子に教える、子から教えられる

1997年6月

 「こらー、ここにスイカ持って来い!」
 ついにお父さんの怒りが爆発した。「このまな板の上に並べてみなさい!」

 スイカをめぐって兄弟ゲンカをはじめた子どもたちを台所に呼びつけ、各々の食べかけスイカ片をジグソーパズル風に並べさせる。
 「ほーら、2人ともだいたい同じくらいのところを、食べたろ!」

 切口に沿って復元してみれば、二人とも「同じくらい真中」を同じくらいの量ずつ食べたことがわかる。12才の長男と9才の次男の間で勃発していた「おまえの方がいっぱい食べた」「そっちが真中食べた」のケンカも、この大太刀振る舞いで何とかおさまった。ったく、ここまでやらないと収まんないのか。

 夏休みに入ってこんなことばかりだ。何しろアメリカの夏休みは3カ月ある。6月から8月終わりまで毎日この喧噪が続く。

 いつも簡単に一件落着するとは限らない。悲惨なのは、子どものケンカに親まで感情的に巻き込まれることだ。こうしてご報告文を書けれる頃になればもう事は過ぎ去っている。とっくみあいのケンカをはじめ、ベチッベチッという音まで聞こえてきて「コラーッ」と介入していく、などの時、とても人様に見せられるような顔ではない。

 「だれが最初にやった?」「そんことでケンカすんな、コンニャロ。」
 ムキになって収拾させて、ふと気が付くと、こちらもハア、ハアと息荒く、興奮している。さっきまで隣室で書いていた「情報化時代における政府情報アクセス……云々」にもう戻れない。書けなるわけながない。

便利なフリーライター
 フリーライターは、こういう時、完全に当てにされる運命にある。

 「だっておまえ、会社に行っていないだろう。」
 連れ合いはちゃんとお勤めに出ており、子どもの面倒を見られるのは、家でのんびりしているフリーライターだけなのだ。

 犯罪の多いアメリカでは、勝手にその辺で遊ばせておく訳にもいかない。公園に行くにも親が付き添う。友だちの家に行くにも親が送って行く。私は3カ月間、この動物園に張り付きになるのだ。いったい父母とも外で働いている家はどうやっているのだろう。(一応、学童保育のようなものはある。ただし金がかかる。私の場合、金を払って「学童」に入れてそれ以上充分意味ある収入を上げることができるか、という冷酷な経済計算の末に私の自宅保育という結論が出されるのだ。)

 こんな生活の中で、子育てのすばらしさについて美しく書く気になれない。巨大な自己矛盾に押し潰されてしまうだろう。でも、ホント、子どもを育てるということは実にすばらしいですね。いろいろ教えられます、ハイ。

小1国語で教えられる
 子を教えることは、自分が教えられることである。

 難しい教育理論を語るまでもない。例えば小学校1年生に勉強を教えて親が教えられる。分数以上の高学年算数ではない。小1「国語」(日本語)でも、私は子どもから教えられるのにア然とした。

 「おい、それは書き順が違うぞ。」
 子どもの書きとりの練習を見ていて注意したら、子どもが、いやこれが正しいと一歩も譲らない。何度かやりとりするうち、念のため漢字帳を調べたら、なるほど子どもが正しかった。漢字だけならまだよい。「な」「む」「ぬ」などいくつのひらがなでも私は書き順をまちがっておぼえていた。

 小1の国語だ。最初はすっかりなめていたが、その内自信をなくし、いちいち書き順トラの巻を参照しなければ教えられなくなってしまった。

 今更、書き順を直す気はない。何とか字が書けて、これまで40年、問題は起こらなかった。しかし、例えばこれから手書き認識ワープロが普及してくれば、書き順が違うと認識してくれなくなってしまうかも。少なくとも、子どもに教える上では……。

 思えば私は小学生の頃、漢字の書き取りの宿題が出ると、オートメーション式に終わらせる「技」を駆使していた。一画づつ縦に10個書いて、次の一画をまた10個書き加えて、とやっていけば最も「効率的」に10個の漢字を並ばせられる。その特殊な技のツケが今頃まわってきたのだろう。

子どもの勉強をみる
 実はというか、ご推察通りというか、私は、学校の勉強を少しも大切だと思っていない。先生や連れ合いから親の責任を追及されて、初めてアリバイ的に宿題を見てやるので、ちっとも身が入っていない。

