は目立たない停留所なので見落とす可能性がある。コツは右側の席に座り、各停留所の表示をずっと見ていることだ。幸いわれわれは漢字が読める。今あそこで止まったから次の次だな、などとわかる(現停留所は路線表示の中で印がつけられている)。

路線表示
  河姆渡遺跡停留所の515番の路線表示。

河姆渡遺跡の停留所
河姆渡遺跡の停留所。
余姚から来るバスは左手のバス停に止まる(中国では車右通行)。


約2キロをハイキング

 バスを降りると写真のような入り口の門がまえが見えるので、(門をくぐらず)この右手の方をずっと入っていく。約1キロ歩く。歩き始めてすぐ片側4車線の高速道路を渡る。河姆渡文化の人たちが現代のこの地にやってきたらびっくり仰天するのではないか。

 さらに行くと、右手に写真のような、「河姆渡村民委員会」(役場)の建物があった。共産党委員会もいっしょだ。道は人通りがほとんどない。見学客は川べりまで団体バスに乗っていく人がほとんどのようだ。

河姆渡遺跡の入り口
河姆渡遺跡のゲート。この右に歩いていく。

高速道路
高速道路の上の橋を渡って進む。

村民委員会
村民委員会(役場)の建物。


舟で行く河姆渡遺跡

  余姚江の川べりに着く。渡しの手漕ぎ舟が行き来している。河姆渡遺跡はこの川向こうにあるのだ。この辺に橋はなく、舟で行く以外ない。舟を降りた時点で往復分の料金6元を徴収される。

渡しの船
余姚江の河岸。ここで舟に乗る。河姆渡遺跡は対岸。

対岸に入り口のシンボル
対岸に河姆渡遺跡入り口のシンボルが見えてくる。


 右側に河姆渡遺跡、左側少し歩くと博物館がある。どちらも無料だった。中国の史跡や博物館は高い入場料を取るところが多いので、無料で公開するという姿勢は評価できる。遺跡や博物館については、ウェブ上に多くの解説があるので、ここでは写真を掲げるにとどめる。

河姆渡遺跡スナップ

河姆渡遺跡
河姆渡遺跡。

反対側から見る
反対側から見る。

山が近い。
山が近い。

川も近い。
川も近い。ただし、当時とは流れが変わっていると思われる。

高床式住宅が展示されている。
高床式住宅が展示されている。

やや離れて博物館が設置されている。
やや離れて博物館が設置されている。

稲もみが出土した地層の土壌。
稲もみが出土した地層の堆積物。

頭部の復元模型。
出土した頭骨から複製された河姆渡人の容姿。

帰りは寧波に抜ける

 帰りはもと来た道を帰ればいいのだが、せっかくだから今度は寧波市の方に抜けてみよう。発展する華南の港湾都市。かつて日本からの遣隋使、遣唐使などもまずここに着いて、それから運河などを通じて長安その他に行ったという。

 まず寧波に入り河姆渡遺跡に来る場合は、このルートを逆に来ればいい、ということになる。

 先ほど乗ってきた余姚市バス515番でさらに同方向に行き、4つ先の終点・天下玉苑で降りる(1元)。バス発着場になっており、そこで、寧波の市バス301番に乗る(2元)。やはりこの天下玉苑が始発で、終点の寧波駅まで約1時間。通勤時間帯は渋滞になるので注意。また、寧波市では地下鉄の建設が進んでおり、バス路線も大きく変わる可能性がある。

310に乗り換え
余姚市バス515番の終点、天下玉苑バス発着所。ここで待っていると左に止まっている寧波市バス310番がやって来るので、それに乗る。

301番の路線表
301番バスの路線表。終点に行くだけなので見なくても大丈夫。

 寧波駅は珍しく高速鉄道と在来線の駅がいっしょになっている。301番バスはその南口停留所に着く。寧波から河姆渡遺跡に向かうに際にはここから乗車することになる。

301乗り場
寧波駅南口の301バス乗り場。同駅から河姆渡遺跡に向かうときにはここから乗車。

寧波駅の2番出口

寧波駅の2番出口を出ると、バス乗り場に出られる。


良渚遺跡にも行こう

 杭州郊外にある良渚遺跡群も長江文明の代表的遺跡。5500〜4200年前と、7000年前の河姆渡遺跡より新しいが、発達した都市文明が見られる。もちろん稲作を行っていた。玉器が大量に出土し、城壁や墳墓もあることから一定の権力集中があったと見られ、首長制社会だったとされる。中国北部の伝説の「夏」王朝は、この良渚文化の末裔たちが移動して築いた王朝だとする説もある。担い手はミャオ族など、現在、中国周辺部に追われている少数民族だったと言われる。

 遺跡の所在地は浙江省杭州市余杭区の良渚街道(村)。博物館へは、杭州の北バスターミナル(長距離汽車北站)から市バスK372番で比較的簡単に行ける(約1時間、2元、始発はターミナルの2つ前の和睦新村)終点は良渚文化村で、その3つ手前が「良渚博物館」の停留所。ここで降りて進行方向すぐの三差路を右に曲がると、5分で立派な博物館に着く。

 杭州への行き方の詳細は省くが、上海虹橋駅高速鉄道で約1時間、2等で46.5元(D系統列車)または73元(G系統列車)。在来線は上海南駅から2時間、24.5元。高速バスは南ターミナルからだと3時間、59元だ。


良渚博物館  

良渚博物館の入り口。

ジオラマ
玉器など出土品の展示だけでなく、当時の生活を再現したジオラマも。

 博物館は開館9:00〜17:00。月曜閉館。入館無料。近くに良渚遺跡群が散在しているのだが、私が行ったとき(2015年11月12日)には雨にたたられ、見て回るのを断念した。


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詳しくは:

書籍「アジア奥の細道」

岡部一明『アジア奥の細道』(Amazon KDP、2017年、2060ページ、写真1380枚、398円



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