 最初はまったく宿題を見てやらなかったが、それが通せなくなったのは、アメリカに来て1―2年たった頃だった。息子の成績があまりに悪いので、家できちんと勉強を見てくれと先生からきついお達しが来た。

 「ほら、この本読んでみろ。」
 と息子に教科書を渡すと、彼は慣れない手つきで本をめくりだす。
 「ほら、最初に目次があるだろう、紙をめくると、下のページ数が少しずつ増えていく……。」

 すると彼は珍いものでも見るように一枚づつめくり、数字が増えるのに感動しているようだった。これはヤバイ、とようやく私も思ったものだ。いったいこれまで親は何をしていたのか……。

子はなぜ親に似るか
 子は社会のものなのだと思う。人びとは皆、今の世代から次の世代に人類を引き継いでいく任務を少しずつ担わされている。私のところにも子どもが2人あてがわれてきた。これを大きくなるまで育てるのが私らに与えられた仕事だ。

 子が私の個人的所有物だとは思わない。一人前になったら社会に返す。そう思っているが、しかし、それにしても子どもというのはあまりに親に似る。顔形から性格、動作、クセまで、親の欠点でも何でも似てしまう。恐ろしいというか、うまくできている。社会からまかされた任務だなどという考えはどこかに行き、一連托生、同じ穴のムジナの世話に奔走することになる。

 息子の授業参観に行ったが、なるほど彼は、授業に集中できていない風であった。アメリカの学校はグループ学習中心で、皆が前向いて座って先生の話を聞くという風ではないが、それにしても我が子は、授業中、訳もなく席を立ち、皆がやっていることとは別に、彼自身の空想の世界に耽溺している。

 子どもとはこれほど似るのか、と愕然とした。私自身が、47年の人生で2年だけ行った会社でこうだったのを思い出した。会社共同体に入り込めず、毎日、白昼夢を見ながら窓際で過ごしていた。その自分の姿を、二十数年後、教室の中で我が子の中に見させられる。

子どもにはスポーツと将棋を
 子どもはスポーツと将棋だけをやっていればよい、という強い哲学を私はもっている。スポーツはもちろん体を鍛える。健康こそが長い人生で最重要でありかけがえもないことに疑いの余地はない。丈夫に生きていれば人生、たいていのことは何とかなる。

 次いで将棋。これは強靭な論理的思考と精神力を育てる。偏差値教育や詰め込み教育では決して身に付かない本物の知的能力だ。将棋の場合、さらに人生の挫折や感動といった根源的な体験までも味あわせ、これほど万能の教育的効果をもつものは他にないのではないかとさえ思われる。自慢じゃないが、私は宿題や仕事で徹夜したことはないが、将棋では何度も徹夜したことがある。「教育」のため、ラテン語や漢文や連立方程式など、必ずしも実際に役に立たないものをとにかく教えることが昔から行なわれてきた。学校の勉強を止めて将棋にしたらどうか。

 学校の勉強はどうであれ、スポーツと将棋だけをやっていれば将来何とかなる。その基礎があれば、個々の知識や技能など大きくなってどうにでもなるものだ。実際、そういうワイルドな少年時代を送った友人達が、皆、立派になっていったのを見て、この認識は確固たる信念になった。私の場合は、少し優等生的すぎたかも知れないと反省しているくらいだ。

文化をどう継承するか
 歴史は繰り返す。私は子どもの頃、一つ下の弟と将棋でしょっちゅうケンカをした。「おにいちゃん、(もう一度)勝負だ!」と負けるたびにくってかかった弟の仁王顔を今でもよく思い出す。

 そして、20世紀末のこの新しい我が家でも、同じ様な将棋熱が吹き荒れている。セミプロ(?)の私が子どもたちを徹底的に負かして凱旋を上げれば、強くない連れ合いが次男と手に汗握る接戦を演じ、そして子ども同士で頻繁に将棋してケンカをしている。この間などは、夜の12時まで将棋して、弟の次男が悔しいと言って泣き出し、くってかかるのは尋常ではなかった。床に入ってもややしばらくシクシクと泣いていた。勝負心の強いヤツであるよのお。

 かつて少年の頃、私は、父方のおじいちゃんのところに行った時、よく将棋を差した。白壁の土蔵が見える縁側で、静寂に流れた時間が懐かしい。あれは永遠の時間ではなかったか。

 おじいさんとは、話らしい話をした記憶はないが、将棋で人格を感じていた。とても強く、私はいつも苦戦し、時に善戦しても最後はやられてしまう。その強さが私にとっておじいさんの存在感であった。

 そのおじいさんが、次第に詰めがあまくなり、私の王を取り逃がすようになり、やがて私が勝ちはじめるようになった。「撲も強くなったのかな」と思う間もなく、おじいさんは亡くなってしまった。

 私の父も、このおじいさん仕込みで将棋が強い。今、私と父は話がほとんど通じず、価値観が離れてしまったが、将棋の盤に向き合った時は、共通の基盤に立っているように感じる。子に将棋を教えたのは正解だったね、おやじさん、と私は一人ごちる。幸いなことに父はまだ、一方的に負けはじめるという風にはなっていない。

 祖父の代から受け継いだのこの文化を、私はどう子どもに継承しているかというと、
 「さあー、将棋だ、ファミコン出せえ!」
 と号令をかけると、子ども達がすっとび、ジャンジャカジャーン、ピッポコポーと音楽がなる中、私たちは荒々しくパソコン将棋に向うのだ。

 ファミコン・パソコン将棋には、たいてい人間同士が対局するモードがある。あんなの何に使うのだろう、と思っていたが、これが意外に便利なのだ。まず、必ず2人が盤に向き合わう必要がなくなる。お互い好きな所に寝っころがってテレビ画面を見れればいい。私たちの場合は、2段式子どもベッドの上と下に寝っころがり、わきのテレビを見ながらよく差している。どんなにだらしなく寝っころがっていてもキーパッドさえ持ってボタンを押せれば、駒が動かせちゃんとした対局になる。

 「クソー、もう一回だ!」
 とやり直す場合もボタン一発で奇麗に初期の陣形に戻る。横着者には応えられない。この間、子どもと本物の将棋盤で将棋を差した時、最初に駒を自分で並べなければならないことに不満タラタラ言っていた。やっぱりこんなじゃいけないかな、と少し不安にもなる。私は文化を滅ぼす怠惰な父親か。

 怠惰と言えば、パソコン将棋は、将棋の初期訓練をするには実に便利だ。駒の動かし方さえおぼつかない初心者にパソコンで練習させてくれる。間違った動きをしようとしても「ブー」となって動かせない。「待った」も果てしなく前までやれる。ヘボ将棋につき合うのは正直言ってしんどい訳で、その時期を「パソコンでやれ」でかなり澄ませられるのはありがたかった。駒落ちで、いつまでもいつまでも子どものヘボ将棋の相手してくれたおじいさん、父に顔向けができない。こうやって怠惰な父親は文化を滅ぼしていくのです。

本というニューメディア
 いや、主題は子どもの勉強のことであった。息子が、慣れない手付きで教科書を取り、ページをめくってページ番号が増えていくのに感動しているのを見て、私はようやくまじめに宿題を見てやる気になった。

 だが、実はその時私は、人間にとって「本」とは不可解なニューメディアであった、ということに気づいたのだ。今、人びとはワープロで次のページに行くのがわからなかったり、ウェブ・ページ上の操作を難しい難しいといって苦労している。しかし、印刷物の本を初めて手にした時も同じだったのだ。人びとは、ページという概念を理解するのに大変な思考の飛躍を要したろう。農夫の荒い手で一枚一枚紙をめくるのは物理的も難しかったに違いない。何よりも、青白い蛍光灯の下で小さな紙のたばに向うというその不健康な行為に、野山で生きてきた人びとは耐えられなかったに違いない。

 現代は、印刷メディアで権力を得た知的テクノクラートの支配する社会だ。だからそこで「本を読む」という行為は神々しい美徳に祭り上げられている。図書館は人類の知の聖なる場であり、「本を読む女」などが美術作品としてまで描かれる。ディスプレーに向かう人の姿が「インターネットを駆る人」などという芸術作品になることがあろるだろうか。

 読書もまた、パソコンのスクリーンを見続けるのと同様、不健康な行為である。観念の中で世界がわかったように思ってしまう。だからこそ「書を捨てて街に出よ」「ヴィ・ナロード」と訴えた人びとが居た。しかし書は過去数世紀に渡って人類文化の根幹に入り込み、書による知的エリートの支配が確立した。そのエリートたちが今、スクリーンに向うパソコン少年たちを、自分の支配を脅かすものとして本能的に忌避しているのだ。

 ……などと哲学的思索に入ってしまい、やはり私の宿題手伝いはいっこうに進まななかった。

 結局、辞書の使い方を教えることに力を入れた。漢字が書けなくとも辞書があれば書ける。読めなくとも辞書を引いて読める。辞書は自分で学ぶためのツール。自立して成長していくためのツールだ。……とか何とか言って、結局、親の手をわずらわせず何とかやってって欲しいということだったのかも知れない。

夢みるお父さん
 「おとうさん、おとうさんってば!」
 と次男に袖をひっぱられて我に返る。
 あれはまだ、東京に居た頃、小金井公園に子ども達を遊ばせに行った時だ。

 「おとうさんは、いっつも夢見てんだから」と長男が非難する。
 子どもたちを周りで遊ばせながら私はボーとして、呼びかけられても気が付かないでいた。ボキャブラリーが不足しているとはいえ「夢見てる」とはよく言ったものだと思う。その時、私は、子どもたちの歓声の中で「東西冷戦後のあるべき世界は……云々」についてあれこれ考えをめぐらせていたのだ。高い空の下で子どもたちが遊ぶ平和な公園を眺めながら。

 毎日毎日、動物園の騒ぎに疲労コンパイしているが、こうしてあれこれ書いてくると、やっぱり私は哲学的なレベルでもいろいろ子どもから影響を受けているようだ。

宮崎駿は日本マンガの最高峰
 友人が日本から宮崎駿のビデオをたくさん持ってきてくれた。子どもへのお土産だが、親の方もかなり熱中してしまった。本物の創作者に触れた気持ちだ。それぞれの作品にメッセージがある。ユーモアや軽いアクションや純愛ものに隠してとてつもなく深い(時に重い)問題を提起している。そして丁寧に描かれた絵、自然の風土と伝統的風景への強い愛着、会話の中の間合いの巧みさ、時に鳥肌が立つまで美しいある種の情景描写。

 例えば『紅の豚』の中で、死んでいく飛行士たちの飛行機が高空に一条の群列となって登っていく静寂空間の描写はどうだ。自立した女性の描き方も日本の作家としては卓越している。(喫煙の描写が多いのだけは落第だが。)

 「ウーム、日本マンガの最高峰……」などとうめきながら、子どもが寝てからもたくさん見てしまった。本物に触れるとこちらにも創作への熱い感動がよみがえるを感じる。

 あ、いや、テーマは子どもたちだった。
 子どもたちもかなり熱心にビデオを見ていた。前にも『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』を見て、すぐ飽きてしまってけしからんと思っていたが、そりゃそうだろう、5回も6回も親が無理やり見せれば、さすがの宮崎アニメでも飽きられる。今回は新しいのが次々に入ったから、子どもの熱中は続いた。

 「特にいいのは3つだよ。いい順に言うと……」
 と、珍しく長男が論理的に話しかけてくる。
 「『海が聞こえる』、『思い出ポロポロ』、『耳を澄ませば』……。」
 フーン、そうか、と応えながら私が何を思っていたかというと、
 「やべー、全部、純愛モンじゃねえか!」

 実は長男はどうも声がわりがはじまっているようだ。背も少し伸びてきた。きついパンツだなと思ってはいていると長男のパンツだった、とか、寒い晩は、その辺にあった彼のジャンパーをかぶっても、まあ、役に立たなくはない、などということがある。テレビでキスシーンなどが出てくると、
 「オエー、Yak!」
 と言ってチャンネルを替えてしまうなどというのは、やはり意識してきたせいだろう。

 ある年齢以降、私たちは純愛ものをばかにした。女と男の関係はあんなモンでは絶対語れない、などとお兄さん風を吹かせた。確かにそうであるのだろうが、しかしこういうジイサマになると、返ってああいう純愛ものが懐かしい。胸キュンとときめかすああいうのっていいんじゃない? そういう世界に我が家の子ども達がそろそろ突入していくのか、と思うと、くわばらくわばら、である。


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